【旧】深優の日記。

マクスウェルの仔猫

第1話 深優の日記


 うー、眠い。

 気をつけないと寝ちゃいそう。


 気がついたら、ふわふわでゆらゆらのところにいた。

 なんか、この前にみんなで行った温水プールみたい。


 夢なのかな。

 だれか出てこないかな。

 周りは、何にもみえない。

 目があかない感じ。


 でも、こわくない。

 ゆらゆら~のふわふわ~で気持ちいいからかも。


 さっきからトックントックン聞こえるのは、深優みゆのしんぞうの音なのかな。なんか安心する。


 あ、もしかして、おとぎ話の王子さまがほっぺにキスをしないと、深優は起きなかったりして。


 わ、はずかしい!顔、洗いたいな。

 ドッキドキだよ~。

 王子さま、カッコいいかな。

 早く、こないかな。


 それでそれで、王子さまが「僕と結婚しましょう」って言って、白いお馬に深優を乗せて、お父さんとお母さんのとこに連れていくの。


 お父さんとお母さんはびっくりするけど、「深優を幸せにしてね」って言ってくれて、大きなお城で王子さまと結婚して、みんなで幸せに暮らすんだ…あ、また眠くなってきた…。これで朝が来て、起きるのかな。


 深優はお姉ちゃんになるんだから、夢からさめたら勉強をして、家のお手伝いもして、そんけいされるようにならないとね。


 お父さん、お母さん、大好き。

 おやすみなさい。


 ●


 まだ、夢を見ているみたい。


 今日も、夢の中はふわふわぽかぽか。

 誰も出てこないけど、ゆらゆらぽかぽか気持ちいいし、

 深優はお姉ちゃんになるんだから、一人っきりでも泣かないよ。


 生まれてくる赤ちゃんは、弟かな。妹かな。

 

 弟なら、いっぱいほめてあげて、頭なでなでしてあげるの。

 それでね、いっつも深優お姉ちゃん待ってえ~ってついてくるの。


 妹なら、ふたりでドラマみたいにかわいいお洋服を着るの。

 深優はお姉ちゃんだから、妹に一番かわいい服を着せてあげるんだ。

 楽しみ。


 あ、また眠くなってきた…。

 ゆらゆらぽかぽかで気持ちいいね。

 これで朝になるのかも。


 お父さん、お仕事おつかれさま。

 お母さん、今日はつらくない?

 つらかったら、私に言ってね?


 赤ちゃんがお腹にいるんだから、むりしちゃだめだよ?

 お母さんの代わりにおうちのこと、もうできるんだから。

 それに、深優だってもうお姉ちゃんになるんだから。


 お父さん、お母さん、大好き。

 おやすみなさい。


 ●



 また、ふわふわぽかぽかの中。

 やっぱり夢の中で、王子さまが出てこないと、それで深優のほっぺにキスしないと起きないのかな。


 でも、今度はひとりじゃなかった。

 すぐそばで、すごく小さな子が泣いてる感じがするの。


 さびしいの?

 こわいの?

 こっちにおいで。

 深優お姉ちゃんが守ってあげる。

 ギュッて抱っこしてあげる。


 お父さんとお母さんも、いっつもギュッてしてくれるんだよ。

 ここ、ふわふわで好きだけど、お父さんとお母さんの笑った顔がみたいな。

 もうそろそろ、起こしてくれないかな。

 

 深優、お父さんとお母さん大好きなんだ。

 お父さん、お母さん、今日もおつかれさま。

 おやすみなさい。



 ●



 ごめんね。

 今日深優すごく眠いの。


 でも、もし怖くなったり泣きたくなったらすぐに起こしてね。

 またギュってしてあげる。


 え、お出かけするの?

 深優も一緒に来てほしいの?


 深優は起こしてもらえないと、ここから動けないみたいだから、ごめんね。気をつけてお出かけしてね。


 深優は大丈夫。

 深優はお姉ちゃんだから、さびしくっても泣かないよ。

 

 でも。


 お父さん、お母さん。

 深優さびしいな。

 お父さんとお母さんの笑った顔がいっぱい見たいの。

 

 深優は、ここだよ…。


 お父さんと…お母さんが…大好きな……深優…は…。





 ●





 おぎゃあ。

 おぎゃあ。

 おぎゃあ。


 分娩室に、元気な赤ちゃんの声が響いた。


「岡崎さん、おめでとうございます!元気な男の子ですよ!」

「ありがとうございます…!」

「お母さんもお元気ですよ!どうぞお顔を…!」


 そのまま、岡崎秀二は分娩室に招き入れられた。

 妻の優奈と生まれたばかりの子供を見つめ、秀二は目を潤ませる。


「優奈、よく頑張ったな、ありがとう。赤ちゃんの声を聴いたらきっと深優、飛び起きるぞ」


 秀二はそう言って、優奈に笑いかけた。


「そうね、きっときっと…大騒ぎね」


 優奈は笑みを浮かべつつも、深優を思ってポロリ、と涙を溢した。





 妻と子供の元気そうな顔を見て、秀二は分娩室を後にした。

 そのまま、同じ病院の、別の病室に向かう。


 その病室では、秀二と優奈の娘、深優が半年間滾々と眠り続けていた。


 とある平日の夕方。

 優奈と深優が連れ立って買い物をした後に、交差点で前方不注意のトラックの左折に巻き込まれかけた。


 『お母さん!』


 深優は、お腹に赤ん坊を宿す優奈を、歩道側に優しく押し返した。

 よろめきながらも必死に手を伸ばした優奈は間に合わず、深優はトラックに巻き込まれて、重傷を負った。


 幸い、体の怪我は後遺症もなく快方に向かっているが、深優はそのまま、半年間眠り続けたままだった。


 秀二はベッド脇に座り、深優の頭を撫でながら語りかける。


「深優。今日、元気な赤ちゃんが生まれたぞ。お母さんも元気だ。深優があんなに待ち望んで、体を張って助けた赤ちゃんは男の子だぞ。優太だ」


 男の子だったら優太。

 深優が、生まれてくる子供が男の子なら、と懸命に考えた名前である。


 秀二の瞳に涙が溢れて、床にポタポタと落ちていく。


「深優、お前ももうすぐ五年生なんだぞ。早く起きておいで。また、あのカフェでお父さんとお母さんと深優で特大ホットケーキの早食い競争をしよう。優太が大きくなったら、四人で…挑戦だ。シロップを…隠すの…は…一回だけ、だぞ…。これからは…絶対………おとぅさんたいがひゆをお父さん達が深優をあおるあら守るから…!!!」


 言葉にならない、最後に絞り出した秀二の嗚咽が、個室の中で反射する。












 そして、同時刻。


「優太君は、誰とお話してるのかなあ~?元気だねえ~」


 新生児室の看護師が、にこにこと優太に話しかける。


「ぁーゃぅー」

 

 優太が深優の頬にキスをするまで、あと少し。

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