3‐5 謎の女

「うーん…どうしたのディーク? こんな夜遅くに…」


「姉さん。お願いがあるんだ、重病人を一人休ませられないか?」


深夜に突然の弟分の再訪。そして防寒対策に彼の上着を巻きつけた少女を抱えた彼を見てノエルは驚き、状況を聞こうとする。

子供たちを寝かしつけ、朝食の準備を整えた後ようやく自分も床について一日の疲れを癒そうとした直後だったのだ。

だが、ノエルは戸を叩く音に起こされた事に不快感を示さなかった。それどころか彼女はぐったりとディークの腕で、

荒い息を吐く少女の容態が気になったのだ。どう見てもただ事では有り得ない。


「怪我人なの?…ベッドは一つだけ空いているわ」


「頼む」


「酷い…ところどころ傷だらけ、いったい何が?」


ディークから少女の体を引き受けたノエルはあまりの軽さに驚いてしまう。

幼さが目立つが人形のように精緻な少女の顔立ちは、今や苦悶に歪んで息も絶え絶え、どう見ても健康体には見えない。

加えて全身の衣服に刻まれた十数か所もの切り傷。そこから見える白い肌は紫色に変色しており只事とは思えない。

むしろ、何故生きているかが不思議である。本当に回復できるのかどうかノエルは心配になった。


「ああ、砂漠で誰かに襲われたところを俺が助けたんだ。傷を負わせた張本人は逃げたけど…

とにかく応急措置を済ませて明日西側の町の病院に連れて行くよ。満足な治療が出来るかどうかわからないが」


「うん。それが一番いいのかもしれないわ」


「――――めて」


二人の会話の中に突然割り込んでくる、か細くも弱々しい声の持ち主。

それはディークが運んできた少女本人のものであり、二人はぎょっとした顔で互いを見回した。

まさか、今頃になって意識を取り戻すとは思わなかったのだ。ディークは言葉が良く聞き取れず、彼女に聞き返した。


「え――? 意識が戻ったのか!」


「お願い…病院だけは…止めて……私は―――」


相変わらず小さく、聞き取りにくい声だったが今度こそははっきりと聞こえた。

しかし、弱っているからか何時もの様な孤高で冷たい雰囲気は感じられず、今はただ無力で歳相応の少女に見えなくも無かったが。


「あなたはもう無理しなくていいの。わかったから喋らないで」


「……」


優しく諭すようにノエルが返すと、少女はこくりと小さく無言で頷いて再び目を閉じる。

何処か安心したように顔の険が緩む名も知らぬ彼女の顔。ディークはノエルにもう一人妹が居たらこんな感じなのかと密かに思う。

一応、リベアは彼より一切年下である。年齢的に妹とも呼べなくないが彼女は強気で男前過ぎて妹という気がしない。


「毒の付いた刃物でやられたみたいだ。気をつけて」


「傷口を水で洗いましょう。私がこの子の服を脱がすから水の準備をお願い

綺麗に濾過したのが台所の樽に入っているから、桶に目いっぱい注いできて。頼むわね」


「手に傷とかない? もしかしたら毒が姉さんに移るかもしれない」


心配するディークにノエルは何時もと変わらず、人を励ますような笑顔を浮かべてみせる。

こうしてみると昔を思い出す。あれはリベアが毒蛇に噛まれた時だった、ノエルはすぐに自分の口で毒を吸い出したのだ。


「大丈夫よ、刃物で傷つかない程には料理は手馴れているわ。それにこの子だって女の子だもの、私がやらないと」


「ああ、わかった。でも口で吸いださないようにね、ハンターが使う奴って蛇の毒とは違って強力なんだ」


「わかっているわ、子供達の事もあるのだから。でもこの子も助ける為に」


「あまり危険を冒さないでくれよ。みんな姉さんのこと心配してるんだから」


言った後にディークは台所に急いだ、水を用意するためだ。

子供を起こさないように慎重に、音を立てないようにして昼間にノエルが食事をこしらえていた場所へと向かう。

ノエルの子供達が今の傷だらけで域も弱い少女を見ると、パニックを起こすかもしれないからだ。


「全く…ディークはいつまで経っても本当に弟みたい。あなた、服を脱がすけどいいわね?」


ノエルの声に反応し少女は再び薄く目を開けた後に、こくんと頷き了承の意を示しす。

許可を得たノエルは見慣れない服に四苦八苦しながらそれでもなるべく手際行く脱がしていく。

三人にとって辛く、長い長い夜はまだ始まったばかりであった。






「………」


先刻の出来事から一幕後、一連の役者たる当事者達が砂漠を去った後も、そこに影は佇んでいた。

月明かりに映えるのは少女と同じ色の黒い髪、そして白く陶磁のような肌に、血をさしたような紅い唇。

その「誰か」は一連の騒動を監視していた。正確に言うならば昨日今日からではない。

例の少女が数ヶ月前に始めて此処の近くの村で現れたと聞いてから追跡していたのだ。ある人間の命令で――――


影を纏いし「何者か」はそのまま砂漠を歩いていく、太陽の導きが沈みマイナス以下の零度を誇る気温も全く意に介さないように。

その様子はまるで本当に影を身に纏ったかのようであった。冷淡な輝きを宿す切れ目の瞳にこの場所はどう映るのだろうか?

セルペンテとはまた違った意味で危険さを内包させる影は、ただ粛々ととある一方に行き先を向けて一歩一歩踏み出している。

それは、ディークのホバーバイクが走り去った方向へと向かっていた。

精緻な仮面のように作り物じみている美貌には何の感情も浮かんでいない。瞳からは一抹の意思が宿っているようだが心中は計れない。

果たして、影は甲田怜の仲間なのだろうか? それとも――――



ぐるるるるるる…


低いうなり声を発して小型の変異種の影が複数体、女を取り囲むように現れる。セルペンテの懸念は的中していた。


「貴方達は私より強いの?」


自らを取り囲む獣達を見定めるように影が言う。旗から見れば余裕とは無縁な絶体絶命の光景。

透き通ったような声音は中性に近い高めのソプラノで、それだけで性別の判別は付きにくいが体型から見るに恐らく女。

「誰か」を取り囲む獣の群れ、唸り声を上げながら威嚇してくるその変異種はデザートコヨーテと呼ばれ此処一帯ではポピュラーな種である。

体長はおおよそ1,5メートルと小さい。しかし常に集団で狩りを行い、人間では及ばない敏捷性と綺麗に並んだ鋭い牙は、

これまで幾人も砂漠を横断する人々を餌食にしてきた「砂漠の殺戮者」とも呼ばれ恐れられている。

おまけに今現在、その獰猛な獣達は飢えているのか食欲を隠さずに鳶色の眼をぎらつかせ、彼女の周辺を回るようにして徘徊しているのだ。

並の人間なら、恐怖で動けなくなり失禁してもおかしくない状況でも、動揺を見せない彼女にとっては日常に等しいのかもしれない。


「…じゃあ、試してみる?」


月の光が口元だけを映し出し、形のいい唇を舌が舐めるように這う。

爪と牙を剥き出して不用意に飛び掛ってきた一頭に対して、まるで付き纏う羽虫を払う如く左腕を振るった。

グローブに覆われた白い細腕は武器など何も持っているようには見えず丸腰と思わせる。

しかし、注意深い人間がが良く観察してみると月光に照らされ冷たく光っている、糸のようなものが指から数本伸びていたことに気が付くだろう。

そしてそれが仕掛けてきた一頭に致命的なダメージを与えたことにも。

それを証明するようにコヨーテの体は空中でばらばらに引き裂かれていた。砂に血飛沫が赤黒い紋様を作り、

強靭な骨ごと体を断ち切り鋭利な断面を晒し、ただの肉片に成り下がったコヨーテの死体が、乾いた音を立てて砂地に落ちて、黙する躯に成り下がった。

泉のように死体から流れ出す血液は砂に覆われた大地に吸われていき、僅かばかり不毛な大地の面積を赤く染め上げる。


「ふふっ、相変わらず切れ味は悪くないようね…」


コヨーテ達は相変わらず暗闇の中で光る無数の目を女に向けていた。それに対して彼女は微笑を浮かべて言葉を口にする。


「ごめんね、あなた達と遊んでいる暇はないの。すぐに戻ってあの子を監視しないといけないし…それに――――」


虚空に向かって恋人への思いを囁くような言葉は途切れ、今しがた葬り去ったコヨーテに何の感慨も抱かず、自分の得物の性能を再確認するように彼女が告げた。

そしてすぐ、そのまま一瞥もせず立ち去っていく。コヨーテの群れに興味など無くなったといわんばかりに。

後を追うコヨーテはもう居なかった。飢えて血で滴る新鮮な生肉を欲する畜生達ではあるが、本能的に理解してしまったのだ。

「あれ」は決して自分たちでは敵わない【強者】であると、歯向かえば先走った一頭のように砂の大地に躯を晒すことになるだけだと。

そして彼女が視界から消えた後、コヨーテ達は漂う血臭に我慢できず嘗て仲間だった肉を我先に争って貪り喰い始めたのだった。


とうに結果が分かっている事など、次の指令が控えている彼女からすればほんの些事に過ぎなかった。






「ディーク。貴方は戻って」


夜明け前、あの後で砂漠に起きた出来事を知らないままノエルの家にて看病を手伝っていたディークは家の主に言われたのだった。


「何でだよ? ノエル姉さん」


「この子は私に任せて。ディークにはまだハンターの情報屋としてのお仕事があるのでしょう?」


そういうノエルの表情は年下のディークの心配に満ちていて、昔と同じように力強いものに見える。

彼女の気苦労もわかっている。だが今は、ノエルの力になりたかったもう昔の無力な自分ではない。

自分も立派な男になったのだ。心はまだ追いついていないけれども姉代わりのノエルの背中が見える程度には。


「それは…そうだけどさ。子供の相手とかはどうするんだよ?」


「大丈夫よ、十年近くやっているんですもの。今更一つ二つ気苦労が増えたからって心配することじゃないわ」


気丈に微笑するノエルだが、その美しい顔にも疲労の色は濃く表れていた。


「姉さんだって疲れてるじゃないか。こんなときくらい姉孝行させてくれよ」


「ねぇ、もしレオスさんが私ならなんと言うと思う?」


その答えはわかりきっている。彼はノエルよりディークと一緒に居た時間は長い。

そしてディークが「拾われる」以前からレオスとノエルの付き合いがあったということも…


(そんな…ズルいよノエル。俺だって、あなたの背中を支えるくらいは立派な男になったのに…)


「お願い、ディーク。あなたハンターの仕事やりたがってたじゃない? 『俺がみんなを助けるんだ』って」


ディークは大きく息を吸い、天井を仰いだ。今、彼は自分の中に有る二つの価値観を計りにかけて悩んでいる。

ハンターの情報屋としての責務をこなす気持ち、そして憧れの人として羨望を抱いていたノエルを助けたいという気持ち。

その二つとも、今のディークを成り立たせている重要な要素だった。どちらとも安易に切り捨てることは出来ない。

そして自分がノエルだったとしたら恐らくその答えは、彼女と同じものになるのだろう。


「わかったよ、俺は自分の事務所に戻る。その後で客が来なかったら後でマスターに相談するよ

もしかしたらこの子に良く効く薬を持っているかもしれないだろ? 一日以内で戻ってくる」


「ええ…それがいいわ。ディーク」


ノエルは再びにっこりと微笑んで見せた。彼は考える、やっぱり自分より人の心配がすぐにできるノエルには敵わないと。

そもそも、背負っているものの数が違うのだ。彼女は此処で勉強や生活に必要な知識を子供達に教え、

自分はレオスやゲイル、リベアに食料をたまに融通してもらいながらハンターとしての仕事を続けている。

立派に自立しているノエルと、自立できないディーク。その差がまだ悔しかった。自分はまだ誰かに重荷を背負わせている。


「ディーク、ちょっと手を見せて」


「ん…? ああ、わかった」


差し出したディークの日焼けした手にノエルの細い手が重ねられる。

いつの間にか彼女より手が大きくなっていたことにディークは自分でも驚いていた。

それでも、ノエルの手が全てを包み込むように暖かく、大きく感じてしまうのは何故だろうと考える。


「あなたの手…もうこんなに立派になって…」


「俺なんてまだまださ。まだランクは-Cクラス。強さも経験もレオス師匠には及ばないよ」


「こんなに大きくなったのだから。あなたはもう十分にやっていける…私なんかが居なくても」


「ノエル姉さん…」


卵形の整ったノエルの顔は慈愛に溢れていて、まるで母のように見えた。

ディークは【本当の】母親のことをおぼろげにしか覚えていない。そのことは今でも辛い思い出の一つだった

両親が変異種に食われたか、ならず者に殺されたか、それとも何らかの原因で蒸発したか…わからない。気がつけばディークは一人だったのだから

しかし、顔もろくに思い出せない彼女もまた似たような表情をしていたのだろうと思う。血が繋がらなくともノエルは二人の姉であり、母だった


「さぁ、行ってきなさいディーク」


「ああ…行ってくるよ」


これ以上二人の間に言葉は要らなかった。送るものと見守るもの、両者の間には見えない絆でしっかりと結ばれている。

ノエルもディークも口には出さずとも理解していた。生きること自体が過酷なアウターの中でも人間同士の思いは確かであることを、

実の親子であっても全く関係は無いのだ。お互いを思い会って信頼できればそれに勝る宝は無いのだから。

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