4‐1 シール・ザ・ゲイト
それは、約十年前の出来事だった。
輸送機がアウターの中東付近…アラブ首長国連邦という国が存在していた地域であり、かつては化石資源がもたらす利益で莫大な富をもたらし投資に観光で人が集まり、多くの高層ビルが建ち大勢の富豪が暮らしていたその場所ももはや完全に砂漠に飲み込まれ、定期的に訪れる砂嵐によって今では人も住めず、デザートスコーピオンが跋扈する人の立ち入りを拒む秘境と化していた。
「よし、流石私の息子だ。お前が居ることは誇りに思うぞ」
「父さん…お水いいの?」
「ご主人様、私のを分け与えましょうか?」
「いや、仲間達を放って置いて私一人が喉を潤すわけにも行かないだろう。それにお前だって家族が居るはずだ」
そう言って男は笑った。本当は彼も苦しかっただろうに、そんなことはおくびにも出さない。
中東系の血を引き精悍で浅黒く、ひげの残る精悍な顔つきは年の割には名残と少年の様な情熱まで備えていた。指導者としてのカリスマさえも…
だからこそ「本国」で利権を享受し怠惰を貪る者達に危険視された。それ故に政変に身に覚えのない罪を着せられ、名誉ある任務という名のコロニー追放…実質的な死刑を与えられた。
彼の妻や仲間達はこれまで懇意にしていた「セブンズ」のある人間に陳情すべきだと提言するが、それは彼自身聞き入れなかった。
見たかったのだ、彼が友と一緒に昔から思い描いていた理想郷への旅路を実現できることを。
不幸にもその友は既に命を散らしたが、その嫡子である後継者が密かに援助をしてくれていた。彼と…若くして早世してしまったがその姉の幼い頃から交流があった。
夢に触れ一歩近づくことは、命すら差し出すに値する偉業だった。コロニーでの生活は不自由しなかったが、自分達の生い先しか考えない上層部による支配からの閉塞感ばかりで未来は感じられなかった
ひとつ心残りがあるとすれば息子が着いてきたことだった。『彼』に後を託し残して置くべきだったかもしれない。
だが、もし残していたとしても後ろ盾が無い今、権力闘争明け暮れる過酷な運命に晒されるのは時間の問題だろう。
(彼等にも礼を言うべきかも知れないな…)
そして必要の無いのに数十名もの部下達や友人が着いてきた事に彼は涙を流した。自分の愚考に付き合って命を落とすかもしれないのに。
彼らもまた、本国の中央都市で暇と快楽を持て余す愚達とは異なり、同じ魂の輝きを有していた冒険者でもあったのだ。
「あれを見つけるまでは、休むわけにはいかないのだ」
「でも…飛行機が故障してて、コロニーの人達に助けてもらうのは…」
「それは…できないのだ。成果を持って帰らねば彼らは納得しない。そして、お前達の事まで考えないといけない。
家に帰れるようにするつもりだ。ミージャやナタリーの事まで考えないといけないのだからな」
「…」
「お父様は立派です、ご子息である貴方も信じてください」
事の顛末は自分の研究が外部に漏れた事にある。彼の知り合いがあろう事かセブンズ直下の治安維持局に密告したのだ。
なんの事は無い「理想郷」に関する資料を集め、それが本当に実在するかどうかの仮想的な検証を行ったまでのこと。
そして、この一軒で解ったことは「セブンズ」かそれに関連する組織の者達が彼の研究を疎ましく思っているということだ。
タブーに触れたことで「反逆者」のレッテルを貼られ処刑される可能性もあったが、上に覚えのある知り合いの温情もあって免れた。
だからこそ旧型の空挺を押し付けて「名誉探索」という名のアウターへの追放を言い渡されたのだ。
それはある男の思惑と合致してか、密かにある程度の支援や後ろ盾こそ得られたものの、こうして不慮の事故に巻き込まれた今となっては頼りにできない。
「見つけてみせるぞ。砂漠の中にある理想郷という名の扉を……」
砂避け用のフードを被った一行は嵐の中を歩いていく。広大な砂漠からすれば彼らは一粒の砂のようなものだった。
人間が歪めた環境の牙は容赦なく一向に襲い掛かる。熱波と暴風、そして舞い上がる砂が容赦なく吹きつけ彼らを追い詰めていった。
それはまるで過酷な巡礼の旅だった。迫害されつつも聖地に向かう敬遠な教徒達の一団…そして、限りなく生還の確率が薄い旅…
だが、この場に居る誰一人とて後悔していなかった。一人の男と共に幻の理想郷を探す事こそが天命と定めた大馬鹿者達なのだ。
「シール・ザ・ゲイトは本当に存在するのだ…あれさえあれば人類の未来は…」
呻くように漏れた呟きからは確信と、未来へと希望、そして…ごく僅かだが畏怖の響きが混じっていた。
「報告すべき事案があります。入室を許可いただけますでしょうか?」
『許可する。入れ』
若い白服を着た男が自動ロックが解除され、開いた入り口に足を踏み込み机で資料に眼を当しているプラチナブロンドの男に一礼する。
紙媒体のメディアは既に時代遅れだ。しかし、データベースに万が一の事が起きると考えると、
太古より十世紀以上に渡って文献を保存できる媒体は嵩張るが、いちいちバックアップを取る必要がないしデータ書き換えの危険性も減る。
そう言ったロジックは20半ばを過ぎたになったばかりの彼にも理解できるのだが、どうにも資源の無駄に思えて仕方ない。
いくら再生紙を採用しているとは言え、汚い外周で働く人間の雇用対策でしかないのだろうかと思う事がある。上司の趣向なのだろうがそういったノスタルジック的な感傷にはどうにも自分は共感できない。
何時もならばそんなのんきな事を考える余裕もあったが、今回は事態も事態であり少し緊張で体が硬直してしまう。
「は…はっ。それでは報告してもよろしいでしょうか?」
部下からの一報が【セブンズ】の一員でもあるレーヴェロイに届いたのは彼が翌日の収集会議に提出するアウターの調査レポートに眼を通していた時だ。
飾り気の無い無機質な部屋で、速いペースで机の上に重ねられている百枚近くの資料に目を通していた。
殆ど全てが彼の弟率いる調査部隊が、周辺のコロニーと連携して集めてきたデータであるのだ。
コロニーの外の様子は逐一調べておく必要がある。十数年単位で進められた計画のプランは水面下できっちり動いている。
それは決して過大評価の上の身内贔屓と言う訳ではない。物心付いたときから体に持病を抱えていたレーヴェロイは弟を頼りにして生きてきた。
その一角には彼と同じプラチナブロンドをした少女の姿が笑顔で映っている。写真に写っているのか彼の姪であり唯一の生活感がある置物だ。
彼女とは最近会っていないが、わんぱくだが元気に過ごしていると彼女の父親であり義兄から話は聞いている。
そしてレーヴェロイが一番信頼している人間でもあった。
「話せ」
「はっ、自律発電衛星エレオス・ソイルⅡのシステムにハッキングを受けた痕跡が発見されたのです」
「…なんだと」
レーヴェロイの口調こそ、平坦そのものを保っていたが整った碧眼には僅かな驚きの色が混じっている。
エレオス・ソイルとは、旧時代に地球の周回軌道上に打ち上げられた太陽光による発電で膨大な電力を生み出す自律衛星である。
週に一度、膨大なエネルギーを内包したマイクロ・ウェーブを各コロニーの受信機関が受け取る事によって各都市のライフラインを賄っているのだ。
当然だが、アウターと違って電力に依存した生活を送るコロニーでは欠かせない機関であり生命線でもあった。
内周部での各施設への電力供給や、交通機関にも用いられ、外周の工場地帯をフル稼働させるにもエレオス・ソイルの存在は必須なのだ。
それがハッキングを受けてしまった。という意味が示すものは、逆に言えば電力に依存しきったコロニー市民の生活を脅かす事になり、
まごう事なき侵略行為ということになる。今後もこのような愚行を許せば相手はますます付け上がるだろう。
いわば、宣戦布告にも等しい所業だが。動機の線で考えられるのはアウターだが彼等の技術力でそれが出来るとも思えない。
コロニーの外では量子的コンピューターの発する波長を宇宙まで飛ばせる高性能な発信装置は無いと聞いている。
ならばコロニー内部の「裏切り者」が存在するとでも言うのか? しかし自分達の首を絞めてまで何のメリットがあるのかわからない。
量子コンピュータのプログラミングが可能なハッカーは、上流階級層が集う内周の中でも特別的な厚遇を受け特一等市民の扱いを受けるが、
仮にアウターに通じたハッカーが居たとしたら、即座に暴きだされた後地位と財産没収の上に反逆罪の罪を着せられた挙句に、場合によっては一族共々外周送りになり、妻娘は薄汚い場所で体を売り本人は断種処置の末に死ぬまでの強制労働が課せられるというのに。
「痕跡の元は逆探知したのか?」
「ええ、しかしコロニー内部からのハッキングではありません」
「まさか外部からだというのか。ヨーロッパ周辺のハンターの仕業か?」
「いいえ…どうにもそうでもない様で、中東付近からだと…」
緊張と驚きが口を鈍くするのか、部下は少し言葉を咀嚼するのに手間だったようだ。
それでも注意深くレーヴェロイはそれを聞いていた。切れ目の瞳は刺すような視線で若い部下を捕らえている。
中東。あれの存在が微かに頭の片隅を過ぎった。旧時代の遺産であり何重にもプロテクトが掛けられたエレオス・ソイルのシステムに、
ハッキングなど仕掛けてこれるような施設はあれを置いて他には無い。
「軍の準備をしろ。ハンター評議会には通達する必要は無い」
「で、ですが評議会に通達も無しの派軍は条約違反では…」
レーヴェロイの碧眼が策謀の色を宿す。その色に押し殺してはいるものの幾分かの焦りが含まれていた。
自体の深刻さは伝達役を伝えている彼にも十二分に読み取れる。そうでなければコロニーの中枢を構成している一員に相応しいとはいえない。
それに例の「ハッカー」がアウターのハンター評議会と接点を持つ可能性も否めない。
自分たちは調査の名目でアウターに何席も飛行艇を飛ばしている。上層部同士互いに了承の事項とは言え、
向こうのハンター達が自分たちに不満を持っている事も知っている。それに、数はアウターの人間の方がはるかに多いのだ。
「彼等には調査隊とでも言っておけばいい。まだ、ハンターが関わっているとも限らない故に警戒すべきだ
それにいざという時はこちらが介入する口実を作れるかも知れぬ。やや考えにくいが…アウターが過去のテクノロジーを秘匿し今まさに反旗を翻そうとしているとな」
セブンズの中でもディノスと関係の深いレーヴェロイ言葉を男は黙って聞いているしかなかった。自分には口を出す事などおこがましい。
病床に伏しているがアウターとの宥和政策方針派筆頭のフォレストや、その後継者と目されるブレイブが今の話を聞いたらどうするか想像したが、
今の自分が考えても仕方ない。必要なのは外周に送られない事を祈りながら命令に従うだけに身を扮するだけである。
何よりもキャリアを崩したくない。せっかく内周でそれなりの暮らしを送れているのだから、それを捨て去る愚考を侵す必要もないのだ。
「…了解いたしました。部隊の準備は進めておくように通達します」
部下は粛々と支持を承った後は、一礼してレーヴェロイの飾り気の無い事務室から退室した。
残されたブロンドが美しい青年は腕を組んだ上に顎を乗せ、何か知略を廻らせているように碧眼を細めた。
宝石のようなエメラルドの瞳には若さゆえの勢いと未熟さはあまり見えず、知性と冷徹さとと秘めている。
例の出来事は単なるアクシデントに過ぎず。それ故に数年の月日をかけた計画を遅らせる事など出来ない。
あの方の思惑道理に事を運ばなければならず。自分たち兄弟は命を救ってもらったのだから。
決して計画の遅延などはあってはならない。仮にもしそうなった場合は命を賭してまで尽くすつもりだ。
有能だが少し粗暴な面が目立つ弟も、自分と気持ちは同じはずである。そう、死んでいった妹の為にも――――
(だが、決して無茶はするなよリオン。お前とこの私はあの事件の後生き残った唯一の家族なのだ…)
弟に全幅の信頼は寄せている。だからこそ彼の懇願を聞き入れ、アウターに派遣したのだ。
レーヴェロイは今も尚、殆ど睡眠時間を取れずに動いている弟の無事を祈りつつ眼を閉じる。
そして明日会議に出すデータに大きく修正を加えるために、すぐ執務に戻ったのだった。
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