第四章 人形と悪魔 3
エレミヤの言うとおり、棺の中に置かれていたのは木彫りの人形だった。申し訳程度に彫られた小さな目鼻に、だらりとした短い手足。人形と呼ぶにはあまりに簡素すぎるきらいのあるそれは、白い乳児服を着せられて棺の中からイザヤを見上げていた。産まれたばかりの赤子と同じ大きさに作られているらしく、見た目の割りに妙な現実感を醸し出している。
『気持ち悪いな』
背筋が冷えたまま固まっていたイザヤは、エレミヤの困惑気味の声ではっと我に返った。覆い隠すように蓋を元に戻し、静かに呼吸をする。
『どうする。ついでに地下も調べるか』
左目が祭壇のほうへ向けられる。イザヤはちょっと迷ってから首を振り、急いで教会を後にした。地下を調べたいのはやまやまだったが、どうもいやな感じがして躊躇われたのだ。それに、さすがのスーロフも、そこまでの時間稼ぎはできないだろう。
イザヤは厩舎に向かった。カナンからここまで運んできてくれた馬の首を撫で、思案する。
――遺体ではなく、人形。
どういうことだろう。赤子は別の場所に隠されているのだろうか。そもそも、本当に存在するのか? スーロフが嘘をついていない可能性もゼロではない。
人形をアトリビュートとする主題について考えてみるが、思い当たるものはない。そもそもイザヤが人形という物の名前や存在を知ったのは、アンリ・ルソーの『人形を持つ子供』という絵画を見たからだった。人形そのものは美術品ではなく子供の玩具と考えられていたから、外の世界では割と頻繁に目にするものだということも聞いていた。事実、フォンスの姉妹の納屋には使い古しの人形が飾られていた。棺の中にあったものと同じように、木彫りで簡素なものだった。
『形式的な葬式をやるだけなら、棺の中は空でいいはずだ。わざわざあんなものを入れて死体の代わりにしてるってことは、赤ん坊は実際に産まれたんだと思うぜ』
「ええ」
周囲に人はいないが、念のため口元をフードで隠しながら小声で答える。
『つまり、実際には産まれたものを、死んだことにしなけりゃいけない理由があるってことだ。それも男の赤ん坊に限って。男児が産まれるたびに、あの不気味な葬式をここ十年続けてたってことなんじゃないか』
「ですが、死亡の届けは出されていないはずです。さすがにラザロ司祭に見られた以上、今回のアラン君については届け出がなされるでしょうが」
『あるいは密偵の存在がバレてて、あの葬式はあえておれたちに見せるためにやった今日限りの芝居だったとか。しかし、それにしては村人たちが慣れてる感じがしたな。やはり葬式は毎回行われてきたのかもしれない。信徒籍に記録されないよう、死亡届は出さずにな』
「しかし、それでは明らかに不自然です」
男児は死んだことにして、女児だけ届け出を出す。そうすればいずれラザロのような目ざとい司祭に見つかってしまうだろうことは明白だ。
『案外あのじじい、そこまで頭が回ってないのかもしれないぜ』
「じじいはよしてください」
『傀儡魔かどうかはまだわからんが、あの司祭は明らかにクロだろう』
「大いに関わってはいるでしょう。けど、何の目的があってそんなことをするんです」
『知るかよ。ラザロの言うように嬰児虐殺の魔力に侵されてるのかもしれねえし、男児だけを集めて何かよからぬことを企んでるのかもしれねえし……とにかく、一度教会の地下を調べてみたほうがいい。さっき、なんで行かなかった。怖かったのか』
「時間がなかったし、気が進まなかったんです」
そう答えたとき、教会の門のほうから弾むようにこちらに向かってくる人影が見えた。ラザロだ。
「待たせちゃったかな、ごめん。で、どうだった?」
親しげな口調で尋ねてくるラザロに、イザヤは簡潔に報告をした。
「人形……」
絶句するラザロの顔が、木彫りの人形のそれのように固まる。
「それって……どういうこと?」
「わかりません」
「地下のほうは?」
「すみません。扉は確認したのですが」
「中を調べる時間はなかったか。それじゃあ、もう一軒寄ってから今日の宿へ向かおう。詳しい話は、そこでするとしよう」
門に向かって歩き始めたラザロを追いかけ、あわてて声をかける。
「もう一軒、とは?」
「アランを取り上げた産婆のところだよ」
振り返ったラザロは、にやっと笑みを浮かべた。
*
迷いなく歩を進めるラザロの後につき、イザヤは村の中央を横切る通りを進んだ。規模はだいぶ小さいが、フォンスと同じように鍛冶屋や肉屋、仕立屋や食料品店が軒を連ねている。南側には教会の所領だと言う大きな農場があり、村人たちの多くが汗を流していた。
「ここの村人達は、本当にすばらしい。信徒としても、労働者としても。勤勉で実直、そしてとても素直だ」
ラザロのそのつぶやきは、なぜか少し皮肉めいて聞こえた。
「アランさんのお家は――クレアさんの様子は、どうでしたか」
「それが、話はできなかったんだ。お産で疲れて、寝ていたんだよ。でもね、とてもいい寝顔だった。涙の跡はあったけど、我が子を失った悲しみはあんまり感じられなかったね。悲しみってより、なんだかとっても誇らしげでさ。母親というのは、ああいうものなのかねえ」
親しげな口調で語るラザロに、イザヤは楽な気持ちになった。
「そうですね。私には母親というものはよくわかりませんが、聖母子像をたくさん見るうちに、なんとなくわかったような気になったものです」
「なるほど、聖母子像か。実はね、イザヤ。僕も、親の顔を知らないんだよ」
思いがけない言葉に、えっと声が出る。ラザロはそんなイザヤを見て小さく笑った。
「意外だった? 僕みたいに親を知らずに育った人間は、案外たくさんいるんだよ。僕は産まれてすぐに教会の前に捨てられていたらしい。まだ臍の緒がついていて、死にかけだったって話だよ」
「そう……だったんですか」
そう言ったイザヤの横を、七歳前後の女児たちがきゃあきゃあとはしゃぎながら駆け抜けていった。
「でも、不幸だとは思ってないよ。僕は教会に拾われて、まっとうな教育を受けることができた。子を捨てる場所として、カナン支部の門前は大正解だったよ」
イザヤの戸惑いとは裏腹に、ラザロは饒舌さを失わずに続ける。
「だからさ。今この村で、親から子を奪い、子から親を奪うような所業がなされているんだとしたら……僕はその根源である魔力を、絶対に許さない」
決意に満ちた、力強い声だった。揺るぎない意志の垣間見えるラザロの横顔から、イザヤは遠慮がちに目をそらす。「魔力」という言葉の中に、稀人であるイザヤの存在が含まれているように感じたのだ。
産婆の家は、村はずれの水車小屋だった。ラザロによると、彼女はここでひとり暮らしをしているらしい。
「話せることは何もありません」
五十年配の産婆は、腰までの白髪を三つ編みにしていた。戸口に立ったまま、二人を中に招き入れようとはしない。
「いえ、ぜひ詳しいお話をお聞きしたいんですよ。妊婦から人形が産まれるなんて話、聞いたことがないものですから」
ラザロがこともなげに言う。イザヤは産婆と同じように目を丸くした。
「……見たのですか」
「あれ、やっぱり人形なんだ。見間違いじゃなさそうだね、イザヤ」
その言葉に、産婆が力なく口を開ける。イザヤはこちらの優勢を感じ取って言葉を挟んだ。
「教えてください。この村で、一体何が起こっているんです。男の子供に、何をしているんですか」
「男の?」
産婆が怪訝そうに眉をひそめた。
「そうですよ。ここ十年、この村では男児が産まれたという記録がありません。あまりにも不自然じゃないですか」
ラザロの言葉にも、老婆は表情を変えなかった。二人から視線を外し、何かを思案しているようだ。
「……そうか。そういえば、そうだった」
小さくつぶやくと、黒い目をイザヤに向けた。その星屑の瞳を覗き込むように、ゆっくりと目を見開いていくのがわかった。
「何をご心配しているのやらわかりませんが、私どもはただ、神の子を祝福しているだけでございます」
「神の子?」
「はい」
イザヤを見つめたまま答える。
「祝福とは、どういうことですか」
「その誕生を喜び、祈るのです。彼らがいるべき場所におり、たどるべき道をたどれるよう、贈り物をして拝むのですよ」
「それは、今朝の葬儀と関係があるのですか」
「あれは葬儀ではありません。別れの儀式です」
「別れ? 産まれた子供は、一体どこにいるんだ。他にも、男の子供を隠しているんだろう」
ラザロの問いに、産婆はゆっくりと首を振った。
「男に限りません。産まれたのが神の子であれば、祝福する。そうでない普通の子なら、普通に村の中で育てる。そしてこの十年の間に産まれた普通の子が、たまたま全員女だった。それだけのことです」
そう言うと、産婆ははっと部屋の中を振り返った。
「もうこんな時間。贈り物を用意しなければ」
「贈り物?」
ラザロの声には答えず、産婆は家の中に入って戸を閉めてしまった。残された二人で、顔を見合わせる。
「どうやら、僕の推理ははずれていたみたいだね」
ラザロが言う。二人は産婆の家から離れ、元来た道へと引き返した。
「男児を選んで何かしていたのではなく、たまたま選ばれなかったのが女児だけだった、ってことだもんね。『嬰児虐殺』の線は消えたようだよ」
「しかし、『神の子』という言葉が出てきました。救世主の降誕にまつわる主題の魔力かもしれません」
「そんな喜ばしい主題が人を傀儡魔にするなんて、なんだか信じられないな。今の産婆は、傀儡魔なの?」
「そうでしょう。おそらく、他の村人たちも」
イザヤの言葉で、ラザロがひゅうっと口笛を鳴らす。
「傀儡魔の村、か。ということは、あの司祭も?」
「それはまだわかりませんが、可能性はあります。早々にアトリビュートを特定して回収をかけてしまいたいですね」
「降誕のアトリビュート……飼い葉桶に羊飼い、牛やロバ、といったところかな。羊飼いはいないけど、農耕用の牛ならあちこちにいるね。けど、回収を急ぐ前に、もう少し情報を集めてみない? 僕が気になったのは、『普通の子』と『神の子』の違いだよ。一体誰が、どんな基準で判断してるんだろう。やっぱり、あの司祭なのかな」
「いるべき場所、と言っていましたね。教会のことなのかもしれません」
「やっぱり、鍵は教会にありそうだね。まずは、スーロフから話を聞こう。今夜、宿で会うことになってるんだ」
「その、宿というのは、一体どこなんです?」
「ああ、近くにスーロフが用意してくれた野営地があるんだ。彼も一緒にいてくれるから安全だよ。教会の仕事が始まる前に帰らせないとだけど、その頃には空も白んできているだろうしね」
そうして、教会が見えてきたときのことだった。その門から通りに向かって、蛇の尾のような列が延びていた。袋や籠を手にした村人たちが、笑顔で教会のほうを見つめている。
「納税、でしょうか」
なにげなくつぶやいたイザヤに、ラザロは首を振る。
「教会が徴収する税は、基本的には貨幣で納めるよう定められているんだ。例外として収穫物や製品なんかの現物も受け付けてはいるけど、ごく稀だよ。これはおそらく、産婆が言っていた『贈り物』……あの別れの儀式とやらの、続きなのかもしれない」
儀式の、続き――。その言葉で、イザヤははっと思い至った。
降誕。贈り物。神の子――そこから導かれる主題は、一つだ。村に到着したときに嗅いだ甘い匂いが、脳裏によみがえってくる。
『ようやく気づいたみたいだな。おれは「贈り物」の時点でぴんときたぜ』
エレミヤの言葉に、歯噛みしたい思いが湧き起こる。わかっていたのなら、すぐに言ってくれてもいいものを。
列を撫でるように進み、教会の門をくぐる。列の先頭は、教会堂の入り口だった。扉の前の机に座ったニコデモ司祭が、村人から『贈り物』を受け取るたびに何か言葉をかけている。机の上には帳面と天秤が置かれており、スーロフが村人の置いていく品物の計量と記録を手伝っていた。
「ああ、イザヤさん、ラザロ司祭。よかった、お帰りの前にお話をしたかったものですから」
二人に気づいたニコデモ司祭が、穏やかな表情で手を挙げる。
「長い行列に驚きました。これは一体、何をされてるんですか?」
無邪気とも言える口調で、ラザロは老司祭に笑顔を向けた。
「結婚や出産、葬儀が行われるたびに、こうして村人から『贈り物』を徴収し、再分配しているのです。当事者は供出の義務はなく、なおかつ他の者の倍の取り分が与えられます」
「ということは、今回は、アランの葬儀の?」
「ええ。厳密に言えば、クレアの出産への労いと、子の別れに対する慰めを兼ねたものですね」
「独自の互助制度ですか、すばらしいですね。これは、司祭が考えられたものなのですか?」
「いえ、村人たちが自発的に考えて始めたことなのです。彼らは、すばらしい信徒です。救世主の説かれた隣人愛を実践しているのですから。必要以上に受け取ること、溜めることを拒み、隣人に差し出し分かち合うことを喜びとしているのです」
「なるほど。理想的な有り様ですね」
イザヤの形式的な言葉に、老司祭はふっくりと顔をほころばせた。
「ええ。まさしく、ここは私にとっての理想郷です」
「すみません。村の方々が自発的に始めた、とおっしゃいましたが、いつ頃からやってらっしゃるんです?」
ラザロが口を挟んだ。ニコデモ司祭は、考えるように視線を上へ持ち上げる。
「そうですね。ちょうど十年ほど前のことでしょうか」
「なるほど、そんなに続いているんですね」
言いながら、ラザロがちらりとイザヤに目を向けた。これで確定だろう。
村人たちを侵している魔力の主題は、「東方三博士の礼拝」。「マギの礼拝」とも呼ばれる救世主の降誕にまつわる主題の一つで、後に「嬰児虐殺」へと続く主題だ。新しい王の誕生を知った博士たちは、星に導かれて聖母子の元へたどり着く。そこで幼い救世主を拝み、三つの贈り物を捧げるのだ。
「神の子」たる救世主を拝み、贈り物を捧げる――村人たちの行動とぴったり一致する。
そしてアトリビュートは、この三つの贈り物の内の一つ。
「没薬」だ。
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