星空の中

それから数日後、療養所は8月を迎えていた。


この地方は前日に大型の台風が通過し、古民家自体にそれほど問題は無かったものの、いつも食糧を輸送しに来る車両が来られなくなり、私は街まで食糧を買いに行くことを命じられた。

人づかいが荒いと思ったが、何せ人員が少ない為、仕方のないことだった。

 

街までは山道を通らないといけなかった。慣れているので普段は大したことのない道のりだったが、昨日の台風で山道がぬかるみ、かなり歩きづらくなっていた。私は普段の倍くらいの時間をかけて山を降り、街で食料を購入した。



問題は帰り道だった。

出掛けた時間が遅く、また歩くのにもたいへんな時間がかかったため、山道にさしかかる頃にはもう暗くなっていた。


ただでさえぬかるんだ山道を、暗い中歩くのは容易なことではなかった。加えて、手には大量の食糧を抱えている。

何とか進んだが、山道を三分の一も進まないうちに息があがっていた。懸命に進むが、道は滑り、砂利に足をとられ、木の根につまずきそうになる。夕食の時間に間に合うだろうかと私はかなり焦っていた。


その時、頭上から声が降ってきた。

「随分お疲れのようじゃないか」

見上げると、上の山道に唯人が立っていた。

思ってもみない人物の登場に、私は驚いた。

「何してるの・・・?」

「誰かさんが中々戻らないから、熊にでも食われたんじゃないかと思って見に来たんだ」

彼はにやつきながら言った。

「何よ、からかおうたって、私今それどころじゃないのよ。早く戻らないといけないんだから」

私が言うと、彼は私の傍まで降りてきて、私から食糧が入った袋の半分を奪い取った。そして私が唖然としていると、あろうことか私の手を引き、そのまま山道を歩き出した。


当然私は驚き、焦った。彼と手を繋いで歩いている状態である。

「ちょっと・・・、唯人・・・!」

私は真っ赤になって彼を呼び止めた。今までろくな恋愛経験が無かった私は、唯人と手を繋いでいるというだけで動揺した。

「昔、僕らはこんな山の近くに住んでいたんだ。だからこういう道は慣れている」

彼は私の手を引き、歩いたまま言った。振り返らないので、彼がどんな顔をしているのかは分からなかった。

僕らって春生さんとあなた?と聞こうとした瞬間、私はぬかるみに足を取られた。

するとすかさず唯人が私を引っ張ったおかげで私は転ばずに済んだ。

「ご・・・ごめ・・・」

私が謝罪にもならないような謝罪をすると、

「謝るくらいなら最初から道の状況と人手を考えて出掛けるんだな」

と言われてしまった。私はぐうの音も出なかった。


そのまま、暗い山道を手を取り合いながら歩いた。


私はがらにもなく緊張してしまって、ほとんど言葉を発しなかった。唯人も特別何かを話そうとせず、私たちは黙々と歩いていた。


既に空は夜空になっていて、月といくつかの星が輝いていた。



 唯人のおかげで、古民家には思ったより早く到着した。夕食の時間にもぎりぎり間に合いそうだ。


私は入口で唯人から食糧の袋を受け取ると、

「別に私が頼んだんじゃないから・・・、見返りは何もないわよ」

と言った。我ながらなんて可愛げのない言葉かと思った。

しかし唯人は気を悪くした風もなく、

「今回は特別に、君の動揺した顔が見れたからよしとしてあげよう」

と含み笑いで言った。彼がいつ何時も余裕なのが悔しかった。

私は再び顔を赤らめた。それをなるべく悟られないように、何よそれ、と言って急いで古民家に逃げ込んだ。

 

療養所に戻り、スタッフに買ってきた食材を渡すと、私はすぐさま自室に駆け込んだ。そのまま床に体育座りをして顔をうずめた。


唯人に手を引かれて歩いたことに対して、未だ動揺していた。幸い、買い出しに行ったことで今日はもう休みでいいと言われていたので、唯人の顔を見なくていいことに安心していた。


買い出しを頼まれた時、確か手洗いから出て来た唯人が近くに居たのを思い出した。その時私が買い出しに行くことを知り、そして中々戻ってこないので迎えに来たのだろう。

でも、何故?

普段私は彼からぞんざいな扱いを受けていたので、彼の行動が理解できなかった。

考えていたら頭が回らなくなってきた私は、机の上にある書類に目を向けた。


それは昨日の台風により職員用の風呂が故障した旨の書類で、しばらくの間職員は患者用の風呂を使うようにとの内容だった。その間の個人の使用時間の割り振りが書かれていた。

確認すると私の使用時間がそろそろだった。考えることに疲れた私は、丁度良いと思って準備をし、浴室へと向かった。

 


入浴が済み、脱衣所で体を拭いていた。

二つ使っていた浴室が一つしか使えない為、一人あたりの使用できる時間はやや短くなっていた。早く直るといいけど、と考えながら手を動かしていると、突然脱衣所の扉が開いた。

とっさに振り返ると、あろうことかそこには風呂の準備を携えた唯人が立っていた。

「な・・・」

私は言葉が出なかったが、とりあえず全身をタオルで隠すことだけはすぐにした。

唯人はというと、おや、と言って片方の眉をつり上げただけだった。

「な・・・なんであなたがいるのよ!」

「今は僕の使用時間のはずだけど」

「職員用の浴室が壊れたから、臨時の割り振りの表が配られたでしょう!?また書類を見なかったのね!?」

わめく私をよそに、唯人は動じた風もなく、私の顔を見た。

「お前って、化粧しててもしてなくてもあんま変わんないんだな」

そして、私の頬の横まで手を持っていき、肩まで落ちた私の髪をすくい上げた。

「ああ、でも髪はこっちの方がいい」

その行動に対し、私は何に怒ったらいいのか、何に緊張したらいいのかわからなくなり、

「いいからとっとと出てってー‼」

と言い、唯人を脱衣所から押し出した。彼から返ってきた言葉は、はいはい、という適当なものだけだった。

 

それから私は急いで体を拭き、急いで支度をして浴室を出て、自分の部屋に逃げ込んだ。胸の鼓動がおさまらなかった。


とりあえず唯人が浴室を開けた時は大きなタオルで体を拭いていたので、肝心な部分は見られていないはずだった。それだけでもまだ救いだった。

次に鏡で顔を見た。大きな目に、控えめな鼻と唇。化粧には力を入れていなかったし、そもそも初めて唯人が出て来た時に素顔を見られているので問題はないはずだったが、何故だか少し悔しかった。

そして、頬の横に伸ばされた手を思い出した。

するとまた急に鼓動が激しくなってきたので、私はバスタオルをぽすっと投げてその中に顔をうずめた。

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