5‐5 巨獣の咆哮


不気味な朧月が夜天の空に浮かんでいる。


月は光の加減もあってか、赤く…まるで血を吸って不気味に輝いているようにも見えた。

その月下のもと…とある施設。その場所では密かに製造された武器を保管する施設であった。

漢人が中核となっている暗黒街を拠点とした武装組織『ターロン』。彼等が行っている麻薬の栽培や人身売買、そして兵器の密造や流通などは、

組織の重要な資金源となり、それにより大きな力を蓄えアウターでの一大勢力として勢力を伸ばしている。


ハンターを擁する政府もこの動きを封じ込めに掛かっているが、いかんせんハンターの中にもターロンと関係の深い者や、

ましてや政府の中にも、犯罪を見逃す見返りに麻薬やハニートラップ、そして賄賂の受け渡しが横行しており、

一網打尽に潰せる状態ではなかった。汚染が酷い東アジア地域から逃げ出した彼らはヨーロッパ各地に散らばって活動範囲を広げている。

無論、大きくなりすぎた組織の弊害か様々な派閥による内部抗争や、地元住民との対立もあり大概の人間から悪印象を持たれている。

だが、ターロンにしても彼等の言い分など構ってはいられない。両者の間に共存という選択肢が浮かばないのも人間の限界であるのかもしれないが。

その、暗黒街から少し離れた砂漠の武器倉庫では夜の闇の下である出来事が起きていた。


「何ィ…女…しかもガキが一人で攻めて来ただと? 酒かヤクでラリって冗談言うのも大概にしろ」


門番のチャンから寄せられた通信を、管理室の座り心地に申し分ない椅子で寛ぐチン・フーヤンは、

広東語混じりの悲鳴が混じった部下の声を鼻で笑った。

自分達は管理職であるためそうしないが、構成員の下っ端は何も無い場所で麻薬や喧嘩を趣味にしている人間もある。

そういった荒くれ者達を宥めて、恫喝し、時には処刑としながら纏めつつ、手腕が上に認められてチンはのし上がってきた。

今では暗黒街の比較的治安が安定している場所に、少しこじんまりしているが屋敷を立てるほどまでに地位も向上した。

上の人間の間では自分を幹部に押す声も少なくないと聞く、家族も愛人もいる。キャリアは積み重ねていくべきだ。

ターロンは失敗には厳しい。だからこそ身長にやってきた自分の手腕が評価されたのだし、こうして武器庫の管理を任されているわけである。


(俺はジョウグンのような馬鹿とは違う、それにシャオの様に若くて才能もねぇが…博打だけは打ちたくねぇんだ)


その思いには多少の嫉妬の感情が篭もっていた。ジョウグンは40代にして、

そして若手幹部のシャオは20代後半にして支部の中で重要なポストをまかされていたからだ。だが、暗黒街でギャングとして盗みや殺しをやっていた頃よりはずいぶんとマシだろう。

政府の役人にも何人か、長年に渡って賄賂を贈り着々と人脈を広げている。

地味で堅実な行動はリターンは少ないがリスクも少ないが、その分日ごろの活動がモノを言う。

派手で目覚しい活躍でターロンに利益をもたらしたこともないし、恐怖とカリスマで部下を纏め上げることにもチンは欠けていた。

しかしながら失敗したことは無い。キャリアは地道に積み重ねてそれが少しずつ評価されている。


「まぁ、なんだ。てめぇの不始末は手前で何とかしろ。五月蝿ぇ奴が着たら殺して砂漠のバケモンの餌にしちまえ…ん?」


通信はすでに切れていた。施設の窓からカーテンと窓を開けて耳を済ませるが、外は銃声も無く静寂そのままだ。

さっきの事が部下の悪ふざけだったとも解釈できる。少し前にも麻薬で狂って一騒ぎした馬鹿を処理したばかりである。

今回もその類だとしたら、同様の処置をなさねばならない。使えない部下ほど敵より怖いものが無い。


(それにしても、やけに静かだぜ。もしかしたら…まさかな?)


嫌な予感がしたので、一応念には念を入れてコールで腹心の部下を呼んで指示を下す。

見回りを強化して、薬で狂った馬鹿がいたら他の部下への見せしめに殺すようにと告げ、チンはシガレットケースから葉巻を取り出した。

年代者のライタで火を付けて紫煙を一気に吸い込む。美味い煙草だった、薬の類に手を出したことは昔にあったが、

今はもうその気は起こらない。地位を捨てたくなかったからだ。


「チ…チン様……」


「なんだ、やけに早いじゃねぇか?」


一、二分前に呼び出したはずの部下が、青白い顔をしてチンの部屋の前に立っていた。

やはり唯の馬鹿共の乱痴気騒ぎだったらしい。どうやって愚か者の処分を決めようかとニコチンで暖かくなった脳みそで考え始めたときだ。


「ボ、ボス…黒い服の……」


「おい、どうしやがったんだ! 黒い服の何だって?」


部下が目の前で崩れ落ちたのを見て、思わずチンは葉巻の灰を靴に落としてしまった。

思わずポケットの銃に手を伸ばしたのは今までの経験と、得体の知れない『何か』に対する恐れがあるだろう。

部屋の空気がいつの間にか冷え込んでいるような気がした、備え付けの空調機会の温度設定をミスしたのではない。

むしろ先ほどまでは快適そのものである。どうしてそうなったかはチンですら判らない。


(誰かが、この部屋の中にいるって言うのか?)


命を狙われたことは無論在る。しかしここまで純然たる殺気を向けられたのは初めてだ。


「お、お前は…」


恐る恐る振り返った先に見たのは黒い外套を羽織った影のような黒髪を持つ少女。

しかし、その瞳は荒涼とした輝きを宿し


「……」


(餓鬼…だと!? 俺を殺しに来たのか?)


子供を道具として使うのはターロンの間では割と当たり前の認識である。

最低限の武器の使い方と標的への近づき方を仕込めば、使い捨ての優秀な暗殺者に仕立て上げることもできるし、

彼等の臓器や容姿そのものを使って金になることもある。頻繁に辺境の村で子供がすぎいなくなるのはこういう事情からだ。

加えて、自分達『ターロン』が手を下すまでも無く、血を分けた子を望んで金に替える親はかなり多い。

そもそも砂漠化が進行しているこのヨーロッパでは、作物を育てる事もそれなりの技術が必要とされる為に食料品の値段は高い。

たとえ、減額されていたとしても政府にしっかり税を払える人間はそこまで多くない。だからこそターロンの勢力が拡大している訳でもあるのだが。


「クッ!」


背筋に刃物を突きつけられた悪寒を覚え、チンは銃を構えて発砲した。

黒い影は発砲をものともせず、一瞬で距離を詰める。チンの眼は黒い影と光る銀の軌跡しか捉えられなかった。

首元に当たる冷たい感触。それがナイフのものであると知ったとき、チンは銃を捨て無抵抗の意思を表す。


「こ、殺さないのか…?」


「聞きたいことがある、大量の兵器がある場所に運び込まれたと聞いた。お前は何か知っているか?」


少女の声もまた、低く冷たい響きを宿していた。


「…組織のことをむざむざと喋る馬鹿はいねぇ、それよりお前は何が目的なんだ?」


「……」


黒の少女―――怜は何も答えないまま、ナイフを握る手に力をこめると、チンの肌から赤色の筋が垂れシャツに染みを作る。

チンの顔色から血の気が引いて真っ青になる。直接、間接問わず百名近くの命を奪った男は自分の命が惜しかった。

首に軽く当てられた、たった十数センチの刃を軽く引くだけで自分の命が絶たれることが怖い。


「後、数ミリで頚動脈が切れる」


怜の瞳は相変わらず冷たい光を宿していて何を考えているのかわからない。

こいつは本当にすると言ったら実行するのだろう。チンは臆病風に吹かれようやく口を開く。

仲間という概念はターロンには存在しない。力が全て、チャンスがあれば同僚の喉元にも食らい付く多数の首を持つ竜であり、

むしろ、首領の実に見えないところでは足の引っ張り合いが日常茶飯事だ。それにチンだって組織への帰属心が高い方ではなかった。


「シ…シャオの若造だ…あいつは最近組織に隠れて…何かの準備をしていやがる

リーの野郎も噛んでいると聞いたが詳しくは知らねぇ…てめぇの言っていた事が本当なら…そこ辺りを探ってみるんだな……」


事実である。だが、あくまでもチンが掴んだ噂レベルの話に過ぎない。

何かあれば、それを手土産に生意気な若造の鼻を明かしてやろうと思っていた。

その度に暗黒街や町中にスパイを放って裏を取ろうとしている最中だった。巨大な組織の中では互いの足のひぱっりあいが日常茶飯事なのはどこの時代、どの組織でも変わりはない。

それに、この怪物に殺されるのなら奴等も道連れにしてやるとチンは覚悟を決めていた。


「…そう」


それだけ聞くと怜は刃物を納め、窓の外から飛び降りて姿を消す。

チンを思わず窓から少女の姿を探すが、夜闇の外には誰の影も確認できない。まるで霧のように消えたようだ。

時間にして三分も経っていないだろう。かつて無いほどの疲れが自分の体に降りかかってくるのをチンは感じた。


(くそ、なんだ…あの化け物は……? あんな奴が人間であってたまるものか……)


葉巻を取り出し、ライターで火を付けようとするが中々上手くいかない。

その原因が、自分の手が震えていたからであることをチンは認めたくなかった。

同時に、この世の中には『龍の長』の正体以外にも絶対に探ったり関わってはいけない存在の事を彼は知ったのである。






「ここが、シベリアか…」


翌日の朝、厚手のコートを着たディークは白い息を吐きながら駅に降り立っていた。

確か、気温が下がってきたのは夜に入る前だっただろうか。列車の中でレイノアに渡された毛布を被って一晩過ごしたのは。

それでも二、三時間しか眠っていないのは、夜の窓から見えた白銀の世界に夢中になっていたからである。


(月の光だけが照らす夜の世界の中で、この場所は銀色に輝いていて夢の世界のように見えたな)


所々木々の緑が顔を出している以外ではあちこち白い雪が積もっており、まるで風景そのものが薄化粧をしているようだ。これでも昔よりはだいぶ気温が上がったらしいが。

砂漠が近くにあり、荒野が延々と広がった荒涼とした大地はヨーロッパとは違う表情を覗かせている。

ここには砂漠の影は全く見えない。その代わりに一面に見える白の景色が嫌でも目に付く。

光の加減で黄金に見える事があるヨーロッパ南部の砂漠、雪が積もり銀一面に染まった北のシベリア…

対照的な二つの景色はどちらも人が過ごすのに適さない。それでも自分達は歯を食いしばって生きている。

だからこそ、そんな中で生きている人達を助けるためにも自分達はここに派遣されてきたのだ。


「あたしも昔来た事あるんだけどさ。心なしか前より暖かくなった気がするよ

そのせいなのかね? ジャイアント・グリズリーなんていう前例に無い『超』大型指定の変異種なんてもんが起きたのは…」


「俺には詳しいことわからないけど、結構寒いし…結構大変な仕事になりそうだな」


「さぁ、慣れれば案外と西のほうより過ごしやすいと思うけどね」


そういうレイノアも白い息を吐きながら、どこか感慨に耽っている様に見えた。

ディークは他のハンター達の反応も気になって、列車から降りてきた人ごみをぐるりと見渡した。

その中で一際目に付く容姿をしたナヴァルトは、時に何の感傷も抱いていないように剣を腰に吊ったまま立っていた。

ライフルを構え、仲間と談笑している長身の青年。そして気難しい顔で奥の森林を睨み付けるように見ている鬚面の中年男。

あのバニッシュは数人のスタッフに囲まれ、何かを相談しあっているようである。皆の反応は多種多様であった。

幼さを残しながらも整ったその横顔には、真剣さが見えて仕事に対する彼の気迫が嫌でも伝わってくる。


(へぇ、割と傲慢なお坊ちゃんだと思ってたけど仕事に関しては真面目そうだな…期待しとくぜ)


ディークがバニッシュを見直した直後に、低いバリトンの声が凛とした大気中に響いた。


「では諸君!これから『超』巨大型変異種ジャイアント・グリズリー討伐隊を組織したい!」


大声で呼びかけるのは、アイエン・ワイザードである。

それに反応するように殆どのハンター達が駅前の台に立つアイエンの方に向き直った。


「ハンター諸君らに大勢集まってもらったのは十分な戦力を用意し、万全をもってジャイアント・グリズリーの殲滅に当たってもらいたいからだ

しかし、ここで集まってもらったのは約八十八名。想定した数よりは多いが、この人数での連携は初めてだろう。

奴は巨体に似合わず意外に素早く、狡猾である。だから我々も柔軟に対応し共通の敵に対する備えを持ちたいものだ」


アイエンは禿鷹のような目つきでハンター達をぐるりと見渡した。


「だからこそ、戦力を分散しようと思う。三十人前後の三つに部隊を分散させ奴の捜索を各自で進めて行きたい

尚、私と数名の者は作戦本部のテントで待機し、指揮を下そうと思う。そこに情報本部を設けたい

奴を察知した者や、異変を感じたものは本部に伝えてくれると助かる。

部隊の人間は交代しながら、二十四時間体制で被害に遭った場所の見回りを続けるようにして欲しい」


「アイエン、僕を忘れてもらっては困るよ」


アイエンはバニッシュの方に視線を向け、オホンと小さく咳払いをした後に続けた。


「ここにいるバニッシュは知っているものも多いと思うが、名門カルジェント家の才能ある跡継ぎだ

彼の優秀なスタッフと。試作型エクステンダー『ガルガロン』はジャイアント・グリズリーに対抗する切り札になるはずだろう

奴を見つけ出したらあまり無理をせず、交戦は極力控えバニッシュか彼のスタッフに連絡して欲しい

彼はエクステンダーのスペシャリストだ。この場には他に数名、エクステンダーを持ってきているものもいるようだが、何かあったときはバニッシュから教えてもらうといい。機体の不調があれば彼のスタッフに協力を要請するのもいいだろう」


「おい、そのデカブツを倒したら報酬はどれくらい貰えるんだろうな!」


アイエンは質問を浴びせた長身の男を見て、口元を微かに歪める。何故かディークは彼が笑っているように見えた。


「そうだな…奴を仕留めて首級を挙げれば、報酬はゴルド金貨でその者に前金の五倍渡すことを約束しよう。

尤も、諸君の力を侮っているわけではないが、なるべくガルガロンの力に頼るようにしてもらいたい」


「へ…へへっ、おうよ。 やってやるぜ!」


「馬鹿が! バケモンを仕留めて賞金をもらうのは俺様よォ!」


「俺に決まってんだろ! テメェはテントの中にすっこんでガタガタ震えてろよ!」


男は手にしたライフルを掲げて不適に笑ってみせる。それを見てディークは妙な感覚に襲われた。

確かに、賞金目的でここに来ている人間は多い…というよりそれが殆どだろう。

レイノアは恐らく人助けもあるだろうが興味本位だろうし、ナヴァルトやバニッシュは自分の力を試したい為にシベリアを訪れた筈だ。

ディークは半分は人助けだが、もう半分は報酬の為だと思っているが本当にそうなのだろう?

自分に出来ることなんて高が知れている。もし、あの甲田怜の様な力が自分にあったとしたら…


「ケッ、こんな連中なんぞが…金の為なんかに来られちゃあ、死んだ奴が浮かばれないぜ」


吐き捨てるように行った鬚面の男の言葉がやけに気になっていた。

だからこそディークはその男の後を付いていった。彼が何のためにこの極寒の大地に足を踏み入れたのか知りたかったのだ。







「おい、小僧…俺に何のようだ?」


鬚面の男のテントを見つけたのは、陽がすっかり落ちて暗くなった頃だった。

ディーク達はレイノアやナヴァルトとは別のグループに分けられ、ジャイアント・グリズリーの捜索に入っていた。

そしてここにはバニッシュが所属している。他のチームにもエクステンダーが無いことは無いが、

万が一、獲物と遭遇したとしても『ガルガロン』の性能を持ってすれば撃退するのも容易いだろう。

身の安全という観点で言えば、一番保障されたに等しい状況に身を置きながらもディーク本人はどこか浮かない顔をして捜索に加わっていた。

だからこそ、あの集まりの中で賞金に沸き立つハンター達を横目に冷や水を浴びせた男の事が気になったのは。


「…あんたと話がしたかったんだ」


彼は数人で焚き火を囲むようにして、石を即席の椅子にして腰掛け湯気立つ金属製のコップを持っていた。

目当ての男はコップをゆっくりと口元に運び、一口含んだ後にようやくディークに向かって向き直る。


「お前は金の為に来た訳じゃなさそうだな」


男はじろりとディークを威圧するような視線を向ける。彼の身長はディークより低いが体格はがっちりしていて、

まるで小熊のようだとディークは感想を抱いていた。彼の纏う雰囲気も合わさっていてそう思っても仕方が無い。


「いや…そんなつもりで来た訳じゃない。金が今は欲しいんだ」


「おい、俺に目を見せてみろ」


じいっとディークの顔を覗き込むように見る男。彼の灰色の目は意外にも澄んでいて濁りが見えない。


「…成程な。ただ無闇に生きてきたって訳ではなさそうだ

俺の見立てではお前さんは何か、事情があって此処に来たって感じがするな」


「………」


ようやく男は口元に笑みらしき表情を浮かべた。自分に向けられていた敵意が和らぐのがディークには分かった。


「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はニックス・ヘイズンだ…老いぼれのしがねぇC級ハンターだよ」


「ディーク・シルヴァ、同じくC級だ。バルカンの方で情報屋をやってる、こっちもあまりパッとしないけど…」


「…知らねぇな。まぁ、こんな気の良さそうな兄ちゃんがナヴァルトみたいなヤバい奴でも困るがな

お前さんも疲れたろう? おい、こいつにコーヒーを入れてやってくれ。砂糖は…入れるか?」


ディークは懐から粒を一つ取り出して黒色の液体に入れた。純正品の砂糖は貴重なので庶民が使うのは合成したものだった。

それは健康に対して過剰気味の風潮があった旧時代では有害調味料とされているものだったが、摂取しすぎなければ害があるというわけではない。


「兄ちゃん、二十歳過ぎているだろうに砂糖入れるのか?」


「ああ、純粋なブラックは胃に悪いんでね。一つまみだけにしている」


「成程、おもしれぇガキだ!」


ニックスは口元を歪めて笑った。威圧的で厳つい顔つきが、粗暴だが人の良さそうなものに変わる。

ゲイルを思い出してディークも笑みを浮かべた。この場で受け入れられたのが嬉しかった。


「お前、何か夢を持っているか?」


「さぁ、ただ…困っている人を見たらなるべく助けたいんだ。だから情報屋をする時にもあまり金は取らないようにしている」


「成程、偽善者だな…だが、嫌いじゃねぇ」


「……」


「俺は、昔は金のことばかり考えていた。ナヴァルトの野郎みてぇに化け物じゃねぇから、自分の限界は知っていたよ

仲間を信じねぇって事は無かったな。だがな…数年前にヘマやらかして利き腕があまり言う事を聞かなくなった。

それからはしばらく酒に溺れた。世界の全てを憎んで恨み言ばかり吐きながら自堕落な生活を送って貯金も殆ど無くなったさ。

だがな、そんな毎日を送っている時に奴が現れ、目の前で若いのが死んでから…多少考えが変わった」


「死んだ…?」


「あのジャイアントグリズリーってクソ野郎に村を襲われたんだ。俺は死んだそいつの事をよく知らねぇ

だけどそいつは生きたかったんだ。最後に恋人だか家族の名前を呟いてたよ…俺みたいなジジイが生き残って若い奴が死ぬ…不条理だと思わねぇか?」


「あぁ…あんたはそれで敵討ちをするつもりなのか?」


「そうだな…簡単に言うと当てはまるのかも知れねぇ。でもな、金の為じゃねぇ

俺は、自分のクズみてぇな命を若い奴らがこれ以上犠牲にならねぇように使いてぇんだよ」


「……そうだったのか」


「だからよぉ…死ぬなよ若いの。お前さんがくたばっちまったら、その分泣く奴が居るんだ」


「ああ、わかっているよ…」


一瞬だけリベアの顔が思い浮かんだが、彼女は自分が死んだところで悲しむだろうか?

むしろ、「ああ、言わんこっちゃ無いよ…あのバカは」と呟いて呆れそうである。彼女に怒鳴られることはあっても、

心配されることはあまり無かった。サウロは色々と誇張して引っ掛けた異性に吹聴しそうである。というか、彼には前科があった。

ゲイルやレオスはどうだろうか? 彼等は精神的にタフだから直ぐに悲しみを乗り越えられるだろう。

自分一人が野垂れ死にしたところで何の悔いは無い。むしろ育ての親を死なせ、彼を守れなかった時点でおまけに等しい人生なのだ。

だが、ニックスに言われるまでは自分が死んだら、どうなるかなんて全く考えたことも無かった事自体にディーク本人は驚いていたが。


(あいつは…よそう。俺が考えるだけ無駄だ)


漆黒の外套を羽織り、赤い刃を振るう少女の事をディークは思い浮かべていた。

彼女は冷淡に見えるが、決して情に薄い人間ではないことは承知の上だ。何度も助けてもらっている。

あの『シール・ザ・ゲイト』から飛行艇を奪取し共に脱出した、イディオと彼女は一体どこに居るのだろうか?


「おい、早く飲めよ」


「すまない」


「ははは!心配しなくたって毒なんざ入ってねぇぞ。そうする理由も無いからな…」


ディークは渡されたカップを口元に運んだそのときだった。微かな振動と共に、湯気立つ合成コーヒーの表面に波紋が走ったのは。

それと同時に地面が揺れる、まるで大地そのものが生き物のように蠕動し震えているようだった。


「な、何だ?」


「地震か!?」


(いや…シベリアの大部分はプレートの裂け目に位置していない。地震ならもっと極東の地域で発生するはずだ)


振動は収まるどころか徐々に大きくなっていく。他のテントからも休みを取っていたハンター達がぞろぞろと飛び出してくる。

更に混乱でランタンの火がテントに燃え移り、火消しを行っているものも居た。しかし一向に大地の揺れは収まる気配が無い。

それどころか、大地の揺れは徐々に大きくなっており強大さを増していた。まるで地球の心臓が真下にあるかのように…

風が唸る、不吉な気配を連れて、大地に住む小動物達が一斉に場から離れた…何者かの襲来を森羅万象が告げている。

とてつもなく大きく巨大な何かの存在を…ハンター達の多数も直感で悟っていた。



ゴゴゴゴゴゴゴゴ――――――――――



「おい!地面が…っ」


テントの集落の中心に突然瘤の様に地面が膨れ上がった。すると同時に震えが収まる。

不気味な沈黙がその場を支配した。氷のような静寂が雪が微かに乗った白銀の森林に舞い降りた。


「地震は…収まったのか? それに何だ、これは…?」


一人のハンターが不用意に盛り上がったその『瘤』に近づいた。まるで誘われ、引き寄せられるように…

ディークはそれを見て静止の言葉を放とうとしたが、全ては遅かった。


「う、うわあああああああぁぁぁぁっ!!」


突如と泣く地面が爆発した…様に見えた。そこから伸びたのは刀のような爪を生やした毛皮に覆われた化け物だった。

それが巨大な『生物』の腕であると、場に居た誰もが確信した。しかし大きすぎる。

まるで小さな小屋のような腕は、一気に近くに居たハンターに振り下ろされ、圧倒的なパワーと質量で獲物を完膚なきまでに叩き潰す。

そして、続いて雪交じりの土砂を巻き上げながら現れた、事前に言われていた体長よりはるかに大きいおよそ十メートルを超える巨体に、場に居た全員が戦慄した。


「この…化け物は……?」



ウオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――ッ!!!!!!



野生の王者の風格と、それに相応しい巨体を有し、政府が新たに定めた基準にカテゴライズされた『超』巨大型変異種ジャイアント・グリズリーは、

自らのテリトリーに入り込んできた虫けらども――――人間達を威嚇するように咆哮を響かせたのだった。

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