あなたはラスター

 



「……ひどい状態だな。極度の栄養失調。塞がってはいるが、大きな傷跡が胸にある。……お前の言う通り、実験体にされていたようだ」


 眉を顰めたマクシミリアンが、魔術で眠る少年に目を向ける。


 先ほどのディアナの光栄すぎるだろう申し出に、少年は一瞬呆然とした後「誰がお前なんかを信じるか!」などとキャンキャン怒鳴り始めたので、とりあえず魔術で眠らせてマクシミリアンの元に運んだのだ。


 面倒だったから……ということもあるが、見るからに体が衰弱していたからだ。


 代々精霊士として医師を務めている家系出身のマクシミリアンは、魔術師には珍しいことに医学の心得がある。口も堅く、面倒な手続きが得意だ。理由ありの少年の診察を任せるのにこれ以上ない適任である。


 そんなマクシミリアンが深くため息を吐いた。


「信じられないが、確かに古龍の核が胸に埋め込まれているようだ。魔力と精霊力という性質の違う二つの強い力が体内でぶつかり合い、魔力の暴走を引き起こしたのだろう。――よく生きていたものだ」


 むごいな、とマクシミリアンが沈んだ声を出す。


「子どもにこんな真似をするなど、依頼人を調べ上げて白日の下に晒してやりたいが……」


 言い淀むマクシミリアンに、無理だろうな、とディアナも思う。


 数百年に一度しか姿を見せない、超希少種の古竜は精霊の祖だ。

 全てを屠る力と、魂を操るとすら言われている強い生命力を誇る古竜は数万の軍隊や腕のたつ大魔術師でも倒すことは不可能と言われ、寿命は千年。


 その古龍の核を手に入れられるような人物が、おそらく平民であろう子供一人を実験体にしたところで、咎める者など誰もいない。



「……それよりも、ディアナ」


 マクシミリアンが急に鋭い声を出し、説教の体勢に入り始めた。


「何よりの問題はお前だ。一体お前は、なんてことを……」


 そこまで言って口をつぐむ。ディアナがその道を選ばなかったら、少年の命はまず無かったからだ。


「……俺はディアナに出会ってから、毎日度肝を抜かれている」


 そう言ってマクシミリアンは天を仰ぎため息を吐いた。


「中でも今日は一番だ。前人未到の鎮静の結界を張り、魔物の脅威から人を救ったと思ったら――古龍の核を持つ五色の瞳の少年を弟子にすると言い、その上……。本当になんてことなんだ。もう少し常識の範囲内で生きてくれ」


 片手で頭を抑えるマクシミリアンに、ディアナは「常識の方がもう少し範囲を広げるべきじゃない?」と首を傾げた。


「……頭が痛い」

「大丈夫? 医者の不養生ね」

「原因め。本当にわかってるのか? お前は――」



「――ここはどこだ」


 マクシミリアンの言葉を、少年の不機嫌そうな声が遮った。見ると少年は起き上がり、警戒たっぷりにディアナとマクシミリアンを睨みつけている。


「あら、もう起きた。痛いところはない?」

「っ、!」


 ディアナが少年に手を伸ばすと、少年が一瞬怯えるように跳ねた。

 一瞬動きを止めたディアナの手が、優しく少年の頭を撫でる。


「栄養をたっぷり摂って眠ればじきに体は良くなるわ。そうしたら魔術をたっぷり教えてあげるからね。よろしく、弟子」

「……同情するな」


 少年が不快そうに顔を逸らした。


「一瞬の同情で俺を引き取っても、お互い不幸になるだ」

「あら、同情じゃないわ。理由は……そうね、三つ」


 まず一つ、と人差し指を立てる。


「あなたは力の使い方を学ばなくちゃいけない。次に暴走したら、あなたの場合運が悪かったら国の半分が吹っ飛びそうだし……普通の魔術師にはあなたの暴走を止めることは無理よ。私じゃないと」

「……さっさと殺せばいいだろ」


 そう言って少年が、どこか疲れたような表情でディアナを睨む。


「失敗した時は『器』を殺せ、大魔術師に始末させろとあいつらは言ってた。お前がそうなんだろ?」

「……私はそいつらと違うから、子どもが亡くなることほど悲しいことはないと思うの」

「普通の子どもならそうかもな。俺は化け物だから遠慮はいらない」



 顔色を変えずにそう言った少年をまっすぐに見て、ディアナは「……次は二つ目」と指を二本広げる。


「私は天才なんだけど、少々がさつなの」

「はあ?」


 ディアナはつい先日も受けたあれこれを思い出し、ため息を吐いた。


「寝坊をするな、書類を無くすな、日に一度は飯を食え、大魔術師のローブがしわくちゃでは品位と威厳がない。……毎日毎日色んなことで叱られるのよ。天才なのに」


 王宮魔術師の試験資格を満たした十二歳の時に、ディアナは王宮魔術師になった。


 魔術師なんてみんな適当な変わり者揃いと思っていたのに、そこは意外と堅苦しい場所で。ディアナは『権威ある王宮魔術師として貴殿の身嗜みはいかがなものかうんぬんかんぬん』と再三叱られた。


 ならば誰にも文句を言わせないくらい偉くなる! と決めて王宮魔術師の最高峰である大魔術師まで登り詰めたが、意味がわからないことに新人の頃よりも苦言を呈されるようになってしまった。


「そろそろ弟子を取ってちゃんとしなさいと言われてるのよね。……まあ、もう王宮魔術師は辞めるのだけど、辞めたところでこれからはちゃんと食事を摂らなきゃいけないし……。あなたには私の弟子として身の回りのお世話をして欲しいの。最低でも日に一度はパンと飲み水を用意して欲しい」

「……何だそれ」


 少年が少々脱力する。


「それくらい魔術で何とかしろよ……。それに俺じゃなくたって」

「両の手だろうと魔術だろうと、面倒なことは面倒なの。……そして三つ目」


 そう言って三本の指を開く。先ほどよりはゆるい警戒を滲ませて、少年はディアナの顔を見た。


「私はあなたの瞳が気に入ったの。――五色の青もゆらめきも、水中から見上げる水面のようでとても綺麗」

「は……?」


 少年が愕然とする。おそらく彼はその瞳ゆえに魔力に慣れない平民から忌み嫌われ、こうして囚われたのだろう。

 色が増えれば増えるほど。それが子どもであればあるほど。人々は魔力持ちを恐れ、迫害し、搾取する。



「ほら、私の瞳を見て。――五色の紫も綺麗でしょう? 私はこの瞳が気に入っているの」


 少年の前にしゃがみ、真っ直ぐに瞳を合わせる。ディアナの瞳の中の少年が息を呑み、目を逸らした。


「あなたが化け物の証だと蔑まれたその力は、とても強くて美しいものなのよ。この私のようにね!」


 少々得意気にそう言って、ディアナは少年に名前を尋ねる。

 少年は躊躇いながら、目を伏せて答える。


「……器と呼ばれていた。他に名前はない」

「そう。じゃあ私が師匠として、あなたに名前を授けるわ」

「名前……」


「そうね、あなたの瞳の輝きはいつか栄光を掴むでしよう。だからあなたの名前はラスター」

「ラスター……」


 ラスターが、自身の名を口の中だけで小さく呟いた。


「これからどうぞよろしくね、ラスター」


 微笑むディアナに、ラスターはきゅっと唇を引き結んでうつむいた。


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