4.

 週末の休日は親戚の家へ妹と共に日帰りで遊びに行き、大歓迎された。親戚達と共に街を回り、ランチとカフェを楽しんで気分を入れ替え、週明け学園の登校日。

 エレミアは毎日早めに登校し、馬車留めで馬車から降りずに王太子の登校を待つ。

 王太子の登校はいつもギリギリであるが、気まぐれに早いこともある為気は抜けなかった。王家の馬車を確認してから馬車を降り、王家指定の馬車留めの前で立って待つ。馬車から降りて来た王太子に、「おはようございます」と一番に挨拶するのが、婚約者に課せられた日課の一つであった。

 頭を下げたエレミアに挨拶を返すことも一瞥くれることもなく、王太子は馬車を降り、侍従に鞄を持たせて歩き去る。エレミアも視界に入らない後方、三歩下がってついて歩く。下手をすれば王太子の護衛騎士と並んで歩く羽目になるのだが、護衛騎士もまた己の職務を果たす為、公爵令嬢が並んで歩こうとも完全に無視をする。

 学園に入学してすぐの頃は、こんなことはしていなかった。

 婚約者として初顔合わせからずっと王太子には疎まれ嫌われており、会話を交わしたことなど数える程しかない。

 十歳から親について各国を回っており、自国にいなかったこともある。

 月に一度の王太子とのお茶会は、王太子側のサボタージュにより顔を合わせることもなく、いつも一人で茶を飲んで、二時間を無駄に潰していた。

 学園に入学しても態度が変わることはなく、エレミアとしては深く関わろうとせず、挨拶を交わすくらいでいいだろうと、思っていた。

 それが入学から数日後、王太子妃教育という名の王妃との茶会に参加する為、放課後王太子と共に王宮へ来い、との命令に陰鬱な気分を抱えながら王家の馬車に乗ったエレミアに向かって、王太子は言ったのだった。

「おまえは婚約者のくせに、全く僕を敬わないな」

「…そのようなことはございません」

「ふん、口ではどうとでも言える。不細工な上に不気味で、気遣いの一つもできぬ不出来な婚約者を押しつけられて、僕が可哀想だとは思わないのか」

 向かいに座った王太子は足を組み、ふんぞり返って今にも唾を吐きそうな程嫌悪に満ちた表情をしていた。

「気持ち悪いんだよ。僕を見るな」

「…申し訳ございません」

 ちらりと目線を上げたエレミアに投げつけられる言葉には、優しさの欠片もない。

「こんなのと婚姻しなければならないなんて…本当に僕は不幸だ…」

 一人嘆く男に、返す言葉はない。

 沈黙を保つエレミアを不快げに睨みつけながら、王太子は口端を持ち上げ笑って見せた。

 くすんだ金髪にくすんだ蒼の瞳、辛うじて美形のカテゴリに収まるだろう顔に浮かぶ笑みは、嗜虐に歪み醜悪に映る。

「ブスはブスなりに、せめて僕に誠心誠意尽くそうという気概を見せろ」

「…具体的に、何をお望みでしょうか」

「なに、おまえにもできる、簡単なことだ」

 そして現在の挨拶があるのである。

 初日こそ「本当にやりやがった」と僅かに驚いたような表情を見せたものの、二日目からは一切こちらに視線を向けることすらなくなった。

 最高学年に上がるまで、雨の日も風の日も、雪の日も欠かすことなく毎日行ってきた。

 使用人のように頭を下げ、付き従う様を生徒達は嘲笑する。

 王太子のクラスまで行き、王太子が席に着くまで廊下で頭を下げて動かない。

 ギリギリに登校されようものなら、エレミアは朝礼に間に合わない。

 事情を知っているはずの担任にさえも、冷めた瞳で遅刻扱いをされることにももはや慣れた。  

 エレミアのクラスはSクラス、王太子のクラスはAクラス。

 王太子は上位二十位以内に入ったことがなかった。

 エレミアは入学からずっと首席である。

 王太子の自尊心を傷つけ、さらに嫌われる要因となっていた。

 自覚はしていたが、わざと間違え成績を落とすことはできなかった。

 我が公爵家の人間は代々首席であったから、家族に心配をかけたくはなかったのだった。

 ランチは一人で摂っていたが、ある日王太子が言った。

「おまえは婚約者のくせに、僕と昼食を共にしたくはないのか」

 と。

 まさかの誘いに喜んだ自分は純真であったのだ。

 来いと言われて時間通りに向かった王族専用サロンでは、王太子と側近候補の友人達がすでに座って食事をしていた。

「遅れて申し訳ございません」

 と詫びれば、王太子は一瞥をくれて「壁際に下がっていろ」と命令をした。

「…どういうことでしょうか」

「給仕しろ、と言っている。そんなこともわからないのか、無能め」

 吐き捨てると同時に、側近候補達が声を上げて笑った。

「殿下、腐っても公爵令嬢でいらっしゃいますよ」

 そう言ったのは、伯爵令息だった。

「構わん、視界に入られたら料理が不味くなる」

「では呼ばなければいいのでは?」

「陰気な女だが、給仕くらいなら王宮へ上がってもできるだろう」

「いやいや殿下、給仕の真似事をする王妃など、聞いたこともありませんよ!」

 こちらにちらちらと目線を寄越しながら笑う男は、侯爵家の嫡男であった。

「食事をしながら仕事の話をすることもあるだろう。こいつの顔を見ながら対面で食事などしていられるか。給仕をさせながら仕事の話をすれば無駄がないだろう?」

「ああ、なるほど!」

「さすが殿下、効率を考えていらっしゃるのですね!」

「無論だ。現に父上も母上も、食事を共にし仕事の話をしていらっしゃるからな」

「そういうことでしたら、今から慣れておくのは大切ですね」

「全くですね」

 はははは、と高らかに笑う男達に給仕をしながら、エレミアは己の昼食を諦めたのだった。

 最初の頃は側近候補を伴っていたランチに、伯爵令嬢を伴うようになるのに時間はかからなかった。

 二人の仲睦まじい様子を見せつけられながら、己の昼食を諦めて給仕に徹する日々。


「…今日も、給仕をすればよろしいのでしょうか?」


 魔道具の眼鏡を装着した日、王族専用サロンに赴き、王太子に声をかけた。

 今日も伯爵令嬢と共に仲良くランチ中である。

「は?話しかけるな気持ち悪いんだよ。おまえはいつものように黙って給仕に徹していればいい。視界に入るな。虫けらが」

「…かしこまりました」

「ウィル様、せっかくのスープが不味くなってしまいましたわ…」

 悲しげに眉尻を下げ、スプーンを置いた令嬢に、王太子は優しい視線を向けた。

「ああ、可哀想に。こいつが全て悪い。取り替えさせよう」

「嬉しいです、ウィル様!」

 両手を胸の当たりで組み、媚びた口調で見上げた令嬢はちらりとこちらを見て口元を歪めた。

 優越感に満ちた顔だった。

 スープ皿を下げようと手を伸ばしたが、寸前に王太子の手が皿を掴み、床へと放り投げた。

 ガシャン、と派手な音を立てて食器が割れ、スープが床にまき散らされる。

「まぁ、ウィル様、お怪我はございませんか!?」

「ああ、大丈夫だよベル。…おい、片づけろ」

「…かしこまりました」

 壁際で立つ本来の給仕係に視線をやれば、こちらを見ていた給仕が片づけようと動き出す。が、王太子は止めた。

「待て。おまえは新しいスープを持って来い。…おまえが片づけるんだよ、愚図が」

「…わたくしが、でしょうか」

「他に誰がいる?おまえのせいでスープが不味くなったんだ。おまえに責任がある」

 横暴もここまで来れば笑ってしまう。

 さらに滑稽なのは、それを当然と受け入れている伯爵令嬢の態度であった。

「ああ本当に、空気が悪くなってしまうわ。…ウィル様がお側にいて良い、と許可したからと言って、思い上がってはいけないと思いますの。ご自分のお役目を、しっかり果たされるとよろしいですわ」

 何様の目線で語っているのだろう、この女は。

 こんな屈辱を、学園に入ってからずっと受け続けてきたのだった。

 黙って頭を下げ、破片を片づけ始める横で、二人は楽しそうに会話をしながら食事を再開していた。


 仲良くなれる気がしないし、仲良くしたいとも思わない。


 そして放課後、王宮へ行く用事がなければすぐに帰宅するのだが、今日は王妃に呼ばれている日なので王太子のクラスへと迎えに行く。

 やはりというべきか、王太子はいなかった。

 王太子と同じクラスの伯爵令嬢の姿もないので、逢い引きしているだろうことは容易に想像がつく。

 婚約者と共に王宮へ行かねばならない日、ということを理解しているはずなのに、この有様。本当に、エレミアを一人の人間としてすら見ていないことがよくわかる。

 最初の頃、見つからない上に指定時間に遅れる可能性があった為、王家の馬車で控えている護衛騎士にその旨伝え、自分だけ王宮へ向かったことがあった。

 王妃に向けられた侮蔑と怒りに満ちた視線と言葉は、当時エレミアの胸を鋭く抉ったのだった。

 

「そなたは王太子妃になるという自覚がないと見える。何の為に共に参れと命じているのか理解できぬのか。愚鈍な女に王太子妃が勤まるとでも?恥を知れ。そなたは王太子あってこその妃。王太子の身を案じ、何を置いても優先せずになんとする。頭も心も顔も醜く愚かとあっては…。本当に、忌々しい。四代ごとに公爵家と縁付かねばならぬことすら、王家にとっては許し難い屈辱であるというのに。血を入れてやることに感謝こそすれ、置いてくるとは何事か!」


 熱い紅茶をぶちまけられ、顔も制服も汚されたのだった。

 公爵家は、王家に感謝して輿入れせねばならぬらしい。

 そんな教育は受けていなかった為、エレミアは衝撃を受け、傷ついたのだった。

 そして今日も放課後、王太子と伯爵令嬢がいそうな場所を探して学園内を練り歩く羽目になっていた。

 王太子はエレミアに恥をかかせ、地面に這い蹲らせて跪かせたいらしい。

 だからいつも逢い引きの場所を変え、エレミアが困るように仕向けているのだった。

 時間に遅れれば王妃に叱られるのはエレミアである。

 王太子のせい、と言い訳すらさせてもらえず、しようものなら熱い紅茶が飛んでくる。

 この屈辱、王妃が死ぬまで続くのだろうと思えば憂鬱にもなる。

 前世を思い出すまでのエレミアは律儀に学園内を歩いて探していたが、思い出した『私』はそんな面倒で無駄なことはしない。

 魔力を学園中に巡らせて、王太子の魔力を探索する。

 今日も中庭の片隅にいるようだった。

 赴けば、壁を背にするようにして二人は抱き合っている。

 生垣の隙間から覗けば、口づけを交わしているのがよく見えた。


 よくやるなぁ。


 前世おばちゃんであった記憶を思い出した今となっては、そんな感想しか出てこない。

 十代だしね、若いしね、しょうがないね。

 と、温かく見守ってやれる立場であればいいのだが、こちらはあの男の婚約者であるし、あの男は王太子である。

 伯爵令嬢にも侯爵家嫡男の婚約者がいるわけで、この国で不貞行為は許されない。他国においても許されはしないが、この国は特に政略結婚が貴族間では普通であり、政略であるからには家同士、国の利害が絡む以上は厳しい目で見られるのだった。

 婚姻後の愛人事情は夫婦間で話し合え、となっているが、婚約時代の不貞は別だ。

「ウィル様…婚約破棄をするにも、正当な理由がなければ無理なのでは…?」

 伯爵令嬢がまともな意見を言っていた。

 王太子は令嬢の腰と髪を撫で回しながら、大丈夫だよ、と頷いている。

「不適格者、として陳情しようと思っている。僕に対しても不敬だしね。まぁ、不敬と言えばあの存在自体が不敬だけどね」

「まぁ、いやですわウィル様、わたくし笑ってしまいました…!」

「フフッ君の笑顔はとても愛らしい。あいつは笑ったこともないし…いや、笑われても不気味なだけだが」

「本当に、どうしてあんなに陰気で気持ち悪い方がウィル様の婚約者なのでしょうか…お可哀想です」

「そうだろう?本当に勘弁して欲しいよ。母上にも蛇蝎の如く嫌われているからね。父上にも再三言っているのだが、決まりだからの一点張りで。だがあいつに資格がないとわかれば、父上も認めざるを得ないよ」

「何か、なさいますの?」

「ははっ暴漢にでも襲わせようかな。公爵家の利権諸共、手に入れてしまえば婚姻の呪縛から解放されるんだけどな」

「ウィル様の婚約が解消されれば、わたくしの婚約も解消できますわ。だって、王太子殿下に望まれれば、解消せざるを得ませんもの」

 うっとりと目を閉じ、胸に顔を寄せる令嬢は幸せそうである。

「もう少し待っていてくれ、ベル…。卒業パーティーという公衆の面前で、破棄の宣言と断罪をしてやれば、公爵家も反対はできない」

「はい、ウィル様…!」

 どのタイミングで出て行けばいいのか迷う所であるが、約束の時間が迫っているのでわざと生垣を揺らして音を立てた。

 はっとして身体を離した二人は、エレミアを認めて緊張を解き、あからさまに馬鹿にした視線を向けてくる。

「何だおまえ、覗きとは悪趣味だな」

 令嬢の腰を抱いたまま言って来る己の滑稽さには気づいていないようだった。

 エレミアは軽く頭を下げ、「王宮へ向かう時間です」と言えば盛大に舌打ちされた。

「馬車留めまで一緒に行こう、ベル」

「はい、ウィル様」

 王太子はエレミアに答えることなく伯爵令嬢に話しかけ、令嬢もまた王太子を見上げて微笑んだ。

 睦まじく寄り添って歩いて行く二人こそが婚約者同士のようであり、エレミアはその後ろをついて歩く。

 こちらを振り返ることはなく、二人で楽しそうに会話をしている。

 侍従も護衛騎士も見慣れた光景であるからか、公爵令嬢に一瞥もくれない。

 これが、エレミアの日常だった。

 どこまでも否定され、いない者として扱われる。

 家族や親戚一同は皆優秀で目覚ましい功績を残しており、眩い存在ばかりであった。

 十七年しか生きていないご令嬢が、前向きに生きていくには酷であったのだろう。

 卑屈になり、俯き加減になり、元々の人見知りな性格も相まって、感情や考えを表に出すことを諦めてしまったとしても、責められない。

 伯爵令嬢を馬車まで送り届け、ようやく王太子は自分の馬車に乗った。

 続いて乗り込んだエレミアをゴミを見るような目で一瞥し、すぐに視線を逸らす。

 いつものことだった。

 馬車が走り出しても会話はない。

 以前「同じ空間で空気を吸うことすら苦痛だ」と言われて以来、気配を消して静かに座っているのだが、今日は話しかける。

「殿下、シアーズ伯爵令嬢は側妃として迎えられるのでしょうか?」

「…ハァ?」

 一気に馬車内の温度が下がったが、気のせいではなく、王太子の魔力である。

 気後れすることなく、だがいつも通りおどおどした態度を忘れぬように注意しながら、ちらりと王太子を見上げた。

「後宮の管理は正妃の役目です。本来公爵家から正妃が嫁いだ場合は一夫一妻の決まりですが、殿下がお望みとあらば、」


「黙れ!!」


 最後まで言うことはできなかった。

 向かいに座っていた王太子が立ち上がり、拳を振りかぶってエレミアの頬を殴ったのだった。

 激昂したままに殴られ、馬車の装飾に側頭部をぶつけ派手な音を立てて床へと崩れ落ちた。

「殿下!」

 さすがに侍従は立ち上がり、さらに殴ろうとする王太子を制して座らせ、座り込み頬を抑えて蹲るエレミアの側で膝をついた。

「大丈夫ですか?」

 だが声は平坦であり、心配している様子はなかった。

「…ええ…」

「では座り直して下さい。殿下に謝罪を」

 怪我を見るでもなく、助け起こすわけでもなく、淡々と声をかけて侍従は王太子の隣へと座り直す。

 エレミアは頬を抑え、ぶつけた側頭部を抑えながら座席に腰を下ろしたが、王太子も侍従も気遣う様子は微塵もなかった。

「…殿下、申し訳ございません」

「貴様などより、ベルの方が何倍も正妃にふさわしい!二度と下らんことを言うなクズがッ!!」

「…かしこまりました」

 正当な権利に基づいての発言を、暴力で黙らせる男の方がクズである。

 

 ああ、ダメだな。


 エレミアは耐えてきたが、今やブチ切れそうだった。

 もう少し、頑張ろう。

 もう少し、耐えよう。

 今までずっと耐えてきたのだから、あと少し位は大丈夫。

 エレミア、頑張ったね。

 もう少しだからね。

 

 そして着いた王宮で、王妃に熱い紅茶をぶっかけられるまでがお約束であった。

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