君と私の日記

クマ将軍

あなたとあたしの日記

 それは突然の出来事だった。

 少女の祖母が泣きながら一人の少女を抱きしめる。祖母の言葉は嗚咽によって上手く聞き取れず、困惑は益々増すばかり。

 すると、徐々に落ち着いた祖母がゆっくりと改めて話し始める。思えばこのまま聞かなかった方がいい内容ではあったが、当時の少女は何も分からなかった。


「お父さんとお母さんが……」


 両親が交通事故に遭い、亡くなったという言葉は幼い少女にとって難し過ぎた。

 亡くなった、死んだとは一体何か。両親はどこかに行ってしまったのか。帰ってこないのか。もう出会えないのか。祖母との話で徐々に理解を深める少女は次第に涙を流すようになった。


 翌朝目が覚めると両親がいるはずの居間へと入る。

 いつもならそこで両親が少女に向かって笑いかけてくるが、そこには誰もいない。きっと買い物に行っていると思った少女はずっと居間で待ち続ける。

 待ち続けて、待ち続けて、それでも帰ってこない。

 昨日祖母から聞いた両親の状況を思い出して、そんなわけないとひたすらに思い込む。だがそこに祖母がやって来て、無言で抱き締めてくれた事で頭が真っ白になった。


「もう……会えないの?」


 祖母は何も言ってくれなかった。

 その日、少女は何時間も、何時間も祖母の腕の中で泣き続けた。




 ◇




 心を塞ぎ続けて一体どれぐらいの月日が経ったのだろうか。

 ふと、両親の寝室から何かの予感を感じた少女は両親のいない寝室へ入る。するとそこには、一冊のノートがベッドの上に置かれていた。


「何これ……」


 パラパラとめくる。

 見た感じ、どうやら日記帳のような物だと理解した。そしてそれと同時に生前の母が日記を付けていた事を思い出す。

 何をしているのかと聞けば、日記を書いていると母は答えた。それって楽しいのと聞けば、母は楽しいと答えた。思い出を振り返り、書き記すのが楽しいと母が答えた事を少女は思い出したのだ。


「……うん」


 手にある日記帳と、記憶の中にある母の日記帳の装丁は同じだ。

 しかし中身は真っ白で一回も使われていないと分かる。恐らく同じような日記帳を母は数冊を持っているのだろうと少女は思った。

 手の中にある日記帳と母が日記を付けていた記憶。少女はふと、母が楽しいと思った日記に興味を抱き、久し振りに何かをやって見ようと日記帳を持って自室へと戻ったのだった。


 鉛筆を持ち、何を書くか迷う。

 確か母は文章を書いていた。

 それなら自分も文字を書く必要があるのではないかと考える。授業の作文のような感じで苦手意識はあるが、生前の母が何をやっていたか、どのような想いを抱いていたか追体験するために必死に何を書こうかと頭を回す。


「え、と……『きょうはにっきをみつけた』」


 とにかくその日に起きた出来事を書いていく事にする。

 すると筆が乗ったのか、少女は小さい事を中心に文章を一つ一つ羅列していく。それぞれの文章に繋がりはなく、日記というよりかはメモ帳に近い内容になった。

 そして、書いていく内に自身の感情がぐちゃぐちゃになっていく。一日を振り返るつもりが悲しい記憶まで思い返したからだ。


『ぱぱとままがしんじゃった』

『もうぱぱとままにあえない』

『ひとりぼっちはやだ』

『あいたい』


 こんな事を書くつもりはなかったが、手は止まらない。

 まるで自身の感情を代弁するかのように、溢れ出した感情は文章となって止まらなくなっていく。涙が紙を汚し、拭おうとしたら余計に汚れる悪循環に陥り、苛ついた少女は鉛筆を投げ出した。


「楽しくない……」


 そう言って、少女は日記を放り出して不貞寝したのだった。


 そして翌朝、目が覚めて起き上がるとボロボロになった日記が目に入る。

 不貞寝して幾分か冷静になった頭でその日記を見ると、自分の字ではない文章が書き込まれていた事に気付いた。

 当然自分で書いた覚えはなく、記憶にある祖母の字でもない。その文章は少女の年齢でも読めるほど分かりやすく書かれていた。


『きみはだいじょうぶだよ』


 内容は両親を亡くした少女を励ますものだった。

 真摯に、そして優しく書かれたそれに少女は食い入るように読んでいく。途中そのあまりに優しい内容に涙が溢れそうになるも、少女は最後まで読んで行った。


『また明日』


 最後に書かれたその言葉が、少女の決意を新たにした。




 ◇




 身も知らない相手との交換日記は数年間続いた。

 翌朝になると自分の書いた日記に反応にしてくれる正体不明の相手。

 自分の事を最も知り、最も理解してくれる相手に不思議でありながらも、どこか安心する自分がいる事に少女は気付いた。


 だがそれはそれとして相手の事を知りたいという感情もある。実際に、何回も相手について尋ねた事はあった。だが返ってきた返事は『いつか分かるよ』とだけ。

 一体いつ分かるのかやきもきする少女だった。


 正体不明の相手との交流は、少女の塞ぎ込んでいた心をこじ開けさせてくれた。両親のいない寂しさを紛らわせ、少女に前を進ませる意志を育んだ。

 今では少女の周囲には友人達が溢れ返り、その日友人達と過ごした日々を日記に書いて秘密の相手と交流する事が楽しみになっている。


 それから更に数年後。


 少女は高校へ進学した。幼かった少女は綺麗な少女へと育ち、心を塞ぎ込んでいた少女はもういなかった。

 夢も抱いた。将来は服飾系の仕事に就きたいといつの間にか思うようになった。

 今になって思えば、秘密の相手が時折書き込んでくれる綺麗な服を着たキャラクターの絵に影響されたからだろう。


「おい、誰か告白してくるか?」

「うわぁ高嶺の花だぜあれ……」

「明乃ちゃん! 今日も一緒に帰ろ!」

「ほらほら男子共どいたどいた〜」


 毎日が楽しくて、寂しさを感じる暇がない。

 その事を秘密の相手に話すのが楽しみで仕方がなく、今日も日記を書こうと決意する彼女。しかし、家に帰った彼女はその日記を見つける事が出来なかった。


「……どこに行ったの」


 祖母に尋ねても祖母は知らないという。

 どこかに失くしたのかと一心不乱に探す彼女は、次第に焦りから涙がこぼれていく。これほど悲しいという感情を抱いたのは久し振り過ぎて、彼女はどうすればいいか分からない。


 秘密の相手ともう交流が出来ない。

 秘密の相手ともう語り合えない。

 秘密の相手が誰なのかすら、もう分からない。


 そう思った彼女は心に冷たさが宿っていくのを感じた。


 ――しかし。


『明乃ちゃん一緒に遊ぼう?』

『明乃っちー! 今日も来たぞー!』

『お婆ちゃん、明乃の好きなご飯を作ったのよ? 一緒に食べましょう?』


 知り合いが。

 友人が。

 家族が。


 彼らが塞ぎ込んだ明乃の心をこじ開ける。

 もう心を閉じる暇は、明乃にはなかった。




 ◇




 日記が消えてあれから何年経ったのだろうか。

 明乃は見事服飾系の仕事を手に入れ、順風満帆な人生を送っていた。

 少女だった自分はもういなく、あるのは周囲との絆を紡いだ女性の自分。


 日記の事ももう思い出さなくなってきた。

 仕事が忙しく、または日々の日常が楽しくて忘れる事が多くなったのだ。


 そんなある日の事。


 明乃は両親の命日にようやく日記の事を思い出す。

 そう言えばあの日記が無かったら。あの秘密の相手がいなかったらと思うと今の自分がいないんじゃないかと思ってしまう。


 一体秘密の相手は誰なのかと思った彼女はふと、視界に長年目にしてこなかったその存在を目にする。


 震える手でそのノートを手に取る。

 中身は真っ白で完全な新品のように見える。


「……いや」


 真っ白ではなかった。

 たった一ページに、それが書いてあった。


『きょうはにっきをみつけた』


 見知った文章。

 見知った内容。

 忘れる筈もない過去の思い出。


 それを見た明乃は笑みを浮かべ、全てを理解した。


「もう……分かるまで何年も掛かったじゃない」


 明乃は鉛筆を持って、その日記帳に文を書き込んだのだった。

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