第41話 ケイロンとアステリオス1
その日、ケイロンは夜も更けてから店のドアを開けた。
すでに閉店時刻は過ぎているが、明かりは漏れている。店主がまだいるのは外から見ても分かっていた。
「あぁ、すまねぇが今日はもう閉店……」
と、店主のアステリオスは言いかけて、その口を止めた。
それから苦いものでも食べたように、嫌な顔をする。
「そんな顔をしなくてもいいだろう。せっかく旧友が訪ねてきたのに」
ケイロンはそう言って笑った。
しかしアステリオスは表情を変えない。
「旧友だったら、なんで俺がこんな顔をしてるか分かるだろう」
「分かるよ、古い付き合いだ。クウさんのことだろう?」
ケイロンはしばらく前に出会った娘の名を出した。
アステリオスはうなずいて応じる。
「そうだ。なんで黙ってた?初めからちゃんと紹介してくれりゃ色々気も使ってやれたのに」
「それはそうだと思うが、記憶喪失とはいえ彼女はこれからも一人の人間として生きていかなければならない。何から何までおんぶにだっこではなく、自分一人で新たな環境に望むことも経験しないといけないだろう」
「ハッ、相変わらず教師やってやがんな。そういえばお前、俺と初めて会った時にも説教食らわしてきやがったよな」
「そういえばそうだったかな?じゃあ今日は昔話でもしながら一杯やるか」
「お前とは色々ありすぎた。一杯じゃすまねぇだろ」
アステリオスは店の隅から敷物を持ってきて、テーブルの前に敷いてやった。
ケンタウロスは下半身が馬なので、椅子ではなく敷物に座って食事を摂る。
「いつも通り、ブランデーでいいか?」
「ああ。突き合わせもいつも通り、ニンジンのグラッセで頼む」
ブランデーは甘いつまみと相性が良いのでチョコレートがよく好まれるが、ケイロンはケンタウロスらしくニンジンのグラッセを好んで食べる。
そちらも下ごしらえしたものがあったようで、それほど時間を置かずに出てきた。
アステリオスの方はビールジョッキを持ち、皿にジャーキーを並べてから席についた。
そしてビールを三分の一ほど流し込んでから熱い息を吐く。
「……ふぅ。しかしお前が根っからの教師なのは分かるがな、わざわざ秘密にされた身からしたらちょいと馬鹿にされた気持ちになるんだよ」
「別にそういうつもりはないが」
「お前が俺の反応を想像して笑ってるのを想像しちまうんだ」
「ああ、確かにそれは不快だったかもしれないな。しかし、結局は私が想像したのとは少し違う反応だったようだ」
「どう違った?」
「私もクウさんから話を聞いただけだが、私の想像以上に気に入ってるみたいじゃないか。随分と良くしてもらっていると言っていたぞ」
「ああ……まぁ確かにお気に入りだな。性根のいい娘だし、それになんかこう……不思議な魅力があるんだよな」
「そう、私もそう思った」
「だいぶ雰囲気は違うが、笑顔はテティスによく似てる」
その名前が出て、ケイロンはブランデーに伸ばしかけた手を止めた。
目を閉じて、その笑顔を思い浮かべる。
それからブランデーをあらためて手に取り、口に含んだ。
「彼女の笑顔も素敵だったな」
「ああ、最高の笑顔だった。お前は確か、初めて俺に会った日にテティスにも会ったんだよな?」
「そうだよ。まずお前に会って説教して、その後にテティスに会ってお前に説教された」
「そうだったそうだった。俺はお前がいけ好かないインテリ野郎だと思って嫌いだったよ」
「私もお前がどうしようもない荒くれ者だと思って嫌いだったな」
二人はそう言ってから笑い声を上げた。
明るく響くその声は二人しかいない店内にこだまし、夜の街に漏れ出ていく。
窓から月光の差し込む中、二人は懐かしい日のことを思い出していた。
***************
「よせ、もう十分だろう!!」
ケイロンはアステリオスの腕を掴み、その大斧を止めた。
斧の刃はべっとりと血に濡れており、その下では双頭犬のモンスター、オルトロスがミンチになっている。
殺された後も死体がかなり損壊するほど執拗な攻撃を受けていた。
ケイロンはプティアの街までの道中、その残忍な光景を目にして止めに入ったのだった。
「ぁあ?」
と、アステリオスはケイロンのことを振り返った。
完全に目が据わっており、その暗い色合いがケイロンをたじろがせる。
しかし、言うべきことは言わねばならない。
「モ……モンスター相手とはいえ、死体を
アステリオスは斧を止めたものの、ケイロンの腕を荒っぽく払ってから睨みつけてきた。
「何だてめぇは?」
「私はケイロンという旅の者だ」
「なら文句を言われる筋合いはねぇよ。俺は最近街道沿いにモンスターが増えてるってんで、それを退治する依頼を受けてここにいる。お前ら旅人のために働いてんだ。うるせぇこと言ってくんな」
「しかし、生物というものは尊厳を持って接せられるべきだ」
「元・生物だ。今はただの物だよ」
「死んだから物だという扱いは、生きている間の尊厳すら傷つける」
「……いちいちうるせぇ野郎だな!!俺はとにかく暴れ足りないんだよぉお!!」
アステリオスは大斧を頭上に掲げ、力任せに振り下ろした。
魔素の乗ったその斬撃は衝撃波を発生させ、街道沿いの木をいくつもなぎ倒す。
その威力とアステリオスの様子にケイロンは唖然としてしまった。
(な、なんだこいつは……)
モンスターを倒す仕事をしてくれているわけだが、むしろこの男自身がモンスターのようだ。
そう思いながら、倒れた木の方へ歩いていく。
そして自分の荷物から縄を取り出し、木の一本に結びつけた。
「おい、何してやがる?」
アステリオスの質問に、ケイロンは縄を引きながら答えた。
「街道を塞いだ木をどける。このままだと通る人が困るだろう」
「……チッ」
アステリオスは舌打ちをしてその横と通り過ぎていく。
ただし歩きながら、邪魔そうな木は蹴飛ばして街道脇にどかしていった。
***************
プティアに着いたケイロンはまずアカデミーを訪ね、職員寮へと案内された。
来年からここで教鞭をとるために来たのだ。
もともとはケンタウロスの里で教師をやっていたのだが、ある時人に勧められて哲学書を書いてみた。
すると、それが多くの知識人の目に止まって随分と称賛されることになった。
そういったものを二冊、三冊と書いているうちに、アカデミーから教員になってほしいと依頼があったのだ。
それ自体は嬉しいことだったし、今も期待に胸を膨らませている。
しかし実際に来てみると、田舎から出てきた身に街の雰囲気はこたえた。人が多過ぎるのだ。
ケイロンはいったん荷物を置くと、まずぐったりと横になった。
(都会は
が、すぐに起き上がって荷物をほどき、それから街に出る準備を始めた。
(要は慣れていないから疲れるんだ。それに、プティアの街を色々知りたい)
ケイロンは知識欲がどの欲よりも強い男なので、その欲で疲れを押し切って職員寮を出た。
それに、ひどく空腹でもある。
「まずは食事……」
つぶやきながら、田舎では考えられない数の飲食店を眺めた。
どの店が良いかなど全く分からないので、とりあえず目についた店に入ってみる。
扉を開けると牛キメラのウエイトレスが迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、お食事ですか?」
「あ、はい」
と答えながら、内心首を傾げた。
(食事以外に何かすることのある店なのか?)
席につきながら店内を見回すと、その疑問はすぐに解消された。
ケイロンの座った席そばの壁一面に、仕事の依頼書がずらっと貼ってあったのだ。
どうやら食事を提供するだけでなく、仕事の斡旋もしているらしい。
「討伐に採取、物品製造、雑用のような依頼まであるんだな……」
そのつぶやきに、水を運んできた牛キメラの男が返事をしてくれた。
「そうだよ。ここではかなり幅広い依頼を扱ってる。お客さん、初めてだな?」
「はい。今日プティアに越してきました」
「俺はここの店主で、ミノスってもんだ。もし仕事を探してるなら良さそうなのを見繕って紹介するよ。遠慮なく相談してくれ」
ミノスは五十絡みの中年で、白が混じってきた髪の毛がいい具合の雰囲気を醸し出している。
目元には小さな笑いジワがあり、それが人柄を匂わせて好感が持てた。
「ありがとうございます。でも来年からアカデミーで教鞭をとることになっていますので、お仕事の方は一応ある状況です」
「おっ、アカデミーの先生か。でも来年って言ったらまだ何ヶ月もあるな」
「そうなんですよ。慣れるために早く来たんですが、少し早すぎましたね」
「ならその間、軽い仕事でもしながら街に慣れていくといいかもしれないな。ただ街を見て回るより、その方が色々分かるだろう」
確かにただ見て回るのと目的を持って動くのとでは、後者の方が圧倒的に得られるものが多い。
そう思ったケイロンは仕事を受けることを本気で考え始めた。
「確かにそうですね……では何か良さそうなものがあれば教えて下さい」
「了解だ。何か得意なものはあるかい?」
「ケンタウロスの里でも教師をしていましたから、人に何か教えることなら自身があります。あ、それと弓矢の授業も担当していましたね」
「なに?ケンタウロスの学校で弓矢の先生って……そりゃあんた、結構な腕前だろう」
「まぁ、それなりに使えます」
「じゃあ戦えるのも戦えるってことだな。それなら仕事はかなりたくさん……」
二人がそう話しているところへ、店の入口から声がかかった。
「ミノスの旦那。街道の往復、終わったぜ」
「ん?おお、お疲れさんだったな」
ミノスはその声に笑顔で応じた。
が、ケイロンの方は苦いものでも食べたような、嫌な顔をしてしまった。
そしてケイロンの顔を見た相手も同じような顔をした。
アステリオスだ。
「お前……」
とそれだけ言ってからプイとそっぽを向く。
ケイロンも別にあれ以上話したいこともないので、メニューへと目を落とした。
ミノスは不思議そうに二人の顔を交互に見た。
「なんだ、二人は知り合いか?」
「いえ……先ほど街道ですれ違っただけです」
「まぁよく分からんが、店の中では仲良くしてくれよ」
ミノスはそれだけ言うと、ケイロンの注文を聞いて厨房へと下がっていった。
アステリオスはそれからケイロンの方へ近づいてきたが、別にケイロンに用事があってそうしたわけではない。
そのそばにある壁の依頼書を見たくて来ただけだ。
ケイロンも別に話しかけず、水を飲みながら料理が来るのを待った。
それからしばらくすると、頼んでいたニンジンのリゾットが届けられた。
ただしそれを持ってきたのはミノスでも牛キメラのウエイトレスでもなかった。
小さな女の子だ。
齢はまだ十歳にもなっていないくらいだろう。
見た目はヒューマンで、歩くたびに揺れる長い髪が可愛らしい。
「はい、おまたせしました。ニンジンのリゾットだよ」
↓挿絵です↓
https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817330648404671613
ケイロンは少女に微笑みながらそれを受け取った。
「ありがとう。今日は学校はお休みでお手伝いかな?」
「ううん。私、学校には行ってないの」
「えっ?しかし、君くらいの歳だと……」
「私はここでお客さんとお話するのが好きだから」
少女は明るい笑顔でそう言ったが、ケイロンの眉はしかめられた。
プティアでは一定の年齢までは義務教育を課している。
ただし義務を課されているのは保護者だから、この状況を容認している保護者に腹が立った。
しかもただ学校に行かせていないだけでなく、労働させているのだ。
部外の者とはいえ、一教員として見逃せない状況だと思った。
優しげな笑顔を作って尋ねる。
「君、名前は?」
少女は元気よく答えた。
「テティス!」
「テティスか。素敵な名前だね。私はケイロン。学校の先生をしてるんだ。もしよかったら、お父さんかお母さんと話をさせてくれないかな?」
「お父さんとお母さんはいないけど、このお店のミノスさんが……」
「おい、お前。部外者が余計な口挟むんじゃねぇよ」
と横合いから割って入ってきたのはアステリオスだ。
ケイロンの卓の前に立ち、苛立ちもあらわに見下ろす。
「要らん世話なんぞ焼かず、それ食ったらさっさと出ていけ」
アステリオスは怒っているようだった。
しかしそうされたケイロンの方も怒りを感じる。
「そういう言い方はないだろう。私はこの子のことを考えて……」
「それが要らん世話だと言ってるんだ。学校に行ってないくらいでグダグダと」
「学校に行ってないくらい?何を言うんだ。学ぶことが人にとってどれだけ大切か、分かっていないからそんなことが言える」
「ハッ!そんな御大層なもんかよ。そんなのはそれが性に合ってる奴らだけが喜ぶもんだろうが」
「学びとは学問のことだけじゃない。もっと多角的な視点で……」
そんなふうに二人が言い合っているところへミノスが現れた。
呆れ顔で二人の間に入る。
「おいおい、店の中では仲良くしろって言っただろうが」
アステリオスはそれで押し黙り、ケイロンはとりあえず頭を下げた。
「失礼しました。おっしゃる通り、ご迷惑でしたね。しかしこの子が学校にも行けていないと聞きまして」
「あぁ、それなんだがなぁ……」
ミノスが困ったように頭をかいたのを見て、テティスは自ら口を開いた。
「私、このお店から出ると死んじゃうの」
「……死ぬ?」
少女の口から出た残酷な単語に、ケイロンは驚いて聞き返した。
「うん。実は私、ホムンクルスっていう人口生物なんだけど、体が不安定だから普通の場所では生きられないんだ。このお店の地下には特別な魔法陣があって、それでお店の中では何とか生きていられるの」
「…………」
ケイロンはまだ幼い少女の境遇に愕然とした。
そしてそれを理解すると、まずはアステリオスに向き直った。
(謝らねば)
知らなかったとはいえ、確かに部外者の要らぬ世話だった。
このぶっきらぼうなミノタウロスを好きになれそうにはなかったが、非は自分にあるのだ。
「すまなかっ……」
と、ケイロンの方が謝罪の言葉を口にする前に、アステリオスの方は背を向けて歩き出してしまった。
そして無言で店から出て行く。
その背中にケイロンは閉口した。やはりこのミノタウロスは好きになれそうもない。
しかしミノスがそんなアステリオスをフォローしてくれた。
「悪く思わないでやってくれ。あいつは生まれつき魔素が強すぎるせいで、気持ちが荒ぶりやすくなっちまうんだよ」
そう言われて、ケイロンはアステリオスのことが少し納得できた。
初めに会った時に荒れていたのはそういうことなのだろう。あの凄まじい魔素が破壊衝動になっているのだ。
「世間じゃ狂ったように戦う姿から『狂戦士』なんてあだ名されてるがな、心の芯は割と優しいやつなんだ」
そう言うミノスに続いてテティスもアステリオスを擁護した。
「アステリオスって、本当はすごくいい人なんだよ。思いっきり暴れた後とか、美味しいものを食べた後とかにまた会って欲しいな。そういう時は私以外にも優しいから」
ということは、テティスには常に優しいわけだ。
そう理解したケイロンはアステリオスへの評価を改めた。
子供に優しい人間に悪人はそういない、というのがケイロンの持論だ。
「分かりました。もしまた会う機会があれば改めて謝っておきます。それに、テティスも悪かったね」
「ううん。たまにケイロンさんみたいに聞いてくる人もいるの。心配してくれてありがとう」
心が洗われるようなテティスの笑顔を見て、ケイロンは心にチクリと針を刺された気がした。
その笑顔からは今の境遇に対する悲哀などほとんど感じられない。
むしろ、そのことがひどくケイロンという一教師の胸を打った。
***************
それから数日後、アステリオスはミノスの店の扉を開けてピクリと片眉を上げた。
自分の嫌いなものと、大切なものとがピタリとくっついていたからだ。
「……何してやがる?」
アステリオスはケイロンにそう尋ねた。
その横で、テティスが椅子に座って本を開いている。
「何って、テティスに勉強を教えてるんだよ」
「勉強って、お前……」
また言い合いになりそうな雰囲気だったが、テティスの笑顔がそれを壊してくれた。
「あっ、アステリオス!いらっしゃい!この間からケイロン先生が来て、色んなことを教えてくれてるの。すごく楽しいんだよ」
本当に楽しそうに言うものだから、アステリオスもそれ以上の文句は口にしなかった。
「……楽しいのか」
「うん、とっても。今日はね、海のことを教えてもらってるの。全部の生き物の一番初めは海から生まれたんだって。すごいよね」
テティスが開いている本には海や海洋生物の絵が書いてある。
「字もたくさん覚えたんだよ」
「字……か……」
アステリオスが小さくつぶやいた時、店の奥からミノスが現れた。
「お、来たなアステリオス。今日は南の街道を頼む」
「構わないが、最近本当にモンスターが多いな」
「そうなんだよ。すでに物流に結構な影響が出てる。出来るだけ排除してきてくれ」
「了解だ」
アステリオスはミノスから水晶球を受け取った。
これが討伐したモンスターを記録してくれるので、それに基づいて報酬が払われる。
「じゃあ行ってくる」
「気をつけてな」
「いってらっしゃい」
ミノスとテティスの声を背に受け、アステリオスは店を出ていった。
それから街の南門から街道に出て、しばらく歩いたところで後ろから足音が追いついてきた。
いや、足音というよりも馬蹄と言った方が正確かも知れない。
ケイロンだ。
「アステリオス、待ってくれ。一緒に行こう」
アステリオスは振り返って一瞥すると、すぐにまた前を向いて歩き続けた。
「はあ?何だってんだ」
「私もこっち方向の配達依頼を受けたんだ」
「そうじゃない。何で俺とお前が一緒に行かなきゃなんねぇんだって話だよ」
「そう邪険にしないでくれ。テティスのことを聞きたいんだよ」
そう言われて、アステリオスは足を止めた。
「……別に俺じゃなくても、ミノスの旦那にでも聞きゃいいだろう」
「店には必ずテティスがいるから少し聞きづらい。それに、テティスとは何か特別な関係なんだろう?テティスと話をしていて、何となくそう感じた」
それはテティスがアステリオスのことを特別だと思っているということだ。
アステリオスにとってそれは嬉しいことだったから、軽くため息を吐いてから答えてやることにした。
「特別っていうかよ、テティスは俺が潰した研究所の出なんだよ」
「潰した?研究所?」
ケイロンは再び歩き出したアステリオスに並びながら聞き返した。
「ああ、イカれた研究者連中が秘密裏に作ってた研究所だ。魔法の中でも命をいじくり回すようなのは法律で禁止されてるだろう?そういうのをやりてぇって馬鹿の集まりだった」
「なるほど……得てして研究者とはそういうものかもしれない。少なくとも、そういう人間が出てくるのも仕方ないことだろう」
「それが仕方ないで済まないことをやらかし始めたんだよ。子供を何人もさらってきて、人体実験をやろうとしやがった」
「それは……」
「さすがにヤバいだろう。しかもちょうど軍が大型モンスターの討伐で出払っててな。すぐに動けて、しかも一人で組織一つを潰せる俺に声がかかった」
「……一人で潰したのか?」
「ああ。時間が経てば経つほど子供たちが危険だってんで、すぐに駆けつけてすぐに潰した」
「…………」
このミノタウロスの強大な魔素はケイロンも目の当たりにしたものの、あらためて凄まじいものだと思った。
「それで子供たちは無事に救えたんだが、さらわれたリストに無かった子供が一人いた。それがテティスだ」
「その研究者たちが造ったホムンクルスだったわけか」
「そうだ。テティスは生まれてからずっと体をいじくり回されてたらしくてな。痛いことも不快なことも多かったって話で、研究所を出られて喜んでたよ」
「それでアステリオスに懐いてるんだな」
「まぁそんなところだ」
アステリオスはその日のことを思い出しているのか、遠い空に浮かぶ雲を眺めていた。
それからふっと笑みを漏らす。
「……あとな、帰り道に子供たちが腹を空かしたんで、その辺のイノシシを捕まえて肉を焼いてやったんだ。そしたら見てて面白いくらいに興奮して食らいついてよ。ありゃ傑作だった」
「ははは、餌付けしたわけだな。しかし、研究所ではまともな食事が出ていなかったということか」
「なんか栄養を混ぜただけのドロドロしたのを飲ませられてたらしいぜ。そんなもん、飯じゃねぇってんだよな」
そのセリフに、ケイロンはテティスの言っていたことを思い出した。
アステリオスが穏やかになるのは、存分に暴れた後と美味しいものを食べた後だという話だ。
(食に対するこだわりの強い男なのかもしれないな)
そんなことを考えているケイロンを、アステリオスはチラリと横目に見た。
そしてまた視線を前に戻してからつぶやくような声を出す。
「テティスに色々教えてやるのはいいけどよ、字とかはやめといた方がいいかもしれないぞ」
「どうしてだ?」
「あいつ、もう二・三ヶ月しか生きられないらしい」
「……なに?」
その事実をすぐに受け入れられず、ケイロンは歩みを止めてしまった。
しかしアステリオスの方は先へと進みながら言葉を続ける。
「本人も言ってたが、体が不安定なんだよ。そもそもホムンクルスってのは半分幻みたいな技術で、造った研究者もなんで成功したのかよく分からんらしい。他の成功体もいないし、生きてる事自体が奇跡なんだよ」
「あんなに……元気そうなのにか……」
むしろ、あの元気な笑顔が胸を締め付ける。
見ているこちらが元気づけられるような、温かい笑顔なのだ。
「元気な日には全く普通に動けるんだが、急に衰弱する日があるんだよ。体内で魔素が生成されなくなるらしくてな、その日は一日中ベッドで伏せってる」
「魔素が生成されなくなる?ホムンクルスだからか……」
通常の生命体は当たり前のように日々魔素を生成している。
しかし人工生命体であるホムンクルスは、そういう生命の最も基本的なところが不安定ということなのだろう。
「そういうことだろうな。でも一日寝てたら次の日にはまた元気になるから、店の常連でもただの元気な娘だと思ってる人間もいるくらいだ」
ケイロンは小走りにしてアステリオスに追いついた。
「本人はもう長くないことを知ってるのか?」
「知ってるよ。研究所にいた時から寿命が近いことは伝えられてたんだってよ。それであんなに明るいんだから、見てるこっちが参っちまうぜ」
アステリオスはテティスの笑顔を思い浮かべたようで、普段からは考えられないほど穏やかに笑った。
この荒くれ者のミノタウロスにとって、テティスはそういう存在なのだろう。
「これでも
「フレイ……評議員のフレイ氏か。エルフの魔法陣に詳しいと聞いたことがある」
「そうだ。軍の研究所にとってもホムンクルスのデータは貴重だから、街が評議員を派遣してくれたわけだ。そのフレイがミノスの旦那とあれこれ調べてな。旦那は店やる前は軍の研究所にいたんだ」
「なるほど、それであの店に」
「それに加えて、あの店には色んな方面の腕利きが仕事を求めて集まるからな。そいつらがテティスのことをちょくちょく見てくれたら、体の異常とかにも気づきやすかろうって話になったんだ」
「そうか……今のテティスは多くの人間に見守ってもらえているんだな」
そこでふと、アステリオスは隣りを歩くケイロンもその一人だと気がついて認識を改めた。
とはいえ、急に優しくするのも恥ずかしいのでぶっきらぼうな口調を続ける。
「まぁそんなわけだから、先々で役立つような字なんかよりもその場その場で楽しいことを教えてやれよ」
「いや、これからも字は教えるよ」
「……あのな、もうそんなに長くないんだから」
「そうだとしても、『役に立つこと』は『学ぶ喜び』にとって必要条件ではない。字を覚えたという彼女の誇らしげな顔を思い出してみろ。そこに答えがあるはずだ」
アステリオスは言われた通り、先ほど見たテティスの顔を思い出した。
そして何となくではあったが、納得した。
「まぁ……そういうもんなのか」
「そういうものだ。人は知れば知るほど自分の中の世界が広がる。もちろん今後は彼女に残された時間を考慮するが、彼女の世界が喜びとともに広がれるような学びを促したいと思う」
(なるほど。こいつは根っからの教師で、間違いなく専門家だ。なら任せるのがいいんだろうな)
アステリオスはそう結論づけ、それ以上あれこれ言うのをやめることにした。
それからまた遠い雲に目を向ける。
その後もケイロンと言葉をかわしながら街道を南下していると、遠くから何か低い音が聞こえてきた。
まるで地響きのような音だ。
「……何だ?」
ケイロンも足を止めて音に集中した。
「どうやら……馬蹄のように聞こえるが……馬の群れがいるようだ」
ケイロンは半人半馬のケンタウロスらしく、そう聞き分けた。
「馬?とりあえず行ってみるか」
二人はそちらへ走り、音の原因にたどり着いた。
小さな丘になっているところから草原が見下ろせたのだが、その下を確かに馬の大群が走っている。
ただし、ただの馬ではない。
一角白馬のユニコーンと、二角黒馬のバイコーンだ。
二種のモンスターが入り混じり、一方向に走っていた。
「な、なんだこりゃ……」
アステリオスはここのところ、街道に増えたモンスターを減らす仕事を請け負っている。
だからモンスターたちが少しまとまって動いているのを見ていたのだが、それにしてもこれは異常なことだった。
ケイロンもその異常さがすぐに分かったので、半ば絶句するようなつぶやきを漏らした。
「ユニコーンとバイコーンが……一緒に走ってるなんて……」
ユニコーンは純潔を好み、バイコーンは不純を好む。
嗜好の正反対な二種のモンスターは仲も悪く、喧嘩こそすれ群れが混じって走ることなど普通はない。
「強いモンスターに追われてるとかじゃねえのか?」
「ああ、それなら納得できるが……」
アステリオスとケイロンは祈るような気持ちでそれを探した。
しかしユニコーンとバイコーンが走り去っても他のモンスターは現れない。
馬蹄が森に消えてから、ケイロンは苦々しげな声を漏らした。
「スタンピード……」
***************
「スタンピードの兆候?」
フレイはミノスの店に入った途端、そのセリフを耳にしてオウム返しにした。
昼食がてらに役所からの依頼書を届けに来たのだが、聞き逃がせない一言だ。
ミノスがフレイの声に振り返った。
「おお、フレイさん。ちょうどいい所に来てくれたな。アステリオスとケイロンがそれを見たっていうんだ。直接話を聞いてくれ」
ミノスの前にはアステリオスとケイロンが立っている。
二人は仕事そっちのけで急いで帰ってきた。それほどの事態なのだ。
「ケイロン、というと……今度アカデミーで教鞭をとられることになったケイロンさんですか?」
「はい。評議員のフレイさんでしょうか?」
「ええ。はじめましてと挨拶するべき所ですが、スタンピードの兆候となるとそれどころではありませんね。どのような現象があったのか教えて下さい」
ケイロンも悠長に挨拶をしている時ではないと分かっているので、すぐに報告した。
「ユニコーンとバイコーンの群れが一体になって同じ方向に駆けていました。ここから南に十キロほど進んだ草原です」
フレイは端正な顔を歪め、心底嫌そうな顔をした。
「それは確かにスタンピードの兆候ですね……認めたくはありませんが」
「ケイロン先生、スタンピードって何?」
と、二人の会話に割り込んできたのはテティスだ。
いつの間にかケイロンの足元におり、首を小さく傾げて背の高いケイロンを見上げている。
ケイロンはしゃがんで視線を下げてから答えてやった。
「スタンピードっていうのはね、元々は羊なんかの家畜が一度にたくさん暴れまわることを言うんだよ」
スタンピードは家畜の集団暴走を意味する単語だ。ここから転じて、人間の群集事故のことも指す。
しかしケイロンたちが話しているのはそのどちらでもなかった。
「じゃあ、羊さんが暴れるの?」
「言葉というのはね、だんだんと別の意味を持ってくることが多いんだ。今のスタンピードは家畜だけじゃなくて、モンスターの場合も意味するようになってるんだよ」
「モンスターが暴れるんだ」
「暴れるというか、洪水みたいに大移動するんだけどね。たくさんのモンスターが一緒になって、一つの方向に走っていくんだ」
スタンピードではありとあらゆるモンスターが同時に移動する。
原因は分からないが、その状況下においては普段あるモンスター同士の争いが起こらないのだ。
だから仲の悪いモンスターや、捕食関係にあるモンスターたちが一緒になって移動しているのがその兆候とされている。
「なんで移動するの?」
「それが理由はよく分かってないんだ。世の中にはそういうことも多いんだよ」
「ふーん……百匹くらい?」
「いや、もっと多い」
「じゃあ、千?」
「もっと、もっとだね。万は軽く超えて、多過ぎるから正確な数は誰にも分からないんだ。本当にモンスターの洪水みたいなものなんだよ」
「そんなのが通ったら大変だね」
「そうだね。それで消えた街なんかもあるくらいだ」
「えっ?このお店も消えちゃうの?」
テティスは怯えた顔をしてケイロンの服を掴んだ。
その様子を見たアステリオスはテティスのそばまで来てしゃがんだ。
安心させるように笑いながら、大きな手のひらで頭をワシワシと撫でてやる。
「心配するな。スタンピードはよく研究されてるから、調べればどこを通るか予想できるんだよ。その通り道になった場所の人間は前もって避難しておけば……」
と、アステリオスはそこまで言ってから顔を凍りつかせた。
目を大きく開いて手の中のテティスを見る。
他の三人もその顔を目にして、ようやく気がついた。
実はアステリオスの言った通り、事前の調査さえ怠らなければスタンピードの通り道は予測できる。
大変な災害だが、事前避難で人的損害は避けられるのだ。
ただし、それは『避難ができる人間なら』という前提の話になる。
(テティスはこの店から動けない……)
四人はその事実に気づき、愕然とした。
スタンピードが絶対にここを通るかというと、むしろその可能性は低いだろう。
しかし万が一通るとしたら、死の洪水との邂逅は避けられない。
ケイロンの首が素早くフレイの方を向いた。
「フレイさん、移動式の魔法陣は作れませんか?例えば魔法陣の組み込まれた服なんかもありますよね?」
その質問に、フレイは奥歯を噛んでから答えた。
「理論上は可能ですが……この店の床下に敷いた魔法陣はあまりに複雑なのです」
ミノスも苦しげに首を横に振った。
「実はな、元々は俺たちも持ち運びできる魔法陣の開発を目指してたんだよ。しかし専門家の魔技師から、『現実問題としてこんなものは作れん』と断られたんだ。それで仕方なく、この店の床下に魔法陣を敷くことになった」
「そうですか……しかし無理とばかりも言っていられない状況です。何か打開策がないか、私はアカデミーの文献を当たってみましょう」
ケイロンは厳しい顔をして立ち上がった。
フレイとミノスも同じような表情でうなずく。
「お願いします。私はこの件を役所に伝えたら、魔法陣の構築を見直してみます」
「俺も研究論文で何か使えそうなものがないか漁ってみよう」
皆、すぐに言葉を行動に移して動き始めた。
テティスは急に雰囲気を変えた大人たちの背中を不安そうに見上げている。
アステリオスはそんなテティスを担ぎ上げ、クルクルと回してから明るく笑いかけた。
「心配すんな。テティスは俺が強いってこと、よく知ってるだろう?」
「……うん。アステリオスはとっても強い」
「もしモンスターの洪水が来たら、俺がテティスを担いでそれを泳ぎきってやるからよ」
自分を救ってくれたミノタウロスの太い腕に、テティスはようやく笑顔を取り戻した。
「うん、ありがとう!アステリオス大好き!」
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