5‐1 魔獣の怒り

半永久的に氷が溶けることはない極寒の地・シベリア


北半球の中でも極北部に近いその場所は永久凍土と呼ばれる地層に覆われ、春を殆ど迎えることのない冷たい大地として知られていた。

永久凍土といっても、一括りできるものではなく大きく分けると短期間凍土、季節凍土、永久凍土という風に区分けはできる。

大地の中に含まれている水分が氷結するから凍土が出来るからであり、地域によって稀に太陽の光が見える日などは黒い大地が現れることもある。


しかし、空を覆うシールドクラウドの層は厚く、天からの恵み足りうる太陽の光をも減衰し作物の成長にも悪影響を与えていた。

環境異変によるオーロラの出現さえ珍しくないこの場所は、まさに凍った死の大地とも呼べるのである。

しかし、それにも恩恵があった。冷たい死の大地は動植物の活動さえも停止させる。

すなわち、それなりの設備や技術さえあればこの場所は突然進化を起こし、人を襲う変異種の脅威から逃れられる場所とも呼べるのだ。

さらに、この環境が成しえた奇跡なのだろうか、トナカイやコケといった元から生息している動植物達はナノマシンの活動が抑制された結果なのか環境異変の影響をさほど受けず厳守のままで生息しているケースが他地域に比べ比較的多かった。

トナカイの肉は塩漬けして保存食に、そして毛皮は加工して毛布に、更に骨や角は道具へと生まれ変わる。

まさに自然の恵みといってもよく、自然のサンタクロースからのプレゼントに例えても差し支えなかった。


人間の数も数百年前の百億を優に超えた時代から数億人程度になった人類による地球の環境破壊は緩やかになってはいる。

このまま百年単位の時間が進めば自然環境は旧世紀の産業革命以前の基準には戻るのではないかという試算もある。

変異種という存在はもしかすると環境破壊を行う人類を駆逐する自然の生み出した抗体なのかもしれないという見方をする者もいた。


こうまで人類を追い込んだ環境異変の原因…それは明らかになっていない。

コロニーのセブンズですら大まかな概要を掴んでいるのは極々一握りくらいの者であり完全に原因を知っているものは恐らく存在しないだろう。

一説には環境改善用ナノマシンの暴走によるものとの見方が強いが真相は明らかではない。

その上に位置する元老院は恐らく何か知っているのだろうが、公表することはない。

彼らは自分達の寿命が尽きるまで致命的な破綻が発生しなければそれでいいのだ。

つまるところそれは権力の腐敗に当たる。そして権力が上位者のみの特権保護のみに用いれば遠くない未来に破滅が待っているのは歴史が示していた。


「…流石に大型の変異種は手ごわいな」


男はゆっくりと腕を下ろした。普通の人間とは明らかに太さが違う機械の義手が

赤い鮮血で銀色の表面を濡らし、禍々しい赤色の輝きを放っていた。

そして転々とした血が滴る先には黒い小山のようなもの…口から血を流し息絶えている巨大な変異種

シベリアで恐れられるジャイアント・グリズリーの幼体の遺骸が死してなお、異様な存在感を放っていた。

容体といってもその大きさから立ち上がれば推定五メートル近くはありそうな巨体である。

男…リオン・ヴィクトレイは二メートルを超える大男だったがそんな彼が子供にしか思えないほどの対格差であった。

名うてのハンターでもチーム単位でなおかつエクステンダーを駆使して狩る大型変異種をこの男はたった一人で打ち倒したのだ。そんな彼であってさえも息は上がり極寒の林中で白い息を吐いていた。


「なかなか楽しかったぜ…ケダモノさんよぉ」


歯ごたえのあった戦闘に満足げに告げるリオンの更に少し離れた後方にはGF…

ギガント・フレームと呼称される大型の人型機械が佇んでいた

この機体も先日ジルベルが流出させたデータを応用した試作機だ。単体での長距離飛行能力を持ち、武装も充実している

いわば保険でもあった。技術的には既存のデータに新しく手に入ったテクノロジーを一部組み込んだ形になる

この機体は只の移動用だ。これはアウターのある組織に渡す目的で持ち込んだものである

外装の一部には偽装の為にエクステンダーの装甲を組み込んである。加えて機密保持のための装置も組み込まれていた

引き渡すといってもこの機体は単なる技術運用確認の為の実験機に過ぎない。

そう、コードネーム『F』『Ω』の設計に必要なデータ収集の為だけに新造のフレームに既存の部品を取り付けて、実験用の装備を組み込んだ間に合わせの急増品にしか過ぎないのだ。

かつての人類が残した驚異的なテクノロジーの一端である。それがどうしてここまで衰退したのだろうか?


現在の技術開発といえば遅々として進んでおらず、専ら過去のデータベースからの復元が大半を占めている

コロニーの『内周側』に住む人間は…特に特権階級に縋るだけの貴族達は貴重な技術や限りある資源を自分達の道楽の為ばかりに浪費している。

それでは人類に未来など来ない。資源を消費しつくして老朽化したコロニーを維持できなくなり変異種共に狩られて死ぬだけだ

彼の主はそれを由としていない。現状のぬるま湯に漬かり問題を先送りするばかりのセブンズ達に反攻の準備をしている

権力とは然るべき人間が持ちえてこそ意味がある。支配することは容易いが、それには責任をともわなければならない

『主』と彼の兄はその資格を持つことを許された人間だと思っている。くだらない権力闘争の末に自分達は家族を失ったのだ

コロニーに閉じこもってばかりでアウターの汚染された地を忌避するばかりでは何の解決にもなりえない

ジルベルを失った今、解析は遅々として進まないがシール・ザ・ゲートにはそれらを解決しうる鍵が存在する

彼すらも踏み入れたことも無い下層へ…本格的な解析を行うにはコロニーの設備が必要であったが

現状のセブンズの約半数とそれの決定に口出しする元老院――――リオンからすれば役立たずの老害共から承認を得る必要があった。今回の一連の仕込みはそうした人間から了承を捻り出す為の一手なのだ


(まぁ、こいつより強いのがまだまだいるんだからよ…アウターは怖いところだぜ)


先ほど倒したジャイアントグリズリーより厄介な変異種がアウターにはまだまだ存在しうるのだ。滅多に姿を見せないが『災害級変異種』は旧時代の兵器でも持ち出さない限り対処は出来ないほど強大で恐ろしい存在であった

この生贄もリオンからすれば「それなりに苦戦した」相手ではあった

並の人間では満足できない彼からすればちょうどいい肩ならしに過ぎない

周囲の林木はかなりの数がなぎ倒され、残った木にも鋭い爪の傷跡が刻まれていた。

それは抵抗の跡でもあった。今は骸となった黒い獣も生き残る為に戦ったのだ。

そして驚くべきことにこのジャイアントグリズリーは『幼体』であるのだ

流石にリオンであってもこの大地のどこかに眠る『成体』を相手にするには命を懸ける必要があるかもしれない

前世紀から数を減らした人間達も生きる為に必死だ。そしてそれは変異種たちも同じである

命を与えられた者に生じる義務…それは生き残り、未来を作ることだった。それは如何なる生き物であろうとも共通した原則だ


(やっぱ、人間相手なら最低はあいつくらいじゃねーと物足りねぇなァ)


光の剣を振るい、神速で敵を切り裂く黒髪の冷たい瞳を持つ女…彼女と切り結ぶ自分の姿を思い浮かべただけで高揚感が湧き上がる

生まれもって備えた自分のそういう好戦的な気質が、デスクワークより汚れ仕事に向いていることは重々承知している

頭を使うことは苦手だった。そういうことは兄や死んだ妹の方が得意であった。尤も比較しなければ彼も十分に知恵は回るタイプなのだが


(そうだ、それでいい。兄貴は表舞台に立つべきだ。裏の闇は俺が引き受ける…)


兄があのお方と共に表舞台に立ち人類の未来を支えていく。それはきっと輝かしい道になるはずだ

今の右腕のように血に塗れるのは自分だけでいい。彼らの為に邪魔者を潰して道を切り開くのは自分の役目だ

これは生贄だった。これからの新世界を形作る為の…





――――――――グオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!





銀色の世界…遠い遠い場所から怒りの咆哮が聞こえた

この陶土の大地を揺るがし震撼させるほどの咆哮は、まさに魔物の遠吠えといってもいいかもしれない

その声が数少ない同胞を無残に殺されたことに対する人間への怒りの叫びだと気付く者は居ないだろう

いや…もしくは同胞か家族を殺されたものの怒りと嘆きの声に聞こえるかもしれない

まさに男の目的こそ、眠れる野獣を呼び覚ますことになった。これから声の主による惨劇が行われることも予定調和である


(さぁて、楽しい楽しい祭りの始まりだぜ…ククク)


目的の一つをほぼ完遂できたことに対して彼―――リオン・ヴィクトレイは彫りの深い顔立ちをニヤリと歪めた

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