【お題全部盛り】ブラックアウトの黒猫

kanegon

【お題全部盛り】ブラックアウトの黒猫

 強い揺れを感じて目を覚ますと、まだ真夜中らしく真っ暗だった。


 岩手の実家に居た頃の東日本の時と同じくらい揺れているだろうか。


 私は慌てて電気をつけてから、床に落ちている物を踏んで怪我をする可能性があったことを思い出した。部屋が明るくなったのと揺れが収まったのとで一安心し、地震情報を観るためにテレビをつけようとしたところで、明かりが消えて再び真っ暗になった。


「停電?」


 テレビもつかず、ガス警報機のランプも消えている。


 東日本大震災の時も恐かったが、大学に進学した今は家族と離れて北海道恵庭市のアパートで一人暮らしだ。家族が居ない分、不安が大きい。


 スマホの明かりを頼りに玄関に行き、ヒールではなくスニーカーを履いた。パジャマから、高校時代に使っていたジャージに着替え、靴を履いたまま再び布団に入った。スマホで災害伝言ダイヤルを使おうと判断したのは東日本の教訓といえる。



 幸い、大きな余震は来なかった。


 明るくなってからトイレに行った。タンクから水は流れたけれども、新たに給水されないので、断水していると判明した。地震で配管が損傷している可能性を考えると、トイレを流したらまずかったかと思ったが、流した後なのでもう遅い。


 木曜日なので大学で授業があるが、停電や断水が市内一円ならば行かない方がいいかもしれない。スマホを使って情報を得ようかと思ったが、停電ならば電池を無駄遣いしたくないので電源を切っている。電池式の携帯ラジオを持っていないことが悔やまれる。


 停電でテレビがつかず、スマホもケチっていると、情報が得られない。


 昼近くになって、外に出て、ちょっと歩いてみることにした。


 信号機は消えていた。交通量の多い交差点は、警察官が立って誘導しているようだ。ガソリンスタンドの前には長い車の列ができていた。足を延ばしてコンビニまで行ってみると、店員が電卓で計算してレジ作業をしていた。棚を見てみると、食パン以外のパンは売り切れていて、弁当は幾つか残っていた。ペットボトルの水も売り切れていた。レジに並んでいる人の会話を小耳に挟むと、恵庭だけではなく北海道全域で停電していて、ブラックアウトと言うらしい。


 私は2リットルペットボトル入り緑茶飲料と、12個入りという名前のチョコレート菓子を買った。


 コンビニを出て、買ったチョコレートを一個口に含んだ。いつもだったらすぐに噛んでしまうところを、口の中で左右に転がして舐めながら、自宅に戻ることにした。



 コンビニ袋をぶら下げて歩いていると、どこからともなく一匹の黒猫が出てきて、私の足元にまとわりついた。首にはペイズリー柄の赤いバンダナを巻いている。


「この子も地震が怖かったのかな」


 黒猫は私の少し前を歩き、立ち止まって私の方を振り返り、また歩き出す。どこかへ私を連れて行こうとしているのだろうか、という第六感が働いた。私の帰り道から黒猫が逸れた方向に行ったので、少し迷ったけれども、ついて行くことにした。


 神社の境内を突っ切って、黒猫は民家の庭に入った。庭にいたロマンスグレーのお婆さんが黒猫に気づいた。


「おや、ハツユキ、帰ってきたのかい」


 ポーの小説に出てきそうな黒猫なのに、白っぽいイメージのハツユキという名前なのか。と滑稽さを感じていると、お婆さんは私の姿に気づいた。


「あら、お客さんかしら。あなた、地震で怪我をしなかった?」


「はい、でも停電と断水で困っています。家族と離れて一人暮らしなんで、不安です」


「あらそう。私も、六年前くらいに主人に先立たれてから一人暮らしなのよ。週末には函館や東京から娘や孫たちが来る予定だったのに」


 聞くところによると、お婆ちゃんは今月末の誕生日で満87歳になるという。数え年でいえば米寿なので、親族で集まってお祝いをする予定だったのだという。食材をあれこれ買って歓迎の準備をしていたのだが、地震で中止を決定したという。


「食材を多めに買っちゃったけど、一人では食べきれないから困っているのよ。あなた、丁度いい機会だから、一緒に食べていって」


 お婆ちゃんは庭にバーベキューコンロを設置して炭を準備しているところだった。


「え、でもタダで頂くのは悪いので、お金を」


「それだったらお金はいいから、あなたの家の冷蔵庫にも、すぐに食べてしまいたい野菜とか肉とかあるでしょう。それを持ってきてくれるかしら。ここから家は近いんでしょう?」


 言われて思い出した。カレー用にしようと、豚バラ肉のおつとめ品を買ってあったのだった。停電で冷蔵庫が止まっている中で賞味期限が切れてしまうと困る。


 私は小走りで自宅のアパートの部屋に戻った。ペットボトル緑茶とチョコレートの入ったコンビニ袋に、冷蔵庫の中から取り出した豚バラと玉ねぎを突っ込んで、再び神社の境内を突っ切ってお婆ちゃんの家に行った。


「あら、豚バラなのね。だったら、ただ焼くんじゃなくて、竹串に刺して焼き鳥にしましょう。味付けはたれと塩の二種類にして」


「鶏肉じゃないのに焼き鳥なんですか?」


「串に刺して焼けば何でも焼き鳥よ」


 私が持ってきた玉葱を切って肉と肉の間に挟みながら、お婆ちゃんは手際よく串に刺していった。


 炭に火をつけて、私は団扇を使って風を送る。金網の上には、お婆ちゃんの娘さんやお孫さんのために準備された肉や野菜が盛大に並べられる。


「結構な量ですね。私とお婆ちゃんの二人でも食べきれないんじゃないですか」


「通りすがりの人に声をかけて、一口ずつでも食べてもらいましょう」


 それでいいのか、と疑問に思ったが、どちらにせよ停電が復帰しなければ無駄になってしまう食材だ。食べ物を粗末にして捨ててしまうくらいだったら、見ず知らずの人であっても食べてもらった方がいい。


 ジュージューというシズル音と共に白い煙が上がり、美味しそうなにおいが漂う。


「焼けたものから、どんどん食べていきましょう」


「はい、いただきます」


 私は串に刺さった豚バラの焼き鳥を手に取った。塩で味をつけただけの単純な料理だが、素材の豚バラの甘みを引き立てていた。一緒に口に入れた玉葱の香りがツンと鼻の奥を突く。


 誘発されるようにして、目から涙がこぼれてしまった。今、なぜか見ず知らずの満86歳のお婆ちゃんと一緒にバーベキューをしているけど、一人暮らしの地で電気も水道も無い状況で、不安な気持ちは解消されていない。いつ、大きな余震が来るかも分からない。


「どうしたの? 味付け失敗していたかしら?」


 お婆ちゃんはトングをカチカチしながら、私の方を心配してくれた。


「すみません。そうじゃなくて、やっぱり地震が怖くて」


 私が涙をぬぐいながら言うと、お婆ちゃんは持っていたトングを置いて、懐からスマホを取り出した。


「気持ちが沈んでいる時は、お笑いの動画でも観るといいわよ」


 お婆ちゃんは持っているスマホの画面を私の方に見せてくれた。


 ピアノの音声が聞こえてくる。カルメンのハバネラだ。と同時に笑い声も聞こえる。


 スマホの画面には、ピアノの向こう側に、スーツ姿の欧米人男性が二人立っているのが映っていた。二人はズボンを下した状態で、両手を大きく上に広げている。それでいてビゼーの名曲のメロディーを奏でている。その様子を観て、観客たちが爆笑している。主に女性が多いようだ。


 これ、男性が体の一部を使ってピアノを弾いているのだ。


 私も思わず笑ってしまった。


「この状況だから不安なのは当然だけど、こういう時こそ、空元気でいいから、まずは元気を出して行かないとね。まだまだ肉はあるから、どんどん食べるといいわよ」


 お婆ちゃんは実際に道行く人に声をかけて、肉を食べていくように促している。それじゃあということで熟年の夫婦が庭に入ってきて、鶏の小肉と豚トロを美味しそうに頬張った。


「あっちこっちでバーベキューをしている人がいましたよ」


 考えることはみんな同じらしい。電気が使えず、断水しているという中では、炭火を使ってのバーベキューで肉を早めに消費するのが、一番合理的なのだ。


 スマホを見ていたお婆ちゃんが声をあげた。


「凄いわよ。エンゼルスの大谷選手、9月5日の試合でホームラン2本を含む4安打でチームの勝利に貢献ですって。私のイチ推しなのよね。アメリカでも二刀流で頑張っているし、これは新人王も取れそうよね」


 バーベキュー台を囲んでいる全員が笑顔になった。みんなを笑顔にできる大谷翔平選手はみんなのヒーローだ。



 お腹一杯になったところで、お婆ちゃんと一緒に片づけをしてから、私は帰宅した。


 2リットルのお茶は集まった人みんなで飲んだので半分以下になっていたが、チョコレートは食べなかったので、まだ11個残っていた。


 その11個をなんとなく眺めていると、1個だけハートマークが刻まれているチョコがあった。当たり、ということらしい。


 私の住んでいる地域は水道は割とすぐ復旧した。翌日になってから電気も復旧したが、隣の地域では断水も停電も長く続いたらしい。


 私は運が良かった方だし、あのお婆ちゃんの存在に救われた。


 十月になってから、あの時のお礼を言おうと菓子折りを持ってお婆ちゃんの家に向かったが、神社の境内を抜けても、見慣れぬ町並みがあるだけで、お婆ちゃんの家はどこにも無かった。


 ただ、どこかで見覚えのあるペイズリー柄の赤いバンダナを巻いた白い猫が、のんびりと散歩しているだけだった。


 大地震の日の出会いは何だったのだろう。ブラックアウトの幻だったのか。


 お婆ちゃんときちんとお別れできなかったのは残念だ。


 2018年9月6日の日記を見返すたびに、私だけのヒーローである謎のお婆ちゃんのことを懐かしく思い出すのだ。


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