6‐3 ブリテン・コロニー

ブリテン・コロニーの政府中枢院。コロニーの内部は特殊合金の外壁によってシールドされており、厳密に言えばここは室内なのだが。

シール・ザ・ゲイトと同様に天井には立体映像による『空』が映し出されていた。それもアウターのようにくぐもった灰色の空ではない。

まだ人類が環境を破壊しつくす前の、失われたはずの突き抜けるような青空が天井一杯に広がっていた。

無論、それは『内周』での様子のみであり下等市民が住む『外周』は錫色の外壁が天を覆い尽くしているのだが。


そしてディノスたちが会食を取っている建物もまた、古代ギリシャを模したような石造りの建物であった。

無論これは模造(レプリカ)であり、実際の建造物を持ってきたというわけではないのだが、

設計者の拘りか、材質や建造物はなるべくオリジナルのものをふんだんに使い、当時物の名残を可能な限り再現しようとしていた。

美しいギリシャの建造物は紀元前以前に文明が最も栄えたローマ帝政時代の遺産であった。

旧ローマ文明の崩壊と一神教的な側面が強い原理キリスト教団の暗躍は、文明のレベルを数百年単位で後退を強いたほどである。

嘗てはキリスト一派の十字軍に滅ぼされたローマ帝国だったが、その文化の血脈は多くの者を魅了し現在も脈々と受け継がれていた。

権力者達は過去の遺産を模しかく遊ぶ。これも生活も苦しい外周の下等市民達から搾り出した血税が使われている。


食事もまた、野菜と肉をベースに腕選りの料理人達が存分に手腕を振るった。薬漬けの合成食料でもレーションでもない天然のものである。

自然から取れたモノではなく、内周の荘園で育てた野菜や牛や鳥を使っているのだが手間もコストも市販品のバイオ合成肉と比べて馬鹿にならない。

粗悪ナレーションしか与えられない外周の人間やアウターの汚染された食料しか口に出来ない者と比べて、比較にならないほどの贅沢ぶりである。

これが出来るのは各コロニーの最高議員クラス以上か、セブンズの身内側近くらいのものだろう。


「テクノロジーの共有は慎重に行わねばならない。元老院の俗物共に知られたら厄介な事になる」


「確かに、それはごもっともでございます

ディノス様…料理のほうはいかがでしょう。そのお皿のローストはこちらで培養した子牛の肉を使っておりますが…」


「悪くない。これ以上に美味いものはあまり食べた事はないな」


ディノスが下したその評価は嘘偽りなかったが、並べられた料理に対してはあまり好みではなかった。

確かに文句なしの美味だが、付け合わせの野菜は悪くないが肉が柔らかすぎる。

あまり顎の筋肉を使わないのは脳の働きが鈍り職務に差し支える。

だからと言ってこの会食はガドモンの顔を立てねばならぬ為に参加しなければならなかった。『今後』も良好な関係を築くためには。


「お褒めに頂き…感銘であります。牧場を用意し、なるべくストレスのかからない環境で育てております…」


ディノスは薄く切った牛肉の料理を、丁寧にナイフで切り分けて口に運んだ。

食事は文句なしに美味だった。だが、目の前に座る男と話す内容が内容なので料理の味をじっくり楽しむゆとりはない。

そもそもガドモン自慢の料理人がこしらえたものにしても、ディノスが自分の屋敷で食べる物に比べれば味付けがやはり微妙に合わない。

味といっても趣向がある。ここに並べられた料理は確かに美味だ、だが油が多く必要以上に味が濃いのであまり口にしたくない。

しかし、こうして落ち着いた食事というのも数年ぶりである。たまにはこういうのも悪くないかもしれない。

だが、目の前に座るブリテンコロニーの最高責任者ガドモン・ハジュールは卑屈な眼差しでディノスに媚びた態度をとっているばかりだった。

コロニーの一指導者とは言え、『セブンズ』に比べると聊か地位が劣るので仕方ない事かもしれないのだが…目の前の小太りな男に視線を向けられながら食事に勤しむというにも、些か忍耐の必要とする所業ではあったが。


「シール・ザ・ゲイトの事ですかな?」


『シール・ザ・ゲイト』それは嘗てイディオ・ウルワが管理していたプロト・コロニー型の建造物であった。

しかしイディオは部下に翻意を起こされ、アウターでリオンに殺害された。

ディノスの為に自作自演の反乱を企てたジルベルも何者かに殺害され、シール・ザ・ゲイトは混乱の渦に包まれていた。

現在のそこはセブンズの強権を使って、テクノロジーの保護を名目にディノスが軍隊を送り込んで制圧を提案している。

無論、根強い反発もあった。セブンズの意見役である元老院が口出ししてきたからだ。

シール・サ・ゲイトはコロニーにとって表向きは禁断の地でもあるのだ。

それを説き伏せる事ができたのはディノス自身の議会工作の賜物もあるのだが、

表向きには秘匿された研究施設であったザ・ゲイトをアウターに占拠される以前に、研究員の保護を建前とした治安維持が名目であった。

一連の騒動を仕組んだのはテクノロジーの入手を目的としたディノス本人であったのだが…


「それについて話す段階ではない。『東』の連中、そして他のセブンズ共の目が光っている

奴らは私がワシントンを留守の間に色々探っているようだ。尻尾を捕まえようとしているのだろうがそうも行かん

彼等はこれから人類が進むべき指針を示せない、愚か者の集まりでしかない」


「左様で…」


ガドモンはディノスの言っている意味がさほど解らなかった。

そもそも自分は政争で簒奪したコロニーの統治者としての地位を固持するので精一杯の器だと自覚してはいるが。

自覚しているこそ限界を知っている事こそが強みになる事もある。

事実として彼はディノスの後ろ盾と権力の地盤固めを進める事によって、今の地位を堅持し続けてきたのだ。

権力者であり続ける事。それも一種の才能である、そしてコロニー郡の実質的な意思決定機関でもある『セブンズ』のディノスと『理想的な関係』を続けていくのは定石な選択であるとも言えた。


「時が来れば、必要な情報は開示しよう。その時はガドモン、貴様にも役になってもらうぞ」


「ありがたい事でございます…」


ガドモンは終始へりくだった態度をとっていた。そもそもコロニー陣営の最高権力たるである『セブンズ』の筆頭に意見する肝はなかったが。

強者には遜ってでも従っておく方が後々都合がいい。恩を売り込めれば自分が重宝されるチャンスが回ってくるものだ。贅を凝らした食事会もその一環である。


「新型の生産準備は進んでいるか?」


「は…外周のラインをフル稼働させて生産体制に入っておりますが、完全配備には二、三ヶ月程の時間が…

先行生産型は既にパトロールなどでデータを取っておりますが何しろパイロット達がリグタイプに馴染んでおりますゆえに、若干の養成と実戦経験が必要かと」


リグタイプとはギガント・フレームと呼ばれる人型機動兵器の新型であった。

GFはアウターにおける人型作業機械エクステンダーに対応するものだが、性能面では比較にならないほどこちらにアドバンテージがある

そもそもエクステンダー自体がギガント・フレームの機構を再現しきれていないデッドコピーみたいな物なのであった。


「まぁ、それでいい。現存するガンナータイプは旧時代の技術を使っているが故に、解体、保管されており監視の目が煩くてな。ならば手の届かないところで新型を製造した方が早い。シール・ザ・ゲイトはその為の要石になる

それに、アウターの連中はいずれ食い合う。その時こそが付け入るスキがあるというもの…準備を進め万全の状態を整えよ。来るべき時のために…な」


「はっ!」


仰々しく礼を取るガドモンに対してディノスは平静そのままだった。


「ディノス様」


髪を結った若く綺麗な女が帯剣しており、華美な服装ではないが立ち振る舞いからしてそれなりの地位の者である事は見て取れた。

公の場所で火器以外の武器を携帯するのは上流階級の証であり、名誉であった。

白地にアクセント程度の金の刺繍が部分的に散りばめられたシンプルな衣装の服から見てディノスの側近だろう。


「お耳を拝借したく存じます…」


「うむ、わかった。何用か?」


女がディノスの耳に口元を近づける。赤い唇が何か囁いた後に端正なディノスの顔が眉を潜める。

それを見てガドモンは血が凍る思いをした。失礼なことをしたのではないか、彼の機嫌の損ねる行いに手を出してしまったのかと。

失敗をした料理人の首を飛ばし『外周』に家族共々追いやる事は簡単だ。

しかし、相手はセブンズの中でも有数の実力者たるディノスなのだ。癇に障るようなことがあれば『失礼』などで済むはずも無い。


「も、もしかして料理の味が…」


ディノスは薄いグレーの瞳に苛立ちを滲ませているようだった。

予想もし得なかったアクシデントが、彼の機嫌を損ねている。その責が自分に無い事をガドモンは祈るのだが…


「そうではない。私の娘が屋敷を抜け出したというのだ」


「は、はい…!?」


ガドモンの懸念は外れたが、ディノスの機嫌が直ったというわけではない。

いや、逆に考えればこれはチャンスなのかもしれない。彼に恩を売っておく機会が向こうからやってきたのだ。


「カドモン卿、直ちに捜索隊を出してもらいたい。私も他の用事が出来たのでな…そちらも忙しいのは分かるが」


「は、はい…了解いたしました。直ちにご息女様を連れてまいります」


恭しく跪くガドモンを振り向かず、豪勢な料理を多く残したままディノスは去っていった。


「おい、お前…すぐ動かせる手のものはいるか?」


ディノスが秘書の女と共に去って言った後にガドモンは即座に側近を呼びつけた。

その態度はディノス本人の前で遜っていたものとは異なり、横柄で傲慢な態度である。これが隠しもしない彼本人の本性でもあったのだ。


「ディノス様のご息女が脱走なされた件でございましょうか? しかし、今は警備に多くの人員を…」


「そうだ…あのお方にご恩を売る滅多にないチャンスだ。

本館の警備の手を薄くしても構わん。ゲートの連中は暇なのであろう? そこからかき集めるだけの人員をかき集めてくるのだ

ただちに可能な限りの人類を集め、確実に捕まえるのだぞ? 私の今後に関わるのだ、貴様の出世も約束してやる。」


側近が言い終わるよりも早くガドモンは捲し立てた。自分の未来が掛かっている。

上手くいけばディノスに取り入る事もで切るだろう。しかし、娘に何かあった場合は…顔が歪み餌をねだる豚のような形相になるほどには彼は必死だった。


「ぎょ、御意に、閣下…」


「…早くするのだッ!私をよく思わない人間が活動しているという情報もある

その者共が令嬢の脱走を知ったらどうなるか…何かあった場合お前の家族共々外周送りになると思え!」


やや、引き気味な部下を怒鳴りつけ彼は自分の命令の履行を急かすのだった。

セブンズに借りを作る千載一遇のチャンス。ガドモンにとってこれを逃す事はできないのだった。







「よォ、お前さんがくるのを首を長くして待っていたところだ」


リオンは笑う。彫りの深い顔の口が歪み、二メートルを超える長身と体格と相俟ってそれだけで相手に威圧感を与えるような迫力。

そして女の方も身体の小ささに反して少しも威圧に動じる事はなかった。彼女も無数の場数を踏んできただけの事はある。

冷徹な雰囲気を宿したまま、彼女はリオンに視線を返す。夜の砂漠のように凍りつく眼差しは底知れない。


「生憎と騎士道精神は持ち合わせていなくて…ダンスの相手は二人でよろしいかしら?」


誘うような女の口調。ぞくぞくと男の背中を撫でるような声だがリオン・ヴィクトレイには通じないようだった。


「二人がかりとはな、それとも腕に自身がねぇのかな? まぁ…俺様は負けるつもりは無いんだが」


せっかちそうに右腕の義手をカチカチ鳴らすリオン。

戦う事を楽しみにしているこの男は、目の前の女がどのような技で自分を苦しめてくるのか楽しみであった。


「早く降伏したほうがいいんじゃない?」


「コソコソ嗅ぎ回る溝鼠の言いそうな事だ。しかし、俺の目的は時間稼ぎをするだけだ。お前達に余裕があればいいんだがな」


「貴方達が『シール・ザ・ゲイト』から持ち出したモノ…機械人形だけじゃないようだけど?」


リオンの顔がやや険しくなる。カマをかけてみたらどうやら図星だったらしい。


「やれやれ…参ったぜ。まさか、あれの事を知っているのか?

俺はこんな性分だからマトモに嘘をつくのは苦手でな…もとよりあんたみたいな女と腹の探り合いをする気も起きねぇ

だったら生かして帰す訳にはいかねぇよなぁ…元より無事に済ますつもりも無いんだが」


「ご主人様からすれば余程に大事なものらしいわね。貴方があの場に居なかったのが気になるのだけど

もしかしてシベリアでの騒動でも先導していたの? チンピラを煽ってまで」


「まぁ、ごらんの有様だからな。だが、あいつらはあいつらで嫌いじゃないぜ

連中は単純なんだな。良くも悪くも圧倒的な力を見せ付ければそれに従う連中は扱いやすい

綺麗な顔をして、その実は蛇のようなあんたみたいに腹の探りあいをしなくて良いから疲れないしな。

兄貴と違って頭を使うのは俺は苦手だ。ま…職業柄手の込んだ事は慣れないながらもやってきたつもりだが」


言われて肩を竦めて苦笑した。アウターに更なる混乱を齎す手間に手を貸したつもりだが、

こうも簡単にやられてしまっては、手間隙かけたのも虚しくなってしまう。目の前の女が規格外ならば、それはそれで良いのだが。

リオンは見た目と彼自身の言葉ほど単なる脳筋ではなかった。状況を見定める戦略眼というものは備えている。

頭脳派の兄に比べれば劣るものの、直感にまかせるきらいがあるが決して馬鹿ではなく有能な部類だった。


「外の連中はあの子が相手をしているみたい。私たちはわたし達で始めましょうか?」


「1ついいか、お前の名前は何だ?」


リオンの問いに少し間をおいて女は答えた。


「与えられた名前なんてない。どうしても呼びたければ名無しとでも呼べばいいんじゃない?」


帰ってきた答えにリオンは眉を顰めた。人の形をしてはいるが機械めいた無機質さを女――――ナナシから感じ取ったからである。


「ナナシ…か、味気ない名前だな」


それを聞いて女…ナナシの赤い唇が歪む。月光に照らされた女の青白い顔が浮かび上がり、現世の者に見えないほどの妖気を纏う。

両腕の特殊グローブに覆われた繊細な指が、ピアノの演奏をするように滑らかに、そして艶やかに動く。

目の前の敵へのレクイエムを奏でようとするかのように、幾多の敵を肉塊へと変えてきた『糸の結界は』張り巡らされた。会話にわざわざ付き合ってやったのもこの仕込みの為だった。指さえ動けば結解を仕込むのに差し支えはない。

自分はこの男には勝てない。だが甲田怜ならば…時間を稼いで二人で仕留めるのが確実だろう。この男をどれくらい疲弊させることが出来るか?

ミクロン単位の鋼線は見えていないはずだ。それなのにリオンは相手の出してきた手札を見抜き感心と失望の混じったため息を漏らす。


「まぁ、てめぇはあいつより格下だろうが…前菜としては悪くねぇ、本気で食わせてもらうぜッ!!」


リオンは笑みを深めた。先程の会話で話していた理知的な部分は影を潜め。

歯茎をむき出しにし、片目をギラギラさせる猛獣といってもいい気迫。

危険な香りを醸し出す両者の激突の火蓋がたった今、切って落とされたのであった。





闇の中を一対の影が駆け巡る。両者とも人の限界を迫る素早さで工場倉庫の中を駆け巡った。

意外に思われるかもしれないがスピードはリオンの方が若干速い。そしてそれを捌く様に女の鋼線が微細な刃となって襲い掛かる。

一閃、二閃、三閃…今使役しているのは片手の計五本だが、やろうと思えば最大で十本もの鋼線が敵を切り刻み圧倒できる。

彼女の操る糸は中型変異種程度なら易々と両断できる鋭さと強度を持つ。指を数ミリ動かすだけで簡単に人を殺められるのだ。


「ウフフ…」


室内での閉鎖空間での戦闘。それは圧倒的に彼女の得意とするところだった。

野外では彼女の持つ特殊兵装『メタル・ストリングス』の射程が限られてしまう。

だが、室内での戦闘は敵の行動が制限される。それは女自身にもいえたことだが

相手が格闘戦を好むタイプならなおさらだ。張った罠に飛び込んできてくれるというのは手間が省ける。

リオンの体格は大きい。それは接近されれば不利という意味だが、距離さえ離れていれば的が大きい分狙いやすいという事になる。

いわば彼女にとってリオンは張り巡らされたクモの巣に飛び込んでゆく餌に等しいのだ。


シュッ――ビュン――――――――


張り巡らされた不可視の鋼線が、何もかも両断する斬撃となって暗闇の中を奔る。

空気をも切り裂いてゆく鋼の刃が閉鎖空間の中を飛び回る。

それがリオンの髪を数ミリずつ刻んでゆく。彼を捉えようと幾つもの鋼の刃が喰らい付いてゆく。

一方の鋼線をかわしてももう一つが飛んでくる、それを交わしても空間の合間を埋めるようにもう一本が襲い掛かる。

射程は優に三十メートル前後…近接戦闘ならば『ほぼ』敵は存在しない制圧力を誇る。


「なるほど…ワイヤー使いか。面白い手品だ」


リオンは不適に笑った。まるで糸の動きが見えているように軽い身のこなしだった。

暗闇の中を飛び回る線を『勘』でかわしているようだった。超人的な動体視力だ、並の人間なら既に数十回は切り刻まれミンチになっている。

しかし女はまだ『片手』のグローブしか使っていない。もう片方のグローブを使えばかわしきれるか?


(時間を稼ぐ、とリオンは言ったが…)


あまり時間をかけるわけにはいかなかった。それに上手く事が運んで奥にある『物』を奪えれば計画の半分ほどは完遂する。

そして、『彼女』を使えば上手く『あの男』を葬ってくれるかもしれない。

あの男を倒すには自分達の力はあまりにも微々たる物だった。だからこそある程度は賭けに出るしかなかったのだ。

『協力者』の存在が無ければ、彼女の主人も遠まわしな手段であの男の影響力を封じ込めるしかなかっただろう。

シール・ザ・ゲイトのデータに大量のダミーデータを打ち込んだ件も多少は時間稼ぎになっていたようだ。

あのままジルベルの好きなようにさせていたらシール・ザ・ゲイトも易々掌握されていたかもしれない。


今回も手をこまねいていては手遅れになるかもしれない。リオンはあの男の前座に過ぎない。

そして時間をかければかけるほど状況は彼の有利になってしまうのだ。

勝負をつけるために一気に糸の数を増やす、避けるスペースを減らされたリオンの動きが更に限定される。

それに畳み掛けるように鋼線の乱舞が空間を制圧してゆく。要はワイヤートラップによって動ける空間が徐々に制限されていくのだ。

生身の人間なら一瞬でバラバラにされるほどのデッド・ラインが敵を包囲する。


リオンは最小限の動きでそれを捌いていた。下手に動いてしまえば切り刻まれてしまう。

それを彼は解っていたのだが、退路を断ち隙を覗う彼女の作戦にはまったとも言える。

そして敵は隙を見せていた。流石に機械の体を持つ彼も人間という事なのだろうか。

リオンは避けるそぶりを見せず空間を跳ねつつ暴れまわる糸が彼に殺到した。


(見切った!)


おもむろにリオンは義手を突き出した。計十本もの鋼線が鋼鉄の腕に絡まり雁字搦めにする。

女は笑った。そのまま腕を切り落としてしまえばリオンの戦力は無力化する。

そして、一気に切り裂いてやろうと指に力を込めようとするのだが…


「ほらよ…ッ!」


身体全体が引っ張られてゆく、その強引とも呼べる圧力に抵抗する事も敵わぬまま思わず彼女は呻き声を上げてしまった。


「…ああっ!」


リオンは一気に腕を引っ張ったのだ。それに釣られて鋼線と繋がったヤミマルの体も引き寄せられてしまう。

素早さでは互角だが、体格とパワーウエイトでは圧倒的にリオンの方が上なのだ。

それに彼は『腕』の武装を殆ど使用しては居ない。ジョーカーを切らないまま容易く相手のエースを掴んでしまったのだ。


「へっ、たかが本数が増えただけじゃねぇか。そんなヤワな糸で俺の右腕は切り落とせねぇよ」


「チッ…!」


女は舌打ちする。まさかストリングスを避けるのではなく受ける選択を選んだのは目の前の男が初めてだったのだ。

彼女の戦い方は確かに一対多数や闇討ちには向いている。何も知らない者からすると

しかし手の内を見られてしまえばある程度は対抗されてしまう。最初の時点で無駄話などせず殺す勢いで一気に掛かればよかったのだ。


「たしかにてめぇは強い。だが兄貴に比べればまだまだ及ばねぇ」


「レーヴェロイ・ヴィクトレイ…」


レーヴェロイ。セブンズの一角にして、名家ヴィクトレイ家の当主でもある。

彼もまたセブンズの重鎮として治安部隊を任されあの男とともに動いていた


「そんなナマクラで俺を刻めると思ったか? 兄貴の抜刀のほうがもっと鋭いぜ

ま…兄貴は最強だからな。お前が目をつけてた甲田怜も絶対に勝てる訳はねぇ

あの野郎、ジルベルの邪魔に大立ち回りしたそうだな。大方、テメェが裏を引いていたんだろうがよ」


「…口は割らないわよ。さっさと殺したら?」


あえて挑発的に言う。これも時間を稼ぐ為の作戦のうちだった。

こういえばこの男は即座に自分を殺したりなどはしないだろうという見方もある。

拷問用の訓練は受けている。秘密を知られそうになったら自ら死ぬ用意も覚悟もある。

万が一の為の保険は既に放っている。それを拾えれば勝機が見えてくる筈なのだ。

問題は『彼女』がどのタイミングでこの場所に嗅ぎ付けるかなのではあるが…


「気丈だねぇ、泣かせるぜ。そんなにご主人様の話はしたくないらしいな

お前さん、可愛い顔して拷問が好きなようだな。まぁ、本業はそっちなんだろ?

戦闘用に改造された俺様に勝てるはずもねぇな。人生諦めが肝心っていうし、降参しろよ」


「…」


先程とは違って女は思い知らされてしまった。自分ではこの男に勝てない事を、だが『彼女』ならば…


「お前には惨たらしい手口で散々部下を殺されたからな…ま、情報を聞き出す為なんだろうがあいつらも覚悟していただろうさ。戦場に出向くって事は何時てめぇがやられてもおかしくないって事だからな

だがな…俺様は優しいぜ。今すぐ情報さえ吐いてくれたら楽に殺してやるよ」


軽薄な口調とは別にリオンの目は酷薄出乾いた光を宿している。女をその場で嬲り殺してもおかしくないように…

ターロンのチンピラと違って彼は部下を大事にするスタンスを取っていた。それを差し引いても。

彼女の存在は重要な情報源だ。彼女は対拷問の訓練を受けてはいるのだが、苦痛は受けたくなかったし負けるつもりも無かった。だからこそ時間を引き延ばすためにあえて挑発しておく。


「でも、貴方達の計画はこれでおしまいなのでしょう? 出鼻を挫いてやったって事かしら」


「冥土の土産に一つ教えてやるが、仮にここで俺を潰しても何にもならねぇぜ…シャオの野郎、あいつも中々使えるもんだ」


「囮だったと?」


「囮…? 違うな、奴は確かに本体だろう。しかし、最大戦力を集めた少数精鋭の強襲隊に過ぎない

別の連中が指揮を取る攻撃隊は別にある、分散していてさほど数は多くないが…今のベルリンを騒がせるには十分だろう」


「くく…オレ様とシャオと『アレ』の存在が上手くお前たちを引き付ける結果になったな

仕込みもデコイもでかかった分…大物が引っかかったというわけだ。

あいつは他の連中にも呼びかけてターロンの中で反乱を起こそうとしていたんだぜ」


「やはり…!」


ターロンという組織は超武闘派のアジアンマフィアだ。それだけに縦の繋がりが強く上の人間の金や権力、周囲の人間を取り込み自らの勢力圏を拡大させ下部組織の人間が力と暴力で支配することによって、その統治権を拡大させてきた

シャオ・キンペ直属の部下達は殆ど、この地に集まっている。頭を潰せば部下達も自然と沈黙する…そう考えていた。

ターロンというのは巨大な組織だ。それだけに内部抗争も相当に激しい。

シャオがリオンから与えられた戦力や兵器を担保にアウターで騒動を起こさせる。彼の当面の目標はそしてコロニーの介入を自分達手動で行ったベルリン総督府の制圧であった。


「後がなくなった先発隊も今頃派手に暴れまわっているだろう。ターロンは裏切り者に容赦しねぇからな

残ったハンター共を加えて戦いは三つ巴になる。そして、アウターには戦火の炎が撒かれるってワケさ」


「…」


「ハンターの主力どもは現在ベルリンで大クマ退治だとよ…くく、ご苦労な事だぜ

つまり、だ。今のアウターは緊急時の戦力を欠いている。ベルリンに何かあっても駆けつけてくれる奴が減っている

ということはシャオの呼びかけた連中共が、思う存分にパーティを楽しめるって訳だ」


「アウター政府の一部の人間が仕組んでいた…」


「上の連中でも欲しがっている奴はいるんだとよ。移住権ってヤツはな

ハンターでも狙っている奴はいるって言うぜ。そんなモノを俺達がくれてやはずがねぇのによ…」


リオンは笑っていた。事情を知らずに存在しない甘い餌に群がる蟻を嘲笑うかのように。

彼女にとってアウターがどうなろうと興味は無かった。そもそも目的を達成できればそれでいいのだ。

しかし疑問に思うところはある。リオン・ヴィクトレイが出てきたという事はその裏に潜む人間が何らかの形で関与している。

そう見込んで間違いはないのだろう。その人間こそがセブンズを影から操りコロニー全体を掌握しようとしている『あの男』なのだ。

協力者の存在もあって、表立って行動に取れない主の変わりに幾度と無くその計画の数々を阻害してきた。

しかし、工作という者にも限界という者がある。やはり大きな力を持つセブンズ屈指の実力者である


(やはり、ディノス・アトラスはアウターに進出を…)


「もう前置きはいいだろ? 俺も美人は嫌いじゃねぇが、お前みたいにギラギラした目のヤツはかなわねぇ。いく寝首をかかれるかわからねぇからな…手足が無くたって口があれば情報は聞けるだろう?

痛いだろうが勘弁してくれ。時間があればもっとゆっくり遊んでやれるんだがな…」


リオンは右腕を振り上げる。義手の袖口からはブレードが飛び出していた。


「…ッ!」


死ぬのは怖くない。だが、自分がいなくなってしまったら『甲田怜』を主に献上する機会を失ってしまう。それは自分の存在意義にも関わる




「その女を放せ」


「くくっ、ようやく来たか。こいつが思っていたより弱かったから殺してしまうのを我慢したが…我慢した甲斐があったぜ」


乱暴な仕草で女を蹴り上げるリオン。その口端には野獣のような笑みが釣りあがっている。

先程の戦いとは違う、楽しむような輝きがそこにはある。ようやくメインディッシュが来たという事だ。

予想より来るのが遅かったが、準備運動は出来た。


「切り札を敵地に隠すにはリスクを分散させる必要がある

このアウターにもコロニーのスパイは大勢いるはず。それでまずは情報を撹乱し敵の視点をぶれさせる

アウターのハンター達が一枚岩じゃない事は解った。更ににシベリアでの騒動は誰かが意図的に仕組んだもの

仕上げに…複数の拠点にダミーを敷く、基本的な手段だ」


「どうやって拠点を探した」


「……」


「手当たり次第の虱潰しか…くくっ、そのやり方は嫌いじゃないぜ」


彼女―――怜は言葉を返さなかったが、リオンには解っていたようだった。


「なぁ?無駄だと分かっててあえて聞きたいが、俺たちのもとに来る気はねぇか?

過去の復讐なんざ何の価値もねぇ。あのお方の下に付けば俺たちはやがて世界を支配する一大勢力になれる

セブンズや元老院の馬鹿共は保身に走る老害ばかりだ。そんな石頭の言う事を真に受けたままだと地球そのものに人が住めなくなってしまう。

見捨てられつつあるお前の故郷を救済してやってもいい。親族の生き残りがいたら探し出して共々いい暮らしをさせてやる。尤も…恭順する姿勢を示せばだけどな」


ひとしきり言った後に背後に控える女の方を顎で指しながら言う。


「それに…だ。その女を信用しない方がいいぞ」


「……」


答える代わりに怜は鋭い眼光をリオンに向けるだけであった。

それが何よりも雄弁な答えを示しているとリオンは受け取った後におもむろに苦笑した。

正直、もし万が一でも提案を受け入れていたらどうしようかと悩んでいたところだ

『あのお方』なら甲田怜という最高のサンプルが無傷で手に入れば、実験室のモルモットとして体を刻まれありとあらゆる実験材料にされた挙句、悲惨な末路が待っているだろう。そんなことになるよりは本気で戦って自分の手で潰したかった。

エクステンダーですら個人で圧倒し、あのジルベルを易々と追い詰める好敵手という存在に勝利を納めたかった。


「そうか、そうだよなぁ…やっぱ無駄だよな。話し合いでお行儀よく解決とはいかねぇもんだ…ククッ」


密かに笑うリオン。彼は怜との激闘を思い浮かべて口元に笑みを浮かべた。


「こういう前置きも嫌いじゃないが、お前を見ると腕が疼いてきやがる…

それに中々いい女じゃねぇか…もう少し大きければ、俺の好みに育ったかもしれないが、まぁいい…

このところ裏方の仕事ばっかりでストレスが溜まっていてな…精々発散させてもらうぜ!」


リオンが右腕を翳すと細長いスリットから金属音と共にブレードが滑り出て来た。

戦闘開始の予兆を感じ取った怜もまた、アークブレードを抜き光る刀身を引き出す。

対峙する両者。傍からそれを見守る女は激戦の予兆を感じ取っていた。

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