妹が妹で困っています②

 二月に入って、学校はにわかに浮き足立っている。学期末テストなんて色気のないものではなく、来たるバレンタインに向けてのものだ。

 義理に本命、友チョコ。手作りにラッピング、告白するだのしないだの。悲喜こもごもが、あちらこちらで散見される。女子はもちろん、男どもとてふわふわしていた。

 去年までの俺なら、無関係ではいられなかっただろう。だが、今年の俺にしがらみはない。

 ただし、多少の恋愛事は回避できそうにもなかった。特に永美は、最前列だ。そして、甘いものは好きか、と偵察してくるのは永美だけの話ではない。けれども俺は一辺倒、苦手だと暗に断りを入れている。

 手作りなど、とてもじゃないがもらえない。何が入っているか分かったもんじゃないのだ。あれほど身の毛がよだつものはない。

 ちなみに、甘いものはそれなりに好むので、滅法嘘である。茜音には白い目を向けられたが、ここは方便としておいて欲しいところだ。

 そしてこの妹は、バレンタインなど念頭にないようだった。リアルの、という注釈を入れなければならない虚しさといったら、比類がない。

 FOはオンラインPCゲームだが、アニメ化を機に人気に火がついたことで、アプリが配信されている。PC版とアカウントの同期が可能ということもあり、アプリ人気も高まっていた。

 アプリでは、季節ごとのイベントキャンペーンやソロダンジョンなどに力を入れている。PCに張りつかず、イベントキャンペーンに参加できるのは大変便利だと人気を博していた。

 そして、バレンタインも漏れなくイベントが開催されている。今回のイベントは、アニメコラボだ。

 元のオンラインゲームでは、キャラクターの弓使いや魔法使いは、本来名のない職業アバターでしかない。プレイヤーの操作キャラクターであり、そこに特定の名は存在しなかった。

 それがアニメ化する際に、弓使いの女性アバターがカノン、魔法使いの女性アバターがミシュ。のように、割り当てられた形だ。今回はこの特定キャラがアプリに登場する。

 バレンタインプレゼントを特定のキャラクターに渡せるのが、今回のイベントの目玉だ。このためにシナリオが書き下ろされて、エピソードをクリアしていく展開になっていた。

 攻略キャラクターは、アニメに登場したキャラクターが勢揃いしていて、茜音の狙いは言うまでもない。

 ミシュたーん、とデレデレしながらストーリーを進めている。

 時間さえあれば、ストーリーは何種類も攻略可能だ。ただし、それぞれにミッションや膨大なシナリオが設けられているので、一本のストーリーを読むにもそれなりの時間を要する。全攻略はなかなか難しい。

 そして、俺はカノンルートを進んでいるので、ミシュルートの状態は知らない。最高。マジヤバい。と語彙力ゼロの感想しか出てこないので、内容はさっぱりだ。ネタバレしないという点においてのみ、優秀な女である。

 そんなわけで、俺たちにとってのバレンタインとは悲しくも楽しい二次元に愛を注ぐ日々になり果てていた。


「二人とも一人攻略しかしてないの?」

「時間ないって」

「カノンちゃんもどうにかしたい!」

「勉強しろよ、期末くるぞ」

「だって!」

「お前、数学赤点ギリギリだろうが」

「じゃあ、カノンちゃんシナリオ見せて」


 ストーリーをクリアすれば、シナリオは後からロード可能だ。他人に頼るのも、ひとつの手であろう。

 だが、しかし。


「嫌だよ。俺が丹精込めてプレゼントしてんだよ。ふざけんな」

「……きもっ」

「僕のでよかったら、見てもいいよ」

「スズ、何キャラ攻略してんの……?」

「今、四人」

「え?」

「お前、俺たちのこと何も言えなくない?」


 けろっとした顔で告げるスズに、顔が引き攣る。

 イベントは、二月に入ると同時に始まった。開始されて一週間も経っていない状態で、四人は多すぎる。


「そう? でも、せっかくのイベントだし。普段はオンライン協力モンスター討伐イベントが多いわけだし、こんなストーリー中心バレンタイン滅多にないんだよ? 楽しまないともったいないじゃない」

「そりゃ、分かるけどよ」

「ミシュたんだけで精一杯なんだもん」

「ミッション手間取ってんだろ」


 ミッションは、ストーリー開放ための必須条件だ。アイテム取得やモンスター討伐が含まれている。討伐において、茜音のスキルはぽんこつもいいところだろう。


「どんどん難しくなるじゃん。悔しい」


 ぐぬぬー、と歯噛みしながら悔しがるとはなんと定石めいたやつだろうか。コミック的だ。


「今回はそんなにレベル高くないと思うけど……いつもの討伐イベントはどうしてるの?」

「……あんまりポイント稼げないまま終わってる」


 肩を落とす仕草は、分かりやす過ぎていっそギャグだ。


「最近は手伝いに駆り出されてる」

「瑞樹君、いいお兄ちゃんだよね」

「手伝えってうるさいんだからしょうがないだろ」


 生活の浸食は並じゃない。

 今まで離れていたのはなんだったのか、と思うほどだ。茜音は俺の性癖に対する内情を暴露して晴れ晴れしたのか。あれから、加速度的に遠慮がなくなったように思う。

 満更でもないのだから、俺は享受するしかない。趣味――特にミシュを介した交流であっても、十全に心は満たされた。

 俺は長い片想いの末に、些末なことで満足してしまうようになったらしい。これが茜音限定の作用であるのだから、始末が悪かった。


「カノンちゃんのことだと譲ってくれなくて、気持ち悪いよ?」

「やかましい。お前はミシュのことに夢中になり過ぎてて、気持ち悪い。イベントを俺の部屋で進めるのやめろ」

「だって、アイテム取得お兄ちゃん制覇してるんでしょ? ミッションは助けてもらえるじゃん」

「手助け目当てかよ!」

「他に何があるの?」


 いくら些細でも構わないと思えていても、この冷徹さは空しい。これが可愛いと思い続けている俺は、精神でも病んでいるのではあるまいか。恋愛とは常に狂った状態という論に、大きく頷くほかになかった。


「茜音ちゃんは、甘え上手だよねぇ」

「どこが?」


 眉を寄せた茜音に、俺が声を当てたようになった。

 表情と声音の華麗なマッチングに、頭痛がしそうだ。こんなときに限ってシンクロすることもないだろうに。


「無自覚かぁ」


 スズは一人納得して、微笑んでいる。

 元々マイペースさはあったが、茜音と三人になることで、それはますます際立つようになった。こと、俺と茜音の仲の良さに言及する際は、気ままに得心していることが多い。

 どうにも、スズには義理であることを不審がられてもいなかった。気付いているのかいないのか、定かではない。このざっくばらんなところが快適だ。茜音も同じように思っていることだろう。

 茜音はスズに、かなり打ち解けていた。ちょっとばかり、独占欲が芽生えるほどの仲はいかんともしがたいほどだ。しがたいが、人付き合いが不得手な茜音にできた同志を遠ざける、卑しい真似をしたくもない。

 俺は茜音が大事だが、大事がゆえに、なまじ惰弱な兄であるのだ。


「茜音ちゃん、リアルのバレンタインはなんかないの?」

「えー? スズさんくらいしかいないよ?」

「え?」


 即座に声を上げた俺に、吹き出したのはスズだ。すぐに口を抑えつけてみせたが、ぐふぐふと耐え切れない笑いが噴出している。

 どんだけウケてんだよ。


「お兄ちゃん、気にしすぎでしょ」


 ドツボに嵌ったらしく、途切れ途切れに笑いを含んで寄越す。


「笑いすぎだろ」

「だってさ、瑞樹君……! すっごい真顔なんだもん。本気すぎ」

「うっせぇよ」


 がしがしと髪を搔き乱して、顔を覆う。反射ではあったが、自覚はあった。何が卑しい真似はしたくないだ。必死じゃないか。


「お兄ちゃんもいる?」

「……お前、色気ねぇな」

「何それ! 急にセクハラする意味わかんないんだけど」

「瑞樹君ってツンデレだっけ?」

「そんなふざけたキャラ付けしないでくれよ。そりゃ茜音だろ」

「違うし。何それ」

「ああ、デレギレだった」

「それはなかなか拗らせてるね」


 俺の造語にも、スズは何の衒いもなくついてくる。この適応能力には、ほとほと呆れ返っていた。スズの他の側面を見たことがないので、比べようがない。だが、スズのオタク趣味の幅広さは感動するほどだ。

 そのまま互いのレッテル貼りにのめり込んでいるうちに、バレンタインの件はうやむやに流れてしまった。

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