第7話 挙式

 ジェシカと話し合いをしたその日の午後、ソロモンはアイリーンに会いに行き謝罪をした。アイリーンは溜息をつきつつも『ジェシカが許したのならそれでいい』と言ってくれたが、内心兄に対して負の感情を発生させていたとしてもおかしくはないだろう。その証拠に表情はどこか訝しげであったし、更に『2回目はない』と念を押された。

 その一方で、簡単にいかなかったのはビルキースの方だった。


 ジェシカとの話し合いを終えた次の日、ソロモンはビルキースとアイリーンが住むアパートの一室にやってきた。出迎えてくれたビルキースはいつものような快活さはない。ただでさえ鋭い目付きが更に厳しくなっており、流石に嫌でも気持ちが引き締まった。

 綺麗に片付いたリビングに通され、椅子に腰を下ろす。続けて、自身が持ってきた茶菓子とビルキースが出してくれたコーヒーを前に、ソロモンは自身が反省していることと、ジェシカには許してもらったこと、ビルキースにも失礼な振る舞いをしたことをについての謝罪を伝えた。

 ソロモンの向かいで彼の言葉に黙って耳を傾けていたビルキースは、やや難しげな面持ちで口を開く。


「お前が反省したのはいい。それに、ジェシカさんに許してもらったのも良かった。それで水に流したい気持ちはある。――けど、俺はあの時のお前に対してかなり失望した。だから、少し、今までみたいな接触は避けたい」

「…………そう、です、か」

「……悪い」


 ソロモンの相槌に、ビルキースは短く謝る。続けて、ビルキースは、テーブルの上で手を組んでしばし考えこんだ後、金色の瞳をソロモンに向けた。続けて弁明のような言葉が続く。


「勘違いしないでほしいのは、俺はお前を嫌いになったわけじゃないし、別れたい訳でもない。俺は変わらずお前を愛しく思ってる。ここまで来たら、なにがあっても嫌いにならないんじゃないかって思えるくらいには、お前のこと、愛してるよ。心底な」

「……あ、ありがとう、ございます」


 突然の超弩級の愛の言葉に、ぶわっと顔が赤くなるが、それに高揚している場合でも甘い雰囲気を漂わせる場合でもない。ビルキースもそれは理解しているようで、至極真面目な顔つきのままだ。


「……今は、お前に対する好意的な気持ちと、否定的な気持ちが混ざってるんだ。お前のことを愛してるのに、否定的な気持ちを向けてしまいそうで嫌なんだ。お前のことを傷つけたくはない、嫌いになりたくない。だから、お互いのためにも少しの期間離れたいんだ。結婚式に関すること以外での接触は避けたい」

「………少しの期間というのは、具体的には、どのくらい……?」

「……分からない。でも、長くても、次の結婚式の打ち合わせまで……かな」

「…………え、次って……」


 その言葉に、ソロモンは慌てて自分の上着の胸ポケットから手帳を取り出す。次の打ち合わせの予定は、およそ三週間後。それまでにほかの件で顔を合わせることはあるかもしれないが、正式な打ち合わせまではそれだけの期間がある。

 これは、意外と長い期間であり、ここ最近で一番に感じられる程の衝撃が、ソロモンを襲う。


「……さ、三週間後まで会えないってこと?」

「長くてそれくらいってだけだけどな」

「…………え、例えば手紙は?」

「返すかどうかの保証はできない」

「そ、そんな……」


 絞り出されるようにか細い声を零して、ソロモンはつい下を向く。愛する人との交流を絶たれるのは非常に心苦しく思ったが、自分は、ここまでのことをしてしまったのだから致し方ないのだと自らに言い聞かせる。

 ちなみに、電話は現状お互いのアパートにはなく、やり取りをするなら他人の電話を借りなくてはいけない状況だった。そのため、候補には上げていない。

 この選択は、ビルキースも心苦しいだろう。だが、それほどの怒りを抱いており、その原因を作ったのは自分である。『絶対に許さない』なんて言われたわけでも、別れを突きつけられた訳でもないのだ。できるだけいい方向に考え、ソロモンは、この結果を受け入れることにした。

 とはいえ、およそ三週間ほどの間、ソロモンは第三者から見ても明らかな程に意気消沈したまま過ごすことになった。いくらジェシカから許しを得たとしても、それとこれは別の話だったわけである。


 ただ、それからのソロモンはきちんと心を入れ替え、漸く話し合いにも深く関わるようになった。ジェシカ個人との相談もできるようになり、改めて婚礼着の話もできた。しかし、ソロモンからすれば元々興味がないことに対してであるため、『興味のなさ』が表に出ることもあったが、最初に比べればずっと良い。やっと及第点に達した。

 ドレスもよく分からないなりに眺めて選択し、最終的に彼女によく似合う可愛らしいドレスを仕立てることになった。ジェシカも満足気で、以前2人のやりとりを目撃していた仕立て屋やプランナーは、かなり安堵している様子であった。


「初めからこれくらい関わってくれたら良かったのに」

「それは……本当にすみません……」


 時々グサリとくることを言われることもあったが、ソロモンはなにも文句を言わずただ自分の非を認めた。自分がやらかしたことを思えば、この程度の責めは軽いものだ。


 やがてあの日から約三週間が経過し、打ち合わせのため、ソロモンは久々にビルキースに会うことが出来た。会わない期間を経たからか、久しぶりに顔を合わせた彼は、これまで以上に端正に見え、全力で抱きしめ愛でたくなる衝動に駆られた。しかしここは外であり、事情を知らぬもの達もいる。そのためなんとかそういった欲を押さえつけ、同性の友人として当たり障りのない会話を紡いだ。

 今回の話し合いは、順調とは言いづらいものだった。というのも、ソロモンが漸く大真面目に話し合いに参加したため、今更の確認が多く、説明に手間取りもしたからである。事前にジェシカが説明したこともあったが、頭から抜けていたのかド忘れしたのかなんなのか、自分でも呆れる結果となった。

 ちなみに、挙式そのものは同日に行うこととなっている。というのも、ソロモンとアイリーンの家からすると、ほぼ同じ時期に結婚するなら纏めて同日に行った方が楽であるからだが、もう1つ他に理由があった。

 ビルキースの『多分、ソロモンは俺とアイリーンさんの結婚式に出席したくないって言うと思う。仲が悪い訳でもないのに、家族が不参加って言うのはよくない。それなら、同日にやった方がいい』という言葉があったからである。

 ソロモンの知らぬところで、ビルキースは恋人の心境に配慮していたにも関わらず、特になにも気づかないという状況が発生してしまっていた。



 それから数ヶ月後、よく晴れた暖かな日。ソロモンとジェシカ、ビルキースとアイリーンの結婚式は盛大に行われた。

 アイリーンとジェシカはそれぞれシンプルで清楚な白いドレスと、裾が大きく広がった可愛らしいドレスを身に纏い、ソロモンとビルキースはそれぞれ白とライトグレーのタキシードを着用し、招待客の前に出た。周りは皆ニコニコと笑顔を浮かべ、二組の夫婦を歓迎する。

 綺麗な教会にて美しく着飾った彼等は、幸せいっぱいの新郎新婦に見えるだろう。実際は偽装の夫婦であることは、当事者四人とマスグレイヴ家の者以外は知らないことだ。

 この国のやり方で挙式を行い、神父の前で指輪の交換を行い、誓いのキスもした。

 一応練習したとはいえ、愛する者以外と口付けをすることへの嫌悪感はなかなか消えず、ソロモンは一瞬顔を顰めそうになったが、なんとか堪えた。ここに関してはジェシカも複雑な気持ちを抱えていることは変わらないらしく、練習の際には相当嫌そうな顔をして「男性とキスなんて……」とボヤいていたものである。それは本番でも変わらず、誓いのキスのあと、彼女は少し不愉快そうな表情を浮かべていた。しかし、それもほんの僅かな間のこと。それを終えたあとは終始穏やかな顔を見せており、それを見たソロモンは内心感嘆したのだった。

 ソロモンからは、当然ビルキースとアイリーンの方を見ることは出来なかったが、きっと上手くこなしたのだろう。

 教会での式の後には披露宴も滞りなく行われた。ベストマンと呼ばれる新郎側のアシスタントがスピーチをして、皆で食事をし、そこからウェディングケーキのカット、ブーケトス、ガータートス、その他のダンス等々予定していたことは順調に進んだ。

 酒も入ってきたこともあってか、周りの招待客はとても楽しそうに自分たちを祝い、談笑し、親族は嬉しそうに式を見守った。特にジェシカやビルキースの親族には、はらはらと涙を流す者もおり、この結婚に感動し喜ぶ者が多いことを改めて自覚した。

 披露宴の最中、ソロモンはチラリと自分の親族に目を向ける。両親は嬉しそうに微笑み、兄弟姉妹は振る舞われた料理を美味しそうに食べている。また、普段から落ち着きのない末弟が、会場中を走り回り騒いでいるが、こんな時だからか大いに許されている様子にも見えた。

 総じて、マスグレイヴ家の面々も様々な反応で式を楽しんでいたようで、賑やかなままに結婚式と披露宴は無事終了した。



 場所は変わり、挙式後の教会内に準備された新郎控え室に着いた途端、ソロモンとビルキースは大仰な溜息を吐いた。ビルキースは脱いだジャケットをハンガーにかけて、どこか疲れた面持ちでどっかりとソファに腰を下ろす。


「…………疲れた」

「…………僕も」


 水を飲み、疲労を含んだ声を上げたビルキースは、汗を拭いて再度大きな溜息を零す。

 始まりから2、3時間程経ったろうか。厳かに進んだ挙式とは違い、様々なイベントを挟み新郎新婦側としてあれこれ動いた2人は、もう既にかなり疲れ切っていた。ソロモンから見るビルキースも、表情に少し疲弊の色が窺え、女性陣側も、先程少し疲れたような口ぶりをしていたことから、お互い多少の疲労は感じているだろう。


「……真面目に式の予定を考えてたビルキースも、そんなふうに疲れちゃうんだね」

「そりゃそうだろう……。あれこれやってダンスまでして……体力も使うって」

「あぁ、そっか……。……そういえばなんでこの国の披露宴って、ダンスあるんだろうねぇ」

「楽しげだからだろ。……運動苦手な奴や人前で踊りたくない奴は苦痛だろうな」

「だよねぇ」


 疲れきったビルキースとゆるく雑談をしながら、ソロモンもジャケットを脱ぎハンガーにかけ、ビルキースの隣に腰を下ろした。暫くこのまま2人でのんびりしたい気持ちにもなるが、この後も友人たちが企画してくれたアフターパーティーがあるため、そうも言ってられない。――とはいえ、少しビルキースに近づき、触れるくらいなら、良いのではないだろうか……なんて、邪な考えが浮かぶ。

 結婚式という永遠の愛を誓い合う日になんてことを考えるのだと自分を嘲笑いたくもなるが、本来心底愛する相手は彼だ。ほんの僅かな間くらい、きっと許されるだろう。そんな思いと共にビルキースの方に手を伸ばし、座面の上に置かれた褐色の手に自分の手をそっと重ねた。すると、ビルキースはびくりと肩を跳ねさせ目を見開き、眉根を寄せてソロモンを見る。


「……おい、何考えてんだ」

「……ちょっとだけ、触りたいなって。……今くらい、いいんじゃない?」

「よくねーよ。誰かに見られたらどうすんだ。お前の家族ならまだ言い訳もできる。けど、それ以外なら? 言い逃れできない」

「手を触るくらい、なんとでも言い訳できますよ」

「女同士ならともかく、男同士でそんな手を触り合う機会ってあるか? それに、手を触るくらいで終わりますって気配が全くしないんだが」


 目を鋭くしたビルキースが、冷たく言う。こちらを見透かすような彼の言葉にドキリと胸が高鳴ったが、ソロモンは特に否定することも無く唇を薄く歪める。


「バレました? そりゃ正直言えばハグもキスもしたいですよ。仕方ないとはいえ、キスはアイリーンがやっちゃいましたから、ちょっと不愉快な気分なんです。今まで基本僕しかしてないのに。それに、結局あれ以降、ビルキースと恋人同士らしいこと殆ど出来てませんし。三週間って言ってたはずなのに、全然違うじゃないですか」

「そりゃ悪かった。……でも、あの打ち合わせの後に2人の時間は作っただろ。あれで一応の区切りにはなってるし、その時に今後も暫く接触を控える話はした。結婚式の準備もあるし、仕事と学業を杜撰にする訳にはいかない。あと、下手に触れ合ってお前の気持ちが結婚式に向かなくなったら困るから。……それは話したはずだし、お前もそこは理解しただろ」

「理解するしかないから、理解しただけです」

「それでも、だ」


 少々の嫌味を言葉節と表情に湛えて、ソロモンはついつい妹への嫉妬と、形容しがたい不満を募らせる。彼女は今日から、周囲からもビルキースの妻として認識される。今日もずっと妻として彼の傍に居る。今までも理解していたことだが、今日の挙式と披露宴で更にそれを突きつけられた。それがたまらなく悔しい。自分は、事情はあるとはいえ、自分も理解したとはいえ、接触は格段に減ったのに。

 そんな不満を抱えたまま、ソロモンはぐいと距離を詰めたかと思うと、片方の手をビルキースの頬に添えて白い親指でふに、と彼の唇を触った。このまま、彼の唇を塞いで貪ってやりたくなる。

 しかし、ビルキースはそれを許さない。ソロモンの行動に驚愕し、キッと眉尻をつき上げたかと思うと、力強くソロモンの手を払い除けた。

 それに思わず声を上げたソロモンの傍らで、ビルキースは軽く舌打ちをした後、立ち上がり距離を置いて冷静に言葉を続ける。


「触れ合う機会が激減したのは悪かった。だけど、アイリーンさんとのことに対して今更文句を言っても仕方ないだろう。誓いのキスは必要なものなんだから。そもそも、俺だってお前以外とキスするのは嫌だ。こういうのは、アイリーンさんもジェシカさんも似たようなことは思ってるだろ。不愉快なのは、お前だけじゃねぇよ」

「……それは、そうだけど……」

「俺ら四人、全員大なり小なり違和感抱えて式も披露宴もやってんだよ。お前だけじゃねぇ。だから、1人だけ被害者面したりわがまま言ったりするな。これは『俺とお前』の式じゃないって、とっくに理解してるだろ、ジェシカさんとも話し合ったんだろ?」

「…………うん……」


 せっかく2人きりの空間だから――なんて考えは、ビルキースの『被害者面』の言葉によりあっさりと破り捨てられた。彼の言う通りだ。ビルキースも、ジェシカもアイリーンも、それぞれ違和感を抱えながらも役をこなすためにやっている。1人だけ文句をいってこんなところでコトに及ぼうとしている場合ではない。この後の友人とのパーティに備えて休息を取り準備をするのが一番だろう。

 浅はかな己に恥じらいを抱き改めて反省したソロモンは、気持ちを落ち着かせようとビルキースから視線を外す。しかし、ごめん、と短く口にした直後、ビルキースがぽつりと呟いた。


「……まぁ、ちゃんと全部終わったあとなら、お前の好きなようにさせてやってもいいけど」

「――えっ」


 突如降りかかった予想外の言葉に思わず耳を疑う気持ちでそちらへと振り向いた。その先ではぷいと顔を逸らしたビルキースの耳がほんのりと赤く染まっていた。最近淡々としていただけに、こういった甘い雰囲気を醸し出す態度にはくるものがあるし、表情も崩れそうになりながら、ソロモンはビルキースに聞き返す。


「……ほ、ほんとに?」


 無意識のうちににやにやと口の端を緩めたソロモンに対して、ビルキースは落ち着かない様子で自身の整えられた金髪をぐしゃぐしゃと乱し、顔を淡い朱に染め、言いにくそうに薄く唇を開いた。


「……本当だよ。ちゃんと、全部、新婚旅行も含めて、問題なく、終わったらな。……まぁ、その……よっぽどの事じゃない限りあんたの好きなようにさせてやるから」

「……う、うん」

「だから、もう少し、がんばれ」

「……う、ん」


 突拍子もない大胆な発言に、流石のソロモンも気恥ずかしくなったのか、顔を果実のように紅くして沈黙してしまった。そのため、2人はジェシカとアイリーンが来るまで気まずいような緊張したような妙な気持ちで部屋で過ごすことになった。

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