バタフライエフェクト的に助けたらしいカレハカマキリ(♀)が恩返しにきた

にゃー

カマキリにわかなので変なこと書いちゃってたらすいません!カマキリガチ勢の方々、どうかご容赦を!


 拝啓、お父様お母様。

 わたしは今日、職を失いました。


 あと今、絶賛ストーカーに追いかけられております。



「はっ、はっ、はっ、ひぃぃぃっ……!」



 我ながらなっさけない悲鳴を漏らしながら、最後の退勤からスーツ姿のまま、逃げ続けること十数分。

 ここ最近の寝不足その他がたたり、早くも息が上がり始めたわたしがまだ捕まっていないのは、ひとえにストーカーさんの方も運動不足っぽいからに他ならない。


 夜の闇に溶け込むような黒のパーカーに身を包んだ小太りな男性が、わたしとは違ったニュアンスのハァハァ声を伴いながら追いかけてくる。


 ここ一ヶ月ほどわたしの精神を追い詰めてきたストーカーさんが、遂に直接的な行動に出たというのは、もちろん恐怖以外の何物でもないんだけど……今日は色々あり過ぎて、なんかもう、テンション振り切れて頭おかしくなりそう。ていうかなる。


 まさにこうやって、危機的状況であるにも関わらず、脳内でだらだら喋り始めちゃうくらいにはおかしくなってると思う、うん。


 頭が回ってるように見えて、実のところアドレナリンしか回ってないわたしの足が、無意識のうちに自宅へと向かっていることに気が付いたのは、もう愛しの安アパート前最終コーナーに差し掛かる直前で。


 そこそこ近くまで迫ってきてるストーカーさんを、自宅に招き入れてしまうという悪手にようやく思い当たりながらも、帰巣本能に突き動かされるようにして、結局わたしは最終コーナーを曲がってしまう――



「やっと帰ってきましたか」


 ――瞬間、角の先にいた誰かに引き寄せられた。



「むぎゅぇ」


 潰れたカエルよろしく変な声をあげながら頬に感じたのは、むにゅっとした柔らかい感触。

 一瞬の後、それが女性の胸だということに気付く。


 反射的に顔を上げれば、そこには、何やらエキゾチックな雰囲気を纏うお姉さんのお顔が。


「え、誰……?」


 街灯に照らされて、淡く輝いているようにすら見える褐色の肌。夜闇の中でもなお、存在感を示す長い黒髪。一般的な二十代女性代表を地で行くわたしよりも頭一つ分くらい高い位置から、切れ長な目の中の瞳が、こちらの顔をじっと見つめていた。


「わぁ……」


 ブラウンの薄布を何重にも重ね合わせたような、ドレスめいた服装と相まって、めちゃくちゃ浮世離れ感が強い美人なお姉さま。


 そんな人に突然がっちりと抱き締められては、状況を忘れて思わず見惚れてしまうのも、無理はないと思う。



「り、里香りかちゃん……!へへへふへはっ――」


 で、状況を思い出させてくれたのは、角まで追い付いてきたストーカーさん、と。



「ぐえっ」


 そのストーカーさんの首を、目にも留まらぬ速さで掴み上げた、お姉さんの右手だった。



「反射的に捕らえてしまいましたが……またえらく不味そうな人間ですね」


 一見、細く長い女性の腕にしか見えないそれは、けれどもストーカーさんの抵抗を受けても微動だにせず、小太りな彼をその場に押し留めている。


「ぐっ……りが、ぢゃんっ……!」


「ひぃっ!」


 暴れ回るその太く短い腕が体をかすめ、またしても情けない悲鳴を上げてしまうわたし。


「む」


 その様子にお姉さんは、不快感を露わにしながら、左手でさらに強くわたしを抱き寄せた。


「ますます食欲も失せてしまいました。さっさと絞め殺して、その辺のあり共にでも食わせてやりましょうか」


「えっ食わ……いやいや絞め殺すって」


 やや抑揚に乏しい静かな声音で聞こえてきたのは、いくらストーカーさんが相手と言えど流石にマズそうなワード。


「蟻共には情報提供の礼もしなければなりませんし、合理的というものでしょう」


 なんかちょっと意味不明なこと言ってるけど、とにかく殺人はダメ、ゼッタイ。


「えっと、その、普通に警察呼びましょう?ね?」


 謎のお姉さんとストーカーおじさんの間に挟まれつつ、何とか冷静な判断を下せたわたしでありましたとさ。


 ちゃんちゃん。




 ◆ ◆ ◆




「えぇっと……」


 警察の事情聴取だか何だかも終わり、無事愛しの安アパートに帰って来れたのは、夜もだいぶ更け込んできた頃合いだった。

 明日の仕事に差し障るなぁって考えて、そういやもう無職なんだったと思い出す。


 ……ちなみに、数週間前に交番に駆け込んでも全然取り合ってくれなかったもんだから、通報して駆けつけた警察官に文句でも言ってやろうかと思っていたんだけど。

 そもそも、わたしが警察に助けを求めたって情報すら残ってなかったらしく、淡々と、変質者に出くわすなんて運が悪かったですねぇみたいな対応された。

 やっぱ都会って冷たいんだなぁって、田舎っぺのわたしは思いましたよ、ええ。



 まぁ、それは取り敢えず置いておいて。

 今は、部屋に招き入れたこの褐色長身お姉さんのことだ。


「まずは、助けて頂いてありがとうございます」


 小さなテーブルの対面に座るお姉さんに向かって、深く頭を下げる。

 全くもって正体不明なお方ではあるけれど、恩人であることは間違いない。もしもこの人がいなかったらどうなっていたか、想像すらしたくないし。

 そんな思いから、わたしのお姉さんに対する感謝の気持ちは、自然と最大級のものになっていたわけなんだけど。


「いえ。こちらこそ、助けて頂いてありがとうございました」


 どういうわけだかお姉さんは、そんなことを言いながらわたしと同じくらい深く頭を下げてきた。


「……?あの、わたしたちって、初対面ですよね……?」


 身に覚えのない謝意に戸惑いながら、そう問いかける。

 頭を上げて、改めてお姉さんの顔を見ても、やっぱり見覚えなんか全くない。というか、こんな褐色エキゾチック美人お姉さんなんて、一度見たら絶対忘れられないと思うし。


「直接会うのは初めてですが……ええ、間違い無く、貴女なんですよ」


「は、はぁ……」


 薄く微笑むその表情は、なんとも美しく、やっぱりどこか浮世離れした不思議な魅力を帯びていて。

 けれども、どぎまぎしちゃってるわたしの耳に飛び込んできた言葉は、さらにさらに現実離れしていた。



「私、先日なんやかんやあって貴女に助けられたDeroplatys Desiccataで御座います」



「……なんて?」


「和名、メダマカレハカマキリです。本日は、助けられた恩を返しに参りました」


「……ちょっと、身に覚えがないですね」


 え、なに、カマキリ?

 なに言ってるの?

 もしかしてこのお姉さん、ちょっとヤバい人?


 ストーカーおじさんから助けてくれた人が、電波ストーカーお姉さんである可能性が浮上してきて、わたしの脳内でにわかに危険信号が飛び交い始める。


 鶴の恩返しとか読み過ぎちゃったタイプの人かなぁ。しかもメダマカレハカマキリ?とか聞いたことない種類だし、ガチガチに世界観出来上がっちゃってるパターンかも知れないよこれ。


 混乱しきりなわたしを置いてけぼりにして、お姉さんはさらに設定っぽいものを語り出す。


金元かねもと 里香りかさん。貴女は数日前、会社の合同企画のプレゼンを失敗してしまいましたね?」


 え、待って仕事の情報握られてる。これ普通にヤバいストーカーさんだ。


「それにより、業務提携するはずだった相手企業の担当者が激怒し、そのまま会議は終了」


 やばいやばいやばい。


「相手企業の担当者は、気が立った状態のまま車で帰路につき……その途中で、車両同士の衝突事故を起こしてしまいましたね?」


 仰る通り。

 奇跡的に負傷者は出なかったものの、両企業の間では、わたしが担当者さんを怒らせたのがそもそもの原因だという話になってしまって。


 クビ、ではなく自主退職。表向きは。

 でも実際は、責任を取る(相手方の機嫌を取る)という理由での強制退職のようなもの。

 元々ブラック気質であり、理由が不祥事の尻拭い、しかも入社数年程度の平社員ともなれば、退職金や補償なんて出るはずもなく。


 驚くほどのスピードで、あれよれよという間に職を失ってしまったのが、今日の話でありましたとさ。

 ……ちなみに、大事な会議でミスを連発した理由の半分くらいは、ストーカーおじさんのせいで精神的に参っちゃってたからだと思う。あと半分はわたしの技量不足。


 という責任転嫁はさておいて、一応、お姉さんの話に耳を傾け直す。

 無視して急にキレられたら怖いし。


「ここで重要なのは、相手企業が衝突事故を起こした、その相手方についてなのですが」


 ああ、その辺りの事情まで把握してるんだ。

 ……ん?さっきカマキリって言ってたけど、まさか……


「衝突された方が実は、海外の希少な昆虫等を不法に輸入・販売している密輸業者だった……というところまでは、里香さんもご存じだとは思います」


「……ええ、まぁ」


 やっぱり、そう繋げてくるのかぁ。

 ……あれ、でもこの話、もうニュースになってたっけ?何か、警察からまだ口止めされてた気もするんだけど……


「そしてここからは、恐らく里香さんも知らない話かと思うのですが……その密輸業者が隠れ蓑にしていた昆虫専門ペットショップの従業員らが、逮捕を恐れて一斉に夜逃げしまして」


 へえ、そんなことになってたんだ。だから警察の人たちは、箝口令を敷いていたんだね。


「その際の騒動に紛れて、一般販売されていた昆虫達が相当数逃げ出しました。人間達は、希少種や法的に不味い個体等を優先して持って行ったものですから、その他の虫達にまでは気が回らなかったのでしょうね」


 わたしが会社の偉い人たちから糾弾されている間に、密輸業者さんサイドもわちゃわちゃしてたんだなぁ。


「その時に脱走し自由の身となった内の一匹が、私、メダマカレハカマキリと言う訳です」



「……な、なるほどぉ」


 一見、話の筋は通っているように思える。

 このお姉さんが、どう見ても人間だってことに目をつぶればなぁ!



「理解していただけましたか?」


「ええ、良く練られた設定だなぁと」


 ここまでこちらの事情を把握し、自身の妄想と良い感じに合致させて話を展開してくるあたり、相当な手練れの電波ストーカーさんと見た。

 さっき、おじさんの方のストーカーを片手で抑えつけていたことから分かるように、フィジカルも滅茶苦茶強いタイプの人っぽいし。

 そんな人を、こんな真夜中に、自分しかいない家に上げてしまった時点で、多分もう詰みですね、これ。


「……あの、ストーカーさん。わたしもう諦めて、抵抗とかしないんで……」


 逃げ回った後&メンタル限界の今のわたしに、抵抗できるような力なんて残っているはずもなく。

 まあ、めっちゃ美人だしさっきのストーカー一号よりはまだマシかなぁ……なんてとち狂ったことを考えながら、せめてものお願いをしてみる。



「出来ればその、あんまり痛くない感じでお願いしたいんですけど……」


「……信じていないようですね。まあ、無理もありませんが」



 けれどもストーカーお姉さんは、そんなわたしに襲いかかるでもなく、ただじーっと、黒い瞳でこちらを見つめていた。

 なんだろう、結構紳士的なストーカーさんなのかな?女性だけど。


「えっと、わたし、カマキリプレイ?とかには疎くて……」


 この際、身を守るためならお姉さんの設定に乗っかるのもやぶさかではないんだけど……そもそも、カマキリプレイとか未知の領域過ぎて迎合のしようがない。


「やさしく、手解きして貰えると助かります……」


 なので、相手の機嫌が良さそうな今のうちに、なるべく下手したてに出て、穏便に済ませようと画策してみる。

 いや、ストーカー相手に身を委ねようとしてる時点で穏便も何もないんだけど。


「……取り敢えず、信じて貰う為にも、証拠を見せる必要がありそうですね」


 私の後ろ向きすぎる覚悟を知ってか知らずか、ストーカーお姉さんはその、切れ長の目を閉じうわ眩しっ!!


「ひぃぃっ!?」


 突然、ぺっかぁーっと光り出したお姉さんの、そのあまりの眩しさに反射的に目を閉じてしまって。ついでに情けない悲鳴まで上げたりしちゃって。


「な、なんですかっ!?――って、あれ?」


 一瞬の発光が収まり、恐る恐る目を開いた私の前から、お姉さんの姿は消えていた。


 そして、その代わりと言わんばかりに、テーブルの上に佇んでいたのは。


「……お、おおぅ……」



 一匹の、カマキリ。



「……まじか」


 体長十センチくらいはありそうな、結構大きくて茶色いやつ。

 比較的見慣れてる日本のカマキリと違って、全体のフォルムがちょっと刺々しかったり、カマが生えてる部分(胸、だっけ?)が、それこそ枯葉みたいに、ちょっと平べったくなっていたり。

 まあその見た目は、完全に外来種のそれだった。


 わたしは元々、田舎暮らしで虫とかに慣れてたから良かったものの、人によってはゴキブリ出てきたとき並みにビビるんじゃないかなって、割とそんな造形。


「……まじかぁ……」


 消えたお姉さんと、入れ替わりに現れたカマキリ。

 現実離れしすぎていて、けれども認めざるを得ない事象を目の当たりにしながらも、それでもわたしはまだ、往生際悪く足掻いてみる。


 テーブルの下とか、そう多くもない部屋の物陰とか、その辺に褐色黒髪長身なお姉さんが隠れてないかと思って探して見て。けれどもそのグラマラスな姿は、文字通りどこにもなかった。


 そもそも、めっちゃ眩しかったとはいえ発光はほんの数秒もないくらいで、その一瞬の間に隠れるだなんて、流石に不可能な話だよね。



 ……つまり、テーブルの上に鎮座するこの生き物が。

 私が無駄な探索をしている間も、静かに佇みこちらを複眼で追っていたこの外来カマキリさんが。


「お姉さん、なんですよね……?」


 そう、納得せざるを得なかった。


「っ」


 わたしの言葉に満足したのか、またしても一瞬の発光を経て人間の姿に戻った、ストーカー改めカマキリお姉さん。


「信じて貰えたようで何よりです」


 こうして、カマキリからの変身(昆虫的には『変態』なのかな?)を目の当たりにした後だと、触覚のように長く飛び出した二本のアホ毛とか、常にこちらの顔をゆっくりと追いかけ続けている瞳とか、すらりと長い手足とか、折り重なった薄羽みたいなデザインのドレスとか。

 まあ、昆虫っぽい要素を感じなくもない。気がする。


「ええっと、正直それはそれで混乱が収まりそうにないんですけど……つまりお姉さんは、違法ペットショップから逃げてきたカマキリで、脱走の原因を作ったわたしに恩返しをしに来た……ってことで、合ってます?」


 先程まで妄言だと思っていたお姉さんの発言を思い返しながら、何とか状況を飲もうとする。


「ええ、あのまま店にいては、碌な事にならなかったでしょうから」


「そうなんですか?」


「あの手の違法ショップで昆虫を買う輩なんて、十中八九変態的な好事家ですからね。見知らぬオスと無理やり交配させられ、産卵シーンを舐め回すような目で観察され、最後には標本として貼り付けられる……まあそんなところでしょうか」


「うわぁ……それはまた、何とも……」


 ペットの昆虫という点で見れば、そう珍しくもないんだろうけど。

 人間の姿で言われると、不憫なんてレベルじゃない話だった。


「或いは、他の昆虫や爬虫類等と戦わされたか……いずれにせよ、悲惨な最期を避けることが出来たのは、他ならぬ貴女のおかげです」


「なるほど……それは、その、良かったですね……?」


 とはいえ、こっちとしてはそんな意図など全く無かったわけでして。感謝なんてされても、未だ残る混乱と相まって、わたしにはそんな曖昧な返事しかできなかった。


「ええ、本当に。ですからその恩返しの為に、こうして貴女の元へ訪れたという次第です」


「はぁ……あ、いやでも恩返しって言うなら、それこそさっき助けて貰いましたし、これでおあいこかな、と……」


 貞操の危機を救って貰ったという意味では、今日の出来事はまさしく、恩返しに他ならないと思う。


「早速役に立てたようで何よりです。引き続き、一生をかけて貴女に恩を返していくつもりなので、どうぞ、これからよろしくお願い致します」


 んん?い、一生?

 なんかちょっと、重くない?


「えっと……今回の一件で、わたし的には割とトントンかなぁって、思うんですけど……」


「いいえ。私の抱いている感謝と恩義は、まだまだこの程度では伝えきれていません。今後もこの身を賭して、里香さんの役に立てればと思っています」


 お、重い……

 このお姉さん、ちょっとどころじゃなく重い人、いや、重いカマキリだ……!


「そ、そこまでのことですかね……?」


 思わず引き気味にそう言ってしまったけれど。

 お姉さんは全く意に介することなく、それどころか、熱の籠った視線と共に、目にも留まらぬ速さで腕を伸ばし、わたしの両手をがっしりと握りしめてくる。


 は、速い……流石はカマキリ……


「私にとっては、それほどなのです。だからこそ、こうして人の身へと変態する事が出来たのですから」


 なるほど。

 確かに、昆虫が人間に化けるなんて超常的な事が起こっちゃうくらいなんだから、それくらいの熱量はあってしかるべき、ってことだろうか。


 いや、にしたっていきなりカマキリに押しかけられても、困惑しかないんだけど。


「……ちなみに、恩返しとか結構ですって言ったら、どうなります……?」


「勿論、無理強いはしませんから、私は自然へと帰りますが……その場合は高確率で、在来種保護という名目で駆除されるでしょうね」


 まじかぁ……人間の姿でそれ言うのは卑怯じゃん……


「わ、分かりました。じゃあその、恩返しっていうか、まあ、これからよろしくお願いします……」


「ええ、よろしくお願いいたします」


 薄く、けれども人間離れして美しい笑みを浮かべながら、カマキリお姉さんが嬉しそうに頷いた。


 どうせ、古今東西の異種族恩返し系の御多分に漏れず、ウチに住み着くんだろうなぁ…………って、忘れてた。


「……あの、よろしくって言った直後で申し訳ないんですけど……」


「……?何でしょう?」


「わたし、田舎の実家に戻ろうかと思ってまして……」


 ストーカーやら自主退職やら警察官の対応やら。

 田舎っぺのわたしにとって都会は少々厳しすぎることが、ここ一月ほどでよーく分かった。


 そういうわけで、精神的に参ってしまい、どうせ職も失ったんだからと、実家に帰ることを決めていたのである。色々あり過ぎて頭から飛んじゃってたけど。


 真面目に、実家の農業継ぐのもありな気がしてきたのは、つい昨日のこと。一応、山とか持ってるし。ほぼ無価値だけど。


「分かりました。となれば、ご両親に挨拶しなければなりませんね」


「あ、やっぱり付いてくるんですね……」


「……?ええ」


 何を当たり前のことを、みたいな感じで小首を傾げられた。首関節が柔らかいのか、綺麗に首から上だけが45度傾斜してる。さすがカマキリ。


「えっと、じゃあ、一週間後くらいにはこの家出るので、お姉さんもそのつもりで……」


 と、ここまで言って、未だに名前を聞いていなかったことに気付いた。


「……ちなみにお姉さん、名前とかは……」


「学名、和名は最初に名乗った通りですが」


 ですよねー。

 やっぱり、元ペットショップ勢とはいえ、固有名なんかは付いていなかったみたいだ。


「人間のような固有名詞が必要という事であれば、是非とも、里香さんの好きなように呼んで頂ければ」


 わたしが名付けるのかぁ……ネーミングセンスとか、あんまりないんだよねぇ。


「えっと……メダマカレハカマキリだから……カレハさん、とか?」


 我ながら、安直にも程があるけど。


「分かりました。今日から私は、カレハです」


 特に不満を言うでもなく、お姉さんはあっさりとその名前を受け入れた。



「じゃあ、カレハさん……さっきも言ったけど、これからよろしくお願いします」


「ええ、改めまして、よろしくお願い致します。里香さん」



 こうして、わたしは職を失い……その代わりと言っては何だけど、褐色美人な押しかけお姉さん(カマキリ)を手に入れたのであった。




「……そういえば、結局なんで、カレハさんはわたしのこと知ってたの?」


「虫には虫の情報網がある、という事です。蟻とか蚊とかゴキブリとか」


「な、なるほどぉ……」




 ◆ ◆ ◆




 そして一週間後。

 実家に帰ったわたしを出迎えた両親と父方の祖父母は、事の経緯を聞くや、


「やっぱ都会は怖いとこじゃあ」


 なんて言いながら、わたしの実家暮らしを許してくれた。


 ただ、着いて来た友達(超絶美形外国人)だと思ってたらしいカレハさんの、


「私は里香さんに、貞操と命と虫生じんせいを救われました。ですのでその恩返しとして、この生涯を里香さんに捧げる所存です」


 なんていう大仰過ぎる発言で、みんなの目付きが一瞬で変わったのには、びっくりしたけど。



 農作業で鍛えた大きな体のお父さんが、太い腕を組みながら


「つまりそれは、嫁入り、という事でよろしいか?」


 と問えば、カレハさんは間髪入れずに、


「ええ、そう捉えて頂いて構いません」


 なんて返し。



「生涯を捧げるとは見上げた根性じゃが、里香の為に、貴様には何が出来る?少なくとも、ごく潰しを迎え入れるつもりはないぞ」


 若い頃『熊狩り十兵衛じゅうべえ』なんて呼ばれてたじっちゃんがにらみ付ければ。


「お爺様は、山を所有していると聞いております。こう見えて狩りには覚えがありまして、少しはお役に立てるかと」


 同じく鋭い目付きで、正面から受け止める。



「悪漢から里香を助けて貰ったみてぇだし、頼りになりそうだぁ」


「ええ、そうですねぇ」


「はい、今後も里香さんの身は、この私が守ります」


 落ち着いた佇まいと先日の実績から、ばっちゃんとお母さんは最初っからカレハさんに対して好意的で。



「……あれぇ?」


 当事者のわたしを置いてけぼりにして、いつの間にか嫁入りだのなんだの言う話になっていた。




 ◆ ◆ ◆




 そんな感じで、田舎での三世帯生活が始まった。


 最初の内は皆、色々あったんだからしばらくはゆっくり休んでいればいい、なんて言ってくれてたけど。

 むしろわたしの方が、何もしないっていうのは落ち着かなくて。

 社畜生活&ストーカー被害で落ちた体力を取り戻すためにも、出来る限り家事や畑仕事を手伝うようにしていた。


 というか実際、精神的なストレスやらあれそれやらは、割ともう解消しかけていた。主にカレハさんのおかげで。


 仕事を辞めてから実家に帰ってくるまでの間、二人で、あの安アパートで過ごした一週間くらい。

 カレハさんは、文字通り片時も離れずに、ずっとわたしのそばにいてくれた。


 買い物や諸々の手続きの為に外出する時も、常に一緒に行動してくれて。


 夜、ストレスやフラッシュバックで情緒不安定になってしまう事もあったけれど、そういう時は必ず、しゅって、あの目にも止まらない腕の動きでわたしを抱き寄せて。落ち着くまで、静かに、でも強く、抱き締めてくれていた。


 弱っている時に毎日そんなことされちゃったら、まぁ、そりゃ、気を許しちゃうよね。


 しかも相手は、こちらを慕ってくれている超絶美人なお姉さん。

 なんかもう、元が人間かどうかなんて、割とどうでもよくなってくるよね?ね?


「……どうかしましたか?」


 だからこうして、カレハさんのことを意味もなくじっと観察してしまうのも、致し方ないことなのです。

 元・空き部屋、現・わたしとカレハさんの部屋である小さな一室で寛ぎながら、隣に座るハイスペックカマキリお姉さんを見やる。


「や、一緒に過ごしてみると確かに、昆虫っぽい部分もあるんだなぁって」


 時折垣間見える、目視も困難な腕の動きなんて、もろカマキリのそれだし。


 山での狩りの話を聞いたら、


「獲物が現われるまで微動だにせず待ち、近づいてきたところを前足すでで捕まえる」


 って感じらしいし。

 じっちゃんが、


「自然と一つになっちょる、まるで山そのもんじゃ……」


 って言ってたし。

 ちょっと調べてみたら、まんまカマキリの狩りの仕方だった。


 あと、ドレスの裾に丸い模様みたいなのが入っていて、ああなるほど、これが『メダマ』なんだなぁ……とか思ったりもした。威嚇のために使う、のかな?


「人化によって、基本的な人間の生活様式はインプットされていますが……それでもまあ、元は紛れもなくカマキリですから」


 そう言いながらカレハさんは、コップの水にちょんっと指先を付けて。

 それを口元へ持っていって、そのまま、指に唇を這わせるようにして水滴を摂取する。


 紫がかったその唇は、まるで別の生き物みたいに小刻みに震えていて。少しばかり人間味が薄く、けれども異様に生物めいたもにょもにょとした蠢きは、最初の内は正直、ちょっと気持ち悪さみたいなのを感じてしまっていたけれど。

 慣れれば可愛らしくも見えてきて、むしろ最近ではエロティックさすら垣間見えるような気がする。


 だって、普段から表情に乏しいお姉さんが、無表情のまま自分の指に唇を這わせてるだなんて、エロ可愛くない?


「どうしても、本能に根付いた部分は残ってしまうのでしょうね」


 流石に、私以外の人がいる場面では極力人間らしく、勿論水だって普通にコップに口を付けて飲むんだけど。二人っきりになるとこうして、肩の力を抜いて本来の姿を見せてくれる。


 そういうのって、なかなか乙女心をくすぐるっているか、まぁ、結構嬉しかったり。


 なんか順調にほだされてるなぁ……なんて思いながら、なおもカレハさんのことをぼんやり見つめていると。


「…………」


 彼女はゆっくりと、身体を左右に揺らし始めた。


「……?」


 最初は小さく、けれども少しづつ少しづつ、身体全体が振幅していく。


「……?……?」


 一定のリズムに則ったその動きは、不可思議ではあるんだけど、なのに何故だかとても自然なことのように思えて、何となく目が離せない。


「……?……?……?」


 揺れる身体に合わせて僅かにたなびく黒髪が、妙に目と心に張り付いて。そんな彼女を眺めている静かなこの時間が、どうしてか心地いい。


「……?……、……、――」


 ゆらゆら、ゆらゆら。

 まるで、風に揺れる木の葉のように――



 ――がしっ。


「――ひゃぁっ!?」



 うわぁ、変な声出ちゃったぁっ。


「ふふ、捕まえました」


 気が付けばわたしは、カレハさんの腕の中に抱き込まれていた。


「むぇ……」


 明らかに自分よりも大きな胸に顔を包み込まれ、くぐもった声しか出せないわたし。どうにか首を動かし、上の方を向いて……や、顔擦り付けてるみたいでめっちゃ恥ずかしいんだけど……多分、カレハさんと目が合った時には、わたしの顔はもの凄く赤くなっちゃってたと思う。


「そうやって油断していては、すぐに食べられてしまいますよ……?」


「た、たべ……」


 身体を包み込む、浅黒い肌の温もりとか。

 顔に押し付けられた、豊満な胸の感触とか。

 嗅ぎ慣れない、けれども決して不快ではない異邦めいた香りとか。

 至近距離からこちらを見下ろす、切れ長でどこか妖艶な視線とか。


 それらとの合わせ技で「食べる」だなんて言われると、その、なんていうか、そっち・・・の話かと思ってしまうというか。


「あぅ……その、お手柔らかに、お願いします……」


 痛くはないけれども、逃げ出せるだなんて微塵も思えないほどに強く抱き締められた両腕の中で、このお姉さんに全部を委ねてしまいたくなる。


 さっきのゆらゆらで、まるで心まで優しく揺さぶられてしまったみたい。

 自分でもちょろすぎだろって考えながら、でも、背を這う細長い指にぞくぞくしちゃう。


「人間を食べるのは初めてですが……さて、どこが一番美味しいのでしょうか」


 口角の上がった唇を蠢かせながら、品定めでもするかのように、瞳を動かすカレハさん。


 その黒い瞳の中央に、さらに真っ黒い小さな点があることに気が付いて、なおさら、そこから目が離せなくなった。


「……、……」


 気が付けば、まるで何かを期待しているみたいに、わたしは顔をますます上向かせていて。


 カレハさんの目がその一点・・に留まり、にぃっと笑みを深めた瞬間。



(ああ、食べられちゃう……)


 捕食者と被食者の関係が、完全に出来上がってしまった。



「では、いただきます」


「……、ん……」


 えらく人間臭いことを言いながら、異邦の捕食者が、その蠢く唇をゆっくりと寄せてきて――



「はむ」


「んひぃっ」



 ――まれた。


 鼻の頭を。


 はなの、あたまを。



「もむもむもむ」


「はひぃぃぃぃっ」



 柔らかく、それでいて細かな皴一つ一つが生きているかのように流動する唇が、わたしの鼻先を、はむはむしている。


 何か、くすぐったいというか、ぞわぞわするというか。

 てっきりその、唇の方に来るとばっかり思っていたから、予想外な上に気恥ずかしいというか。


 混乱と羞恥と未知の感覚で、頭がおかしくなっちゃいそう。


「ちゅぽっ」


「ぁんっ」


 いや、ぁんって。

 鼻先食べられて喘ぐような女には、なりとうなかった……


「ふふ、ちょっとした冗談です。命の恩人を食べるだなんて……流石のカマキリでも、そんなことはしませんよ」


 満足そうに唇をぺろりと舐め上げたカレハさんは、抱き締めていた両腕をあっさりとほどいてしまう。


「じょう、だん……?」


 名残惜しさとどきどきを抱えながら呆然と佇むわたしをよそに、彼女は静かに立ち上がって。


「とはいえ、何だか本当にお腹が空いてきました。ちょっと何か狩ってきますね」


 そう言うや否や、カレハさんは音も無く部屋を出て、裏山へと狩りに向かっていった。


「……じょうだん……冗談……?」


 ぽつんと一人残された自室で、ばっくんばっくん鳴り響く心臓の音を自覚して、ようやくわたしの思考は正常さを取り戻していき。


「……食べるって、ほんとにそのまんまの意味だったの!?」


 意外といたずら好きなお姉さんの、小粋なカマキリジョークに振り回されていたことに、ようやく気付いたのでありましたとさ。


 ちゃんちゃん。



 ……この後調べてみたら、カマキリは風に揺れる草葉に擬態する為に、体を左右に揺らしたりするってことが分かった。


 わたしに対しては、擬態とか通り越して催眠術みたいに機能してたけど……




 ◆ ◆ ◆




 その日の夜。


「…………」


「里香さん、どうか機嫌を直してください」


 つーん。


「なんじゃあ、婦婦ふうふ喧嘩かぁ?」


「…………」


 つーん。


「婦婦喧嘩は若いうちが華だからねぇ。まぁほどほどにねぇ」


「…………」


 つーん。


 ……とかやってたら、玄関から戸を叩く音が。



「ごめんくださぁい」



「あん?だれじゃ、こんな時間に」


「……わたし出てくるよ」


「……この気配は……」



「はーい、どちらさ……ま?」


 玄関の引き戸をガラガラ開けてみると、そこには何か全体的に薄桃色で、花魁?みたいな格好をしたゆるふわーなお姉さんが。



「こんばんわぁ。わたくし、先日助けていただきましたぁ、Hymenopodidaeと申しますぅ」



「……なんて?」


「和名、ハナカマキリでございまぁす。本日は里香さんに恩返しをしたく、お邪魔させて頂きましたぁ」


「…………身に覚えがない、とは言い切れない!」


 昆虫ショップ脱走民、再び。

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