第24話「マナ」

 武田に離婚届を渡す妻。


 「なんの冗談だ? ……この歳で離婚してどうするんだ?」

 武田は離婚など、考えもしていなかった。


「あなたの頻尿には、もううんざりなのよ!」

「頻尿? 頻尿がどうかしたのか?」

「あなた、夜中に2時間おきにトイレに行ってるじゃないの! そのたびに、あたしは起こされるのよ。あたしはぐっすり眠りたいのよ!」


 武田と妻は、武田が頻尿で夜中に起きるため、別々の部屋で寝ていた。

 それでも、武田が夜中にドタドタと歩く音や、トイレのドアをバタンと閉める音に目が覚めると言う。


 さらに、妻は武田にトイレが汚れるから座ってオシッコをして欲しいとお願いしていたが、武田は座ってオシッコをするなんて考えられないと言って、ずっと立ってオシッコをしていた。

 妻は、思いやりに欠ける武田が気に入らなかった。


 妻の決意は固く、数日後に離婚することになった。


 ❃


 家から妻が出て行き、武田はひとりになった。

「独身で無職……年齢は58歳。どうする、これから……」


 離婚は考えてなかった……

 もっと気を使うべきだったか……


 武田は炊事、洗濯、掃除と家事は全て妻にまかせて、ほとんどしたことがなかった。

 汚れていくトイレを見て、

 立ってオシッコをすると便器は汚れるんだな……あいつがいつも掃除していたから気づかなかったよ……

 妥協して、座ってしてもよかったかな?


 食事はコンビニの弁当か外食。

 仕事を探す気力も無くなり、毎日パチンコ屋に通いスロットをしていた。


 パソコンは卒業してから一度も使っていない。

 コンビニの弁当も飽きたと思っていた頃、パソコン教室から電話がきた。


「武田さん、こんにちは、その後、就職の方はどうですか?」

 パソコン教室で担任だった山口先生からの電話である。

「はぁ、まあ、その……探してはいるんですがなかなかいいのが無くて……」

 武田は仕事を探していると言ったが、実は全く探していなかった。


「卒業して三ヶ月間は就職状況を聞く決まりになってますから、また来月に電話します。それと、パソコンのワードの試験なんですが、残念ながら不合格でした。それでは、就職活動がんばって下さい!」

 山口先生は、そう言って電話を切った。


 ワードの試験が不合格?

 そんな……てっきり合格できたと思ったのに……

 あんなに頑張ったのに、上手くいかない時はいかないもんだな……


 武田は、さらに気力がなくなり、部屋の中はゴミだらけ、食事も偏って体調も悪くなってきた。


 そんな、ある日。

 武田が夜中にパチンコ屋から帰ると、家の中の明かりがついていた。


「明かりの電気を消し忘れたかな?」

 家のドアに手をかけるとドアが開いている。

(ドロボウか?)

 恐る恐るドアを開けると、玄関には女性用の靴と子供の靴が揃えて置かれていた。

真菜美まなみか?)


 武田が部屋に入ると女性と子供がいた。


「お父さん、部屋の中、ゴミだらけじゃない」

 武田の娘、真菜美だった。


「真菜美か、どうしたんだ、いまごろ」

 夜中にいきなり家に来た娘に何かあったのかと思った。


「離婚した」


「!? 俺のことか……?」

「お父さんのことは、お母さんから聞いた。お母さんが、たまにお父さんの所に行ってくれって」

 真菜美は武田の顔を見ないで話している。


「そうか、お母さんから聞いたのか……それで心配して来てくれたんだ……」

「それもあるけど、あたしも離婚したの。だからたけると一緒にここで暮らそうと思って……」

 真菜美は下を向きながら話している。


「お前も離婚したのか!? なんで?」


「いいじゃない、理由なんて……」

「……言いたくなければ別に……いいけど……」


「あたし、家事やるから、いいでしょ?」

「別にいいけど、タケルは学校に行ってるのか?」

「タケルは来年から小学校だから大丈夫よ」


「そうか、来年からか……俺も小学生からやり直したいな……」

 孫のタケルを見て、本気で人生をやり直したいと思う武田だった。



「タケルって名前は旦那さんが付けたのか?何か意味があるのか?」

「あ〜っ、名前ね。タケルは日本武尊やまとたけるのみことのタケルなんだって、旦那が言ってた」

「日本武尊!? 日本古代史の伝説の英雄だろ? 凄い名前なんだな……」

 孫の名前に驚く武田だった。

「ゲームか漫画を読んでつけたのよ、たぶん……そういえば、あたしの真菜美って名前はお父さんがつけたの?」

 真菜美が武田を見ながら話す。緊張が取れて、もうリラックスしているようだ。


「真菜美の名前は、俺の親父がつけたんだ。俺の親父の親父が太平洋の島に戦争で行って死にかけた時に、現地の呪術師に助けられたんだと。その呪術師は“マナ”と言う力を親父の親父に入れると、じょじょに体が回復して日本に帰って来れたんだと。これを酒を呑むたび話していたらしくて、親父は、お前にマナミと名前をつけたんだってさ。神秘的な力とか神聖な力のことらしくて、マナが人に憑けば幸運や勝利をもたらすらしいぞ」


「へぇ〜っ、いい名前じゃない。あたしは神秘的な力なんだ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る