突き通す天命
ここはその筋では有名な高級料亭。今日も年老いた名のある政治家が、どこぞの社長と会食中。
「はっはっは…それにしても、その節はお世話になりました…」
「いえいえ、ウチも先生にはお世話になっておりますので…」
彼らの姿を時代劇で例えるなら、さながら悪代官と越後屋だ。もちろん、黒いやりとりも含めて…。
「ところで先生、こちら先生の好きなお菓子でございます」
「これはこれは。では、ありがたく…」
渡されたのは、大きめの桐箱に入れられた金のもなか──もとい、多額の札束。要するに裏金だ。この老政治家、なかなか顔が利くとあって、事業斡旋の見返りに金銭を受け取っているのだ。
しかし彼は、裏金を全く悪だとは思っていないかった。裏金とは政治家という職業に就いた以上、どうしても発生する天命のようなものなのだ、と。
「ほー、これは美味しそうだ。…では例の件、口利きしときますよ」
「ありがとうございます」
と、ここまでならドラマに良くある悪徳政治家の会話なのだが──。
(パァンッ!)
その時、ものすごい勢いで襖を開けた人物がいた。
突然の出来事に二人は飛び上がる。どこから見てもこれは違法な取引なのだ。バレたら、どちらもタダでは済まない。
「だっ、誰だ!?」
二人ともすぐに襖側を見る。もしやどこぞの記者につけられたのか?それとも、それこそ時代劇のように仕事人が現れて命を奪おうと?
「…こんにちは!」
が、そこに居たのは思いもよらない存在だった。それは幼い子供だったのだ。大きくなったばかりの、5歳くらいの女の子。
大人二人が呆気に取られていると、彼女はタタタッと中へ走ってきて、老政治家の膝の上へと座った。
「おじいちゃんたち、なにしてるの?」
この政治家に息子はいても孫はいない。そのせいもあるのか、彼は幼女の人懐こさと愛くるしさにすぐさま心奪われ、思わず頬を緩めたのだった。
「おじいちゃん達はね、大事なお話をしてるんだよ」
先程までの悪どい顔はどこへやら。今の彼は、デレデレとした表情の好々爺になってしまった。
「そっか〜!」
笑いながら納得する幼子の、なんて可愛いことだろうか。それにしても、彼女はどこから来たのだろう。この高級料亭に子連れで入る客など、いるはずないのだが…。
そう考えごとをした一瞬の隙だった。幼女はキョロキョロと辺りを見回し、例の桐箱を見つけてしまったのである。
「あ、おまんじゅうだ!あたし、おまんじゅうだいすき!」
彼女は舌ったらずにそう言って、止める間も無く桐箱を開けてしまった。もちろん、中にあるのは札束。
その様子に、政治家も社長も同時に青ざめた。が、そこは流石、長年政治家をしている狸。好物が入っていないと、不思議そうに首を傾げる彼女へ向かって、彼はこう言い訳をしたのである。
「あぁ、それはお饅頭じゃないよ。それはね、おじいちゃんが善いことをする為に使うお金なんだ」
「よいこと?」
「そう、言うなれば正義のお金だよ」
「すごい!おじいちゃんかっこいい!」
「けれど、これは秘密の話だからね、他の誰かに言っちゃダメだよ?」
「うん、分かった!」
上手くいった。この歳の子供は、「正義」と言えば何とかなるものだ。
幼女は目をキラキラと輝かせ、老政治家を見る。どうにかなったと、社長も胸を撫で下ろす。政治家自身も、こんな可愛らしい子に尊敬の眼差しを向けられるのは、悪い気がしない。
「
「あ、おかあさーん!ここだよ〜!」
どこからか声がし、幼女が返事をした。政治家はサッと饅頭を隠し、「秘密だからね」と念を押す。幼女はそれに、コクンと頷く。
「小春!料亭へ来てはダメだと言ったでしょう!」
間もなくして料亭の若女将がやってきた。どうやらこの子は母親に会いたいと、忍び込んでしまったらしい。
「ごめんなさいお母さん…」
「もう!──すみませんお客様、娘が勝手に…」
「いやいや、それほどお母さんに会いたかったのでしょう。その歳の子供は元気が有り余っておりますから、致し方ないですよ。私にも息子がいますから、苦労がわかります。それにしても、可愛らしいお子さんですな」
「本当に、なんとお詫びしたらよいか…」
「まま、お気になさらず」
と、寛容な態度をとりながら、内心さっさと出て行けと毒づく。これ以上人が増えるのもまずいのだ。
「ですが…」
「いいですから!じゃあね、お嬢ちゃん」
「うん、バイバイ!」
「すみません…」
若女将は膝をついて深々とお辞儀をし、娘は二人に手を振って座敷を後にした。
「…先生、大丈夫でしょうか?」
「…まぁ、子供一人に見られたところでどうにもならんだろう。さて、今日はこの辺でお開きにしようか」
そう、たかが一人の幼子に何かできるわけもない。政治家は高を括っていた。1週間後までは…。
子供は、いや人間は秘密と言われても、誰かに言いたいという欲が募って、結局は耐えきれずにどこかで漏らしてしまうものだ。この幼子の場合は、それが同じ幼稚園の友達だった。
「ねえねえ、この前正義の政治家さんに会ったんだよ!」
「なぁにそれ?」
「何か、お金を使っていいことをするんだって!」
そう教えられたのは記者の子供。彼女は家に帰って、そのことを親に話す。すると親は、それがどの政治家かと聞き、それはこれこれこういう人だったと説明して──。
──1週間後、あの政治家の家には報道陣が詰めかけていた。
「ううむ、あの子がバラしてしまったのか。しかしあの子を責める気はない。これも、私の政治家としての天命なのだろう。これまで甘い汁を啜ってきた報いが、今きたというだけだ」
腹を括った政治家はスーツを着て、謝罪の心構えで家を出る。道に出ると、記者達が政治家を丸く囲った。
「先生、あのお話は本当なのでしょうか!」
「ええ、真実でございます」
ざわざわっと、軽いどよめきが起こる。裏金問題の自白が出たと、テレビでは字幕がついていることだろう。
「あの、いつ頃からそういったことを?」
「随分と前からでございます」
「何故、そのような事を?」
「何故、でございますか。それはやっぱり、人間誰でも、この立場になったらそうしてしまうんじゃないですかねぇ」
悪びれなく質問に答える。ちっぽけなプライドではあるが、バレたのなら、ちまちまと隠すことはしたくない。悪なら悪として、最後まで全うしたい。そんな悪徳政治家としての矜持が、彼にはあった。
「そうですか…あなたはなんて──」
なんて、狸でしょう?なんて、悪どいのでしょう?どんな
だが出てきた言葉は、彼の予想だにしないものだった。
「なんて、素晴らしい人なんでしょう!」
「えっ?」
「多額の寄付を孤児院になさるなんて!!」
どこからどうなったのか、「善い事をするためのお金」という話に背びれや尾ひれが付いて、「孤児院へ巨額の寄付をする素晴らしい政治家がいる」となってしまったらしい。
(助かった。勘違いだったのだ。しかし、一体いくらの寄付額になっているのだろう。何千万か?何億?もしや…何十億か?)
確かめようにも、彼からは言い出せない。自分の寄付額を相手に聞く馬鹿などいないからだ。けれども彼は、信用の為にも言い値を払わなければならない。たとえそれが、今まで受け取った裏金の総額を超えていようとも。
しかし、彼に悔恨の情はなかった。何故なら恐らくこれも、政治家としての天命なのであろうから。
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