第7話 誰しもが他人に知られたくない過去をもつ。①

――――――ぇ、目覚ましなってる。


ちょっと、目覚ましなっ――――――


「ねぇ、目覚ましなってるって!」


どでかいその一言に驚かされ、自分のベットから一瞬身体が浮き上がった。


眩しい光が自分の目に届くとともに、カーテンを開ける恋花さんの姿がぼんやりと視界に入ってきた。


「あの、ここ一応俺のプライベートルームなんですけど。」


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!今日入学式で一緒に行こうって言ってたのに。あと1時間で家から出発しないと入学式間に合わないの!」


「あのねぇ、男の朝は30分あれば準備なんて完了するもんなの。」


「今日は入学式っていう特別な日でしょ!ましてや同じ学年の人たちとのファーストコンタクトなんだから、ちょっとは身だしなみも気合い入れていく気持ち持ちなさいよ。そんなんだから童貞だって言われるのよ。」


朝っぱらからこんなハードなディベートは危険だと脳みそが判断し、俺は黙って顔を洗いに洗面台へ向かった。


今日は4月6日。


あの前代未聞の衝撃的なシェアハウス生活の幕開けから、ちょうど1週間ほどが経過した。


あの日からというもの、この1週間は恋花さんと住むにあたっての手続きと彼女の大量の荷物の整理、たまに俺がバイトをするという字面では忙しくなさそうに感じるが、実際にはかなりハードな日々を過ごしていた。


ご飯は基本的に二人でつくり、どちらかが食器洗いをするときは、もう片方が洗濯物や部屋の掃除をするという形に自然となった。


しかし、男女でのルームシェアとなると、そこにはやはり男女の壁が存在して、――――


――――と普通はなるはずはずなのだろうが、そんなことは俺の杞憂だった。



いや、というか、恋花さんがあまりにもそういう部分を気にしなさすぎるのだ。


洗濯に関しては、普通の女子であれば洗濯物を分けたがったり、お互いの下着は別で洗濯したいと言い出したりするものだと思っていたのだが、


「そんなの水道代もったいないじゃん。一緒で良いじゃん。あっ、でも私の下着で興奮しちゃって夜も眠れないんだったらやめとくよ?童貞くん。」

と言われた。


被害妄想が激しかったのか?俺が童貞だから?


トイレだって、恋花さんは毎朝その日の大便の調子を俺に伝えてくる。


残念なことに、俺にはそんなことで興奮するような性癖はないので、ただただ毎朝聞きたくもないことを聞かされ、その時少しだけ気分が憂鬱になる。


そんでお風呂だって。いや、実際にお風呂場で…なんてことはないのだが。


お風呂は基本的に恋花さんから入ることが多いので、その間は俺がソファに座って録画した番組やらを見ている。そのときに、お風呂上がりの恋花さんは、中学か高校時代のジャージの短パンにヨヨレのオーバーサイズ気味のTシャツという、あまりにラフ過ぎる、いや、スキがありすぎる格好で俺の隣に座ってくるのだ。


恋花さんから香る風呂上がりのシャンプーやらボディーソープやらの良い匂いと、恋花さんのビジュアルのポテンシャルの高さのマリアージュは、普通の女子であればダサく見えてしまう服装もシンデレラが着ていたドレスへと変換され、結果恋花さんは、控えめに言って男が悶絶するレベルの可愛さの兵器となる。


そんなの見せられたら、童貞じゃない野獣みたいな男だったら誰しもが襲ってるからな!マジで!


べっ、別に襲う勇気と経験がないから王道ラブコメみたいな展開にならないとかじゃないからな!いや、がちで!



「なかなかスーツ似合ってるじゃない!童貞のわりに。」


朝ごはんの食パンをかじりながら恋花さんがそう話しかけてきた。


「あぁ、そりゃどーも。あと、童貞いじりやめろよ。」


「それに比べたらさー、女性物のスーツってなんでこんな地味なわけ?」


「まぁ、もともとスーツってビジネスマンのための物だったからじゃない?」


「はぁあ、そーゆー男女間差別って嫌い。」


「まぁ、今日一日終わればまたしばらくスーツは着ないでしょ。」


「その一日終わるまでが長いのよねー。」


少しジャムの量が少なかったので、再びパンに塗り加える。


「ねぇ。」


「ん?」


「こないだ俺が童貞ってばれてからさ、ずっと俺に童貞いじりしてくるじゃん。そーゆーあんたは処女じゃないのかよ。」


そのとき彼女の動きが少し止まった。


「えぇ。ちょっとなぁに?朝っぱらからそんな質問。レディーに失礼じゃない?」


「あんたの毎朝の大便の健康状態報告受ける方がよっぽど失礼でしょ。」


「それはまた別の話!なかなかレディーの大便事情なんて聞けないんだからね?ありがたいと思いな?」


「分かった分かった、それはそうだとして。俺の質問に答えろよ。あっ、もしかして俺のこと童貞だっていじるくせに、実はあんたも処女だったりして。」


そう言い放った途端、彼女の表情が少し曇った気がした。


「はぁ?そんなわけないじゃん!ばっかじゃないの!そんなデリカシーなしだからあんた童貞なのよ!好きな人と卒業したいとか言ってたけど、そうやってモテないことを正当化しようとしてるだけなんじゃないのぉ?」


「はぁ!?今俺の童貞の話は関係ないだろ!」


「うっさい!とにかく処女じゃないから!」


そう怒鳴ると、恋花さんは残りのパンを牛乳で流し込み、


「私歯磨きして化粧するからあんた洗い物全部やってよね!」


とだけ言い残し、洗面所へと向かった。



初めて恋花さんにキレられた。怒り7割、ふざけ3割くらいの感じで。


でも、少しだけ彼女は触れられたくない部分を、まるで雛を守る親鳥のように、隠したような気がした。


一応、あとで謝っておこう。



食器洗いを嫌々ながらもこなし、歯磨きをしてソファーで落ち着いてケータイを見ていると、


「ちょっと、もう出る時間!なにぐーたらしてんのよ!」


「あのなぁ――」


このとき、ここでディベートを開始したら入学式に遅れかねないと俺の脳が判断したので、この後に続こうとする言葉たちをぐっと飲み込んだ。


俺の脳みそは優秀で助かるなぁ。


へいへいとテキトーに返事を返し、新品の革靴を靴箱から取り出す。


靴を履き終え、いざ出発というときに、突然恋花さんは身だしなみのチェックをしようと言い出したので、お互いの身だしなみを確認し合った。


すると、恋花さんは俺のネクタイが少し曲がっていると言い出し、彼女は近づき、俺のネクタイを直してくれた。


そのとき、恋花さんからはお風呂上がりの時とは違う、少し甘ったるい気もする、だけども、またそれが魅力的だと感じるほどの香水の香りがした。


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