第9話 メグの涙




「ふざけんじゃないわよ!」




メグの怒鳴り声と乾いた音が重なる。



メグがフィオリーナの頬を思い切り引っぱたいたのだ。


フィオリーナは叩かれた頬を押さえて唖然とした顔でメグを見ている。


「友達だと言いながら?人をバカにするのもいい加減にして!」


メグの目には涙がにじんでいる。


「アタシはフィオリーナちゃんを大切なお友達だと思ってる。それは今も同じ。それなのに・・・それなのに・・・」


メグの目からは涙があふれだしている。


僕はこれほど感情をあらわにしたメグは初めて見た。

いつも飄々ひょうひょうとした態度を見せていたメグ。

しかし彼女も15歳の女の子なのだ。いくら精神年齢が高いと言っても彼女なりにかかえているものもある筈なんだ。



「フィオリーナちゃんには正直に言うね」


メグは涙をぬぐう事もせずに喋り続ける。


「最初に丸子さんからフィオリーナちゃんのブラックボックスのAI育成を頼まれた時は好奇心から引き受けた。でもね、フィオリーナちゃんと色々なお喋りをして一緒の時間を過ごして。フィオリーナちゃんの純粋さや思いやりの心を感じて体験してフィオリーナちゃんの事が大好きになった。アタシにとってもフィオリーナちゃんは初めてのお友達なの」


「・・・あたしがメグさんの初めてのお友達?」


フィオリーナが言葉を発した。


「そう、そうなの」


メグが右手で涙をぬぐう。


「アタシは変わった子供だったから学校にも行かないでコンピューターを相手にしてる方が好きだった。それでハッキングにのめり込んだ。IPOの量子コンピュータの中枢に入り込んだのもアタシにとってはただの遊びの延長。でもそれが大問題になってしまって。そんなアタシを助けてくれたのが丸子さん」


「・・・そう、だったんですか」


フィオリーナは小さな声で呟いた。


「それで、このIPOに来たんだけど。ここで色々な人達と出会って、他人と関わるのも面白いなって思えたの。でも此処ここにはアタシと同年代の女の子なんて居ないでしょ? だからフィオリーナちゃんと出会えてとても嬉しかった。アタシにもお友達が出来たんだ!って思えたの」


喋り終えたメグはニッコリと微笑んだ。


「・・・今のフィオリーナちゃんにアタシの言葉を信じて、なんて言えない。でも、これはアタシの本当の気持ちなの。フィオリーナちゃんの事が大好きなアタシの本当の気持ち」


「メグさん!」


フィオリーナは冷却水を流しながらメグに抱き着いた。


「ごめんなさい、ごめんなさいメグさん。あたしは自分の感情が制御できなくてメグさんにひどい事を言ってしまいました。あたしにとってもメグさんは大切なお友達です」


メグは抱き着いてきたフィオリーナの頭を優しく撫でた。


「・・・判ってるよ。今のフィオリーナちゃんがどれだけ苦しい想いをしてるのか。でも、フィオリーナちゃんはアタシの大切なお友達。何があろうとアタシはフィオリーナちゃんの味方だからね」


「はい。ありがとうございます、メグさん」


そして2人は涙でグチャグチャの顔で微笑み合った。






「こら、医療施設内で大きな声を出すんじゃない」


僕が声のした方を見ると権藤が2人に向かって近づいて来る。

僕は慌てて権藤の元へ駆け寄った。


「ロッシュ。お前はさっきから何を」


僕は咄嗟とっさに権藤の口を押えた。


「医療施設区間で騒ぎを起こしてしまった事は申し訳ないと思ってる。だが今はフィオリーナにとっては重要な時なんだ。もう少し時間をくれ」


権藤は口を押えていた僕の手を振り払った。


「それはフィオリーナにとって本当に重要な事なんだな?」


権藤は僕の目を見つめて問い正してくる。


「あぁ。だから頼む。もう少し時間をくれ」


権藤は僕の目を見つめたまま、フゥッと大きなため息をつく。


「・・・判った。お前の目は本当にフィオリーナの事を考えている目だな」


「すまない、権藤」


僕はそう言って抱き合っているフィオリーナとメグに歩み寄って行った。





「丸子さん」


メグが近づいてくる僕を見つけて顔を上げる。


「・・・あの方が丸子ロッシュさん」


それに対してフィオリーナは僕を警戒するような目で見ている。


「2人とも顔がグショグショだよ」


僕は微笑みながらティッシュボックスをメグに差し出す。


「ありがと、丸子さん」


メグは元気にティッシュを数枚引き抜く。


「ほら、君も」


僕はフィオリーナにも差し出す。


「恐れ入ります」


フィオリーナは固い表情でティッシュを引き抜く。


「じゃあ、僕は何か冷たいものでも取ってくるかな」


僕は自分でもわざとらしいと思えるような明るい声を出して無人飲料機の方へ向かう。

その後ろでは2人がヒソヒソ声で話している。


「丸子さん、アタシ達が女の子だから気を効かせてくれたのよ」


そう言ってメグは盛大に鼻をかむ。


「はい。あたしもあの方が良い人だ、と言う事は理解できます」


フィオリーナもそう言って顔の冷却水をぬぐう。

有機アンドロイドであるフィオリーナは目と鼻は繋がっていないので鼻には冷却水は流れ込んではいない。

僕はしばらく時間を空けてアイスコーヒーの缶を持って2人の所へ戻ってきた。この缶は有機物で造られているから地中に埋めれば数カ月で微生物が分解する。


「僕もお邪魔させて貰っても良いかな?」


僕はすっかり身だしなみが終わって椅子に座っている2人に声をかける。


「アタシは勿論、構わないけど。フィオリーナちゃんは大丈夫?」


メグがフィオリーナを気遣きづかうように尋ねる。


「メグさんがそう仰るなら、あたしも構わないです」


フィオリーナは相変わらず固い表情のままだ。

僕はメグの隣の椅子に腰かける。

そして、フィオリーナに向かって声をかける。


「改めて自己紹介をするよ。僕は丸子ロッシュ。君を造ったのは僕だ」


その言葉にフィオリーナは少しビクッとするが僕の目を真っ直ぐに見つめて返答する。


「判りました。あたしにブラックボックスを組み込んだのも貴方なんですね?」


僕はフィオリーナに向かって頭を下げる。


「君に悲しくて苦しい想いをさせているのはすまない、と思っている。でも僕は」


メグが僕の言葉を引き継ぐようにフィオリーナに説明する。


「丸子さんはね。フィオリーナちゃんを只の機械人形にはしたく無かったのよ」


「・・・只の機械人形」


フィオリーナはボソッと小声で呟く。


「そう」


メグは少し熱っぽくフィオリーナに語りかける。


「フィオリーナちゃんは今はとても悲しくて苦しい想いをしてる。でも、人間は誰だってそんな気持ちを抱えているの。そんな自分の気持ちに折り合いをつけて人は成長して行く。中には挫折して絶望してしまう人も居る。でも、アタシや丸子さんはフィオリーナちゃんなら成長してくれると思ってる。アタシも丸子さんもフィオリーナちゃんを実験の対象物だなんて思ってない。それだけは信じて欲しいの」


メグは自分でも気づかぬ内にテーブルの上のフィオリーナの手を握りしめている。


「・・・メグさんの成長と言うのはあたしの場合、自分がプロテクトしたメモリーをあたし自身で解除する、と言う事でしょうか?」


「うん、今はそれで良いと思う。自分の気持ちから逃げずに立ち向かって欲しいの。時間がかかっても良いから」


フィオリーナは下を向いて考え込んでしまったが、顔を上げてメグを見た。


「判りました。あたしも自分自身と闘ってみます」


それからフィオリーナは僕の方を見た。


さっきまでの固い表情はやわらいでいた。



「あたしは貴方、いえ丸子さんの事をうらんでいました。憎んでさえいました。あたしの中にブラックボックスを組み込んだ丸子さんの事を。でも今は憎んだりはしていません。あたしの中にブラックボックスが無ければメグさんと言うステキな方とお友達にはなれなかったのですから」


そう言ってからフィオリーナは少し恥ずかしそうな顔になった。


「あたしは丸子さんの事を知っています。掌の感触も。あたしがプロテクトしたメモリーは丸子さんに関する事なのでしょうね。メグさんが仰ったようにあたしも逃げずに自分自身と向き合いたいと思います。時間はかかるかも知れませんが」



そして、フィオリーナは微笑んだ。



それは爆発物処理室の中に入って以降、初めて僕に見せたフィオリーナの花のような微笑みだった。








つづく




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