5.

 王妃はエレミアに紅茶をかける理由を探している、と気づいたのは学園に入学し、初めて紅茶をかけられてしばらくしてからのことだった。

 王太子妃教育は終えており、どの国の王族と対しても「完璧」と言わしめる程に学んだエレミアに、ケチのつけようなどあるはずがなかった。

 立ち居振る舞い、教養、知識、全てにおいて小国の王妃などに遅れを取るわけがない。週に三回呼びつけられるたびに下らない話を聞かされ、王妃が庭師に整えさせた自慢の庭園の話を延々と聞かされ、賛辞を要求されるので応える。

 この国のファッションリーダーであると自負しており、誰も彼もが自分に憧れ、真似をしたがると言うので「勉強させて頂きます」と持ち上げ、王の寵愛を独占しているのは自分であると言うので「その通りです」と追従する。

 後宮に側妃が五人いても、王の子を産んだのは正妃である自分一人であることを誇りに思っており、ただ一人の王子を溺愛し、己の息子は優秀で有能で非の打ち所のない人間であると信じ込んでいるので相槌を打ち、敬うのは当然と言うから頷き、王家に入れることを這い蹲って感謝しろと言うから「はい」と頷く。

 人見知りで自分の意見を言い辛い子供であったとはいえ、公爵家の娘である。

 他人がどう言えば喜び、どう言えば不快になるかは承知していた。

 上手く取り入り、気に入られるよう振る舞うことは本来であれば不可能ではなかった。

 王太子や王妃、その周辺の人間に対してその能力を発揮しなかったのはひとえに、エレミアのことを最初から認めるつもりのない者達だからであった。

 取り付く島もない、とはこういうことだと実感した例である。

 「浅ましくも王家に嫁入りすることを強制する家の娘」であり、「親しく接する必要性を感じない家の娘」であると初対面から言ってのけた人々に、こちらから歩み寄る余地が果たしてあっただろうか。

 王妃は常にこちらの落ち度を探っており、無難に返し終えてしまえば貶してくるのは容姿と、王太子との不仲の二点である。

「本当に汚らしい外見だこと。王家にふさわしくない」

「申し訳ございません。醜い顔を見せるなと、王太子殿下のご指示にございますれば」

「王太子のせいにするでないわ!!」

 最近はこんな適当な理由で熱い紅茶をぶっかけられる日々である。

 コントかな、と前世を思い出した『私』は思うわけだが、紅茶をぶっかけられて茶会を終了するのが恒例となっている為、王妃に侍る侍女も全く動かない。

 濡れて無様な姿のまま退出を命じられるのが常であり、今までエレミアは惨めな気持ちになりながら、浄化魔法と回復魔法で汚れや怪我を綺麗にしてから帰宅していた。

 ひとえに、家族に心配をかけたくなかったからである。

 公爵令嬢である、という矜持もあった。

 辱められる自分が、許せなかった。

 だが今の自分は気にしない。

 紅茶で濡れた髪と顔、薄汚れた制服のまま王宮内を抜けて自家の馬車まで歩く。

 王太子に殴られた左頬は赤黒く腫れ、馬車の装飾で傷ついた側頭部は血が流れた跡がある。さすがに血は拭い、痛みだけは回復魔法で取ったが、王妃も侍女も護衛騎士も、こちらの顔を見もしないし興味もない為、指摘されることはなかった。

 ぎょっとしたような視線を向けてくる使用人や通りすがりの騎士、貴族達と目を合わせることもなく、毅然とした態度を崩すことなく前を見る。

 公爵令嬢に暴行を働いて許される身分など、限られていた。

 本来であれば許されないのだが、この国の王家は公爵家を下に見ている為、このような所業が許されると思っている。

 誰もが目を逸らし、見なかったことにしていた。

 

 これが、この国なのだった。


 自家の御者が悲鳴を上げる寸前のような顔でこちらを見、次の瞬間泣きそうに歪んだのを見て、ああ、この国に味方は自家の者しかいないのだなと実感した。

「…ごめんなさいね。いつもは綺麗にするんだけれど、今日はこのまま帰るわ」

「お、お嬢様、まさか、…!」

「馬車を出してくれる?痛みは取ってあるから大丈夫」

「…っ、か、かしこまりました。すぐに、すぐに!」

 我が家の使用人は自国出身に限らない。

 九割以上は他国から厳選して連れて来た、優秀な者達だった。

 残り一割弱は自国のスパイをあえて飼っている。

 重要な職には就けず、いつでも代わりとすげ替えることができる程度の者達だ。

 御者は護衛も兼ねており、魔法も使える。

 家に帰宅の旨を連絡してくれているのを確認し、座席に深く腰掛けた。

 

 さぁ、始めよう。  

    

 エレミアの幸せへの、第一歩だった。

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