連鎖の男

マクスウェルの仔猫

第1話 連鎖の男

 明朝には今年最大級の台風が接近するという、金曜日の日中。


 ズラリと並んだPCモニターの前で、女性スタッフ達が窓に当たる雨粒を見ながら、不安げに話をしている。


 電車、平気そう?

 うち遠いから、もしかしたらヤバいかも。

 私は地下鉄だから…まあ何とか。

 いいなぁ〜、羨ましい。


 そんなスタッフ達を見ながら、うちの旦那様は帰り大丈夫かしらん?と考えていた係長の十位とおい千佳子に、課長がお呼びです、と声がかかった。



鶴ヶ岬つるがみさき課長、お呼びですか?」

「すまないね。実は、ご覧の通りの悪天候だ。皆を早上がりさせたいんだけれど、業務の進行状況はどうかと思ってね」


 呼ばれた先のデスクで、直属の上司である鶴ヶ岬太一朗がにこやかに千佳子を出迎えた。



 鶴ヶ岬太一朗。


 約10年前に設立された、このM社の社長の親友であり、一昨年、社長からの三顧の礼によって移籍してきた切れ者と称され、後に『M社の懐刀』と迄言われた男。


 その仕事、電光石火。

 その人柄、降りそそぐ月光。

 その姿、艶やかに凛。


 社内で2年連続「目の前に立たれるとモジモジテレンテレンしちゃう人」第一位を獲得している男であった。

 ちなみに、普段はダンディなお髭を誇る社長も、太一朗の前でよくモジモジしている。



「課長がそうおっしゃると思って、後は私のチェックのみですわ」

「さすが十位君だね、素晴らしいよ」

「恐縮ですわ」


 尊敬してやまない上司に褒められた千佳子の銀縁メガネの縁がキラ、と光る。


「では、皆を15時で退社させます。その後は私が全体の最終チェックを行いまして、鶴ヶ岬課長宛にデータをお送りしておきますので」


「それには及ばないよ、データを僕に送るといい。僕が最終決裁者として書類に判を押すから、君も皆と一緒に帰りなさいな。愛しの君が先に帰宅していると分かれば、君の自慢の旦那様も安心するだろうさ」


 まあ!と千佳子が、頬を染めて両手を当てた。

 熱愛の末、去年結婚したばかりなのである。


「きらりん☆」

「ん?十位君何か言ったかい?」

「いえ課長。お気になさらず。それでは、仰せの通りに」

「ありがとう。ああ、それと僕ではなく君の立案という事にしてくれないかな。僕も微力ながら、チームワーク意識の向上に貢献させてほしいんだ」


 鶴ヶ岬はそう言って、ぱちり、とウインクをした。


 ぶふっ。


「お気遣ひありがとござい…まふ。失礼いたしまっふ」


 千佳子が鼻のあたりを抑えながら、指のスキマから赤いモノをチラつかせ、つつつ、と退出していく。


「十位君は、鼻を抑える癖があるのがチャーミングだな。…さてさて、仕事を早目に終わらせたら今日はどうする…そうだ。桜も菖蒲あやめもいない事だし、桜に電話した後は、軽く一杯と洒落込んでから早めに帰るのもいいか」


 太一朗の妻と幼子は、第二子の出産に向けて、先月から実家に帰っている。


 ふむ、と一瞬だけ酒肴に思いを馳せた後、太一朗はノートPCに向けてピアニストの様に指を走らせた。

 




 ●


 時刻は23時。


 自宅最寄り駅の隣駅の大型スーパーで買い込んだ焼き鳥盛り合わせ(串なし調理済)、バナナ、チューハイその他をマイバッグに入れ、太一朗はフラフラと歩いていた。


 太一朗は、会社近くの行きつけのShot Barで軽く喉を潤す位のつもりでいたのだが、マスターと『強風に晒されると気分が高揚するのは何故か』という所から話が盛り上がり、痛飲してしまったのであった。


 駅前商店街の仲通りは閑散としていて、強風で店先に積んであったであろう物がそこかしこに散乱している中、ふうわりゆらりゆるゆらり、と太一朗は進んでいく。

 

「風強っ!風つっよー!飛ばされちゃうよおぉぉぉぉ!」


 太一朗は身長が182センチ、体重は83キロである。

 空手を幼少の頃から学び、大学時代はラグビー部に所属していた。そんなマッチョがそう簡単に風に飛ばされる訳はない。


 太一郎は向かい風に向かってさらに叫ぶ。


「魔王め!この程度の風で俺を吹き飛ばせると思ったか!魔の王とほざく割には、随分可愛らしいでないかっ!!」


 魔王はいない。


 阿呆がいるだけである。


 太一朗は、ふぅはっはー!と高々に笑い、更に叫んだ。


「この世界は、俺が守るぅ!!くらえ、究極魔法おおおぉぉぉ!」


 直立の状態で右手を頭上に掲げ、左手を股間の辺りまで下げた太一朗は、続けてハグを待つ外国人のように両手を左右に広げる。


 そして何やらくねくねと踊りだした後に、手ぇ手ぇ凝り、手ぇ凝りました…と口ずさみ、


「ニ酸化マンガン!スタンド漫画!オウマイ手々!」


 鉱物名と世界的に有名な漫画を歌詞にはめ込んだ、恐らく原曲はガー★民謡、運動会でよく耳にするアノ曲の替え歌を叫び、前方に両手を突き出した。


「ズビズバー!!……深淵の…………いっけぇー!」


 魔法の名前までは思いつかなかったらしい太一朗の絶叫が、強風にかき消されながらも、微かに商店街にえぇぇぇ…とこだまする。


 直後に、太一朗がフラリ、とよろめいた。


「くっ…魔力が底を尽きたか…平衡感覚が…」


 酩酊状態で叫んで踊って歌えば、フラフラするのは当り前である。


 そしてここから。

 そして今宵も。


 新たな太一朗の物語が始まる。



 ●



 フラフラの太一朗が、酒屋と八百屋の間の空間に、横倒しにパタリと倒れる。


 雨風を凌いでいた猫が、フシャア!と毛を逆立てる。

『やんのか?!やんのかよぅお前ぇ!』

 と猫パン連打。


 アイムソーリー髭ソーリーと謝りながら起き上がった太一朗が、マイバッグからこぼれ落ちたバナナで後ろにスッテンコロリンする。


 大きく広がった足でダメージを受けた太一朗のトランクスが、ビリリ、と悲鳴を上げる。


 起き上がりながら、むむむっ?と両手をお尻に回した瞬間、太一朗の胸の筋肉がワイシャツの前のボタンをばばばばっつんばっつん!と全て弾き飛ばす。

 

 バササササ!と翻るスーツとワイシャツを纏い、起き上がった太一朗。ランニングシャツに、太一朗のシックスパック腹筋が浮かび上がる。


「ふおおぉぉぉぉ!今俺は、T.M.エボリューショ★西川 史★…!」


 言葉も浮かぶイメージも、どちらも微妙に違っているのだが、そこに気づかないまま太一朗は西川貴★よろしく、両手を左右に大きく広げた。


 当然のごとく太一朗は風によろめき、酒屋の前に積んであった一升瓶用の空きケースにドカンとツッコむ。


 弾みで、立て掛けてあった台車がゴトリと床に倒れた。


 またもや隙間に入り込んできた太一朗に、飛びのく猫。

『やんのか?!またやってやらぁ!』『やら~』『ら~』

 猫一家総出の、嵐の猫パン。


 メンゴメンゴ!この詫びはこいつで堪忍してくんな!と焼き鳥盛り合わせを地面に置く。


 『お前いいもん持ってんじゃねえか!もっとねえのかジャンプジャンプ!』


 ふにゃんふにゃん!と鳴きながら焼き鳥(ささみ、もも、レバー、つくね)にかぶりつく猫一家を横目に立ち上がった太一朗が、台車に足を滑らせてまた転ぶ。台車は空きケースをいくつも弾き飛ばす。


 風にあおられた空ケースが、酒屋のシャッターに向かって走行していた軽トラックのフロントバンパーにゴン、と当たる。


 うつらうつらしていた運転手が目を開け、「……!やっべぇー!」とハンドルを切る。軽トラックは、キキキキィ!と急ブレーキ音を響かせて、太一朗の脇を通過していく。


「何事?!」と酒屋の二階の窓から顔を覗かせた若奥さんの脇に「おっきな音ー!どしたのー?」と駆け寄った幼女が手すりを掴み損ね、止める間もなく、きゃあっ!と落ちていく。


 絹を裂くような若奥さんの絶叫に、羽を広げて片足を上げたフラミンゴのような恰好でフラフラと立っていた太一朗が上を見る。


 眼前に迫る幼女を、ラグビーで培ったキャッチングと空手で養った動体視力で「ほんむっ」と優しく受け止める。


 バンッ!と酒屋の店脇の通用口から飛び出してきた若奥さんが、「ありがとうござ……!!」と言いかけたお礼を言いきる前に、マスク面、ワイシャツの前全開、転げまわってドロドロに汚れた太一朗を見て絶句し、娘をひったくる。


 太一朗に受け止められ、窓から落ちた事に驚いて火がついたように泣いていた幼女が、太一朗を指さして更に大声で泣き出す。


 娘に怪我がない事を確認した若奥さんが気丈にも「あああ、あの……ありがとうございました!」と太一朗に頭を下げ、通用口をバンッ!と閉めて帰っていく。


 えぐえぐ…となく我が子を優しくなだめながら、若奥さんは酒を飲み爆睡している夫を当てにせずに、(警察に電話した方がいいのかしら)とスマホに手を伸ばす。

 が、その瞬間。


 バッツン!と停電が起こり、きゃあ!などと娘と二人で声を上げ、太一朗の事を瞬時に失念してしまう。





 一方、少し離れた所で。


 商店街を一人で帰宅していたOLのトートバッグをひったくってヒャッハーしていた原付バイクの二人組は、商店街の突然の停電に慌てふためき、運転する男がハンドル操作を誤り、右へ左へよろつく。


 危うく店に軽トラックを突っ込ませるところを回避した運転手が、「ふうう……やばかった」とハンドルに突っ伏している所に、車体にドガァン!!と衝撃が走る。


「なんだ?!」と跳ね起きた運転手は車のライトを点けなおすと、眼前に転がる男達を見て驚愕し、トラックから飛び降りる。


 救急車と警察を呼ばないと、とスマホを取りに車に戻ろうとする所に、息を切らせた女性がたたたたっ!と駆け寄ってきた。


「はあ、はあはあ……!この人達、ひったくりです!!」


 運転手は「何だと?!」と女性と男達を交互に見て、先に警察に電話かな…と業務用のロープを車に取りに行く。


 ちなみに、この出来事がきっかけで一組の恋人が出来上がる事になる。






 一方、その頃の太一朗。


 吹きすさぶ風と暗闇に大興奮であった。


「にゃっはっはー!いい気分だぜぇ!気分はそう、T.M.エボリューショ★西田 ★ 行!!」


 微妙に違う、そうじゃない。

 酔っ払い、恐るべしである。


「今日はたっのしー!…そうだ!みんなー!エボリューションと言えばぁぁぁ?」


 商店街の暗闇に向かって、耳を傾ける太一朗。

 暗闇の中、呼びかけに答えるは、ごうごうと鳴く風のみ。


「そうだよ!それそれー!みんなの大好きなあの曲、うったうよー!」


 もちろん返事などあるはずもなく、答えたのはきっと太一朗のイマジナリー観客達のみ。


 満足そうにひとり頷いた太一朗は、メロディを口ずさみながらまたクネクネと踊り始める。


 たーら、たーら、たーら、らららららっららー。

 たーら、たーら、たーら、らららららっららー。


「さーよ!なーら!」


 確かにレボリューションである。渡辺★里の。


 太一朗は大声で唄いつつ、フラフラと帰宅していくのであった。



 ●



 週明け、M社の休憩スペースにて。

 昼のワイドショーで、とある特集が組まれていた。


『はい!こちら中継でーす!台風が近づいた週末、今度はこの商店街に『烈風マスク』が出没したと聞いて、やってまいりました!』


 女性タレントが、にこやかにカメラに目線を向ける。


『今回も烈風さんは、やってくれました!まずは、窓から落ちた娘さんを助けてもらったという酒屋さんの奥さんに、お話を伺いましょう!』


『娘が手を滑らせて窓から落ちた時に、あの方は娘をしっかりと受け止めて下さいました。あの時はボロボロの格好に色々と驚いて、お礼も十分に言えませんでしたが…私の娘のように、危機の人達をいっぱい救っていたのかもしれないと思うと…烈風マスクさん、ありがとうございました』

『…あいがとう、ございまった!』


 若奥さんは目を潤ませて娘と一緒に、カメラに頭を下げた。微笑ましく見守るスタジオの出演者達と中継画面とが、分割されてテレビに映されている。


 女性タレントは、女の子にもマイクを向けた。


『烈風マスクさんはどんな人だったかな?かっこよかった?』


 女の子は、カメラに向かって首をひねりながら、悩んでいた。そして、ひねり出した言葉は。


『変なおじさ…』


 若奥さんが女の子の口を押えるのと、女性タレントが叫ぶのは同時だった。


『お話、ありがとうございましたぁ!』



 スタジオではその後、台風によってシステムダウンしていた商店街の防犯カメラではなく、独自に設置していた施設の監視カメラの映像を公開した。


 カメラは定点で画像は乱れていたが、10軒ほど先の酒屋の前でバタバタとしつつ、軽トラックの方向を変え、女の子を受け止める太一朗をかろうじて映し出していた。


 再度、中継現場にカメラが戻った後は、ひったくりが先ほどの軽トラックに突っ込んで警察に捕まったエピソードと、シャッターに突撃しかかった軽トラックの運転手とひったくりにあった女性の話を交えつつ、盛り上げていく。


 コメンテーターの芸人が、感嘆したように話し出す。


 決して、烈風マスクが超幸運な酔っ払いにしか見えない、とは言わない。


 そんな事を言ったその日から、ワイドショー関係の仕事は激減するであろう。必死で話を組み立て、別方向から話を盛り上げる。


『いやあすごいですね、烈風マスク!特に今回の軽トラックが店に突っ込まず、まるで烈風マスクを避けるように方向を変えたのは本当に驚きました!まるで映画のワンシーンを見ている感じでしたよ!!』


 確かに、カメラの画像は、軽トラックが一直線に酒屋に向かって行き、突っ込む直前で急に方向を変えたようにしか見えなかったのだ。


 共演者達が感嘆の声を上げながら、うんうん、と頷く。

 そこに、ヒーロー研究家、とプレートに書かれた男性が興奮したように話し始めた。


『あれは、超能力ですね。烈風マスクの超能力「サイカッキーネイシス」を使ったのでしょう』

『先生、「サイコキネシス」ではないんですか』

『サイカッキーネイシスですよ!本場では、そういう発音をしています』


 本場ってどこだよ…と共演者達は苦笑いしつつも、更にワイドショーは盛り上がっていった。



 ●



「ふうむ。世の中にはヒーローは本当に居るんだねえ、しかも僕の使う駅の隣町の話とは」


 昼間のM社のラウンジにて。


 太一朗が、キリマンジャロコーヒーの薫りを楽しみつつ、同席している千佳子に話しかけた。

 ちなみに太一朗は昨夜の事を全く覚えていない。


「そうですわね。素敵なヒーローがいらっしゃいますね」


 ラウンジで昼食や休憩を取る周りスタッフ達も、正体を上げてみたり、能力を考察したりでモニターを見て盛り上がっている。



 だが、千佳子は分かっていた。


 その正体は、敬愛する上司であり、夫の次に恋慕している男である事を。


 烈風マスクと呼ばれている太一朗にとって幸運なことに、過去数度の騒ぎの際に、映像では詳細を特定できないような映り方をしていた。が、千佳子は初回で気が付いていたのである。


(烈風マスクの正体は、まだまだ私だけのひ・み・つ☆)


 太一朗は、妻子がいない時しかああいう酔い方をしない。もしかしたら、永遠に千佳子だけの秘密になる可能性も十分にある。


 千佳子は、モニターを面白そうに見つめる太一朗の横顔を見て、うふふ、と嬉しそうに笑ったのだった。


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