依頼

 




 当時リディア――いや、ディアナ・フィオリアルがラスターと初めて出会ったのは、忘れもしない十九年前の初夏の日だ。


 その日ディアナは、一生で一番の大仕事を成し遂げた。


 日々溢れる獰猛な魔物に疲弊した人々を救うため、大陸中の空を覆うように。

 結界の内に入った魔物が人を襲わないよう、気を鎮める結界を張った。



「まーじ疲れた……」



 ほぼ全ての魔力を使い尽くした少女――ディアナは、「もう無理家帰って寝る……」と地面に寝転んだ。



 長い黒髪が草むらに広がる。空を見上げる瞳は、紫を貴重とした魔術師の瞳だ。

 紫、紫紺、青紫、桑の実色に菫色。明度の違う様々な色が混じる瞳が、空に浮かぶ虹色の結界を映していた。


 青い青い空に、陽を反射し輝く魔法陣。完璧に織り上げたと自負している。


 もう、魔物によって命を落とす者は誰もいない。


「……世界を救ってしまうなんて、私ったら天才にも程がある」

「大言壮語でないからお前はすごいよ。ほら」


 そう言って同じ大魔術師であるマクシミリアンが、ディアナに冷たいポーションを渡す。上物であるらしいそれを飲むと、六分の一程度までは魔力が回復した。


「ありがとう、マクシミリアン。後の処理や報告は任せた……」

「ああ。俺に任せてお前は寝ておけ。……と言いたいところだが。先ほどお前宛にこれが来た」


 そう言ってマクシミリアンが、気の毒そうに黄色と琥珀と橙色の混じる瞳を細め、手紙を差し出す。


 差出人は不明。

 しかしながら上質な紙に微かに漂う百合の香は、王族や高位の貴族しかつけることが許されない香水だ。


 受け取った手紙を起き上がって開く。書かれている内容に、ディアナは眉をひそめた。


「大至急廃城ハインリッヒの地下にて魔力暴走を起こした少年の無力化を願う。生死、体の回収問わず。報酬は金貨千枚。……魔力暴走にしても高給すぎるでしょ。訳ありの匂いしかないんだけど……」


 長い黒髪をくるくると指に巻き付け「面倒くさそうだなあ……」と言いながら、ディアナは一言「承知」と書きつけた手紙をハインリッヒ城へと飛ばした。大金の前には、大魔術師とて奴隷となる。



 それに何より、魔力暴走は非常に危険だ。適切に治められなければ、少年の命どころか街一つが吹き飛ぶことにもなりかねない。


 高給を出してまでディアナに頼むあたり、非常に魔力が強い少年なのだろう。


「魔力暴走か……。急いだほうがよさそうだな。しかし、生憎もうポーションが二本、それも中級のものしかない。……大丈夫か?」

「充分よ」


 マクシミリアンが差し出したポーションを受け取り、ディアナは一気に飲み干す。

 四分の一ほどまでは、魔力は回復しただろうか。


「それじゃあ行ってくるわね。あとはよろしく」

「ああ。――気をつけろよ」


 マクシミリアンに少しだけ微笑んで、ディアナは人体転移テレポーテーションの術を唱えた。


 紫色の転移陣が足元に光る。

 黒髪が舞い上がり、ほのかな温かさを感じてすぐに体が浮遊し、目的地へと飛んだ。


 ――ハインリッヒ城。

 既に持ち主はおらず、朽ち果てた筈のその城へ。




 ◆




 この国では、目に見えない不可思議な力を持つ者が二種類いる。


 精霊の力を宿し、生命を癒す精霊士。

 そして不可能を可能に変える魔術師だ。


 どちらも全能ではないし、力をコントロールできるようになるまで結構な労力がかかる。しかし大きな力であることに間違いない。


 ディアナは魔術師だ。

 それも史上最年少――僅か十四歳の時に、国内最高峰である大魔術師の称号を得た。現在国内で五人しかいないその大魔術師の中でも、抜きん出て強い力を持っている。


 ――まあ、大魔術師の称号なんていらないけれど。


 ため息を吐く。褒められるのは大好きだし、自分は世界で一番の天才だ。大魔術師に相応しすぎる逸材だとは思うけれど、地位が上がれば煩雑なあれこれや小言が増えてしまう。


「ま、天才とはそういうものよね」


 ハインリッヒ城の前に降り立ったディアナは、またため息を吐く。城の前には十数人の兵士がいて、焦った様子で城の様子を眺めていた。


 そう。天才だからこそ、彼女にしかできない仕事というものがある。


 体全体が痺れるような轟く魔力を感じ、ディアナは城を強く見据えた。



 ーー確かに強い魔力だけれど。それだけではないような……。



 強い魔力の中に、魔力とはそぐわない不純物が混ざっている。

 僅かに懐かしく、そして全く馴染みのない強力な力だ。


「! 大魔術師ディアナ・フィオリアル様でいらっしゃいますか」

「ええ」


 城を睨みつけるディアナに気づいた赤髪の兵士が駆け寄り、「結界を張って頂いたばかりなのに申し訳ありません……!」と頭を下げた。


「構わないわ。その少年は、城の地下に?」

「ええ。……暴走を始めた瞬間、魔力封じの腕輪をつけたのですが……それでも収まらず、」

「……そう」


 魔力封じをされて、なおこの力。確かに危険だ。



「……では、案内しなさい。危険だから、私の後ろから誘導を」






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る