第17話 スキアポデス

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私はその理想的な足の筋肉を見て、そんなことを考えた。


 たくましいだけでなく、美しい。


 筋肉のカットが深くて鋭い。流れるようにしなやかなのに、輪郭もくっきりと現れている。


 筋肉の美しさは太ももなら大腿四等筋、ふくらはぎなら下腿三等筋が特に重要だろう。


 だがこの足は、その奥に隠れている素晴らしい深層筋すらも想像させた。それだけ鍛え上げられた足なのだ。


 もはや官能的とすら表現できるその脚線美は、メスを誘っているとしか思えない。


「君にはこの足の素晴らしさが分かるのかね?」


 私の視線に気づいた男性は、そう尋ねてきた。


 私は人の足をジロジロ見て失礼だったかと思い、とりあえず謝った。


「ご、ごめんなさい……」


「いや、謝る必要はないよ。この機能美が分かる者は多くはない。もし君さえよかったら、共に高みを目指してみないかい?」


「え?……えーっと」


 突然の勧誘に、私は何をどう答えていいのか分からなくなった。


 高みというのは足のことだろうか?とりあえず一番明確な部分から突っ込んでみる。


「でも私の足はあなたほど大きくないですし、本数もあなたは一本で私は二本です。目指す高みも違う気がしますけど……」


 目の前の男性の足は、腰ほどの太さの左足が一本だけだ。というか、下半身はでっかい左足だけだと思えばいい。


 足が一本だけで、それがとても大きな種族。スキアポデスだ。


 スキアポデスの男性は大きくかぶりを振ってみせた。


「何を言うのだ。足が一本だろうと二本だろうと、それこそケンタウロスのように四本だろうと目指す高みは変わらない。至高の足による、最高のレースだ」


「レース?ごめんなさい、私よく分からなくて……」


 何のレースだろう?


 元の世界では車のレースや競馬、競輪など色々あったが、この異世界でもそういったものがあるのだろうか。


「レースを知らない?よほどの田舎か、それとも遠い国から来たのかね?」


「えっと……実は記憶喪失でして、常識的なことが分からないケースが多くてですね……」


 私はちょっと久しぶりに記憶喪失設定を使った。


 この世界にもだいぶ慣れてきたから最近は使うことも少なくなってきたが、たまにこんな事もある。


 レースというのは、どうやら随分とメジャーなものらしい。


「なんと!それは可哀想に……レースを知らないということは、人生の半分を損しているようなものだ」


「はぁ……そうでしょうか」


「しかし悲観することはない。なぜならレースを知れば、君の人生は倍の輝きを持つということになるのだから。さあ、レース場へ案内してあげよう」


 グイグイくるな、この人。


 別に今忙しいわけではないが、今日はカドゥケウスさんのお店で靴下を買おうと思っていたのだ。


 それに足の筋肉は超がつくほど魅力的だとはいえ、知らない男性にホイホイついていくのもちょっとどうかと思う。


「いえ、お時間取らせるのも申し訳ないので……」


 私は少し頭を下げながら、回れ右をした。早足で逃げてしまおう。


 が、反対方向へ歩き出した私の目の前に、その男性が降ってきた。


 どうやらジャンプだけで私の背を飛び越して着地したらしい。足一本なのにすごい脚力だ。


「遠慮することはない。私の名はモノコリ。この街で最も大きなレースである、プティア杯の連覇者だ。人は私のことを『音速の左足』と呼ぶ」


 連覇者、ということは連続チャンピオンということなのだろう。


 すごい人なのかもしれないが、私にはレース自体が分からないし、靴下に穴が空いたから買いに行きたい。


「いえ、あの……」


「レースは素晴らしいぞ。うまくすれば多少稼げるかもしれないしね」


(え?レースってお金を稼げるの?)


 もしかしたら靴下代くらいにはなるのだろうか。


 そんなケチなことを考えてしまった私は、音速の左足について行ってみることにした。



****************



「いけー!させー!まくれー!」


 私は周囲の熱気に当てられて、意味も分からずそう叫んでいた。


 レースが終盤にさしかかり、観客の熱い大歓声が競技場を埋める。ヤカンでも置けば沸騰しそうな熱量だ。


 私の叫びに効果があったからでもないだろうが、私のお目当てのゼッケンを付けたケンタウロスが猛スピードで追い上げてきた。


 最後の直線に入った時には五番手だったのが、グングンと順位を上げていく。先頭を走るサテュロスまで一馬身に迫った。


 が、残り距離を考えるとあと少し届きそうもない。私がそう諦めかけた時、サテュロスの速度がガクッと落ちた。


 すでに相当無理をしていたのだろう、体力の限界が突然来たようだった。


 両者とも肩を突き出してゴールラインを抜けたが、ケンタウロスの方がやや前に出ている。どうやら私は勝ったらしい。


「やった!モノコリさん、当たりましたよ!」


 私は興奮して隣りのモノコリさんの肩をガクガクと揺らした。


「はっはっは、おめでとう。楽しんでもらえたようで何よりだ」


 モノコリさんは満足そうにうなずいた。


 レースとは、元の世界で言うところの競馬や競輪とだいたい似たようなものだった。


 決められた道を誰が一番にゴールするかを競う競技で、公営ギャンブルとしての一面も持つ。


 ただし、競馬や競輪とは大きく違う所が三点あった。


 一つ目は、走るのがありとあらゆる種族の人たちであることだ。


 今のレースは一着がケンタウロス、二着がサテュロスだったが、三着からはラミア、ウェアウルフ、リザードマン、ヒューマン、ウェアラットと続く。本当にバラバラだ。


 二つ目は、走る場所がただの平地ではないことだ。


 崖のようになった岩場や沼、砂地、木々の生えた獣道まであった。言ってみれば障害物競争に近いだろう。しかも障害物はランダムに設定されるということだった。


 二着だったサテュロスは岩場でリードを伸ばしていた。この辺りは種族ごとの得手不得手があるだろう。


 選手も観客も当日初めてコースを見てから、作戦方針や自分の賭ける選手を考えることになる。それがまた楽しいらしい。


 そして三つ目の違いだが、私はこれに一番驚いた。


「私は上限いっぱいの一万円かけたから……いくらになるんですっけ?」


 そう、この異世界のレースでは一度に最大一万円までしか賭けられないという決まりがある。


 元の世界では公営ギャンブルであるにも関わらず、ほとんど青天井に近いほどの金額を賭けることができた。


 きっとそれで人生を棒に振る人、家族を苦しめてしまう人、家族から見放される人もいたはずだ。


 もちろん簡単に良し悪しを言えることではないが、皆がより安心して楽しめる娯楽というものは良いものだと私は思う。


 少なくとも運営側が何もしてくれない以上、自分で何かしらのルールを決めてやれない人が手を出すべき娯楽ではない。


「オッズは1.30だから一万三千円の払い戻しだね。どのレースでもケンタウロスは人気だから、こんなものだろう」


 モノコリさんが掲示板を見て答えてくれた。


 やった!三千円のプラスだ!とりあえず靴下代にはなった。


「モノコリさん、面白いものを紹介してもらってありがとうございます」


「なんの、お礼を言われるのはまだ早い。なぜなら午後のレースには私が出るからだ」


 そうか、音速の左足のレースがあるんだった。


 朝までの私ならそんなものにはまるで興味が湧かなかったが、今はちょっと見てみたい。


 靴下を買いに行くのはその後でもいいだろう。


「楽しみにしてます。私、モノコリさんに賭けますね」


「ありがとう。しかし私は人気過ぎて低いオッズにしかならないがね。それに、もしかしたら君も走れるかもしれない」


「え?」


 私はなんのことやら分からず聞き返した。


 私が走る?レースをだろうか?


「実は午後からのレースはちょっとしたお祭りみたいなものでね、プティア杯の連覇者である私と素人の希望者たちとが競うものなんだ。君の名前を書いた紙を応募箱に入れておいた」


「ぇええ!?」


 この人なに勝手なことしてるんだ。別に鍛えてもいない私が、レースになんて出られるわけがないだろう。


「こ、困ります……私、脚力を魔素で強化することもできないんですよ?」


 この世界の人たちは魔素の扱いに慣れている。当然レースを走るのにも魔素を使うのが当たり前になっているだろう。


 モノコリさんは私の言葉を聞いて驚いていた。


「なに?私の筋肉を正当に評価してくれているようだったから、君自身も走れるものだと思っていたが……すまない、私の思い違いだ」


「いえ……でも当たったらどうしましょう?」


 不安に眉根を寄せる私の顔を見て、モノコリさんは可笑しそうに笑った。


「そう心配する必要はない。毎年人気の企画だから応募者は軽く千人を超える。当てようと思ったところでそうそう当たるものでは……」


『皆様にお知らせいたします』


 会場のアナウンスがモノコリさんのセリフを遮った。


 音を大きくするマイクのような魔道具があるらしく、広い競技場でも声がよく通る。


『本日午後より行われますレースの参加抽選が終わりました。当選者のお名前を読み上げさせていただきます。まずお一人目、クウ様……』


「はい!?」


「なんと!」


 ビックリすることに、なんと一人目で呼ばれてしまった。


 さっきのレースも当たっちゃったし、これがビギナーズラックか。


 いや、抽選は当たりたくなかったんだからビギナーズアンラックかな。


「どどど、どうしましょう?私にできることなんて、召喚魔法以外にないですよ」


 どもる私とは対照的に、モノコリさんは冷静に尋ねてきた。


「召喚魔法?君は召喚士なのかね?」


「はい。って言っても、まだ契約者も使役モンスターもあまりいませんけど」


「……なるほど、じゃあ何とかなるかもしれない。先ほども言ったが、今日のレースはお祭りのようなものだからね。そのくらいの方が盛り上がるだろう」


「……?」


 私にはモノコリさんがなぜかちょっぴり嬉しそうに見えた。


 なぜならその鍛え上げられた足の筋肉が、期待に胸ふくらませるようにピクピクと動いたのが目に入ったからだ。



****************



「イエロー、頑張ってね」


 私はレース出場者の準備室でイエロースライムの前にしゃがみこみ、その頭を撫でてやった。


 イエローは嬉しそうにプルプルと震える。


 その様子を見て、レースの管理者だというケンタウロスの男性が喜んだ。


「素晴らしい!!君の代走者はその子だね。愛らしい子じゃないか。観衆たちが喜びそうだ」


 そう言って、管理者の男性もイエローを撫でてくれた。


 モノコリさんの計らいで、私は使役モンスターを代走に立てる許可をもらえた。


 普通のレースでは認められるわけがない事だが、今回のレースに限っては問題ないらしい。


「でも……本当にいいんですか?モンスターの代走なんて。お客さんが怒りません?」


 心配する私に、管理者の男性は笑って答えてくれた。


「今回はレースというより、お祭りのようなものだからね。例年コスプレして参加するような人もいるし、去年に至っては飼い犬と一緒にお散歩スタイルで参加した人もいたよ」


「私はその飼い犬の頭を撫でながら走ったな」


 モノコリさんがそう言って現れた。


 先ほどの服装とは違い、今はレースのゼッケンをつけている。


「しかし……どうやら今年のレースはそんな和やかなものにはなりそうもない」


「え?どういうことですか?」


「彼らを見てみたまえ」


 モノコリさんは親指で肩越しに後ろを指した。その向こうには今回のレースの当選者たちがいる。


 参加者はモノコリさんを含めて八人だ。種族としてはラミア、スネークピープル、ヒューマン、ケンタウロス、サハギン、サテュロスだった。


 今回も多種多様な種族がいるが、彼らを見回した私はまずこう思った。


(何あれ……誘ってるのかしら?)


 彼らは全員が鍛え上げられた肉体を持っていた。筋肉のサイズといい、肉感といい、キレ具合といい、素晴らしい。


 それはもう美味しそうな、もとい、むしゃぶりつきたいような、もとい、サワサワ触りたいような、もとい……とにかく強くて速そうな筋肉たちだった。


「彼らを見て何か感じることはないかね?」


「はい、最高の肉体です」


 私はヨダレでも垂らしてしまいそうになりながら、本音でそう答えた。


 本当に素晴らしい体つきだ。今晩のセルフケアのため、是が非でも目に焼き付けておかねば。


 モノコリさんは多少の誤解をしながらも、満足げにうなずいてくれた。


「やはり君は見る目がある。彼らは全員何かしらの分野で第一級の実力を持つ者たちだろう。プロのレーサーは応募できないことになっているが、素人ながら速さに自信のある人間たちに間違いない。たまにいるのだ、私と本気で戦いたいがためにこのレースに応募してくる者たちが。そして偶然にも、今回はそんな者たちだけが当選してしまったようだ」


 確かに全員、目つきがマジだ。お祭り的な和やかなレースになりそうな雰囲気ではない。


「じゃあ今回は本気のレースになるんですか?やっぱりイエローが出るのはまずいんじゃ……」


「何を言うのだ。君はこのスライムの主だろう?なら使役モンスターのことをもっと分かってやらねば」


 モノコリさんはイエローの前に来て、その顔を覗き込んだ。


 そしてなぜか自嘲するように唇を歪めた。


「え?どういう意味ですか?」


「分からないかね?彼は私と同じように、中毒者ジャンキーだと言っているのさ。少なくともその素質はある」


「ジャンキー?」


 私はやはり意味が分からず、オウム返しに聞き返した。


「そう、スピード中毒者ジャンキーだよ」



***************



「On your marks……set」


 その言葉の数瞬後、号砲が鳴り響いた。


 それと同時に七人と一匹のレーサーが走り出す。


 参加者は皆、本気系というだけあってものすごいスタートダッシュだ。イエローを除いて。


(かる〜く流せばいいからね。お祭りなんだから)


 私はレース場全体を見渡せる高台から念話でイエローにそう伝えた。ここからなら状況がよく分かる。


 魔素は大した量を送らない。というか、どっちにしろ大した量は送れないのだ。


 レーサーは一定以上の魔素が使えないように制限がかかる魔道具の腕輪をつけられている。


 そうしなければ、レースは魔素が極端に強いだけで勝つことできるようになってしまう。それでは競技として成り立たなくなるだろう。


 私も腕にその魔道具をはめられている。ほどほどの魔素量しか送れなかった。


(かる〜く、かる〜くね。お客さんに愛想振りまきながら走っちゃおうか)


 私が再びそう念じた時、イエローから強烈な意志が流れ込んできた。


(走りたい。思い切り走りたい)


 私は思わずたじろいだ。


 イエローからこれほど強い思いを受け取ったのは初めてだったからだ。


 使役モンスターは基本的に術者の命令に従うものだが、自分の気持ちや望みを伝えてくることもある。


 ただ、術者の命令に反するような意思を伝えてくることはあまりなかった。


(私が命じれば、このままゆっくり走ってくれるだろうけど……)


 しかしイエローの気持ちをないがしろにしたくはないし、する理由もない。


 あまり目立ちたくはないが、うちの子の望みを叶えるためなら多少はいいだろう。


 それに、他のレーサーたちが自分の先を駆けていくのを見たイエローの気持ちが私にも流れ込んできた。


 その羨望とも悔しさとも言い切れない心情を感じてしまうと、走らせてやりたくなる。


 私は流せるだけの魔素をイエローに流した。そして黄色い弾丸が急加速する。


 この程度の魔素量では戦闘時のアタックのような動きはできないものの、それでも相当な速度になった。


「すごい!速い速い!」


 私は予想以上のイエローの速度に歓声を上げた。そもそもイエローはスライム三匹衆の中で、一番速度があるのだ。


 三匹は色以外は同じに見えるが、実は性格も能力も結構違う。


 レッドはパワーが強くて熱血漢、ブルーは器用で冷静だ。イエローはスピードがあるけどちょっとおっちょこちょいくらいに思っていたが、今日新たな一面が垣間見えた。


 イエローは必死に体を弾ませて七人のレーサーたちを追う。しかし、スタートダッシュでかなりの差をつけられているため容易には追いつけそうになかった。


 今のところ先頭を行くのはケンタウロスだ。スタートからしばらくはただの直線なので、馬の脚を持つケンタウロスが強い。


 ただ、そのすぐ後ろにスキアポデスのモノコリさんがピタリとついていた。


 足一本で跳ねるようにして走るわけだが、これが驚くほど速い。少なくともトップスピードはケンタウロス並みにあるということだ。


「さ、さすが音速の左足……」


 その二つ名は伊達ではないということだろう。


 レーサーたちは一つ目の障害に行き当たった。まずは岩場だ。


 ゴツゴツした岩が集まって小さな山になっている。さすがにケンタウロスはこういった場所は不得手なのでスピードダウンした。


 ここが得意なのはヤギの下半身を持ったサテュロスだ。先日お仕事でご一緒したパリピチェリーのパーンさんも上手に岩場を跳び回っていた。


 他には下半身が蛇であるラミアも岩場は得意なようだった。岩と岩の間に体を滑り込ませるようにして移動していく。悪路がほとんど障害になっていない。


 ただ、ここでもまた音速の左足の実力に驚くことになった。


 モノコリさんは足が一本なのにも関わらず、全くバランスを崩さずに岩から岩へと跳び移っていく。しかもものすごい速さで。


(ボールが跳ねるみたいだな)


 私はそう思ったが、その動きではうちのイエローも負けていない。


 球体の体を弾ませて移動するスライムは、言ってみれば意思を持ったボールだ。岩場を器用にバウンドしながらレーサーたちとの距離を詰めていく。


 二つ目の障害は水だ。身長を超える深さの池が作られており、それが百メートルほど続く。


 池はジャンプで飛び越えてはいけないというルールがあるので、基本的には泳ぐしかない。


 ここはさすがに半魚人であるサハギンの独壇場かと思われたが、なんと音速の左足は泳ぎも得意だった。


 大きな足から繰り出されるドルフィンキックはエグいほどの推進力が得られるらしい。驚くべきことに、百メートルをバサロで泳ぎきった。


(イエローはどうやったら早く泳げるかな?やっぱり水の抵抗を小さくするために、蛇のように細くして……)


 私はラミアの泳ぎ方を見ながらまずはそれを検討したが、その直後に一つ思いつくことがあった。


 アレならいけるかもしれない。


「イエロー、出来るだけ加速して横回転しながら水平にジャンプ!!体は薄くして!!」


 イエローは私のイメージ通りを実行した。


 池の直前までにトップスピードを出し、水面に対してほぼ平行に跳んだ。


 さらに踏み切りの直前に体を思い切り捻らせて、横回転を加えている。体は変形させて円盤のようになっていた。


(水切り……結構得意だったけど、スライムでできるかな?)


 私が狙ったのは、小さい頃に川でやっていた石投げの水切りだ。


 薄い石を回転させながら投げて、水面を何度跳ねさせられるかを競う。


 これなら跳び超えるわけではないからルール違反にもならないはずだ。回転円盤になれるスライム特有の攻略法だった。


「よし!上手くいった!」


 イエローは見事に水面を跳ねて百メートルの半分以上を高速で渡ることができた。見ていて身持ちがいい光景だ。


 観衆たちもそうだったようで、イエローの斬新な攻略法に歓声が上がった。


 残りは蛇のような形にして泳がせる。池を渡りきった時点でイエローは先行していたレーサーたちのお尻にまで食い込んでいた。


 今回のレースの障害は三つで、次が最後になる。


 レーサーたちを待ち受けていたのは砂地だった。海辺の砂浜のような土質で、踏み込んだ足が沈み込む。


「……ここでもモノコリさんは速いんだな」


 私は呆れるような思いでそれを見た。


 スキアポデスは足が大きい。足の裏が広いのだ。


 ということは、表面積が大きい分だけ沈みにくいということになる。


 もちろんただの地面を走るよりは遅くなるが、他のレーサーたちよりも相対的に速かった。


 唯一ラミアだけは砂地でもほとんど速度が落ちなかったものの、それもすでにかなり引き離されていた。ほとんどの観衆はモノコリさんの勝利を疑っていないだろう。


 スライムも普通の足の裏より接地面積が広いとはいえ、普通なら速度低下は避けられない。


(でも……この子を勝たせてあげたい!)


 イエローの勝ちたいという気持ちが私に伝わり、それが一つのひらめきを与えてくれた。


「……そうだ!!イエロー、体をちょっとギザギザにして!!」


 私はイメージを伝え、イエローはそれに基づいて横に何本も溝を入れたような形へ変形した。これでタイヤの出来上がりだ。


「思いっきり縦回転!!回り続けるのよ!!」


 タイヤになったイエローが指示通り高速回転を始める。一瞬地面を削って土煙を上げたが、その直後弾かれたよう前進した。かなりの速度だ。


 イエローは砂地の上を高速で転がって進んだ。これなら沈み込みも少ないし、体の表面に作った溝のおかげで地面をしっかり掴める。


「すごいすごい!!速い速い!!」


 私はイエローのタイヤバージョンを見て、テンションがダダ上がりだった。


 それも仕方ないことだろう。イエローは他のレーサーたちをごぼう抜きにしていったのだ。


 砂地を回り終えたイエローの前にいるのは音速の左足、モノコリさんだけだ。イエローは必死に跳ねてそれを追う。


 モノコリさんは首だけでイエローを振り向いた。そして、本当に嬉しそうに笑った。


 私のいる高台からは肉眼で見えはしなかったものの、イエローからの念話でモノコリさんの会心の笑みが伝わってきた。


「やはり来たな、スピードに魅せられた中毒者ジャンキーよ。やはりお前と私は同類だ」


 イエローはしゃべることができないものの、モノコリさんと走ることが出来る喜びを体いっぱいに表現した。


 詰まるところ、ただ全力で駆けたのだ。


 そして、それはモノコリさんにも伝わったらしい。


「そうか、私もお前と走ることができて嬉しいぞ」


 モノコリさんは再び前を向き、ラストスパートをかけた。その前には最後の直線があるだけだ。


 イエローもそれを必死に追う。


 レース終盤になり、スタミナでは使役モンスターのイエローが有利だ。そしてついにモノコリさんとイエローが並んだ。


「いいぞ、お前は本当にいい。強敵ともよ、共に行こう」


 モノコリさんはもうイエローの方を見ずにつぶやいた。ただゴールだけに目を向けている。


「しかし最後まで一緒にはいられないぞ。なぜなら『最速』はただ一人しかいないからだ。その高みへ……私が速いかお前が速いか、私が速いかお前が速いか、勝負だ!!」


 モノコリさんはここに来てさらに加速した。


 しかしイエローも負けていない。ただひたすらにゴールへと突き進む。


 観衆の叫び声が最高潮を迎え、それに後押しされるようにして私もイエローへ必死に魔素を送った。


 魔道具の腕輪で制限されているとはいえ、それでもつい力が入ってしまう。


 そして二人がほぼ並んでゴールに入る直前、私の腕輪が急に明るく光った。


 猛烈に嫌な予感がする。


 私は反射的に首から下げたネックレスに魔素を送った。体の強度を上げてくれる魔道具だ。


 そして次の瞬間、魔道具の腕輪が爆発した。


 こんな事があるなんて説明は受けていなかったが、おそらく込められた魔素が大き過ぎてキャパオーバーになったのだろう。


 私は体に衝撃を受けて尻もちをついた。しかし、幸い体もお尻もさほどの痛みを感じていない。


 耳はキンキンするが、大きな怪我はしていないようだった。ネックレスが優秀なおかげだろう。


「ビ、ビックリした……」


 私は我に返ると、まず自分の体が無事であることに感謝した。


 それからすぐにレースの行方が頭をよぎる。大切なうちの子は勝てたのだろうか。


「イエロー、どうだったの!?」


 そう叫びながら立ち上がるのと同時に、予想外のことが起こった。


 私の服がはらりと体から落ちたのだ。下着を除き、全部。


「……え?」


 私は観衆から丸見えの高台で下着姿になった。


 先ほどの爆発で服がボロボロになったのだろう。かろうじて体を隠してくれる下着もコゲてあちこちに穴が空いている。かなり際どいことになっていた。


「キャーッ!!」


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139557954144599


 私は体に腕を回してしゃがみこんだ。すると、下着も崩れて落ちそうになった。それを必死に押さえる。


 爆発音のせいで、多くの観衆がこちらを見ている。


(やだ……たくさんの人に見られちゃった)


 相当な人数にこんな姿を見られたのだと思うと、私はなぜか背筋がゾクゾクとするのを感じた。


(しかもこんなの、裸よりいやらしい格好じゃない……)


 いやらしいと思えば思うほど、否応なく興奮が昂まっていく。以前にもこんな事があったが、危険な種類の快楽な気がする。


(ヤバい……この先に進むのは、きっとヤバい……)


 私は必死にボロボロになった服を集め、体に巻いた。


 恥ずかしいこともあるが、この快感をこれ以上感じているとロクなことにならない気がする。


 お尻から首筋へと駆け上がるような快楽を、私の理性は必死に否定していた。



***************



「お疲れ様、イエロー。モノコリさんもありがとうございました」


 私はイエローを労うとともに、モノコリさんへとあらためて頭を下げた。


「いや、礼にはおよばない。これほど楽しいレースは久しぶりだったからね。実は君が召喚士だと聞いた時、モンスターとレースできるかもしれないと思って期待してしまったんだ。実際、期待以上の素晴らしい体験をさせてもらったよ」


「うちのイエローにとっても良い体験だったみたいです。私にとっては……とっても恥ずかしい体験でしたけど」


 私はあの時感じた快感には蓋をして、ただ恥ずかしかった記憶だと思い込むことにした。きっとその方が良い。


「それに関してはすまなかったね。あの腕輪は相当な魔素が込められなければ爆発することなどないから、運営もつい説明を省いてしまったのだろう。許してほしい」


 モノコリさんに謝られることでもないので、そう言われてしまうと逆に恐縮してしまう。


「いえ……まぁ、新しい服もいただきましたし。なんか真っ茶色ですけど」


 レース場の管理者であるケンタウロスさんから謝罪とともに渡された服は、まったく飾り気のない無地のシャツとズボンだった。


 しかもなぜか全身茶色で、渡した本人は美しい栗毛色だと満足そうにおっしゃっていた。


「それにしても、モノコリさんは本当に速かったですね。音速の左足の凄さがよく分かりました」


「イエロー君だって本当に速かったさ。あんな形で私の勝ちになってしまったことが残念だ」


 勝負の行方は、私の魔道具が爆発してしまったことでイエローの反則負けということになった。そういうルールなのだから仕方ない。


 しかし、私はイエローからの念話で知っていた。


 最後の爆発がなくても勝負の結果は変わらない。モノコリさんの方がほんのわずかだが先にゴールラインを割っていた。


「イエローは悔しいみたいですよ。どうしてもモノコリさんに勝ちたかったみたいです」


「気持ちはよく分かる。我々は同類だからね……よかったら、私と共に来るかい?」


 モノコリさんはイエローへと手を差し伸べた。


「え?共にって、どういうことですか?」


「大したことではない。数日、私と共にあちこちを走り回ろうというだけだ。平原、森、岩山、砂浜……イエロー君の動きにはまだまだ改善すべき点が多く見られる。様々な環境を私と走れば、色々と学ぶこともあるだろう」


 要はイエローを鍛えてくれるという話だろうか。


 そういうことなら、ありがたい申し出だ。


 私はイエローの意志を確認した。


「どう?何日かご一緒させてもらう?」


 イエローは全身をプルプルと縦に震わせた。喜んで応じるという返事だ。


「イエローも是非そうしたいみたいです。お願いできますか?」


「ああ、喜んで。ただし、一つだけ条件がある」


「条件?」


 モノコリさんはイエローへニヤリと笑ってみせた。


「別に複雑な事ではない。イエローが私に遅れずついてくるという事だけだ」


 馬鹿にするな、望むところだ。


 そういった好戦的な感情が、イエローからの念話で伝わってきた。



***************



 数日後、イエローは見違えるほどのスピードアップを果たして帰って来た。


 ただその数日間、私にとって予期せぬ事態が一つあった。


 四六時中イエローから魔素を送るよう要求があったのだ。しかも大量の。ずっと走りまくっていたらしい。


(魔素さえ送れば動けるイエローはともかく……モノコリさんは一体どういう体をしているんだろう?)


 それはそれとして、仕方がないので私はずっと魔素を送り続けなければならなかった。


 当然のことながら頻繁に魔素切れを起こしかけるが、魔素補充薬を飲みまくるのも辛いし、もったいなくもある。


 仕方がないので私は部屋に引きこもり、回復のためにセルフケア三昧の数日を送るハメになったのだった。



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈スキアポデスとモノコリ〉


 スキアポデスは民間伝承として伝わる片足だけの生物で、モコノリはその別名になります。


 一世紀のプリニウスという人が記した『博物誌』という百科全書に載っていて、それで有名になったようです。


 そこには『足一本なのにめっちゃ速ぇ』というようなことが書いてあり、今回の元ネタにしました。


 速さもさることながら大きさも凄まじく、陽射しの強い日には足を上に上げて寝転び、日傘代わりにするのだそうです。


 靴のサイズ何センチなんでしょうね?



〈公営ギャンブル〉


 日本では競馬、競輪、競艇、オートレースの四つが公営ギャンブルとして認められています。


 公営なので、当然その収益の一部は地方自治体に入ります。


 特に過疎化が進んだ地域では重要な財源になっているそうで、少なくとも公営に関してはギャンブル=悪という単純な図式が成り立たなくなっている現状です。


 ただ当たり前の話ですが、身を滅ぼすほどに賭けてはいけません。


 やる場合でもきちんと懐事情に合う金額を決めるなどして、楽しく遊びましょう。



〈依存症〉


 ギャンブル依存症や買い物依存症のように、ある特定の行動に依存してしまうことを『行動嗜癖』といいます。


 過食嘔吐や自傷行為、窃盗や放火も依存が背景にあればこれに分類されます。


 行動嗜癖が発生するメカニズムにはまだ未知な部分が多いものの、一定の効果が認められる治療法は存在しています。


 自分でも依存症の自覚があって、


『このままじゃダメだ』


と思っている方も多いと思います。


 そういう方は一人で悩まず、心療内科や精神科を受診しましょう。


 あなたを助けてくれるお医者さんは、あなたに来て欲しくてクリニックを開けています。


 そのお医者さんのためにも、ぜひ受診してあげてください。



***************



お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

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