第9話 家族

「おはよう。具合はどう?」


 目覚めると、ヘレナがベッドの傍の椅子に腰かけて、心配そうに少年を見ていた。


「ちょっとだけ身体が痛い。けど、たぶん大丈夫」

「どれどれ……」


 ヘレナはショーンの額に乗った濡れタオルを取り、彼の額に自分の額を当てる。


「うん、熱は下がったね。よかった!」


 姿勢を戻したヘレナが、眩しいくらいの笑顔をショーンに向けた。


「カイは?」

「罠の見回りに行ったよ。昨日の吹雪じゃ獲物もかかっていないだろうし、この足下じゃ、キミを連れていくのは危ないからって。見てごらん」


 ヘレナに支えられながら起き上がったショーンは、目をみはった。

 白い。窓から見える外の景色は白一色ではない。白と黒の世界。けれど、太陽に照らされた白が眩しくて、あまりの美しさに目を逸らすことができなくて。


「朝ごはんを食べたら、少し外で一緒に歩こうか。この機会にショーンは雪ってものを知っておいたほうがいいって、カイも言っていたしね」


 そんなショーンの様子を見ながら、ヘレナは微笑んだ。


「そうそう。眩しい雪をあんまりずっと見ていると、雪目になっちゃうからほどほどにね」

「雪目?」

「うん。あんまり長く強い光を見続けると、光に目がやられて、痛くて開けていられなくなるの。雪じゃなくてもなるんだけど、雪の反射は強いから、特になりやすいのよね。私、子どもの頃に雪ではしゃいで、よく雪目になって怒られてたの。あんまりなるもんだから、この子は目が弱いんじゃないかって心配されちゃったりね」


 ヘレナはいたずらっぽい笑顔でショーンに手を差し伸べる。ショーンはその手をとってベッドから抜け出した。少し荒れてはいるが、柔らかくあたたかなヘレナの手。カイの大きな手とはまた違う優しさを感じる。

 手を引かれて食卓に向かうと、カップに盛られたシチューが湯気を立てていた。初めてこの家で食べたものと同じ、少し褐色がかった熊肉のシチュー。独特な熊肉のにおいをまろやかに包み込んだ、シチューの甘い香りが食欲を強く呼び起こす。


「熊のお肉は身体を中からあたためてくれるから。お腹からポッカポカになって、外で遊ぼう!」

「うん。ヘレナ、ありがとう」



 あたたかいシチューを食べ終え、いつもより少し厚着をして、ショーンたちは庭へ出ようと扉を開けた。

 ここは谷あいの広場にあたる場所。渓流に向かえば直接地面に落ちる光もあるが、家の周りは木漏れ日のほうが多い。

 午前中の柔らかな光のはずなのに、いつもより眩しく感じる。眩しさに目が慣れると、足下はもちろん、木々の枝にも雪や氷の花が咲いているのが見えた。黒いのは木々の幹と、渓流の筋。それ以外は、すべてが白く輝いている。

 どさりと音を立てて、枝から雪が落ちた。遅れて漂う粉雪が、キラキラと輝きながら地上に降り注ぐ。


「うわぁ……」


 ショーンは瞳を輝かせ、感嘆の声を上げた。その息までが白く輝く。

 やはり、美しい。今までに見たことのない輝きだ。凜と冷えた空気が、さらにその美しさを引き立てているように感じる。


「雪は滑るから、降りるときは足下に気をつけてね」


 少年がポーチから外に足を踏み出すと、踏みしめた雪がギュッ、ギュッと音を立てた。

 厚手の革を使った革靴を履いているのに、冷たい氷の気配を足で感じる。いつものように歩こうとすると、早速滑って尻餅をついた。

 ふわふわに見える雪だが、思ったよりも硬い。積もった雪の量が少ないのかもしれないけれど。それでも、雪は彼のくるぶしが隠れてしまう程度には積もっている。


「重心は前に。いつもより歩幅を狭くして内股気味に、足の裏全体で地面を垂直に踏みしめるようにすると滑りにくいよ。それなら転ぶときも前に倒れるから、後頭部を打つことはないしね。本当は靴に縄でも縛っておくと、少しは滑り止めになるんだけど」


 眩しいくらいの笑顔で、ポーチからヘレナが声をかける。慎重に立ち上がったショーンは、言われた通りに少し前のめりになりながら雪を踏みしめた。

 確かに、先ほどより安心して歩ける。カイのつけていった足跡の上も、足跡のない新雪も。ショーンは嬉しくなって家の前を歩きまわった。

 ヘレナは小さな雪玉を作り、雪の上を転がしはじめる。自身の頭より少し大きいくらいに育ったところで玄関前に置き、また次の雪玉を転がしてひとまわり小さなものを作った。それを先ほどの大きな雪玉に乗せる。


「うん。湿った雪だと作りやすい!」

「ヘレナ、何を作ってるの?」


 ショーンが興味津々に寄ってきた。


「これは雪だるまっていうの。私の故郷では三段にして帽子をかぶせたり、野菜や落ちている木の枝を使って顔を作ったりしてたんだよ。二段のものは、東国でよく見たな。あとはこんなふうに……」


 ヘレナは足元のきれいな雪をポーチの床に楕円形に盛り、軽く固めた。そして庭先の木から取ってきた赤い小さな実と緑の細長い葉をふたつずつ、そこに刺す。


「雪うさぎ。これも東国で教わったの。かわいいでしょ」


 ショーンの瞳が輝いた。子どもらしい無邪気な笑顔が広がる。


「一緒に作ろうか」

「うん!」


 そのきらめく笑顔を向けられた瞬間、ヘレナは少年を強く抱きしめていた。


「ヘレナ?」

「ごめん。その……つい」

「ヘレナ、泣いてるの?」


 抱きしめられたショーンからは、ヘレナの表情は見えない。けれど、声に涙を感じとれる。少年は自分が何か彼女を悲しませてしまったのかと心配になって、ヘレナに声をかけた。


「ごめんね。悲しいんじゃないんだ。ただ、嬉しくて」

「うれしい?」


 ヘレナの腕がゆるむ。ショーンは彼女の顔を見上げた。


「うん。キミの心の底からの笑顔、初めて見られた。それが、とにかく嬉しいの」


 そう言いながら涙を拭い、ショーンに微笑みかけるヘレナ。少年はほっとした表情で右手を伸ばし、彼女の頬にそっと触れる。


「悲しいんじゃなくてよかった。うれしくても、涙って出るものなんだね」

「うん。そうだよ」


 今度はショーンの指がヘレナの涙を拭った。ヘレナは涙をぽろぽろとこぼしながらも、まぶしそうな笑顔を少年に向ける。


「ありがとう、ショーン。一緒に作ろう」

「うん」


 ショーンは足下のきれいな雪を両手いっぱいすくい上げ、ポーチに乗せる。隣にあるヘレナの雪うさぎを手本に、見よう見まねで形を整えていった。

 冷たい雪を素手で整形しているから、手はじんじんと痛むが、楽しさのほうが勝る。形ができると先ほどと同様、赤い実と細長い葉をとってきて飾りつけた。


「お、ショーンも出てこられたか。雪遊びはできたか?」


 背後から聞こえてきた、カイの声。顔を見なくてもわかるくらい、声に笑顔があふれている。


「あ、カイ。おかえりなさい! ショーンね、雪うさぎ作るの上手なんだよ!」

「ショーン、器用だもんな。どれ」


 カイは振り返った二人のすぐそばまで寄ってきて、ふたつ並んだ雪うさぎをのぞき込む。


「お、上手にできたな。久々に俺も作るか!」


 そう言いながらカイは背負っていた荷物をポーチに下ろす。そしてショーンの作った小さめの雪うさぎの隣に、大きめの雪うさぎを手早く作った。

 丸く大らかな印象のヘレナの雪うさぎ。大きく無骨な、どこか愛嬌のあるカイの雪うさぎ。小さめで繊細なショーンの雪うさぎが、それらに挟まれる。


「うふふ、家族みたいだね」

「当然だろ? 俺たちは家族なんだから」


 ヘレナの言葉にそう答えながら、カイはショーンの肩をがっしりと抱いた。


「そうだね。家族だもんね!」


 ヘレナの明るい声が聞こえる。戸惑うショーンを、今度はヘレナが反対側から抱いた。強く、柔らかい感触。

 ショーンは熱を感じていた。その熱は身体の奥底から湧き起こり、じんわりと全身に広がっていく。なんともいえない、柔らかさを感じる熱。

 この感情は何だろう? あたたかい。優しい。不安がすべて洗い流されていくような……これが安心? 喜び? 嬉しいという感情なのだろうか。


 ぽろり。不意に零れた涙が頬を転がり落ちる。


「あれ?」


 少年は戸惑いながら、涙を拭った。あとからあとから、とめどなく溢れる涙。


「ショーンは、俺たちの大切な家族だぞ」


 カイのあたたかいささやき声が耳元で響く。


「カイ、ヘレナ……ありがとう。ありが……とう……」


 二人に抱きしめられたまま、ショーンはしゃくりあげた。涙が、止まらない。でも、これは悲しい涙ではない。きっとこれが、さっきヘレナに聞いた嬉しい涙なのだ。


 受け入れてくれたこの二人のために、自分にできることは何だろう?

 二人のぬくもりを感じながら、泣きながら……少年はそんなことを考えていた。

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風が伝えた愛の歌外伝 はじまりの風 鬼無里 涼 @ryo_kinasa

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