第四章 人形と悪魔 4

「スーロフに頼んで、教会の中に引き入れてもらおう」

 野営地に到着して早々、ラザロが言った。

 馬を引き取り、行列を横目に村を出る頃には、陽が傾き始めていた。道中、二人は警戒のために無言を貫いてきたのだ。幸い、明るい道行きに不審者の影は感じられなかった。珍客を怪しんだ司祭や村人による尾行もあり得ると思っていたために、イザヤは馬を木に繋ぎながら安堵に胸をなで下ろした。

「イザヤ、君、もうわかったんだろう。村人を侵している主題と、アトリビュートが」

「それは、ラザロさんもでしょう」

 得意げな顔を見てそう告げると、言われた本人はますます唇の両端を持ち上げた。

「『マギ』、だね」

 秘密の呪文のようにつぶやくと、くすりと笑う。

「没薬の場所も、スーロフが知っているだろう。回収が済んだら、地下の探索と行こう。おそらく『神の子』はそこにいる。十年間に何人産まれたのかわからないけど、一人や二人じゃないはずだからね」

 野営地は、教会の所領である森の中にあった。簡素な布テントが建てられ、その中には毛布だけでなく、鍋や食器、蝋燭の入ったランタンまで用意されていた。ブナの木に囲まれており、少し先には小川が流れているのが見える。

 スーロフが来るのは、教会の仕事が終わる夜九時頃ということだった。ラザロが手持ちの食材でシチューを作ると言うので、イザヤは手伝いながらその工程を興味深く眺めた。

「ラザロさんは料理もお上手なんですね」

 二人並んで丸太に腰掛け、出来上がった夕食を口に運ぶ。鶏肉とアーモンドミルクを使ったシチューは濃厚で、パンを浸して食べるのにぴったりだった。

「そっか、イザヤは料理する機会もなかったのか。食べ物は何が好きなの?」

「機構では、レンズ豆のスープが好きでしたね。あとは、果物ならなんでも。たまにしか出なかったので」

「なるほどね、なんだかイザヤらしいよ。僕はやっぱり、肉が好きだなあ。魚ばかりの四旬節は、いつもつらいよ」

 そう言って、ラザロは美味そうに鶏肉を頬張った。リベル教会では、四旬節と呼ばれる四十日の間、鳥や獣の肉を食べることが禁じられているのだ。

「そういえば、ちょっと考えたんだけどさ。『神の子』かどうかの基準って、『美しさ』なんじゃないかな」

「美しさ?」

「ああ。ニコデモ司祭、言ってただろ。イザヤは美しい、神々しいって。村人だって、君に見とれてた。実際、君は美しいもの」

 突然のラザロの言葉に、イザヤは口に入れたばかりのパンを飲み込んでしまった。

「いきなり、何を言うんです」

「本当だよ。ザカリアさんだって初めて会ったときはいい男だと思ったけど、修道院で君を見たときにはその印象も霞んじゃったよ。イザヤは、なんていうか……こう、別世界の生き物みたいに思えるんだ」

「別世界……」

 それはつまり、隔たりを感じるということなのだろうか。そう思った瞬間、ラザロは「あ」とあわてたように言葉を継いだ。

「ごめん、そういうつもりじゃないんだ。つまり、なんていうのかな。うまく言えないんだけど、とにかくこう、地上を超越する、次元を超えた魅力があるっていうか……」

「それは……ちょっと、大袈裟すぎやしませんか」

「いや、そんなことないね。君を見てるとこう、心がざわつくんだよ。中に何があるのか、隅々まで広げて見てみたいって言うか……とにかく、心が支配されるんだよ。その青と黄色の美しい瞳で、頭がいっぱいになるんだ。君には、人を惑わせる魅力がある。それだけは確かだよ」

「惑わせる――ですか」

 イザヤは思わず苦笑した。

「魔力と同じですね」

 口を突いて出た言葉に、エレミヤがため息をつくのがわかった。それを聞いて初めて、いらないことを言ったと後悔する。

「あのさ、イザヤ」

 しばしの沈黙を破り、ラザロが食器を地面に置いた。

「魔力を持っていようがいまいが、君が君であることに変わりはないだろう」

 イザヤははっと目を見開き、確かめるようにラザロを見た。

「僕はさ」

 ラザロは、イザヤの両目をしっかりと正面から捉えて言った。

「たとえ君の見た目がそんなに美しくなくても、稀人じゃなくても、君のことを好きになったと思うよ」

「す……」

 あまりに率直な言葉を受け止めきれず、イザヤは遠慮がちに目を伏せた。

「どうしたの、イザヤ」

「すみません。その……なんと答えればいいのか、わからなくて」

 ラザロは笑った。

「そんなに困らないでよ。イザヤは僕のこと苦手?」

「いえ、そんなことは」

 あわてて答える。イザヤは迷っていた。リベルの司祭と、回収人。「友達」と言ってもらえてうれしかったのは確かだが、この立場を超えて――いや、そもそもこの立場を抜きにしては、二人は出会うこともなく、こんなふうにともに食事を取ることもなかっただろう。ラザロの言葉は時折、「回収人」という立場を脱ぎ捨てた裸の自分へと意識を向けさせる。だが「稀人」「魔力」「魔石」「回収人」「機構」といった要素を取り去ったとき、ここに残るのが一体誰なのか、イザヤにはわからずにいた。形と名前だけ与えられて棺に納められる人形のように、今の自分も命の条件たる「意味」を持たずにいるのではないか。

 途端に輪郭を現した空虚さを埋めるように、ラザロの声が続く。

「君は年相応に無垢で落ち着いていて、けれどもその底に、何か大きなものを抱えている。その危うさが、どうしようもなく僕を惹きつけるんだ」

 大きなもの。そう聞いた途端、右手がひとりでに魔石を握りこんだ。

「それが何なのか、僕は知りたいんだと思う。もちろん、すぐに教えてくれるとは思ってないけど。そう簡単に人に話せるようなことじゃないでしょ?」

「どうして、そう思ったんですか」

「目を見ればわかるよ。君はいつも、怒りを抱えている。あ、大丈夫、僕以外じゃ気づけもしないよ。きっと今の僕じゃ、その怒りは癒やせないんだってことも含めてね」

 ――怒り。

 そんなふうに思ったことはなかった。だが自身の目的をつきつめていけば、世界に対する怒りに端を発していると考えることは決して不自然ではない。

「正直、自分でも驚いてるんだよ。こんなふうに人に興味を持ったことなんてなかった。しかも、その相手が……」

 言いかけて、ラザロは唇を結んだ。

「ねえ、イザヤ。君は回収人として働かなくてもよくなったら、何がしたい?」

「そんなことが……起こりえると思いますか」

 逆に問い返したイザヤの顔を見て、ラザロはぷっと吹き出した。

「真面目だなあ、イザヤは。思うだけなら、どんなことだって自由だろ」

「確かにそうですが……考えたことが、なかったので」

「じゃ、考えてみてよ」

 イザヤは、改めて自身の目的を思った。稀人の解放。その先にある「自由」の中で、自分は何を望み、何を欲するのだろう。

「……すみません。その答えは、まだ見つかりません」

 ふうん、とイザヤの顔を眺めてから、ラザロはうれしそうに微笑んだ。

「それじゃあさ。見つけられたら、ぜひ聞かせてよ。楽しみに待ってるから」

「はい」

 心地よい空気が、二人を包んだ。日はすっかり落ち、あたりは闇に包まれていたが、ランタンの明かりが互いの表情を柔らかく照らしていた。

 そのとき、前方で枝を分ける音がした。かと思うと、木の陰から黒い塊が飛び出してきた。反射的に手袋をはずしたイザヤは、その塊が勢いよく地面に倒れたのを見て動きを止めた。

「――スーロフ!」

 ランタンを手に取り、ラザロが駆け寄る。腹を押さえて倒れているのは、今夜会う予定の密偵だった。苦痛に歪んだ顔には、血がついている。

「どうしたんだ、この怪我は」

「すみません。正体を、知られてしまいました」

 苦しげに語るスーロフの元へ、イザヤは静かに近寄る。

『なんだ、何が起きた』

 気配を消していたエレミヤが、あわてた声を出す。ラザロはスーロフに顔を寄せて言葉をかけた。

「誰にやられたんだ。ニコデモ司祭か」

「違います。もっと、恐ろしいものです。地下にいる、恐ろしいもの……」

「地下に行ったのか」

「はい。少しでも情報を得ようと地下を調べていたら、見てしまったんです。恐ろしい儀式が行われているところを」

「儀式って、一体どんな……」

 スーロフは答える代わりに、震える手をラザロのほうへ伸ばした。

「お願いです。あの悪夢を……一刻も早く、終わらせてください」

 言い終えると、スーロフはがくりと地に顔を伏した。愕然とそれを見つめるラザロに変わり、イザヤが首筋に手を当てる。

「……まだ、脈があります。急いで手当てをしましょう」

 しかしラザロは答えなかった。拳を握って立ち上がり、静かに顔を村のほうへと向ける。

「イザヤ。スーロフを頼むよ」

 言うなり、ラザロはランタンを掴んで駆け出した。馬の手綱を解いて飛び乗ると、イザヤの静止も聞かず走り去ってしまった。

『おい、まずいぞ。あの男、腹を刺されてる。放置すれば確実に死ぬぞ』

「わかっています。ですが、ラザロ司祭を一人にするわけにはいきません」

 暗闇に包まれた野営地で、イザヤの瞳孔が大きく膨らむ。

『ずいぶんあいつと仲良くなったようだな。そんなに心配か』

「何を言ってるんです。回収人として、同行司祭を守るのは当然でしょう」

『任務中に司祭を死なせたとなると、お咎めは免れないだろうしな。じゃあ、あいつは諦めるしかないってことか』

 左目がスーロフを捉える。イザヤはその場に立ち尽くしたまま、スーロフと馬を交互に見やった。握られた拳の中で、魔石が燃えるように熱くなる。心を決め、イザヤはスーロフへと歩み寄った。

『おい、どうするつもりだ』

「エレミヤさんは、彼の話をおかしいとは思いませんでしたか」

『儀式の話か? 確かに、産婆の話とは矛盾するとは思ったが……やはり主題が違ったんじゃないのか』

「私は、主題は『マギ』で間違いないと思っています」

『それじゃあ、儀式ってのは、一体……』

 エレミヤには応えず、イザヤは手袋をはずした右手をそっと唇に近づけた。

『……おい。何をするんだ』

「試してみたいことがあるんです」

 ――月が出ていてよかった。

 イザヤはゆっくりと吸い込んだ息を、勢いよく魔石に吹きかけた。

「『エンデュミオンの眠り』」

 ベールのように夜空から降りてきた銀色の光が、スーロフの体を優しく包み込んだ。小さなうめき声を上げていた彼の体は途端にほぐれる。やがて、静かな寝息を立て始めた。

「眠っている間、彼の肉体は時間の影響を受けなくなります。どれだけひどい致命傷も、問題になりません。老いることも死ぬこともないのですから、傷が進行することもないでしょう」

 スーロフの穏やかな寝顔を確認し、イザヤは手袋をはめた。次いで、腹の傷を注意深く観察する。

「願わくば、女神の力で傷が治ればいいのですが。そこまで期待するのはよしましょう」

『ちょっと待てよ』

 馬に向かって歩き出したイザヤに、エレミヤが困惑気味の声をかけた。

『稀人の魔術は、普通の人間には効かないはずだぞ。効くのは傀儡魔だけ……』

 そこではっと言葉を止めた相棒に、イザヤは手綱を取りながらうなずく。

「その通り。効いたということは、彼は何らかの魔力に侵された傀儡魔です。腹の傷は、角度と深さからして自分で刺したものと思われます。儀式云々も、おそらくわれわれをおびき出すための嘘でしょう」

『つまり、黒幕は』

「教会にいるということです」

 馬にまたがり、イザヤは闇のむこうにかすかに見える十字架を見据えた。

「急ぎましょう。ラザロ司祭が危険です」

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