18.妖森の3人

 閉じ込められた。完全に。


 目の前には木蔦がびっしりと隙間なく詰められた壁。背後には鬱蒼と広がる邪気の森が。


「……ッ」


 こんなにも濃い邪気に晒されるのは、幼い頃結界の外へと出てしまったあの時以来だ。けれどあの時は周囲の空気に敏感とはいえ、まだまだ未熟だった。それに父のことばかり考えていて、そっちでいっぱいいっぱいだった。


 あの頃よりも自分なりに感知の訓練を重ねてきて、妖の恐ろしさをそれなりに知ってきてしまっている今——体温が下がるばかりだ。


 あおはたまらず木蔦の壁から大きく1歩退き、両手の平を向けた。呪力が勝手に高まっていく。そうして〈げん〉を紡ごうと口を開き、


「えグェッ‼」


 ……盛大に喉を詰まらせた。


「……何やってんだオメェはよぉ……」


 意識が飛びかける蒼の耳に、ひゅ~ドロドロドロと効果音まで聞こえてきそうな、怒り心頭の声が滑り込む。誰の声だかすぐに分かる。そして今何が起きたのかもすぐに分かった。


「あの……首絞められるとさすがのあたしも死んじゃうというか……」


「たった今自滅しようとしてたヤツが何言ってんだ……」


 瀕死の状態ながら訴えてみるが、一鞘ひさやの方も怒りが収まらないらしい。いつものように怒鳴ってこない分ドスが利いていて数段恐ろしい。


 階段で拉致されたあの時のように真後ろから掴んでいた蒼の襟首を、一鞘が投げ捨てるように解放した。蒼はべしゃっと地面に倒れ伏した。


(……ひ、ヒドイ……)


 一鞘に色めき立っている女子達は早くこの現実を知った方がいい。


 最早起き上がる気力もなくのびている蒼のそばに、トコトコと姫織いおりがやって来た。そしてすぐそばにしゃがみ込み、


「……サヤに感謝したら」


「あたしがッ⁉」


 突然襟首を掴まれ後ろに容赦なく引っ張られ首が絞まったというのに。ガバリと顔を上げると、姫織はいつもと変わらぬ落ち着いた表情だ。


「……姫織、ダメだコイツ。言っても分からねぇ」


 一鞘がため息混じりに入ってくる。


「そんなに不満なら、どーぞ。やってみろよ」


 何というか、本当にエラそうな態度である。両腕を組み、蒼から数歩離れる。さぁいつでもどうぞと言うように。


(……し、釈然としない……)


 姫織までもが、トコトコと一鞘の方へ下がって行くではないか。すっかりお披露目の場となってしまい、蒼は渋々と木蔦の壁に両手を突き出した。


 やはりここは基本中の基本、『炎志えんし』だろうか。ついこの間、呪学の実技で唱えた〈言〉である。四礎しその一、〈焔〉に呼びかける〈言〉。


えんし――……、」


 言い終わるか終わらないかの内に、変化が起こった。


 まず最初に感じ取ったのは音だ。木がメリメリと裂けるような、肉塊がブチブチとちぎれるような嫌な音。そうして蒼が両手の平を見せている先、木蔦の壁に、ギョロリといくつも目玉が生えた……いや……開いたのだ。大小様々な複数の目と確実に目が合い、蒼はおぞけだつと同時に地を蹴っていた。蒼が立っていたところに、いくつもの鋭い枝があらゆる方向から突き刺さる。


「だから言ったろ」


「……、……‼」


 2人の近くに着地した蒼はそのまま腰を抜かすしかない。


「間違いなく高位の妖なんだ、火の気配なんか感じたら即刻排除ぐらいするだろ」


「……オート機能」


 たった今蒼が殺されかけたにもかかわらず、一鞘も姫織も平静である。


 目玉の方はというと、不思議そうにパチパチと瞬きをしてから、安心して眠りにつくように目を閉じていくところだった。完全に目をつぶると、またただの木蔦の壁へと戻った。そこに目玉があったとは、もう誰にも分からない。


「……く、口で言ってくれればいいのに――っ!」


「実際に見ないと、お前納得しないだろ」


「……どんな風に妖が防いでくるかも、見ておきたかった」


「ひどっ⁉」


 完全に実験台ではないか。


 しかも「言っても分かんない」と言われたけど首絞めてスゴんできただけじゃないか、と蒼は半泣きになりかける。しかし聞き捨てならない言葉にハッとした。


「ちょっと待って、高位の妖って……!」


「あぁ。とうとうお出ましってワケだ」


「……まさか……」


「前に言っただろ。……龍能者は妖を惹きつけやすいって」


「……!」


 鬱蒼とした森を見上げる一鞘の眼差しは見えない敵を見据えているかのようだった。蒼は総毛立った。


 確かに、高位の妖が現れる可能性があると言っていた。しかし結界内でそういった妖に遭遇したことがなかったし、学校内で一応それらしき気配を探ってみても、特に異変はなかった。それに、一鞘と姫織がその話をしながらも落ち着いていたから、なおさら都市伝説でも聞かされているような気持ちになっていたのだ。


「でも、ここ……龍脈の上にあるんだよね……⁉」


 妖が寄りつかず、妖力も抑え込むという龍脈。その真上、もしくは近辺に人の住む街があるのが普通だ。それに一鞘が前に、この学校の下には龍脈がいくつも交わっていると言っていたではないか。


 邪気の微弱な妖ならいてもおかしくないが、この邪気は明らかに微弱からは程遠い。


「正確にはそれは学校の方だ。この森は龍脈から外れてる」


「……森が龍脈の上にあったら、妖退治訓練がまともにできない」


「あ……」


 確かに龍脈の上なんかに妖を放したら、妖力を抑えられ弱ってしまう。それでは訓練にならない。


「だがここも龍脈からかなり近い位置にあるのは事実だ」


 一鞘が顎に指を当て、難しい顔になった。


「しめ縄の中に入って襲われるならまだ分かる。けどおれ達がいたのはそんなに奥じゃない」


 確かに他人に聞かれないよう森の中に足を踏み入れたものの、そこまで森の淵からは離れていなかった。


「森の奥にあるっていうしめ縄って、立入禁止ってだけじゃなくて、結界でもあるんだよね?」


「……ん」


 蒼の確認にうなずいたのは姫織だ。


「あのしめ縄は、結界の礎になる呪具だと思う」


(そういえば、国母こくぼ先生が呪具を使って結界を張るとかって話してたっけ……)


 つい先日の呪学じゅがくの講義を思い出す。


「妖を外に出さない為か」


 訓練で妖を放つものの、森の近隣には学校だけでなく一般の人が暮らす街もある。そちらに妖が逃げてしまってはたまったものじゃない。


「……街を囲うのと同じ一般的な結界を……、逆にしたようなもの」


「逆?」


「……街を囲う結界は、内側から外には出られるけど、外から中へは入れない」


「一緒なのはどっちも対妖たいあやかし用ってことだけか。街の結界は外からの侵入を阻むもの、森のしめ縄は中の妖を閉じ込めるものって具合に」


 一鞘が肩をすくめてみせた。


(侵入を阻む……閉じ込める……)


 やはり、幼い頃に結界から出てしまった時のことが思い出される。トプン、と水に入ったような感覚が、耳を抜けたあの感じ。あの瞬間、空気そのものがまったく別のものになっていた。街の中の、当たり前に聞き流していた音すべてが一掃されて。


(しめ縄の中に入っても、同じ感覚になるのかな……)


 そんなことを、ぼんやりと考える。


「……それと、“マヨセ”の結界でもあると思う」


「……ま……よせ?」


 聞き慣れた言葉のような、聞き慣れない言葉なような。蒼は目をぱちくりさせた。


「ごめん、今魔除けって言った?」


「……ううん、魔寄せ、、、


 姫織が緩やかに首をふる。


「……魔除けは、魔を寄せつけない。魔寄せは、魔を引き寄せる」


 蒼はぞくりと身震いした。


「……しめ縄の中で、魔寄せの結界を施して、妖を興奮状態にする。そうすると、龍脈が近くにある土地でも、妖力が活性化する」


 ぽそぽそと、表情を変えずに語られるだけに、なおさら凄みが増す。使い方を1歩誤ったら、取り返しのつかないことになりそうな。そんなものが存在するというだけで、寒気がする。


「……結界の内部全体に魔寄せの効果があれば、中の妖は、無暗に外に出ようとしたりしない」


 だから閉じ込める結界の方が保険程度のものだと思う、と姫織は淡々と言う。


「……それと魔寄せを施してるのは、その効果の強弱を調整して、実践訓練の難易度を調整してるんだと思う」


「な、なるほど……」


 魔寄せという初めて知ったものに恐ろしさを感じた蒼であったが、姫織があまりにもシステム面でものを言うので、だんだん落ち着きを取り戻すことができた。


「だがここはしめ縄の外だ」


 一鞘が話を引き戻した。


「しめ縄の中に妖がいて、そいつが龍能者であるおれと姫織を嗅ぎつけて……それで襲ったってことか?」


「……操作型の妖なら、できるかも」


(操作型……)


 対妖戦闘員だった父から、聞いたことがある。


 妖は、いくつものタイプに分かれている。あくまで人間が分類しただけで、実際はもっと細かくたくさんの種類に無数に分かれているとも言われているらしいが。


 操作型はその名の通り、自分自身が戦うのではなく何か別の生き物を操って戦う妖だ。ただ動きを操るという簡単な話ではない。妖力を使って操る以上、異様に凶暴化したり普通じゃあり得ない急激な進化をしてしまうことがほとんどだ。


 確かに姫織の言う通り、植物を操作する妖なら、本体はしめ縄の中にいたままでその外にいる蒼達を閉じ込めることもできるかもしれない。 


 操作型はさらに、近接操作型・遠隔操作型に分かれる。文字通り、近接操作型は自分が触れている生き物、もしくは近くにいる生き物しか操作できない。遠隔操作型は遠くにいる生き物を操作できる。


 また、操られる生き物はかなり限定されてくる。相性のいい生き物しか操作できないのだ。虫を操れる妖。鳥を操れる妖。魚を操れる妖。など。しかも例えば虫であれば、その中でも蟻だけとか蜂だけとか、さらに種類が絞られる。たまに虫であれば何でも操れるなんて操作型もいるらしいが、それはとんでもなく上位の妖だ。


「確かに森のこの感じは妖が操ってそうだよな」


 一鞘がうなずいた。


「ザッと見た感じ、このあたりはいろんな木が生えている」


「……多分1種類の木だけ動かしてるワケじゃない。間違いなく上位」


(……上位……)


 本当に、これは現実なんだ。こっそりと歯噛みしている蒼には気付いていない様子で、一鞘が「だが1番あり得るのは、」と表情を引き締めた。




「――その結界が破られたってことだ」




(……え)


 一瞬、頭が真っ白になった。だって考えたことがなかったのだ。これまで、街を囲っている結界が破られたなんて聞いたこともなかったから。


「そんな……、そんなことって、あるの?」


 蒼は歴史の授業は苦手だったが、何百年も前に町を囲っていた結界が妖によって破壊され、中の人々が皆殺しになった事件について習ったのは覚えていた。けれどそれは昔の話だ。結界の研究・開発が圧倒的に進んでいる現代で、そんなこと聞いたことがない。


(ちょっとした魔除けなら、分かるけど……)


 けど、こんな大規模な結界が。


「理由はいくつも考えられる。例えばガキがイタズラしてしめ縄を切っちまった、傷付けたとか」


「……結界自体が、そろそろメンテナンスしなくちゃいけない時期で綻びがあるとか」


(……何だ……)


 蒼は密かに、ほっと息を吐く。そうか、事故ってこともあり得るのか。


 しかしそんな蒼の内心を見抜くように、一鞘が続けた。


「――高位の妖が結界を突破したとかな」


「……!」


 射貫くような視線と言葉に、蒼は今度こそ凍りついた。……結界を突破するほどの、強い妖。思わず自分自身を抱き込む。


(……あたし、何で気が付かなかったの……⁉)


 焦りと恐怖、苛立ちが、混ぜこぜになる。濃霧のように漂う邪気が、蒼の体だけでなく内臓、心と冷えさせていくようだ。


「静井、お前閉じ込められる前に何か感じたか」


「!」


 突然水を向けられ、蒼はドキリとした。そこには、冷静にこちらを見やる一鞘がいる。別段責め立てる口調でもなく、一鞘が続けた。


「おれには突然邪気が湧き上がったように感じた。姫織、お前は?」


「……私も」


 姫織がうなずいたのを見て、一鞘がまた蒼を見てくる。


(2人とも、落ち着いてる……)


 そのことに、ほーっと息が吐き出せた。自分を庇う両腕をほどいて、蒼は口を開いた。


「あ、あたしもそう感じた……。それまで普通の森だったのに、急に森全体が変異したっていうか」


「……あの瞬間に森を操ったってことか……?」


 おずおずとうなずく蒼に、一鞘が目を伏せ独り言のようにつぶやいた。


「……ごめん」


 と、一鞘の言葉を待っていた蒼の耳に、別の声が入り込んだ。


「……わたしが足、引っ張った」


 ――あの姫織が、謝った。


 相変わらず無表情だが、その顔がわずかながら曇っているように見える。もしかしたら、暗い森の中だからそう見えただけかもしれない。けれど教師相手に毅然と顔を上げ、女子に囲まれ嫌味を言われてもうつむかなかった、あの姫織が。今はほんのりと目を伏せ、制服のキュロットをきゅっと握り締めている。


「……そっ……、」


 それを見てたら、いたたまれなくなった。


「そんなことないよっ!」


 わっと大きな声を、目の前の小柄な少女に浴びせていた。


「この森の邪気、あたし達が帰ろうとした瞬間にグワッと強くなったでしょ⁉ それで、確かにあと1歩で森の外に出れるーって時にこんな風に閉じ込められちゃったんだけど、」


 感覚を他人に伝えるのは難しい。それが姫織みたいに語彙力のない蒼ならなおさらだ。身振り手振りをまじえ、必死に言葉を探す。


「何か、待ってるみたいだったっていうか……、えぇっと、タイミング見てるみたいっていうか、」


 森から出れる、と思ったあの瞬間。ドッと木蔦が溢れたあの感じ。


「多分、あたし達3人がもっと足が速くても、閉じ込められてたんじゃないかなー、なんて……」


「……」


「……」


 シンとしてしまった。森に閉じ込められた直後と同じような、いやアレ以上の沈黙だ。まるで蒼が大スベリしたかのようである。冷や汗がダラダラと、蒼の体中を流れていく。姫織が何の反応も示さないのはまだ分からなくもないが、明らかに脇で見ている一鞘まで黙るのはやめてほしい。


「そっ、それにほら! この壁に攻撃するのはダメっぽいけど、それなら上から逃げるとか……、」


 そう言いながら顔を上げた蒼であったが、


(……ってあ―――――1年生は普通跳躍習いたてなんだってば―――――ッ‼)


 姫織が跳躍ができないのは当たり前のことだ。こんな時に余計に落ち込ませるようなことを言ってどうする。……いや実際に落ち込んでるかは分からないんだけど!


 しかも頭上の木の葉は想定以上に鬱蒼としていた。何だか森に入った時よりも量が増えてないだろうか。無数の葉の集合体はブロッコリーのようにこんもりと膨らんでいて、足場とする枝の位置も見定められない。完全に夕日も防いでいた。


「……いやっ、地面にトンネル掘って脱出なんかも……、」


「『落基らくき!』」と〈言〉を唱える。これは指定した地盤を砂状にし落とす――つまり穴を開けるという術で、子ども達が「落とし穴術」なんて呼んだりもするワケだが、


「……」


「……」


「……」


 近くにできた、大股1歩分くらいの直径の穴に集まった3人は何も言えなくなった。穴の中では、無数の太い木の根がぬめぬめと蠢き絶えず絡まり合っていたのである。地上から覗き込んでくる蒼達に襲いかかる様子はないものの、さすがにコレはキツイ。


「……静井」


「……はい」


「閉じろ」


「……はい……」


 蒼は一鞘の命令に大人しく従って目の前の穴をなかったことにした。


「えっと……何かいろいろ、すいません……」


 そう頭を下げるほかない蒼である。こんな同い年相手に何をしているのだろうと思わなくもないが、さすがに今のは余計なことをやったと自覚している。


「もういい」とため息を吐いた一鞘が、切り替えるように顎に手を当てた。


「正面突破は無理、上からも無理、地中も無理……か」


「えっ、あの」


 何もかもを無理と言い切る一鞘に、蒼は思わず声を上げた。


「確かにこの壁に火の術はダメだったけど、とにかくあっちこっちに火を放って燃やせばいいんじゃ」


「お前……、さっき殺されかけてよくまだそんなこと言えるな」


「そうなんだけど! えーっと、この壁じゃなければあの目玉オート機能ないかもな~とか、とにかくどこか1箇所でも燃やせればこっちのものかな~とか……」


「却下だ」


 一鞘が頭痛を堪えるような顔でぶった斬る。


「そもそも、呪力でできた炎は妖力の宿ったものに巡りやすいんだ。こんな森に火の術放ったらおれらまで焼け死ぬだろ」


「……え、でもそれは水の術で消火すれば」


「呪力でできた水なんざ妖の支配下にある植物にぶっかけたら妖力増すだろッ!」


「ひぃっ、すいません!」


 一鞘の苛立ちを倍増させてしまった。


「……サヤ」


 そんな2人のやり取りを気にも留めず、姫織が兄を呼ぶ。さらに説教をしてきそうな一鞘がそちらへ向き直ったので、蒼は内心ホッとした。


「……わたし、この森調べてみたい」


 えっと、声を漏らす蒼をよそに、一鞘が自分の髪をぐしゃっとかき混ぜた。


「……そうだな。こんなところでムダな時間過ごしてる場合じゃなかった」


 えっと、再び声を漏らす蒼をすり抜け、一鞘が森の奥へと歩き出す。姫織もトコトコと、慣れた様子でその後に続く。


「えっ、ホントに行くのぉ⁉」


「ここでウソついてどうするんだよ。ったく、これ以上バカなこと言ったら置いてくからな」


 2人は迷いのない足取りでズンズンと進んで行ってしまう。


 ――バカって! 置いてくって‼


 一体どこまでヒドイ男なのだ。


 やっぱりありがとうなんて言わなくてよかったんじゃないか、とかなり後悔しながら、蒼は2人の背中を追いかけたのだった。






「そういえば、お前に訊きたいことがあったんだ」


 森の奥へと歩き始めて、すぐ。先頭を歩く一鞘が、蒼の方へと顔を向けた。


「おれ達が閉じ込められた時、妖がタイミング計ってたみたいだとか何とか言ってたよな。あれ、どういうことだ?」


「あぁ……」


 自分のせいで閉じ込められたと言う姫織に、そんなことはないと熱く語ってしまった時のことか。どうやら、真面目に聞いてはくれていたらしい。そのことにどこか照れくさくなりながら、蒼は言葉を探す。


「えぇっと……、邪気の湧き方で、妖が何考えてるか分かる時ない?」


 一鞘と姫織が、足を止めた。怪訝そうな顔でこちらを見てくる。


「えっと、何考えてるかっていうか……何しようとしてるか? ほら、人間だと大きい声出す前にものすっごく息吸うとか、思いっきりジャンプする前に両足曲げるとか。邪気にもそういう動きがあるから」


「……そういうのが、邪気の湧き方で分かるってか?」


「う、うん。湧き方って言っちゃったけど、邪気の流れ? 動き? ……で分かるっていうか」


 2人が、ますます変な顔になってしまった。


「……えぇっと、最初に邪気が湧いた時は、ワッて感じだったの! 何の前触れもなく、一気に部屋の中が煙でいっぱいで、何も見えなくなるっていうか! 不自然だなって、あたしも思ったんだけど」


 蒼は2人から離れてみせた。


「でも、あの蔦の壁ができる時までは、邪気がこんな感じで、」


 と言ってしゃがみ、


「蔦の壁ができた瞬間が、……こーんな感じ!」


 こーんな感じ、で真上にジャンプしてみせる。ふたごは、変な顔を見合わせている。


「……つまり」


 妙な沈黙ののち、姫織が口を開く。


「いつでも木蔦の壁で塞げるよう、準備して待ち構えていた……?」


「あっ、うん! それ‼」


 自分の言いたいことをズバリ言い当てられて、蒼は目を輝かせた。


「すごい。ありがとう姫織。すごいしっくりきた」


「……う、うん……?」


 こんなにも自分の中にある感覚をズバリ言い当てられたのは初めてだ。心からの感謝をこめて言ったのだが、姫織は何で感謝されてるか分からないような反応である。


 一鞘は1人「動きが読めるから次にやることが予測できるってことか……?」とつぶやいている。


「静井、それはおれ達にはできない芸当だ」


 と一鞘に指摘され、蒼は顔を上げた。姫織と握手したい蒼と、じりじりと後退する姫織との攻防戦が、ひとまず中断される。


「おれも姫織も、あくまで邪気の濃度が大雑把に分かる程度だと思ってくれ。こんなに濃い邪気の中だと、そうした細かな気配には鈍感になる。だから最初に邪気が湧いたのは分かったが、あの蔦の壁が待ち構えていたとは分からなかった。お前にとっては言うまでもない当たり前のことでも、いちいち口に出してほしい」


「え、そ、そっか。う―――ん……、」


 何だか急に大役を任された気分だ。腕を組み、何か他にないかと頭を……というか、自分の肌感覚を働かせてみる。大したことではなくていいのなら、


「――森全体でひとつの妖、とか?」


「は……?」


 一鞘が思わずといった様子でつぶやいたのと同時くらいに、ザワリと気配が蠢いた。


「――!」


 蒼は反射的に宙に逃げていた。先程、木蔦の壁に『炎志』をぶつけようとしていた時と同じだ。蒼が一瞬前までいたところに、幾本もの鋭い枝が頭上から伸び、突き刺さっている。


「何⁉」


 持ち前の反射神経と素早さで跳躍していた蒼は、一鞘と姫織の前に着地してあたりを見渡した。




 ざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわ。




 まるでそれがひとつの言語であるかのように、木の葉がただの植物ではありえないほど揺れ動いていた。葉と葉のこすれ合う音が何重にも響き合い、鼓膜を埋め尽くす。まるで大量の虫が蠢いているかのようだ。そう考えて、蒼はゾッとした。


「……どうやら、これ以上相談させる気はないみたいだな」


 一鞘が、なおもざわめき続ける木々を見上げつぶやく。はぐれるなよ2人とも、と小声で呼びかけられた。


「――逃げるぞ!」


 一鞘が姫織の手を引いて駆け出した。蒼もそれに続いて地面を蹴る。木々のざわめきはそのまま、邪気の強まりを表していた。

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