4‐7 エレオス・ソイルⅡ
外の光が眩しい。頭上を仰ぐと突き抜けるような青空がどこまでも広がっているように見える。
此処まで綺麗な空を見たのは始めてかもしれない。
アウターでは風に飛ばされた砂塵やシールドクラウドと呼ばれる雲が上空を覆っていることが多いからだ。
だが、コーヴ曰く今のディーク達の視界に映っている空はホログラム投影により再現されたもので、
実際は天蓋状に映し出されている映像でしかない。あくまでも此処の空は仮初の虚像でしかないのだ。
過去に聞いたレオスの話によると、地球全体から水分が少しずつ宇宙へと蒸発し砂漠化が進んでいるのだという。
かつて、地球の仲間を見限ってはるか宇宙へと旅立っていった同志達はこの滅亡へとつき進む未来を見越していたのだろうか?
今となっては分からないが、その彼らの残した遺産がこの【シール・ザ・ゲイト】なのかもしれない。
「なぁ、俺なんかを外に出しちゃっていいのか?」
「許可は得ております。それにイディオ様は言っておりました
貴方様に我々の立場を手っ取り早く理解していただくには、実際にシール・ザ・ゲイトの中を見てもらうしかないと」
「ふーん」
「それに三日近くも部屋に閉じ込められていては気が滅入るだろうと思って、私が進言したのです」
「なんか、色々気遣ってもらって申し訳が無いな」
「いえいえ、礼なんか…私めが許可された範囲内で客人を退屈させないようにやっている事なのですから」
ディークは銃を持った二人の兵士に囲まれながらコーヴと会話しつつも、雲一つ無い青空広がる空を見上げていた。
今見る空はアウターのどの場所から望める空よりも綺麗だったが、これは本当の空ではないのだという。
言うなれば天井に巨大なモニタが有って、そこに精巧な風景を投影しているだけだということは信じられない。
それだけの為にどれだけのエネルギーが消費されているのかディークは気になっていた。アウターでは慢性的な電力不足に悩まされている事も多い。
だからこそ電気に頼れない前時代的な生活を強いられている人間も非常に多く、それが不便の要因にもなっていた。
なんとなく思ったのはコロニーがアウターよりずっと快適なのだろうという事だけだ。移住しようと目論む人間が多いのも判らなくは無い。
「何故、中東のこの場所にこんな施設が…?」
「誰が作ったのかは明らかにされていません。私達はここを発見し定住したのです
アウター出身のディーク様には耳が痛い話かもしれませんが、ここにいる者たちの殆どは元々がコロニーの出身者なのですよ
詳しい事は機密事項に抵触しますのであまりお伝えできませんが…」
それきりコーヴは暗い顔をして黙ってしまった。イディオに近しい彼でも知らないことはあるのだろう。
もしかしたら彼の顔に刻まれた皺の苦労がこの【シール・ザ・ゲイト】の発見に費やされたものなのかもしれない。
ディークの中でコロニーの人間に対する偏見が少し薄まってきたような気がしていた。
高圧的な人間もいるが、中にはこのコーヴのように丁寧で親切な人間もいる。アウターにも下らない諍いで争いを起こす低俗な輩も多い。
師であるレオスに言っとしたらまた困った顔をされるだろうが、少なくとも此処の人間は自分達と変わらない存在に思えた。
「なんか…すごいな」
とても室内とは思えない広大な場所をしばらく歩いた後、ディークは周りの景色に視線を向けた。
そこにあるのは赤茶けた土の絨毯の見える農業用プラントで、機械が作業を行っている。似たような設備を彼は知っている。
視界に入る一帯は畑に似ていた。碁盤状に細かく仕切られており、ゲイルの家で見たことがある光景だ。
だが規模が段違いだ。この場所のどこまでも広がる土の絨毯は、砂漠に侵食され痩せた土地が多いアウターでは滅多に見られないだろう。
土の色も瑞々しさが感じさせる黒色で、最適な肥料であることが伺える。リベアが管理している畑も此処までのものはない。
ディークはコーヴに断ってから、一掴みの土を摘んだ。程よく空気が内包されたそれは少し力を込めると微かな弾力の後に潰れた。作物が育つのに最適な土だ。
「はい、このBブロックは食料の栽培プラントとして使われています。土の管理はナノマシンが半自動的に行っていて
毒素の全く含まれない食料品を生産することが可能なのです。作業も殆ど機械の手によって行われています
ごく一箇所では畜産も行っています。流石に食用の動物まではストレスケアなどは人間の管理の手も必要なのですが…
作業用の機械を持ち込んで此処の技術を使って改良したものです。シール・ザ・ゲイトの百五十人近くもの住人の食糧を賄えます」
離している間にも、三脚で畑を歩き回る機械がアーム部分からせっせと水を撒いている。
その機械は見たことの無い形をしていた。人間の上半身に腕部をさらに二本増やしたような奇形は直立した蜘蛛のように見えなくも無い。
疲れの知らない機械は忠実に自分に与えられた命令をこなしているようで、こういった作業に向いているのかもしれない。
「よく分からないけど、すごいとしか言いようが無い」
「このナノマシンは医療用に製作された未完成品を転用して改良したもので、詳しい事はよく分からないのですが
もっと小型化が進めば人体に投入して毒素を排除することも可能だといわれています。その点に関しまして我々の中には
専用のスペシャリストが居なかったのが災いして、此処までの用途でしか活用できなかったのです
私がいた二十年前のコロニーでも研究が進んでいたと思われますが…見ての通り門外漢ですのでどこまで研究が進んだのかは知りません
失われた技術の中でも、かなりデリケートな分野で才能とセンスを要求されるテクノロジーと聞きますので実用まで漕ぎ着けたかどうかは存じていません
いつかはこの技術もアウター…人類の為に役立てる日が来ることを願っています。イディオ様もそれを望まれている筈ですが…」
「ナノマシン…」
ゲイルが昔話していたことがある。医療用のナノマシンはかつて人体改造にも使われ廊下を遅らせたり超人的な身体能力を得た者がいたと言われる
彼は知らなかったがセルペンテが使用していた『薬』もその技術の応用で生み出されたものの簡易版であった
シール・ザ・ゲイト。コロニーに近くてコロニーじゃない閉鎖空間。
此処の人間は全員が全員親切というわけではないし、目的も不透明な集団だがコーヴのような善人も居る。
そして、話を聞く限りでは少なくとも彼やイディオは将来的にアウターの助力に前向きなようだ。
確実に訪れる漠然とした人類の滅びへの道、それに少しだけ希望の光が届いたようでディークの気持ちは明るくなった。
しかしその反面こうも思ってしまうのだ、ここまで発達した技術が過去に人間そのものを害する結果を生み出してしまったのではないかと…
技術というものは使う人間次第だとゲイルが言っていた。しかし、自分達の手に余るそれを人間は正しく
扱えているのだろうか?いや。そうでなかったからこそ今のような現状があるのではないだろうか?
色々後ろ向きに考えそうになるが、今はそれを思案すべきではない。
(だけど、まずは帰らなくちゃいけねぇ。姉さんやリベアには少し心配かけているかもしれないからな)
そんなことを考えていた時だった。自分に向けられた視線を感じたのは
(誰だ…?)
灰色の建物の影に隠れるようにして誰かがディークの方を見ていた。闇を纏った雰囲気を持つ黒髪の女
それは彼が知っている人物によく似ているような気がする。
その女は長い髪を揺らしながらディークに向かって妖しく微笑んだ。それでディークは悟った。違う、彼女じゃないと感じた
急に風が吹いたので思わず目をつむってしまう。そしてもう一度そこに目を向けた、しかし…
「あれ?」
再びディークは、女を見た方向に目を凝らすがそこにはもう誰も居なかった。
「どうかなされましたか?」
「いや、なんか知っている奴が見えたような気がして」
あれは甲田怜なのだろうか? それにしては随分と雰囲気が違ったような気がする。
遠目から見たのでそうだとは断言できない。ただ、ひどく似通った印象を持つ人物であることに間違いは無い
怜もここに招かれているとしたら、なんら不自然な事ではないのだが気になるところもあった
「そのお方は甲田怜様なのでしょうか?」
「なんだかなぁ…あいつに似ていてあいつじゃない。そんな気がするんだ」
曖昧な返事をしながらディークは再び空を見上げる。
少しずつ朱色の比率が増して夕方が近くなったことを思わせるスクリーンに投影された偽りの空は、
砂漠で見る夕日のように美しく、本物に限りなく近い雰囲気をを再現しいることに未だに驚きながら。
「この事件についてどう思われますか?」
此処は北米のニューヨークコロニーで行政機関セブンズが統括する中央政府本部。
そして世界で八つあるコロニーの政策を統括する最高機関でもあるのだ。
そこの、円形状の机に七つの席と七人の影が薄暗い部屋の中に投影されている。
今は全員参加しているわけではなく、七人の内一人は代理、あとの一人はホログラムで青白い立体映像で遠方から話し合いに参加していた。
ゼブンズが全員集まることは滅多に無い。絶大な権限を持つ彼等は他のコロニーに出向いて直接の指令を下している事もあるのだ。
「どう、とは?」
「太陽発電衛星【エレオス・ソイル】三号機が外部からのハッキングを受けた件です」
「それについてはすでに解決済みなのでは?」
「ですが…システムの一部に異常が見られ。今月の送電計画は若干の遅延が見られます
現状はコンデンサに蓄えられた電力の余裕もあり、コロニー全体のエネルギーを賄えるのですがそれ以降は計画的な停電を考慮した電力供給の配分など
考慮せねばならぬ現状です。外周への送電を抑えつつ三号機だけならまだ問題が表面化するほどではありませんが
ハッキングを受けた以上、他の衛星も同じようにジャックを受ける可能性が非常に高く―――――」
「しかしエレオス・ソイルはそれぞれ同型の発電衛星だがアクセスに必要なパスコードと権限を持つ人間は分散しその情報も徹底的に管理されている。他の衛星のハッキングなどは内部の人間の協力があっても困難だ」
「誰がやったというのだ? 今更になってアウターの人間が牙を剥いて来たとでも言うのか?」
「まさか復讐か? 今更になって誰が、何者かと組んで?」
「調査団は何をしていたのか? あの小僧はただ遊んでいるだけではないのか?
口約束だけの【条約】で決して少なく無い予算や人員を投じて外を監視させているというのに」
「いや、もしかしたらコロニーの内部に離反者が居るのかもしれない。
かのエレオス・ソイルのプロテクトを突破する人間がアウターに居るとは思えん」
「この状況をアウターにも強い影響力を持っている北京閥が掴んだら…むしろ仕掛けたのは奴等か…!」
「バカな!それこそあのルクス・ア――――」
「皆様。お静かにお願いいたします」
決して大きくはないが、よく通った声が三、四人が興じていた雑談の騒音に釘を刺すと室内はシーンと静まり返る。
この会議室は七人で使うとしても狭くは無い、むしろ少し広すぎるほどのスペースがあったのだが、
それでも威厳たっぷりに座るその男――――ディノス・アトラスの落ち着き払った声音は部屋全体に浸透した。
「今日集まっていただいたのは他でもありません。エレオス・ソイルの件、色々と新事実が浮上してきたので
我等セブンズの同志に集っていただいて情報の共有を図ろうとしたまでのことです。コロニーの危機には一丸となって立ち向かうべきなのですから」
セブンズの次期筆頭と噂されるディノスは、超然たる統治者の風格と多くの大衆を惹きつけるであろうカリスマを発揮してそこに居た。
彼に向かい合うような反対側の席に腰を据えているグランドは歳の割りに巌のように逞しい顔には出さないものの。
グランドは昔のディノスを知っていた。彼は武道の弟子であり歳の離れた親友でもあった。
確かに、昔のディノス・アトラスに比べれば現在の彼は頼もしく優秀な指導者でもある。
だが、心配ではあるのだ。今の彼が昔の自分に似ているようで胸騒ぎがする。
「今から3Dホログラムに画像を出しましょう。私めがあれこれ口頭で話すより、
異変を簡易的に映像化したうえで見てもらったほうが状況を受け入れやすいでしょうから」
ディノスが微笑を浮かべると、目の前にあるパネルを叩き簡単な操作を行った。
そして、円状のテーブルの中心にそれが現れる。【エレオス・ソイル】の3D立体映像が青白い光に照らされてスッと浮かび上がる。
その構造は【セブンズ】やそれに携わる中央政府の一部の人間ならば誰でも頭に入っている。
だが、何故いまさらそれを見せるのか? それに大きな意味はあるのだろうかとここに居る数人が疑問に思った。
「只のエレオス・ソイル三号機の構造図ではないか?」
「確かにこれの構造はA級機密で、コロニーの中でも情報漏えいが禁じられているものだ
セブンズである我々は既知であり、いまさら提示される情報ではないと思われるのだが」
部屋の中に一部の人間のため息が漏れた。ディノスがさぞ深刻そうに話すので何事かと思えば、
見慣れた自己発電衛星の3D見取り図だからである。評し抜けるのも仕方ない。
しかし、他の数人は相変わらず厳しい表情でディノスに視線を送っている。彼ほどの男が本当に見せたいものは別にあると思っていたからだ。
「ですから、分かり易く説明できるように図を今一度示したのです。
次は手元のモニターに三号機の現在の姿をお見せいたしましょう」
ディノスが微笑を浮かべながら今一度手元のパネルを操作すると、連動するように立体映像も変化した。
それを見て他のセブンズ達の顔が青ざめていった。この部屋に居る大概の人間の顔が驚愕と恐怖の感情を浮かべていた。
グランドでさえそれは例外ではなかった。厳しい表情をして変化した【エレオス・ソイル三号機】の映像を睨み付ける。
「こ…これは……構造がデータと異なっている!」
「馬鹿な! そんな事が…ッ」
「現状のエレオス・ソイルは衛星軌道上のラグランジュポイントを回っているのだぞ!
今は人間を宇宙に上げることはこのコロニーの力を以ってしても困難だというのに
それも百メートル近くある巨大な人工衛星を誰に知られずこのような改装ができるというのか…」
「だから言ったのですよ。実際に見ていただくほうが、この問題の深刻さをお分かりできるだろうと―――」
落ち着いた口調で話すディノスが皆の反応を見て口の端をにい、と吊り上げたのをグランドは見逃さなかった
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