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わたしはピンクグレープフルーツみたいな空と言ったけど、彼女はセックス・オン・ザ・ビーチのようと表現した空は、すぐにブルームーンのような色になった。


辿り着きたい場所はまだ遠かったが、来た道を戻るにはまだ早かった。

海の底みたいと、彼女は言った。

真珠のような月が、沈むように浮かんでいた。


深海魚のような宇宙船がやってきて、乗り込みましょう、と、彼女が言った。わたしは少し戸惑った。でも、彼女が嬉しそうにしているのを見て、わたしは、ええ、と、うなずいた。



宇宙船の乗り込み口は月ほどではないが、見上げるほどに高い所にあった。



濡れて滑りやすい足場を、金属製の手すりの代わりに張られたロープを手繰り寄せるようにして上がっていく。

 

進歩的な外観とは対照的に、退廃的に錆びて朽ち落ちた金属の手すりは、今では養分を吸い取られるかのように足場と一体化し始めていた。しかし、太く撚ったロープは普遍的で、なぜか丈夫そうだった。




どれくらい時間がかかったのだろう。


『OPEN』や『BAR』や『Caffee』の他に、特定のビールの銘柄やフラミンゴのネオンサインが輝く木製の扉を、わたしと彼女は開けた。


蝶ネクタイをしたセイウチに案内され、窓際のボックス席についた。


「お飲み物は?」


彼女がわたしの顔を見た。


「ギネスビールを」


わたしは言った。


「同じものを」


彼女が言った。


「なにかお食事は?」


「オイスターを」


「オイスターは生で?」


「ええ。それからピクルスを適当に」


「かしこまりました」


わたしはメニューをセイウチに返した。


「こんな風になっていたのね」


物珍しげに宇宙船の中を見渡して彼女が言った。


「さすがギネス」


彼女は満足げにうなずいて、灰皿の中に置かれていたペーパーマッチをこすって、煙草に火をつけた。


「終わりが来るものを、どうしたら楽しめるのかしら」


わたしは言って、すぐに彼女に謝った。


「ごめんなさい。つまらないことを言って」


わたしは言った。


「わたしの話すことって、昔っからつまらないの。まるで、」


「お待たせいたしました。ギネスビールです」


世界一の飲み物を前に、喉が鳴った。


「真珠やダイヤや金塊に乾杯」


と、彼女。


「あなたに」


と、わたし。


わたしと彼女は、一気に三分の一までギネスビールを、喉の奥へと流し込んだ。


「わたしの話ってつまらないの。昔っから」


グラスを紙のコースターの上に置き、わたしは言った。


「心からなにかを楽しめたことがないの。移動遊園地のメリー・ゴー・ラウンドですら。いつか終わってしまうと、心からは楽しめなかった。乗る前から。まるで───」


「お待たせいたしました。ピクルスの盛り合わせです」


ガラス製のココット皿には、キュウリと赤タマネギとカリフラワーとベビーコーンとミョウガが盛ってあった。


「あと、オイスターがくるわね」


彼女が、カリフラワーのピクルスをつまむ。


「そうね」


わたしはキュウリのピクルスをつまんだ。



宇宙船内を見渡す。壁一面に所狭しと、お互いがお互いの主張を覆い隠すかのように、広告ポスターが貼られている。定番のビールやスピリッツや煙草の銘柄のものから、『Y港 3時 受け渡し』や『誕生日代行 代わりに取り〼』や、『道徳・人権・倫理問題全てクリアに。遺伝子書き換え(遺伝子組み換えではない)H電器店』や、禁酒法や中絶禁止運動やロックバンドのものまで、多種多様だった。


「ねえ、あれってフォード社かしら?」


「カワサキじゃない」


「カワサキ?ねえ、よく見て…」


彼女がテーブルの下でわたしの足を蹴った。わたしは驚いて彼女のことを見た。


彼女は壁側ではなく、通路側の8人掛けのテーブル席に、スペードとダイヤとクラブとハートが、裏を見せ、柄の方を伏せるみたいにして、向かい合って座っている男女のことを見ていた。


「フリーメイソン」


彼女は、口元をわずかに動かし、言った。



「お待たせいたしました。オイスターです」


殻付きのオイスターが乗ったプレートと、四種のソースが入った器が運ばれてきた。


「右から、レモン、ワインソース、ビネガーソース、西洋ワサビです。どうぞお好きなお味でお召し上がりください」


ギネスビールを追加し、わたしと彼女はしばし無言になり、生のオイスターを堪能した。


一通りお腹が満たされると、これからわたしが言おうとしていることなど、どうでもよく思えてきた。しかし、底にまだ数センチ、ギネスビールを残し、わたしは言った。


「わたしの話って、つまらないの。まるで、ヤドカリがするサムプライムローンの話みたい」


「失礼いたします」


セイウチが、ピンクやブルーの砂糖菓子でコーティングされたプチお菓子の乗った小さな銀の三段トレイを、テーブルの上に置いた。


「当店からのサービスです」


わたしは一番上のトレイに乗った、赤いハート型のプチお菓子を、小さなトングでつまんで、彼女の取り皿の上に置いた。そして二段目に乗った青い小鳥のプチお菓子を自分の取り皿の上に置いた。


「わたしってつまらないの」


すると小鳥は音もなく羽をはばたかせ、どこかへ飛んで行ってしまった。


わたしは平静を装って、隣り合っていた、ピンクの小鳥のプチお菓子を自分の取り皿に置いた。


「昔っから」


しかし、それもまたすぐに、どこかに飛んで行ってしまった。


「なにか面白いことを言いたいんだけど」


わたしは、一番下のトレイに乗った、黄色いひまわり型のプチお菓子を取り皿に置いた。


見ると、ひまわりは種に戻っていた。


迷ったが、薄緑色のガーベラのプチお菓子を取り皿に置いた。


しかし、ガーベラのプチお菓子も、見ると、砂に変わっていた。


わたしはパープルのバラの形をしたプチお菓子を取り皿に置いた。


すると、それは紙に変わった。


そして、突然火がつき、小さな炎をあげたかと思うと、次の瞬間、跡形もなく消えてしまった。


「せっかくあなたといるにも関わらず」


そして、小さな銀の三段トレイには、なにもなくなってしまった。



わたしは、ギネスビールを飲み干した。彼女のグラスも空になった。


「なにかお飲み物は」


セイウチが訊いた。


「シャンパンを。グラスで」


と、彼女。


「わたしも」


と、わたし。


セイウチは立ち去った。


ハート型のプチお菓子の乗った彼女の取り皿と、ひまわりの種と砂に変わったわたしの取り皿と、新しい灰皿を残して。

 

いつの間にか、まるで、最初からいなかったかのように、フリーメイソンたちはいなくなっていた。



ほどなくして、シャンパンは運ばれてきた。


もう一度乾杯してから、彼女はもう一本煙草を取り出した。


「吸わないの?」


彼女の問いに、わたしは首を振った。


「あなたとお別れだと思うと、切なくて」


わたしは言った。


「また会えるわ」


彼女が言った。


「ええ」


と、わたし。


「信じてもらえないかもしれないけど」


彼女は微笑みながら、


「わたしたち、きっとまた会えるわ。またこの宇宙船に乗り込んでる」


シャンパングラスに手を伸ばし、


「そして、また、あなたはわたしにハート型のプチお菓子をくれる」


そして、


「その七十四分間をずっと繰り返してるの」


と、言って、シャンパングラスに口をつけた。


「そう思えば、淋しくないでしょ?」


彼女は、シャンパングラスを置いた。


「ええ」


わたしはうなずき、置かれた彼女のシャンパングラスの立ち上る泡を見た。


シャンパンはまだ半分以上残っていたが、彼女の取り皿の上に置かれた、ハート型の砂糖菓子は、いつの間にか、なくなっていた。


「ちょっとお化粧直し」


彼女が赤いフェイクレザーのソファチェアーから立ち上がった。


「すぐ戻ってくるんでしょ?」


「ええ」


彼女は言った。


わたしは自分のシャンパングラスに手をやった。


ふと自分の取り皿を見ると、ひまわりの種は金塊に、砂粒はダイヤモンドになっている。

 

金塊は、光。

ダイヤモンドは、泪。

 

わたしは、彼女が戻ってくるのを待った。



<了>

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