歯車はゆっくりと回り始めて

 時はさらに流れて2022年の3月1日。


 我が家のリビングでは家族全員が揃って夕飯を囲んでいた。


「それじゃあ、茜の高校合格を祝って乾杯!!」

「乾杯~。茜、お疲れ様」

「乾杯~、ありがとう~!!」


 チャンッ! とガラスのコップが打ち合う音が鳴る。


 今日は茜がこの間受けていた高校受験の合格者発表の日だった。


 結果はもちろん合格。


 茜は第一志望の高校へ入学する権利を手にしたのだった。


 大丈夫だと思いながらも心のどこかでは不安があったが、それも今日で完全に解消された形となった。


 両親二人でホッと一息ついた後、夕飯を豪華にするべく買い物へ。そして茜の好物を食べ物飲み物買い揃えた後、準備を終えたのがつい先ほど。


 ぶらぶらと出掛けていた茜もちょうど帰って来たので、すぐに夕飯となった。


「いやー、これもお父さんとお母さんのお陰だね」

「俺は何もしてないさ。梓は、生活面で支えてたけどね」

「アキラくんだって、勉強できる環境を整えてたよね」

「配信部屋をリフォームしただけだよ。それに誰のお陰かって言ったら勉強をした本人が1番頑張ったんじゃないかな? だから本当にお疲れ様、良く頑張ったな茜」

「なはは~、まぁね。これでようやく一安心かな」


 和やかな雰囲気で食事がスタートする。


 テーブルの上にはお寿司に唐揚げ、ハンバーグと茜の大好物が並んでおり、いくつも取り皿に移しては美味しそうに食べている。


 俺はあまりお酒は飲まないのだが、今日ばかりはと缶ビールを開けた。


 食事がある程度進むと、話は受験から趣味の──VTuberの話題へと移った。


「いやー、やっと受験も終わったことだし、積んでたアーカイブ追っかけないと!!」

「うん? VTuberの話?」


 茜の呟きに、梓が食い付く。


 俺がワオチューブで活動していたためか、家族全員そのあたりの事情には敏感なようで、専ら話題に上がるのはワオチューバー、最近ではバーチャルワオチューバー──通称VTuberについてが多い。


 動画を投稿していた時はあまり気にしていなかったVTuberだが、俺も休止中に興味を持って見始めたのが運の尽き。


 いまではその沼に片足どころか肩までどっぷり浸かっているような状態だ。


「そ。勉強優先で切り抜きしか見れてなかったからね。ちゃんとアーカイブ追わないと」

「最近は誰を見てるんだい?」


 俺も興味が沸いて聞いてみる。


「私はやっぱりバビ様かな」


 バビ様。


 個人勢で今最も勢いのあるVTuberと言えば誰だと聞けばVオタク10人のうち8人は『バビ・ルーサ』の名前を上げるだろう。


 彼の人気の特徴はなんと言ってもその圧倒的な『FPSゲームの上手さ』と『トーク力』にある。


 FPS。一人称視点のシューティングゲームと言えば分かりやすいだろうか。


 彼が主にプレイするのは『GUBG』というFPSのバトロワゲームだ。


 プレイが上手いことも去ることながら、見ている人を飽きさせないトークも彼の魅力のひとつだ。


「バビ様は最近良く見るけど、本当にFPSゲームが上手いよね」

「そうそう。ソロのハンドガン縛りでカツ丼できるくらいうまいし、トークだってコメントひとつで10分くらい話し続けられるし、あの人絶対頭いいよね」

「へー。わたしもあとで見てみようかな」

「お母さんは誰見てるの?」

「うん? わたし? わたしは最近は『Met a Live』のむじなちゃんを見てるよ」


 むじなちゃん。


 企業勢で今最も人気のあるVTuberと言えば誰だと聞けばVオタク10人のうち9人が『綿貫むじな』と答えるだろう。


 彼女の人気の特徴はなんと言ってもその圧倒的な『かわいさ』にある。


 『Met a Live』所属の化け狸である彼女はその見た目と声でデビュー配信後1日で登録者数が10万人を達成するという偉業を成し遂げた彼女はお世辞にもゲームがうまいとは言えない。


 尊大な口調でゲームスタート前にかならず大口を叩くにも関わらず実力が伴っていないがゆえに毎回泣きそうになる彼女は『泣きむじ』と呼ばれファンたちの性癖を大いに歪ませている。


 しかし、彼女が失敗を繰り返しながらも健気にクリアへと進もうと努力するその姿は、見ている人が思わず応援したくなるような魅力を兼ね備えており男女問わず人気が高い理由のひとつとして知られている。


「あー、かわいいよね。私も好き!!」

「うん。見てると『頑張れー』って応援したくなってついつい見ちゃうの」

「へー、そうなのか。切り抜きとかでは見たことあるけど、生配信は見たことないからなぁ」

「本当? それはもったいないね。わたしのオススメは『リザードクエスト8』」

「う、うん。今度見てみるよ」


 梓から少し圧を感じながらも、興味はあったので素直に頷く。


「そういうお父さんは誰が推しなの?」

「推し……と言われると答えられないかな。最近は色んなVTuberを見ているから。皆それぞれ個性があっておもしろいよ」


 茜からの問いに、コレという回答は出せなかった。


 今、VTuberの総数は1万人を超えたという。


 多種多様。色々な特徴、個性を持ったVTuberたちがワオチューブという土俵の上で競い合っている。


 登録者数が100万を超えるVTuberもいれば、2桁にも満たないVTuberもいるし、3Dモデルを持つ者もいれば2Dモデルしか持たない者だっている。


 たとえ登録者が少なくともキラッと輝く個性があったりして面白いし、同時接続者数が少ない分コメントも拾ってもらいやすいため彼らの存在をより身近に感じられる良さがある。


 だから最近は、企業勢よりも個人勢の配信を見ることの方が多くなっていた。


「Vっていいよね!!」

「うん。見てるこっちまで元気になれる」

「そうだね。企業勢だろうが個人勢だろうが、みんな本当に楽しそうで──」


 頭がぼーっとしてきた。


 どうやら少し酔いが回ってきたらしい。


「──俺もあんな風に遊びたいなって、最近思うよ」

「……」

「……」

「あれ? どうかしたのかい、二人とも?」


 急に二人が黙り込んだ。


 あれ? 俺は今、何て言ったっけ?


 不安に思い問いかけると、二人は顔を見合わせる。そして、茜が意を決してといった様子で俺に対してひとつの疑問を問いかけた。


「お父さん、またやらないの? ワオチューブ」

「や……」


 やらないよ。


 反射的に口から出そうになった言葉を飲み込む。


 本当にそう思っているのだろうか。一度自分の中で反芻する。


 そして数瞬の間を空け、代わりに吐き出すのはただの言い訳だった。


「でも、また戻ったら……また二人を蔑ろにしてしまうかもしれない。それがいま、堪らなく怖いんだ」


 また活動を再開したいと思う気持ちは、正直言えばある。


 でも、また周りが見えなくなってしまわないかという不安が自分の意思を押し留める。


 いま、家族をちゃんと見えているという自覚がある。それは活動休止前にはなかった感覚で。


 お金目的で始めたワオチューブのチャンネルは(活動休止してから気付いたことではあるが)動画を新たに投稿せずとも十分生活できるまでに成長を遂げていた。


 貯金だって当初目的としていた金額もいつの間にか越えていた。


 もう動画を投稿する意味はない。


 いまが人生で最も充実している。


 だから、戻らなくてもいい。


 そう、自分を納得させようとする。でも──


「それは答えになってないよ、アキラくん」


 ──でも、この一年間、心のどこかにほんの小さな穴が空いているような、そんな感覚があった。


「わたしたちのことを抜きにして考えて。やりたいのか、やりたくないのか。それが聞きたいな」


 ピシャリと、梓がこっちを見ながらそう言う。


 俺の心の中を見透かすように、核心を突いてきた。


 ほんと、敵わないな。


「……俺は、またやりたい、やってみたいって思ってるよ。でも──」


 それをしてしまえば、1年前と同じになる。


 動画を撮って、編集して、投稿して。


 そういった作業と家族との時間は両取りできるようなものではない。必ずどちらかを犠牲にしなければならない。


 それは、この一年で修復してきた家族の絆に再び傷をつけることになる行為だ。


 そういう考えを、ぽつりぽつりとこぼしていく。あふれだしたら、もう止まらなかった。


 二人は時に相づちを打ち、時に頷き、俺の言葉を遮ることなく聞いてくれた。


「ふーん。要するにお父さんはまたワオチューブで活動したい気持ちがあるけど、動画編集とかをしちゃうと私たちと過ごせる時間がなくなっちゃうから踏ん切りがつかないよってことだよね」

「うん、そういうことだと思う」

「まぁ、ざっくり言えばそうかな。もう、二人を悲しませるようなことはしたくないんだ」


 ワオチューブで活動したい。でもそれは家族との時間を削るようなことがあってはならない。


 言葉にしてみればそれは矛盾しているように見える。


 やっぱり活動再開はできないな。


 自分の中で答えを出し、話を終わらせることにする。


「いや、やっぱりダメだ。活動再開は諦め──」

「──だったらさ、なればいいじゃん!!」


 俺の決意を遮ったのは、茜だった。


 閃いた! とばかりに椅子から立ち上がった茜は、身を乗り出して顔を寄せてくる。


「なればいいって、何に?」


 突然のことにまだ理解が追い付いていない俺の質問に、茜とそして梓さえもが「まだ気付かないの?」という顔をする。


「お母さんは分かったよね? 私が何を言いたいのか」

「うん、というよりも、これまでの話の流れで大体想像がつくかな」

「……?」


 いまだ何を言いたいのか分かっていない俺の様子に、しびれを切らしたのか少し間を空けて、茜はこういい放った。


「なればいいんだよ!! VTuberに!!」


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