第四場 喫茶店
喫茶店の中。田宮が歩き回りながら、時に身振り手振りを交えながら、原稿を読み返している。ドアベルの音とともに西野が早足で店の中に入ってくる。
西野「田宮、準備はできているかい。そろそろ大学の方へ来てもらいたいんだが」
田宮「あと一度だけ読み返したい。それが終わったらすぐに向かう。B号館の講義室で良かったんだよな」
西野「ああ。体育会系の連中も追い出して、時代遅れのバリケードも撤去させた。平和的に行こう。新しい時代の始まりだ。いよいよ我々と政府の対話が始まる」
田宮「ここまで俺を支えてくれた君の貢献は計り知れない。礼を……」
律儀に姿勢を正すと田宮は西野へ頭を下げようとする。西野は田宮の両肩に手を置いてそれを遮る。
西野「おっと、さっき言ったじゃないか、これが始まりだと。礼を言うのは全てが華々しい成功を収めてからにしてほしいな」
田宮「多少は紆余曲折があっても、脇道枝道に逸れることがあっても、結果的に俺はこの革命を成功させるよ。その希望をこれから皆に語ろう」
田宮の強い決意を秘めた表情とは対照的に、西野はどこか空虚な視線を舞台上方に向ける。
西野「すべての根源は一つに収束すれども、その末端はもつれ別れてまた合流し、信じる者たちもその出自を遥か彼方に忘れている。……己の出自も諸共に」
田宮「聞いた覚えがあるような無いような文言だな。何からの引用だ」
西野、我に返ったように田宮に視線を戻す。
西野「さあ。どこかで暇つぶしに読んだ本に書いてあったんだと思う」
田宮「思想書か」
西野「いや、大衆小説だよ。たしか時代物だった」
田宮「そんなものばかり読んでいると、今という時代に取り残されるぞ」
西野「取り残された時代にも言い分ってものはあるのさ」
田宮「相変わらず減らない口だな」
西野「田宮にそう言われるのは光栄だ。じゃあ、先に行って待っている。遅れるなよ」
ドアベルの音。西野が喫茶店から出ていく。
舞台上では十数秒後、田宮は原稿を確かめて椅子から立ち上がり、喫茶店のドアを開けて出ていこうとする。喫茶店の片隅でずっとその様子を見ていた男が立ち上がる。
男「僕も一緒に行っていいかな」
田宮「かまわないが、体の具合は大丈夫なのか」
男「あれから数日がたっている。なんとかなっているよ。それよりも君の話を聞かせてほしい。思い出したんだ、僕の職業を。僕はジャーナリストだ。そしてどうやらこの世界ではない、異世界からやってきたジャーナリストなんだ」
田宮「ジャーナリスト? では君はどこかの学生や肉体労働者ではなく、新聞記者だったのか」
男「いずれ元の世界に戻ることがあるかもしれない。その時のために、この世界の取材をしておきたい。この世界が、いや、この世界だけじゃない。どの世界に生きる人間が、どのような選択をしても、そこに必ず希望はあると僕は信じている。この世界が人間の一つの選択肢であったのなら、この世界の希望の形を僕は知りたい。君はその希望をこれから聴衆に語るという。ならば僕は君の話を聞きたい。いや、聞かなければならない」
田宮「俺の話を聞いた誰かに取材すればいいんじゃないのか」
男「生の言葉を、その言葉を発した人間の肉声を伝えることはジャーナリストの使命の一つだと思うから。そして有り得べき希望の形を人々に伝えること、それはマスメディアの重要な役割だと思うから。だから僕は自分自身で、君の話を聞きたいんだ」
一息で言い切った後、息を切らせる男。田宮は真剣な様子でその言葉を聞いていたが、男が口を閉じるとしばらくしてから微笑し、男の肩を叩く。
田宮「記憶を取り戻したのか。おめでとう、と言えばいいのかな。残念だが今は君の話を詳しく聞いている時間はない。あとで西野と一緒に話を聞こう。けれど思い出したというのなら、せめて君の名前だけでも今、聞いておこう。君の名前は」
男は田宮から視線を外し、舞台中央に立って観客席へ向く。田宮のスポットライトは外れて、男を照らす。男には上手と下手の両方のスポットライトがあたる。
男「僕の名前は、田原総一朗だ」
数秒の照明の後、舞台暗転。閉幕。
戯曲「1972年のアプリオリ」(全一幕四場) 葛西 秋 @gonnozui0123
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