第19話 クーシー
(何あれ……誘ってるのかしら?)
私はクルリと巻いたフワフワの尻尾を見て、そんなことを考えた。
撫でたい。愛でたい。モフモフしたい。
元の世界ではその薄茶色の尻尾をよく見かけていたが、この異世界に来てからはとんと目にしなくなった。
まぁそれはそうだろう、この尻尾は柴犬の尻尾だ。
柴犬は日本原産の日本犬で、縄文時代から日本人と猟などを共にして暮らしていた。日本人の一人もいないこの土地では、当然日本犬など見る機会はない。
久しぶりに見た故郷の光景は、最近ちょっぴりホームシックの私を誘っているとしか思えなかった。
(でも……ちょっと残念。柴犬の後ろ姿っていったら、アレ丸出しなのがアホ可愛いのに)
そう。私が特に好きなのは、丸めた尻尾の下で肛門丸出しにして歩いている姿なのだ。あれがアホ可愛くて仕方ない。
しかし、目の前の柴犬の尻尾は残念ながら肛門とセットではない。ちゃんと服を着ているからだ。
(でも……和服も久しぶりに見たな)
柴犬さんは日本犬として私のノスタルジーを満たしてくれるだけでなく、服装も和服だった。
しかも帯に大小二本の刀をさしている。お侍みたいだ。
ただし、着物の上には首輪をつけていた。それがまたなんとも言えず愛らしい。
(犬がベースの種族だろうけど、なんていう種族かな?ウェアウルフとも違うみたいだし)
二足歩行の犬のような種族だったが、ウェアウルフの姿とはだいぶ異なる。
ウェアウルフは多くの場合ヒューマンよりも大柄だが、その柴犬さんは私の胸ほどの身長しかない。
それにウェアウルフは狼がベースなだけあって皆ワイルドな容姿をしているが、目の前を歩く後ろ姿はちょっぴり愛嬌のある柴犬のそれだ。
なんにせよ、色々懐かしくなった私は街角で見かけたその尻尾を追いかけてしまった。
しかし、しばらく行ったところで丸まった尻尾がクタリと落ちた。
そしてその直後、柴犬さん自身もうつ伏せに倒れて動かなくなってしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
どうやらただコケただけではないらしい。私は急いで駆け寄った。
顔を覗き込むと、つぶらな瞳が薄っすらと開いた。
「拙者……もう……五日……食べておらぬのでござる……」
拙者!ござる!
やっぱりお侍だ。
五日絶食には驚いたものの、私は少し安心した。
何か大きな病気だったら大変だが、ただ空腹で倒れたのなら何か食べさせてあげたらいいだろう。
しかもタイミングの良いことに、ちょうど今クッキーを買いに行った帰り道だった。
「とりあえずクッキー食べますか?あと、私の泊まってる宿屋の食堂がすぐ近くなのでそこへ行きましょう」
****************
「……すまぬ……かたじけない……ありがたい……」
柴犬さんは出されたお粥をかきこみながら、何度も礼を口にした。
ネウロイさんの宿屋一階の食堂だ。
今はまだ夕の開店時間前なので、店内には私とネウロイさん夫婦、そして行き倒れになりかけていた柴犬さんしかいない。
「ゆっくり食べた方がいいですよ。五日も食べていなかったのでしょう?」
ネウロイさんがそう声をかけた。
確かに急に詰め込むのは胃によくなさそうだ。そういうことも考えてお粥にしてくれたのだろう。
それに、ネウロイさんの作るリゾットは絶品なのだ。
「……かたじけない」
柴犬さんはまた礼を言い、少しペースを落とした。
一杯食べ終わった頃、ネウロイさんはおかわりを差し出しながら尋ねた。
「東方からいらんたんですか?」
「ご明察でござる」
「その服を見ればね。それに、クーシーの方はこの辺りにはあまりいません。たまに見かけはしますが」
『クーシー』というのがこの柴犬さんの種族らしい。小柄な二足歩行の犬、という感じの種族だ。
クーシーの柴犬さんはおかわりを受け取りながら自己紹介した。
「拙者、ミズホの国より参ったシバと申す者。訳あって各地を流浪しておるが、此度は路銀を失って飢えておったのでござる。助けていただき、感謝の言葉もござらん」
柴犬さんの名前はシバというらしい。めっちゃ覚えやすいな。
「私はこの宿屋を経営しているネウロイといいます。こちらは妻のルー。そしてあなたをここまで連れてきてくれたのが、うちの宿泊者のクウさんです」
私とルーさんはペコリと頭を下げた。シバさんも下げ返す。
「ネウロイ殿、ルー殿、クウ殿。本当に助かったでござる。もちろん拙者とてタダ飯を食らうつもりはないが、何か出来ることはござらんか?」
しおらしく尻尾を垂らしたシバさんに対し、ネウロイさんとルーさんは手を横に振った。
「そんな、気にすることはありませんよ。食事の一食くらい」
「そうですよ。困った時はお互い様です」
二人はそう言っていたが、私にはシバさんの気持ちが分かる。
私もつい先日まで無一文で、宿代もサスケに立て替えてもらっていた。
人の厚意というのはもちろん嬉しいものだし素敵なことだが、ただそれに甘えるのは心が痛くなる。
人によっては自尊心を傷つけられたと思う人もいるだろう。無償の好意は、時として人を傷つけるのだ。
果たしてシバさんは余計に申し訳なさそうな表情になった。
「いや、そういうわけには……」
それを見た私はすかさず提案した。
「じゃあ、こういうのはどうです?この食事代と当面の宿代を私が立て替えますよ。その代わり、シバさんには私の仕事を手伝ってもらいます」
シバさんのつぶらな瞳が私を向いた。
そこにはどことなく安堵の色が見て取れる。これで恩を受けっぱなしという状態からも開放されるし、しばらく宿にもありつけるのだ。
「それはありがたい。精一杯やらせていただこう。して、どのような仕事だろう?」
問われた私は、もしかしたら勇み足だったかもしれないと思った。
私の仕事は基本、街を出て少し危険なところを行くことが多い。
大小二本差しのシバさんを見て勝手に戦えると思ってしまったが、実際のところは分からないのだ。
っていうか、見た目はめっちゃ可愛い二足歩行の柴犬だし。
「えっと……シバさんって、戦えますか?」
シバさんは私から虚空へと視線を移し、腰にさした刀に手を伸ばした。
「ふむ……この程度には戦えるが」
刀を少し抜き、それからまた戻す。キン、と高い音で鍔が鳴った。
「……?」
私はこの程度がどの程度なのかさっぱり分からず小首を傾げた。一体何をしているのだろう?
「す、すごい……」
ルーさんがそうつぶやいた。
私がそちらを向くと、ネウロイさんと共に驚愕に目を見開いている。ネウロイさんは言葉も出ないようだ。
「え?え?」
何のことか分からない私に、ルーさんが床を指さした。
「クウちゃん、あれあれ。あの半分になってるやつ」
指の先を視線で追うと、確かに半分になっているものがあった。
「……ハエ?」
そう、ハエが真っ二つになって床に落ちていたのだ。
「え?もしかして、シバさんが斬ったんですか?」
「もしかしなくてもそうよ。あんな速い斬撃、私見たことないわ」
マ、マジですか……
私には全く見えなかったが、ウェアウルフの夫婦はなんとか目で追えていたらしい。
目にも止まらぬ速さで、しかも飛んでるハエをきれいに真っ二つにするなんて。
一体どんな達人だ。
「今の拙者はこんなものでござるな。この首輪がなければもう少しまともに動けるが……」
(え?本当はもっと強いの?)
うっとおしそうに首輪をいじるシバさんに、私たちはしばらく何も言えなかった。
****************
「シバさんって、なんでミズホの国を出たんですか?」
私は目的地への道中、何の気なしにそう聞いてしまってから後悔した。
故郷の国を出るほどの事情だ。何か大きな、聞かれたくない事情かもしれない。
しかし私の心配とは裏腹に、シバさんは普通に答えてくれた。
「御前試合で負けたのでござる。敗者は勝者の言うことをなんでも聞くという条件で戦った。それで勝った相手の命令が、国外への追放でござった」
「え?シバさんこんなに強いのに?もっと強い剣士がいるんですか」
私には意外だった。ここまでの道中でもシバさんはモンスターをバッタバッタと斬り倒している。
「いや、剣の腕では拙者の方が一枚上手であったろう」
「じゃあ、何か理由があるんですか?」
「ある。それはな、拙者が……ふしだらだったからでござる」
私はシバさんの言葉に軽いデジャブを覚えた。
『それはな、お嬢さんが……むっつりすけべだからじゃ』
それは私をこの異世界へと転生させたおじいさんが、私を選んだ理由として答えたものだ。
今さらながら腹が立つ。清純派女子に向かってむっつりすけべってなんだ、むっつりすけべって。
私はおじいさんへの怒りをふつふつと再燃しかけていたが、自嘲気味に笑うシバさんの言葉で我に返った。
「ふしだらで負けたというのは恥ずかしい話だと思うでござろう?」
「え?いや……恥ずかしい話って言うか、よく分からない話だと思います」
ふしだらで負けたって、一体どういうことだろう。意味が分からない。
「それはそうでござるな。実は御前試合の相手は、拙者が仕えていた殿の姫君だったのでござる」
「お姫様?女剣士ですか。なんだかかっこいいですね」
「左様。ただ姫様は格好良いだけでなく、可憐で美しくあられた。正直に言うと、当時の拙者はベタ惚れしておってな。ふしだらな話だが、姫様の背中を見るたびに、拙者は後ろから抱きしめたくてたまらなかった」
シバさんは少し遠い目で、ため息をつくようにそう言った。姫様の姿を思い浮かべているのだろう。
「御前試合の最中、拙者は見事に姫様の後ろを取った。それで試合は決まったようなものでござったが、ついその美しい後ろ姿に見惚れてしまってな。気がつけば拙者は負けておったのでござる」
後から考えてみればちょっと素敵な恋のお話だったのだろうが、この時の私には確かにふしだらに感じられた。
(後ろから抱きしめたいって……やっぱりワンワンはドギースタイルが基本なんだ……)
doggystyle
四つん這いになった状態で後ろから責められるアレだ。バックとか、ワンワンスタイルともいう。
以前にウェアウルフのネウロイさん夫婦が偶然その体勢になった時にもドキドキハァハァしたが、クーシーのシバさんも同じく犬ベースの種族だ。
やはり本物のドギーなスタイルはスゴいのだろうか。
私はその様子を妄想して、つい吐息を熱くした。シバさん横目にチラチラ見ながらハァハァしてしまう。
「や、やっぱり後ろからってスゴいんですか?」
「スゴい?……よく分からんが、やはり後ろからの方が攻めやすいでござろうな」
「責めやすい!!な、なるほど。勉強になります」
「……?」
ちょっと話が噛み合っていないような気もしたが、シバさんは御前試合の話を続けた。
「それで試合後、姫様は拙者がわざと手を抜いたと言って怒り心頭でな。手が付けられないほど暴れられたが、御前試合は一本勝負でやり直しも認められぬ決まりでござる。結果、癇癪を起こした姫様の一声で拙者は国外追放の身となった。ついでにこの首輪をつけられてな」
シバさんは親指で首輪を引っ張った。
パッと見はどこにでもありそうなペット用の首輪に見えるが、実はそうではないらしい。
「まぁ詰まるところ、未熟な拙者が全て悪かったという話でござる」
シバさんは最後に軽くため息を吐いた。
その時、シバさんへ向かって突然黒い影が飛んできた。蜂のモンスター、キラービーだ。
森を歩いているとたまに現れるモンスターで、大きな針を使って人間を串刺しようとする。
このキラービーもご多分に漏れず、お尻を向けながら突っ込んできた。
が、シバさんの間合いに入った途端に真っ二つにされる。縦に半分になったキラービーが地面に落ちた。
斬られた側も一瞬のことで何があったのか分からなかっただろう。
「いや、これで未熟って……」
「未熟だから負けたのでござる。それ以上でもそれ以下でもござらん」
シバさんはあらためて首輪に手を触れた。
「この首輪はクーシーの力の開放を妨げるのでござる」
「力の開放?」
「クーシーは魔素を消費して一時的に身体能力を高められるのでござる。それがクーシーのクーシーたる所以でござるが……それが出来ぬ拙者は、多少の刀の扱いに慣れた小型種族にすぎぬ」
謙虚にもほどがあると思ったが、本人にとってはもっと強かった時の記憶があるわけだ。
確かにそれを抑えられた現状では、強いとは思えないのかもしれない。
「……あ、着きましたよ。この辺だと思います」
私たちは少し開けた広場に着いた。
森の木々が途切れているだけでなく、草も短く刈られている。明らかに最近人の手が入った土地だった。
「拙者はここで周囲を警戒していればいいのでござるな?」
「お願いします。私は魔法陣のトラップを解除していきますので」
私が今回受けた依頼は、アカデミーの研究者がフィールドワークのために仕掛けた魔法陣を解除していくことだ。
聞くところによると、ここは研究拠点のキャンプとして使われていたらしい。
それでモンスターの捕獲と研究員の安全確保のためにトラップの魔法陣を設置していたが、想像以上のモンスターがここを攻めてきた。
仕方ないので研究員たちは急いで退去したという話だ。
ただ、あまりに急いでいたので魔法陣を解除する余裕がなかったそうだ。
魔法陣は踏めば発動するもので、元の世界で言うところの地雷のようなものだろう。
森の中とはいえ、地雷がそこらに撒かれていて危険でないわけがない。
(元の世界でも不幸な事故が起こってるんだよね……戦後にたくさんの子供たちが傷ついてるって話を聞いたことがある)
戦争はもちろんいけないことだが、その後にまで人が傷つくやり方はもっといけない。
こちらの世界でも素材採取などで森に来た人が、残されたトラップで被害を受けることがままあるらしい。
だから用途を終えた魔法陣は必ず解除するよう法で定められているということだった。
ただ、一度はモンスターに襲われて逃げ出したような土地だ。
また戻るのも恐ろしいので、ある程度戦闘力のある人間にやってもらおうと依頼が出されていたのだった。
「魔法陣か……すまぬが、拙者そういう事はからきし駄目でござる。お頼み申す」
「私も正直さっぱり分からないんですけど、この液体をかければいいだけらしいので大丈夫です」
依頼主の研究室からは数本の瓶を渡されていたが、これだけで解除できるらしい。
そもそも簡単に解除できるようにという前提で作られているという話だった。
広場を見渡すと、所々になんとなく違和感を覚えるところがあった。
そこに近づいてよく見てみると、薄っすらと不思議な紋様が書かれている。
私はそこに支給された液体をまいた。
「これでいいのかな?」
落とした液体は少量だったが、魔法陣は一瞬光ってから完全に消え失せた。なんとなく感じられた違和感もそれで消える。
「よし、こちらは簡単にできました。モンスターはいませんか?」
「おるな」
「分かりました……ってぇえ!?」
私は急いでレッド、ブルー、イエローを召喚した。
「カマキリでござる」
シバさんの言う通り、出てきたのはカマキリとそう違わない外見をしたモンスターだった。
が、そのサイズは昆虫の比ではない。虫どころか、私よりも大きいのだ。
「キラーマンティス!!」
先ほどいたキラービーは大型の蜂モンスターだが、キラーマンティスは大型のカマキリモンスターだ。
シバさんは刀を抜きながらニヤリと笑った。
「そんなハイカラな名前でござったか。拙者は大カマキリと呼んでおったが……このモンスター、拙者好みでござるよ」
キラーマンティスはシバさんへ向かって飛んだ。そして上からカマを振り下ろす。
シバさんはそれを刀で受け止めた。そして笑みを深くする。
「斬り合いは武士の本望でござるからなっ!」
気合一閃、シバさんの横薙ぎでキラーマンティスの胴が半分になった。
「やった!」
「まだでござる!囲まれておるぞ!」
喜ぶ私へシバさんは鋭く注意した。
広場の周囲、三百六十度全ての森の中からキラーマンティスがぞろぞろと現れた。
アカデミーの研究者を襲ったのはこの群れだろうか?
しかし、これほどの数だとは聞いていない。数十匹はいそうだった。
「こ、これは多すぎ……」
「クウ殿、後ろを取られぬように注意するでござる」
「はいっ」
私は手元にブルーを残し、レッドとイエローにアタックを命じた。
キラーマンティスたちはレッドのパワーで身体を千切られ、イエローの電気で痙攣しながら倒れていく。
特にイエローはモノコリさんとのトレーニングのおかげで目覚ましい進化を遂げている。凄まじいスピードとフットワークでどんどん敵を倒していった。
ブルーは周囲を見回しつつ、私やシバさんが囲まれないよう適切な所へアタックを加えては戻ってくれた。
敵に直撃するよりも、多くの敵を牽制することに重点を置きながら動いている。やはりこの子は賢い。
「クウ殿のモンスターたちはかなり出来るでござるな。これなら拙者は要らなかったかもしれぬ」
シバさんはそう言いつつ、二体の敵を同時に真っ二つにした。
さらに振り返りながら、背後から迫るカマを斬り落とす。
「いやいや、これだけ働かれて要らないなんてことはないですよ」
私は背後を警戒するために振り返りつつそう言ったが、その瞬間、足元から猛烈に嫌な感じがした。
地面を見ると、魔法陣の紋様が光っている。
「ふ、踏んじゃった……」
↓挿絵です↓
https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139558147853363
慌てて体の強度をあげるネックレスに魔素を込める。
それと同時に、背中に衝撃を受けて四つん這いに倒れた。
私はその衝撃が魔法陣の発動のせいだと思ったのだが、それは間違いだった。
魔法陣自体は対象を捕らえるためのトラップだったらしく、私の周囲に鉄格子の牢屋ができただけだった。
閉じ込められはしたものの、怪我はしていない。
私が背中に感じた衝撃は、シバさんが私を守ろうと覆いかぶさってきたものだった。
(そんな……どんな魔法陣かも分からないのに、身を挺して守ろうとしてくれるなんて……)
私はその事にまずは感動したものの、すぐに別の感情に支配された。
私は四つん這いになっており、シバさんがその後ろから覆いかぶさるように乗っている。そして、私のお尻とシバさんの股間がくっついていた。
(ド、ドギースタイル!!)
偶然ドギースタイルの格好になっていた。しかもクーシーのシバさん相手だから、リアル・ドギースタイルだ。
(ど、どうしよう……このまま服をめくられて後ろから……)
私がそんな妄想をしていると、シバさんは私の腰に手を置きつつ、体を起こした。
(ああ!!もう完全にアレだ!!アレの体勢だ!!)
私の脳みそは妄想で溶解しそうになったものの、残念ながらシバさんは普通に立ち上がって私から離れてしまった。
そして私に手を差し伸べる。
「クウ殿、怪我はないでござるか?突然ぶつかって申し訳なかった」
「い、いえ……大丈夫です。守ってくれようとしたんですよね。ありがとうございました」
私はシバさんの手を取って立ち上がったが、握るに手にドキドキしてしまった。
「幸いこのような罠だったおかげで、モンスターの攻撃も届かなさそうでござるが……」
牢屋の外にはキラーマンティスたちがまだたくさんいるが、鉄格子で囲まれているので私たちに攻撃はできない。
もちろんカマは隙間を通るが、それも届かない程度の大きさがあった。
ただし、このままでは私たちも出られないのだ。私はとりあえずスライムたちを格納筒に戻した。
「さて、どうするか……」
「どうしましょう。とりあえず、うちの子に最大出力でぶつからせてみましょうか?」
鉄格子はかなり太いとはいえ、レッドのパワーならばひしゃげられそうな気がする。
しかし、シバさんは首を横に振った。
「いや。この牢はどうやら地面に固定されてはいないようでござる。強い力でぶつかれば牢が動き、鉄格子が拙者たちに強くぶつかるでござろう」
私はそれを想像してゾッとした。
レッドのパワーで鉄格子がぶつかって来るわけだ。ちょっとした怪我では済まないだろう。
「そ、それはマズイですね……じゃあ、二匹で反対方向に同時にぶつかるとか」
「タイミングと力は完璧に合わせられるでござるか?」
「……ちょっと自信ないかもです」
もしかしたら出来るかもしれないが、加える力は太い鉄棒を曲げるほどのものでなければならない。多少の差異で大変なことになる可能性がある。
シバさんは首輪を親指で引っ張った。
「首輪さえなければこの程度の鉄格子、斬って捨てられるのでござるが……」
「えっ?鉄って斬れるものなんですか?」
「クーシーの力の解放ができれば、斬れる。クーシーの侍は斬鉄剣ができてから、ようやく一人前と認められるのでござる」
「すごい……」
私は驚いた。体や刀を魔素で強化するとはいえ、まさか鉄が斬れるとは。
そこで私はふと思いついた。
「そうだ。シバさん、今だけでいいので私と召喚契約を結びませんか?」
「召喚契約?」
「そうです。召喚されると私の魔素で能力が上がるので、もしかしたら鉄格子が斬れるかもしれません。契約はどちらか一方の意思で破棄できますし」
「ふむ……やってみる価値はありそうでござるな」
シバさんはうなずいてくれた。
私は早速右手の中指と親指で輪を作り、意識を集中した。
「コントラクトゥス・リートゥス」
呪文と同時に右手の輪が赤く光る。
「この中に指を入れていただくだけです」
「こうでござるか?」
シバさんの人指し指が挿入され、その体が赤く光った。
「……?これで終わりでござるか?何も変わりは感じぬが……」
「今召喚しますから、頭にその要請が来たら了承してください」
私はまた親指と中指で輪を作り、頭の中でシバさんを呼んだ。これでシバさんに召喚の要請がいったはずだ。
「ふむ……了承」
シバさんがそう答えた瞬間、その体が一瞬消えた。そしてその場にまたすぐ現れる。
そばで召喚を行った場合にはこのようになるのだ。
「どうですか?多少は強化されてます?」
シバさんは手を開いたり閉じたりしてしばらく自分の体を確認していたが、ふと首輪に手をやった。
それを撫でたり引っ張ったりしている。
「……首輪の力を感じぬ」
「え?」
「首輪から常に受けている圧を感じないのでござる。これならもしや……」
シバさんは突然歯を剥き、グルグルと唸りだした。
そして目が釣り上がり、鼻筋にシワが寄り、怒ったような顔になった。
普段の外見は可愛い柴犬なので、ギャップの迫力が凄い。
柴犬は元は猟犬としても使われていた犬種だ。もしかしたらこちらの方が本領なのかもしれない。
そして少しすると、シバさんの体が緑色に光り始めた。
毛が逆立ち、緑のオーラが全身から立ち昇る。
その様子は神々しさすら感じさせるものだったが、私の初印象はもう少し俗っぽいものだった。
(ス、スーパーサ◯ヤ人……?)
私は少年漫画のそれを思い出していた。色は違うものの、似たような感じだ。
「できた……力の解放が、できたでござる……」
シバさんは信じられないといった感じでつぶやいた。
「クウ殿……拙者、もう二度とこの姿にはなれぬものと覚悟しておった……しかし、クウ殿のおかげでまた……」
シバさんは感極まって声を途切らせた。目に涙が浮かんでいる。
きっと本人にとって、とても大切なことだったのだろう。
シバさんの剣技を見ると、よほどの鍛錬を積んだのだということがよく分かる。
そうして積み上げた強さを奪われた。相当に辛かったはずだ。
「よかったですね。お力になれて私も嬉しいです。でも……なんで首輪の力がなくなったんでしょうか?召喚したら魔道具の効果が消えるとかいう話は、今まで聞いたことがありませんけど」
シバさんは手の甲で涙を弾いてから答えた。
「おそらく……召喚で上がった能力が首輪の限界を超えたのでござろう。過去にも首輪が効かなかったクーシーはいたらしいが、彼らは全て伝説級の強さを持った侍でござる」
なるほど。魔道具にも限界があり、それを突破できたということか。
「なんにせよ、これで牢を出られそうでござるな」
シバさんは軽く重心を低くし、刀の柄に手を触れた。
そして次の瞬間、私には視認できない速度で刀が振られる。
どうやら刀は二度振られたらしい。数本の鉄格子の上下が斬れて、ゆっくりと倒れた。
「やった!……あ、でもモンスターが」
そう、私たちが出られるということは、モンスターが入ってこられるということだ。
キラーマンティスたちが斬られた場所に群がって来た。
(しまった!牢の中にいる間にスライムたちで倒しておくべきだった!)
私は後悔したが、シバさんは意に介した様子もない。
「心配は要らんでござるよ。力の解放が出来れば、こんな奴らは物の数ではござらん」
まだキラーマンティスは数十匹いるのだが、平然とそう言い放った。
そしてその言葉通り、入って来たキラーマンティスは一瞬で細切れになった。
「すまぬが久しぶりなのでな。勘を取り戻すために、少々過剰に斬らせてもらうぞ」
シバさんは牢を出てキラーマンティスの群れへ歩いていく。緑の光のそばへ来た敵は一瞬で体がバラバラになった。
どうやら本当に勘を取り戻そうとあれこれやっているらしく、輪切りになったものもいれば、賽の目切りになったものもいた。
こうなるとキラーマンティスたちが少し可愛そうだ。
本人たちもこれはヤバイと思ったらしく、半分ほどもやられると一匹が背を向けて逃げ始めた。
そしてそれを契機に、全員が一斉に森の中へ飛んでいく。
「ふむ……こんなものか」
シバさんはそうつぶやいてから刀を鞘に戻した。それから私を振り返る。
「クウ殿、まだ動きを確認したいので、もう少し召喚したままにしてもらってもいいでござるか?」
「無理です。ごめんなさい」
私は即答してすぐに召喚を解除した。
クーシーの力を開放したシバさんは激烈に強いが、魔素の消費量も猛烈に多い。
すでに私の魔素は切れかけていて、ひどい疲労感と眠気が襲ってきていた。
そして同時に、発情体質のおかげでめっちゃムラムラしてくる。これ以上召喚を維持するのは無理だ。
シバさんを包む緑の光が消え、また元の柴犬に戻った。
「すいませんけど、魔素が足らなくて……」
「いや、無理をさせたようですまぬ。しかし……やはり召喚状態でなければ力の解放はできないようでござるな」
シバさんは頑張って力を込めてみたが、無理なようだ。通常状態では首輪の力を超えられないということだろう。
シバさんは改めて私の方を向き、そして地面に正座をして手をついた。
突然かしこまったシバさんに私は戸惑った。
「え?ど、どうしたんですか急に」
「クウ殿。拙者が国を出た後、定住せずに各地を放浪しておったのは、侍として己の仕えるべき主君を探していたからでござる。追放までされて未練がましいのでござるが、やはり拙者は侍。忠義を尽くすべき相手がいてこそ、生きる意味を見いだせるのでござる」
「はぁ……忠義」
私にはよく分からないが、そういう事に幸せを見出す人も多いのだろう。
そういえばヴラド公爵に仕える執事のピノさんからもそんな印象を受けた。
シバさんは頭を下げて地面につけ、完全に土下座の姿勢になった。
「えっ?ちょっと、シバさん?」
「クウ殿、拙者の主君になってはくださらぬか」
いきなり予想だにしなかった申し出を受けて、私の頭は混乱した。
「え?え?いや、私、ただのどこにでもいる女子ですけど……」
「それで構わぬ。クウ殿なら拙者をあの開放状態にできるのでござる。武を磨いてきた拙者にとって、それがどれだけ大切か……」
シバさんはまた泣きそうになったようで言葉を詰まらせたが、それをぐっとこらえて言葉を続けた。
「どうか拙者を、また侍にしていただきたい!!」
そう言われても困る。
っていうか、仕えられるって私はどうしたらいいんだ。
「いや、それはちょっと……」
「許しを受けられるまでここから動かぬ」
「えー……」
こうなるとちょっと厄介だ。
とっても強くて優しくて良い人ではあるんだけど、頑固だな。
「……そうだ!!じゃあこうしません?条件付きの主君ってことで」
「条件?どういう事でござろう?」
「さっき召喚契約を一時的って言いましたけど、今後も契約を続けていただきます。それで、召喚されている時だけの主君っていうことにしましょう」
これなら主君といっても、召喚して何か仕事を依頼する時だけの関係だ。
っていうか、召喚する時には何かをお願いするわけなので、別に主君とか関係なく自分のために働いてもらうし。
「いや、それはちょっと……」
今度はシバさんの方が難色を示した。
が、ここは強く押す所だと私は思った。
「それがダメなら了承しません。ここを動かれなくても、絶対了承しませんから」
「ぐ……仕方がないでござるな。では、当面は召喚時に仕えさせていただくということで」
「分かりました。そういう事で、よろしくお願いします」
私は胸をなで下ろした。いきなり誰かの主君になれと言われても困ってしまう。
「じゃあ、とりあえず立ってください。今は召喚状態じゃありませんから、土下座される理由はないです。メリハリをつけましょう。召喚時以外は友達です」
「友達……友達……そうでござるな。分かり申した。ただし、召喚時には主のために存分に働かせていただくつもりでござるから、何なりとお命じあれ」
「何なりと?」
「左様。どんな命令でも聞き申す」
こうして私は思わぬことで柴犬さんのご主人様になってしまった。
ただ、魔素切れを起こして発情した私の脳は、いくつかの単語を並べて変な謎かけに突入してしまった。
(犬、主人、命令、何でも聞く……)
その心は。
(……バター犬?)
それはさすがにダメな妄想だろう。
そう思った私はブンブンと頭を振り、それを柴犬のつぶらな瞳が不思議そうに見ていた。
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☆元ネタ&雑学コーナー☆
ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。
本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。
〈クーシー〉
クー・シーはスコットランドの民間伝承に登場する妖精たちの番犬です。
『クー』は犬、『シー』は妖精という意味なので、犬妖精ということになりますね。
妖精の住む丘を守っています。
牛並みの大きさがあるというから、名作映画『もののけ姫』の山犬たちのイメージが近いかもしれません。
しかもその毛並みは緑色なので、ビジュアル的にはめっちゃカッコいいです。
あまり聞かない幻想生物ですが、もっと色んな作品に登場しても良さそうな気がします。
〈ござる〉
侍といえばござる、ござるといえば侍というほどに、武家言葉として浸透している語尾です。
しかし、本当に昔の人は『ござる』と言っていたのでしょうか?
昔は書き言葉と話し言葉がかなり違っていた(〜でそうろう、なんかは書き言葉。口にはしません)ので、当時の文献からは確認が難しいそうです。
ただし日本には能や狂言、歌舞伎といった伝統芸能があります。
そういった作品から推察するに、どうやら『ござる』は言っていたのではないかと考えられています。
とはいえ、それらも限られた資料であることは否めず、少なくとも当時の話し言葉は全体として『よく分からん』部分が多いのが実情です。
最近は歴史小説や時代劇でも現代の言葉で描かれることが多くなっていますが、個人的にはその方が良いと思います。
頑張って昔っぽい言葉を使ったところで、結局当時の人が聞いたら滑稽に聞こえるんでしょうからね。
〈地雷〉
世界にはまだ数千万から一億にも及ぶ地雷が埋設されていると言われています。
そもそも設置したことを隠すものなので正確な数は誰にも分かりませんが、相当な数であるのは間違いないようです。
戦後もその危険が残ることを考えると、本当に恐ろしい兵器ですよね。
対人地雷を禁止しようという条約もありますが、軍事大国の多くが批准していない状況です。
ちなみに日本はこの条約に批准していますが、『長い海岸線を地雷なしでどうやって守るか』というのが自衛隊の課題になってるみたいです。
こういうのは一概に良し悪しを言いにくい話ですが、不幸な事故が一つでも減ればいいと思います。
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お読みいただき、ありがとうございました。
気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。
それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m
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