第24話

 月曜日の朝、教室で美妃虎子と眼があった。


「お、おはよう」


 気持ち頭を下げて、そう言ってみた。挨拶は「友達」の第一歩である。


「か、神栖君!? おはよう」


 驚いた様子の彼女が声を上ずらせると、申し訳無さそうに眉を顰めた。


 彼女の背後には、一人の女子生徒、宴土乙葉が机に頭を伏せている。多分泣いている。更にもう二人がそんな彼女を囲んでいた。


「何かあったの?」


 何も知らない俺は無神経にそう訊いてしまった時に、漸く気付いた。


 彼女らを中心に空席が生まれ、隅に寄ったクラスメイトの視線は俺に集まっている。事は彼女らだけに留まらず、クラス全体に関係している。この状況を理解していないのは、俺だけの様だった。


 久遠の手招きが助け船となって、俺は美妃の横を通り過ぎた。


 席に着くと、彼は後ろを振り返った。椿は、隣で本を片手に無表情無関心を決めている。


「あの後来なくて正解だったな」


 あの後とは、カラオケの二次会の事だろう。


「何があった?」

「雨後終夜が入院した」


 その名前を聴いて理解した。彼は確か宴土乙葉と恋仲にあった筈だ。俺が白状なだけかも知れないが、クラスメイトの入院でここまで落ち込むものだろうか。


 だが、その疑問はすぐに解決した。


「昨日、急に症状が悪化したらしくてな。結構ヤバいって」


 抽象的なその言葉に隠れた真実は、口にするのも悍ましい。久遠は、彼と親密な関係にあった。今にも飛び出して行きたそうに、足を揺すっている。


「どうしてそんな事になったの」


 椿が会話に入って来た。如何やら聞き耳は立っていたらしい。


「あ、ああ。出て来た飯に包丁の破片が紛れてたらしい……あいつ、あんまり噛まずに呑み込む癖があるから、そのままここに」


 想像するだけでも痛々しい。久遠は顔を歪め、喉仏の下辺りに手を添えた。


「刺さったのか?」

「それだけなら良かったんだが、如何やらそれが錆びてたみたいで……既に二回も手術してる」


 唾を呑み込んだ。喉に違和感を覚えた。


「そっか……」

「手術は成功したの?」


 椿が言う。


「うん。でも、バイ菌の増殖は止めれなくて、今も麻酔で眠ってるって……もう、目覚める事が無いかもって、見舞いの時に言われた」


 久遠は言葉を発する度に弱々しくなって行く。遂には、手を眉間に押し当てて涙ぐんでしまった。


 徐々に肥大化して行く「呪い」の様な物を感じる。学校外でもその効果は適用されるらしい。幸い死者は出ていないが、いつまで保つかは分からない。


 もしかすると、今日にでもそれが起き得るのかも知れない。


 少ししてから、また口を開く。


「な、なぁ。どう思う……」

「どうした?」

「この前、永海ちゃんが言ってたろ? 屋上で自殺した二人の事、今年が十五年目だって事……他の連中も何か変だって噂してるし」


 原因はやっぱり不明と言わざるを得ない。辻褄を合わせようとすると、久遠の言ったそれになるが、幽霊の葵さんも気になる所だ。昔、彼女の言っていた「呪ってしまう」という趣旨の発言が今になって現実味を帯びて来ている。


 だが、そもそも肝心の彼女が、椿の転校以来姿を消してしまっている。もうこの学校には居ないのかも知れない。


「って、無人に訊いても分かんないよな。ごめん、忘れてくれ」


 久遠は前に向き直ってしまった。


 椿は此方に視線を寄せると、

「永海は呪いだと言っていたけど、神委の本にも似た事が書いてあったわ。土地神の呪いとか、怒りとか、色んな書き方がされていたけど、関係あると思う?」

「どうだろうか。具体的な内容は?」

「いっぱい人が死んだとしか……でも結局、神委家によって鎮められた。と言うよりその実績から神委と呼ばれる様になったって……今回も何とかしてくれるんじゃない?」

「そうだな……そうだと良いよな」


 それを生業としている筈の神委家が、何も動いていないとは考え難い。しかし、そんな素振りは一切感じ取れない。


⭐︎


「そんな事があったんですか……こっちも割と洒落になってませんよ」


 桜木永海は言った。


 放課後、俺は彼女に呼び出され、旧校舎三階へ訪れていた。屋上へ上がる算段が付いたからだ。


「今日は辞めときますか?」


 何をするにしても嫌な予感がする。今は、静かに時が過ぎるのを待った方が賢明だと思う。だが、それと同時に込み上がる欲求、どちらかと言うと「焦り」には、抗う事が出来なかった。


「……行って、直ぐに降りよう」

「分かりました」


 旧校舎の四階へ上がり、更に上へ。屋上へ通じる扉が見えて来ると、不審に思った桜木が駆け上がった。


「こ、これ、見て下さい」


 ドアノブが破壊されていた。鍵を外すまでも無く扉は半開きとなり、外の風が不気味な音を立てて流れ込んでいる。


 桜木は合鍵を手に、肩を落とした。


「ま、まあ入れる事に変わりは無いんだから」

「何言ってるんですかっ!! これだと修理後に鍵が変更される可能性あるじゃないですか!! 凄い苦労したですから」


「た、確かに…….」


 隈のある眼がドアノブを睨み付けている。ガチャガチャと回してる内に、それは完全に外れてしまった。


「あ、取れちゃいました…………一年の悪戯でしょうか」

「誰か居るのかもな」


 自分で言っておきながら、心臓が跳ねるのを感じた。俺達は互いを見やる。


「ま、まさか。先輩冗談きついっすね」

「行けば分かるか」

「そうですよ。バレる前にちゃっちゃと行きましょう」


 二人で屋上に脚を踏み入れた。


 地面は雨に晒され黒くカビ付き、苔や雑草が四方に生えている。緑色のフェンスが周囲一帯を囲み、風でぐらぐらとひしめいていた。


 ガシャンと音がしたと思えば、興奮した桜木がフェンスに掴み掛かった。


「見て下さい。すっごい高いです」

「まぁ、四階建てだからな」


 長方形の屋上の端に出たが、人の気配は無い。勿論、幽霊の葵さんも居ない。隣の校舎にも、それらしい影は見えない。


 そもそも彼女が常に留まっている筈も無く、その気になれば壁を通り抜けてしまうのだから、見つからないのも当然と言える。


 ここに来たかったのは単に消化作業のようなものだ。


「神栖先輩、ほらここですよ」


 興奮する桜木が、フェンスにしがみ付いて下を覗き込んでいる。同様に俺も下を見ると、大きな体育館があった。少し左にズレると、青いベンチが見えてくる筈だ。


 つまり、ここは二名の生徒が飛び降りた場所だ。この高さから落ちれば万に一つも助からないだろう。


 妙に不吉な印象を受ける。カビは濃く、苔がより生い茂っているのは、気のせいだろうか。


 めきめきと音を立てるフェンス。その付け根は老朽化からか、一部が剥がれかかっている。


 俺は、思わず桜木の手を掴み、フェンスから引き剥がした。


「な、何ですか! いきなり如何しました?」

「あ、危ないかなって……ほら、このフェンス十五年も前のだし」


 彼女は、握り締めていた手を離した。フェンスのメッシュが若干形を変えている。


「……そ、それもそうでした。今は事故が起き易いですもんね」

「ああ、あまりフェンスには近付かない方がいいかも」


 彼女は少しがっくりした様子で頷く。


 だが、俺は少し安心している。葵さん以外の幽霊がいる訳でも無く、来てみれば何て事は無い普通の屋上だった。


「桜木、今の学校の状況だけどさ。原因て何だと思う?」

「難しいですね……仮に呪いだとして、それが徐々に強まっているのか、それとも長期間当てられて大事になっているのか、それすら分かりません。何にせよ、根本を解決しないといけないでしょうね」

「例えば、何が思い付く?」


 顎に手を当てる。


「そうですね……先ず此処で自殺した二名の生徒の怨念です。私的にはそれが有力です。オカルトは結構決まりに煩いですから、十五年刻みや同じ場所と云うのは、充分呪いとして機能するかも知れません。例えば、私達がそれを心の何処かで恐れ過ぎて、概念の様に定着してしまうとか……」

「が、概念……?」

「ええ、つまりですね。十五年置きに此処で人が死ぬ様になるんです。そういう決まりが形成されるんです。で、まだ此処で誰も死んでいませんから、誰かが飛び降りるまで不条理が続いてしまう……みたいな」

「じゃあ、此処で誰かが自殺すれば、全て治まる、と?」

「そうなりますね。ただ、その二人の怨念が強まっただけなら、祓わないとダメでしょうね」


 また新しい仮説が出て来て、思考が追いつかない。誰かが死ぬまで待つなんて、そんな事は許されない。


「神委家は動いてないのかな。お祓いとかなら、専門分野じゃないのか?」

「それもそうですね。ただ、そんな簡単には行かないと思いますよ。大体、その怨念とやらを感じ取るスキルが必要になりますが、神栖先輩は何か感じますか?」


 辺りを見回した。不吉な雰囲気を纏っている様にも思えるが、これは俺の深層心理が影響している。


「所謂、霊感がありますか? って質問なんですが、私にはさっぱりです。神に委ねられた一族なんて言われてますが、それは先祖の話ですからね。お姫様二人に話を聴きましたが、思ったより普通でしたよ。多少の霊感があるのは、流石でしたか……」

「そうか……」


 いや、待て。霊感なら俺は持っているんじゃないだろうか。幽霊の葵さんをはっきりと認識出来たし、九重十女の赤ちゃんや、白い不気味な少女も見た。なんなら、椿にも霊感がある。


 この屋上では何も感じないと云う事は、怨念では無い。そんな気がする。


「後はそうですねぇ。泣き女や喋る箱の噂が有名ですが、何しろ情報が少ないですから、良く分かりません。他は……」


 桜木は言葉詰まらせた。発言を渋ったと云う方が正しい。


「なんだよ。どうした?」

「神栖先輩には、悪いんですが……転校生の葵椿さん、彼女も結構怪しいです」


 分かっては居た。俺もそう思う。だが、他者から示唆されて初めて、犯罪が明るみになってしまった様な緊張が走った。


「彼女の噂は、度々耳にします。謎の転校生、無口、無表情、無感情、常に黒いマスク。こんな事を言うのもあれなんですが、人じゃありませんよ。私が階段から落ちた日、たまたま傍に居たみたいで、真っ先に近付いて来ましたけど、あの見下ろした冷たい眼は恐怖でした」

「そ、そこまで言わなくても……」

「いや、別に神栖先輩に向かって言ってないですけどね。先輩から見て如何なんですか? 彼女なんですよね?」


 桜木にまで既に情報が出回っているのか。今は否定している場合では無い。友達が疑われている。だが、手放しで否定出来ないのは、何故だろうか。


「椿は……確かに口数も少ないし、感情も豊かでは無いが、別に無感情って訳じゃない。マスクもちゃんとした理由があるし、転校だって彼女の意思だ。だから、ちゃんと人間だよ」


 隈のある眼が俺を捉えて、いずれ笑い出す。


「神栖先輩って、本当いい人ですね。そんな事は知ってますよ。私が訊いているのは、憎悪や絶望に満ちていて、誰かを呪ったりする位の、何かこう能力みたいなのがあるか、若しくはそれ程の闇を無意識に抱えて居ないかを知りたいんです。誰かの悪意も呪いの一種ですから」

「そ、そうだったのか」


 俺は再度考える。椿は基本的に無感情とは云え、剥き出しの怒りをぶつけて来た事もあった。先日「恨めしい」とも言っていたが、あれは何だったのだろう。何にせよ、それ以外の感情は、あまり印象に無い。


 逆に幽霊の葵さんは、正反対に感情が豊かで明るく活発だ。闇を抱えている印象は無いが、物語の中の幽霊の存在に、今の自分を重ねている可能性がある。そもそも、幽霊というだけでアウトだったら終わりだ。


 やっぱり両者とも完全に否定出来る要素が無い。だが、俺は信じたい。彼女達は、他人を陥れたりはしない。


 桜木に、椿の悪評は勿論、幽霊の葵さんの存在を教える訳にも行かない。噂が広まってヘイトが向いたら大変だ。


 俺は首を振った。


「そうですか……まぁ、ただの人間にそんな大それた事が出来るとも思ってませんでしたが。取り敢えず、ぐるっと一周回りますか」


 そう言って、俺達はフェンスに沿って、屋上を歩き始めた。

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