目を覚まして

同接:1065人


「(……なん……だ。何が、あった?)」


 目が覚めると、そこには見たことない速度で流れるコメントの数々と、現在の視聴者数がパソコン画面に映し出されていた。


 俺が目を覚ましたことに気付いたのか、さらにコメントが加速する。


 こんな数字は昔も含めて自分の配信では見たことがなかった。


 夢か?


 いや、違う。これは現実だ。


 だったらなんだ、この数字は?


 寝起きの頭を無理やりフル回転させて、状況を整理してみる。


「(昨日の雑談配信から記憶が一切ない……から、寝落ちしたっぽいのは間違いない……けど、俺ごときが寝落ちしたところでこんなに同接が伸びるとは思えない。……ヤバい寝言でも言ったか?)」


 配信における寝落ちや遅刻は数字が伸びる、とは聞いたことがある。


 そういう配信者の意図しないハプニングは、その人の素が現れたりするからだ。


 だが人気Vならいざ知らず、俺なんて今やアンチすら見に来なくなっているほどの落ちっぷり。


 そんな俺が雑談配信で朝まで寝落ちしたからって、こんなに人が集まるかと言われれば、集まらないがアンサー。


 なら寝落ちする前、もしくは寝ている間に何かしらの事故が起こったと考えるべきだろう。


「(事故、それもヤバい事故……落ち着け、俺。冷静になれ。何をやらかした? 一体何をやらかした!?)」


 思考がどんどんマイナス方向に行ってしまうのは、最近の悪い癖だ。


 でも、そうとしか考えられない。


「(コ、コメントは?)」


 少しでも情報を得ようと、視界にチラつくコメントを一瞬だけチラ見する。


 何を言われているのか。


 どんな罵詈雑言が流れているのか。


 込み上げてくる恐怖を圧し殺して、コメントを直視した。


 すると、そこには予想外の名前が書いてあった。


『あずささんおる?』

『奥さんもVデビューさせませんか?』


 え?


 梓? 奥さん?


「(な、なんで梓の名前が出てくるんだ!?)」


 これまで梓のことは『嫁』だったり『奥さん』だったりと決して名前を表に出したことはなかったはずだ。


 にも関わらず、いまコメントでは梓の名前が公然の事実かのように流れていた。


 ひとつの可能性が思い当たる。


「(寝ぼけて梓の名前を言っちゃった……とか? だとしたらこんなことになってる説明は付く。いややそれだけじゃあない。他にも何か言ってたとしたら──)」


 サーっと、血の気が引いていく感覚に襲われる。


 もし、寝ぼけて何か個人情報に繋がることを発してたとしたら。それが配信に拾われてたとしたら。


「(と、とりあえず配信を今すぐ切らないとっ!!)」


 そう思って、視聴者に対して一言詫びを入れてから配信を切断した。


「ご、ごめんみんな!! ちょっと状況がうまく把握できてないから1回切──」



◇◇◇



「もしかしたら寝言で梓の名前を言ったかもしれない」

「え?」


 配信を停止してから部屋を出てリビングに向かうと、ちょうど梓がキッチンで朝食を作っていたので、おはようの挨拶の前に開口一番に謝った。


「どういうことなの?」

「実は──」


 昨日の雑談配信後、うっかり寝落ちしてしまったこと。


 寝ている最中に、梓の名前を口に出しそれが配信に乗った可能性があること。


 それによって、注目を集めてしまったこと。


 俺は、昨日の夜から今日の朝までに起きた出来事を、推測を交えながら梓に伝えた。


 俺の話をうんうんと頷きながら聞いた梓は、ボソッと呟いた。


「(あー、うん……そういう風に勘違いしてるんだね……それはそれで私としては都合がいいけど……アキラくん責任感じちゃいそうだなぁ……うん、よし!)」

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、なんでもないの」

「そうか」


 何か言ったような気がしたが、ただの気のせいだったらしい。


「すまない、梓。気をつけてたはずなのに、こんなことになってしまって……」

「あ、あー、そのことなんだけどねアキラくん」


 もう一度謝ろうとすると、梓が躊躇いがちに話を割ってきた。


 そして続けて、梓の口から思いがけない言葉が飛び出してきた。


「実は私、昨日ね、アキラくんの雑談配信見てたの」

「え?」

「それでね、アキラくんが寝落ちしちゃったところも見てて、配信を止めてあげようって思って配信部屋に入ったの。でも、結局止め方がわからなくてそのまんまにしようと思ったんだけどね、配信を見てる人たちが私の気配に気づいちゃったみたいで、ちょっとコメントがざわついてたから簡単に自己紹介しちゃったの」

「そ、そうだったのか……」

「う、うん。そうなの。だからアキラくんが寝言をうっかり言っちゃったとかじゃないよ」

「そうか……そういうことだったのか。それなら一安心……って、なるわけないだろ!?」

 

 思わず、口から大きな声が出てしまった。


 でも、それもしょうがないと思う。


 なぜならそれが本当なら、梓自信が気づいているのかはわからないが、とても危険な行為をしてしまったことに他ならないからだ。


「いいかい梓。俺が本名で昔活動してたことは少しネットで検索すればすぐに出てくる情報なんだ。そんな中で、梓が自分の名前を晒したら、身バレするリスクが──」

「──お父さんうるさい。朝から大きな声出さないでよ。せっかくの日曜日が台無しだよもぅ。ただでさえ寝不足なのに……ふわぁ……」


 話をしていると、娘の茜もリビングに入ってきた。


 今日は日曜日。


 だから高校生の茜も今日はお休みだ。でも、いつもは昼まで起きてこない茜が今の時間に起きてくるのも珍しい。が、今はそれどころではない。


「茜、大声を出してすまない。でもいま大事な話をして──」

「──知ってるよ、あれでしょ? 昨日、お母さんがお父さんの配信に出たやつ」

「茜も知ってるのか……」

「そりゃあ知ってるよ。だってもう切り抜き動画だってアップされてるんだもん。やったねお父さん、初バズリってやつだよ」

「そう……か、もう切り抜き動画も上がってるのか……」


 それだともう、手遅れだろう。


 梓の名前はもう、インターネット上に広まってしまったと考えるべきだ。


「自己紹介って何を話したんだ?」

「自分の名前と、アキラくんの妻ですって」

「それだけ?」

うん・・それだけ・・・・

「そうか……」

「アキラくん」


 どうするべきか。何か打てる手立てはないのか。考えるために少し黙っていると、梓が声をかけてきた。


「アキラくん。確かに、私が昨日やったことは少し考えが足りなかったところがあるかもしれない。でも、私は後悔してないよ」

「……身バレっていうのは、心も体も知らないうちに蝕むんだ。インターネット上の不特定多数の人間に個人情報を知られているって恐怖は、男である俺でもたまにキツいって思うことがあるんだ。それが女性だったらどうか、俺には想像もつかない。だから、少なくとも梓と茜のことは守っていかないとって、そう思ってこれまでやってきた……」

「でも、そのせいでアキラくん、ツラい思いをしてる。皆に、誤解されてる。間違った評価を受けてる。それを見てる私が、茜が、何も思ってないって、本気でそう思ってるの?」

「……っ」


 梓の言葉にハッと、2人の顔を見る。


 悲しそうな、呆れたような、そんな顔をしていた。


『やっぱり、そんなことにも気づいてなかったんだね』


 そう、言われてるような気がした。


「もう、ひとりで抱え込むのはやめよう? それじゃあ昔と何も変わらないよ? 何か負担を感じてたら、少しくらい私にも分けてよ。もし今回の一件でアキラくんが正しく評価されるようになるんだったら、私の身バレなんて大したことじゃないって思うの。アキラくんがツラいのは、私たちだってツラいんだよ? ね、茜?」

「え、えぇ、私? ま、まぁインターネット上の有象無象がお父さんのこと、間違った認識してるのは単純に腹が立つからね。もやもやぁって思いはほんの少しくらいは思わなくはないかなぁ、なんて」


 その言葉を聞いて、少し驚いた。


 いままでそんな話、一言も聞いたことがなかったから。


「そう……だったのか」


 お互い、もう大人なんだから。


 娘は気難しい年頃だから。


 そんな意識がどこかにあって、無意識のうちに深く干渉しないようにしていたのかもしれない。


「うん、だからこれから少し話をしない? ちょうど家族みんな集まったんだし。お互いに思ってること、ちゃんと共有しておいた方がいいと思うの。ね?」



◇◇◇



 あのあと家族で話をしてから、俺はリビングから配信部屋に戻った。


 それにしても──


「(まさか梓や茜があんなことを思っていたとはな……)」


 配信に対してあまり口を挟まなかった2人は決して興味がないわけじゃなくて、ただ俺の好きなようにやらせてくれていただけだった。


 でも、このまま口を挟まないとまた前と同じように勝手にひとりで抱え込んでいつか爆発すると、そう思ったから、梓はあんな行動に出たんだろう。そして茜も、それを後押ししていた節がある。


 2人とも俺に対する世間の誤解にはもやもやとした感情を抱いていたらしい。それも、当事者の俺以上にだ。


「(家族のことを考えてたつもりだったけど、全然考えられてなかったみたいだな)」


 もう少し、今以上に、自分の活動についても家族と話をしていこう。


 そう思った。


 ただ、さっきの話し合いで少し気になったのは2人が『今回のアーカイブは削除しないで残しておくこと』と『その切り抜き動画は見ない方がいい』ということだった。


 前者に関してはなんとなくわかる。すでに切り抜き動画が上がっている状態で元動画を削除しない方がいいという点。それに悪意のある切り抜きをされた時に視聴者がファクトチェックできるように元動画を残しておく。理由はこんなところだろう。


 でも、後者の理由はわからなかった。2人に聞いても「い、いやぁ」と、のらりくらりとはぐらかされて要領を得ない。


 まぁでも今回は2人の意見に素直にしたがっておくことにした。きっと、俺のことを思ってそう言ってくれたんだと思うから。


 とりあえず今回の一件、何かしらこちらからアクションを起こしておいた方がいいということだったので、俺のツヴィッターアカウントで今回の件について軽く触れる形で呟くことになった。


 どんな呟きをしようかと考えていると、ピコンという通知音と共に俺のツヴィッターアカウントに一通のダイレクトメッセージが届く。


 メッセージの送り先の名前をみて、ハッと息を飲む。


 そしてメッセージ本文を読んで、ビックリしてスマホを落としそうになった。


 長々と丁寧な言葉が並んでいたが、一言で要約するとこう書かれていたのだ。



『コラボしませんか?』

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