彼方なるハッピーエンド

夢月七海

プロローグ ~きょうを読むひとの日記より~

三の月と三十一日目


三の月と三十一日目


ノシェ・エスカタガス


 灯りの消えた私の部屋は、異なる世界のようにどこか余所余所しい。窓から入ってくる月の光だけが、ぼんやりと物の輪郭を照らしていた。


「久しぶり……いや、直接の対面だと、はじめましてかな、王女様」


 一つの机を挟んで、私の真正面に座った男性が赤い瞳を細める。薄茶色の髪に眉目秀麗で、藍色の派手な礼服姿の彼の名前はカーディナル・スタンダール――正体は、悪魔だ。

 十一年前に、城下町リアドでの秋祭りに現れた時に、私はカーディナルさんと初めて伝達水晶を使って会話をした。それ以来、秋祭りの時は日記を送ってくれたりと、カーディナルさんとは友好的な関係が続いていたけれど、こうして対面するのは初めてだった。


「わざわざ悪魔召喚の陣を使ってまで呼び出すとはね……呪いを解いてほしいのか?」


 カーディナルさんは、部屋の床に置かれた魔法陣を見下ろして、肩を竦める。

 私は、生まれる前にある魔術師によって、知識を求め続けるという呪いを受けた。新しい情報を得ないと、空腹感のようなものを頭が感じてしまい、倒れてしまう。


「いえ、呪いの解除が目的ではありません。自分の中で折り合いをつけて生きていますので……私のためにと、日記を提供してくれる城下町の皆さんが、それを嫌がれば考えますが」

「じゃあ、何故? 王女様とあろう方が、悪魔を呼び出してまで叶えたい願いはなんだ?」


 不可解そうに首を傾げるカーディナルさんに、私は俄かに緊張してきた。無音になっても私が知識を摂取できるように、聞いたことのない鯨の鳴き声がずっと室内で流れている。

 悪魔と契約すれば、どんな願いも叶えられる。しかしそれは、その願いにふさわしい代償を払えばという前提がある。その代償には、魂や寿命のように、命に関わるものもある。


 それでも、今更引き返すわけにはいかない。私の中で燻り続ける不安や心配を解消するためには、この方法しかないと思っている。どんな代償を払うか分からないが、覚悟は出来ている。

 私は、テーブルの上に置いてあった、十一の月にもらった何人かの日記を、「これを読んでください」と、カーディナルさんに渡した。彼は、ペラペラと紙を捲って異変に気付いたのか、眉を顰める。


「不自然に抜けている部分があるな」


 カーディナルさんが指摘した通り、その日記には、ある人物の名前や容姿などが虫食いにあったかのように抜けていた。例えば、以下の通りに。


「今月の三日からこの町に滞在している二人の旅人、               様と           が、本日の昼に、ノシェ様と対面した。」


「 メイドに案内されて入室してきたのは、ノシェ様と          と  だった。       様は             、     様は      に身を包んでいた。」


 ――これは、執事長であるマイルニ・オーアリイさんの日記から引用した。

 日記は、膨大な空間に繋がっている箱に全て仕舞っていて、私しか開けることが出来ないので、その一部を消すことは出来ない。そもそも、魔法で調べたところ、私と書いた本人以外にこの紙を触った痕跡がない。


「他にも、私のメモ以外、殆ど白紙になっていた日記が二枚ありました。これはおそらく、その二人の旅人が書いたものだと思います。他にも、十一の月の末、町の上に化物が現れたという記載があるのですが、その詳細が抜けていました」

「異変に気付いたのは?」

「一の月になってからです。十一の月に関することを、私はうろ覚えになっていました。でも、こんなことは絶対にありえないんです。そこで、日記を確認してみたところ、このようになっていて……」

「魔法ではないとするならば、過去が変わってしまったのか……その割には、中途半端だな。旅人たちが『いた』という証拠は、日記やノシェの記録に残っている」


 とんとんと指で机を叩くカーディナルさんに、私は頷いた。そして、自分の決意を話す。


「私は、この二人に何が起きたのか、そしてどうなったのかを、知りたいんです」

「確かに、『知りたい』と言い切るのは簡単だ。その好奇心は尊重しよう。だが、二人の人間が記録や記憶から消えているという異変がある以上、何かとんでもないことが起きたはずだ。それは、あんたが望んだようなものではない、凄惨な結末の可能性もある――それでも、知りたいか?」


 カーディナルさんの真っ赤な瞳に見据えられた時、息が詰まる思いがした。

 今まで、大量の情報を摂取してきた。それがどんな意味を持つのかも知らないで。私は、恐ろしいことをしようとしているのかもしれない。――それでも、頷いた。


「……私は、二人と秋祭りに行く約束をしました。二人が町を去った後、その幸福を祈りました。そんな大切な人たちだからこそ、二人の辿った旅路を、迎えた結末を、どんな形であったとしても、見届けたいのです」

「よく言ったな。俺は、その無謀な所が好きだぜ、ノシェ」


 からからと楽しそうに、悪魔笑う。こっちは内心ドキドキしながら発言したのにと、手元のハンカチで冷や汗を拭った。

 その後は事務的な手続きに移った。二枚の紙に、契約の内容を書く。そして、支払う代償を定めるためにカーディナルさんは、じっと、しかしつむじから爪先までを見定めるかのように、私を見ていた。


「――代償は、これまで学んできた、母国語以外の言語。それでいいか?」

「構いません」

「とは言え、支払った後に学び直すのも可能だからな」


 カーディナルさんがそう言ってくれたので、本棚から異国語に関する本を数冊取り出し、手元に置く。契約後に、頭が空いて、気絶しないようにするために。

 そして最後の仕上げにと、二枚の契約書に、私の名前を刻んだ。一枚は私、もう一枚はカーディナルさんの手に渡る。


 低く鯨の声が響く室内で、カーディナルさんは、テーブルの上に右手を載せた。それを、ゆっくりと上に持ち上げていくのに合わせて、一冊の本が現れてきた。いや、本が生成された、というのが正しいのだろう

 そんな不思議な光景を見届けた途端、私の中で飢餓感が生じる。こんなに頭が空いたのは、幼少期、呪いの全貌が分かる前に倒れた以来だった。私は慌てて、言語の本を捲って、情報を取り込んでいく。


「これは、一度だけしか読めない本だ。最後の頁を読み終えて閉じると、本は消えてしまう。この中に、旅人たちの全てが書かれているが、ノシェ以外の者には白紙に見える――そんな、一番知りやすい形にした」

「ありがとうございます」


 必死で速読をしている私に、カーディナルさんはそう説明してくれた。まだ情報が足りない気持ちがするけれど、飢餓感から免れた私が顔を上げると、彼は椅子から立ち上がるところだった。

 私が書いた召喚陣の上に立ったカーディナルさんに、いつも一緒にいる黒い大型犬のジュリアンはどうしたのかと尋ねると、「今は引っ込んでいる」と返された。


「そろそろ俺は帰るよ」

「はい。また、秋祭りに町へ来てください」

「そうだな。じゃあ」


 カーディナルさんが片手を挙げると、その足元から青白い煙が吹きあがり、彼の姿を包んだ。それが消えると同時に、カーディナルさんもいなくなっていた。

 さて、と私は契約によって生まれた本を手に取った。――本当は、早く読みたいのだけど、今夜はもう遅いし、時間を作ってじっくり読みたいと思った。


 だけど、大切な友達に再び会えるのだと思うと、興奮して、すぐに寝られそうにない。そんな気持ちだった。


                 おわり

















































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