第54話 ※R18描写あり

「うぅ、食い過ぎた」


 息を吸うのも苦しい中、お腹を擦りながらどうにか声を絞り出す。


「楓、朝ほとんど食べてなかったもんね」


 詩音くんはそんな僕を横目に、ハハハと笑いながらダウンを椅子へと脱ぎ捨てた。全く、お行儀の悪い人だ。僕はダウンを拾い上げそして、部屋に入ってすぐの右手にあったハンガーへとそれをかけて自分の物も同様に隣に並べた。

 その一方で。気が付くと詩音くんは僕のすぐ後ろに立っていた。


「楓、お風呂行こう」


 そう誘う彼の手には、おおよそ二人分と思われるタオル、そして部屋着の浴衣が抱えられている。

 いつもなら、もう少しのんびりしてから行きたい、と言ったところだろう。しかし。僕はすぐさま首を縦に振り、彼の後に続いた。なんせ、ここは北海道。暖かい日であったとはいえ、外があまりに寒かったから。こうして僕たちは、吸い寄せられるようにして大浴場へと向かうのだった。




 向かった先の脱衣所は、物音のひとつもなく静まり返っている。それもそのはず、時刻はもう22時を回っていた。明日の帰りの飛行機は確か、朝の早い便だ。寝坊しないようにしなくては、と僕は急いで靴を脱ぎ脱衣所へと足を踏み入れた。一方で。


「すごぉ、貸し切りみたい!」


 詩音くんは呑気にもはしゃぎながら脱衣所内を見回して、目を輝かせた。


「どのかご使う?」


 一番手前の棚の前に立ち止まる僕の元へ詩音くんが駆け寄る。そんなの。


「好きにしぃ?」


 僕が笑うと彼は少し寂しそうにしたものの、結局僕の隣のかごへ荷物を放り込んだ。年上と言えど可愛いやつだ。

 僕はそんな彼を横目に、着ていた服を脱ぎ丁寧に畳んだ後に丁度僕の手元の高さにあるかごを選びしまい込んでから詩音くんから受け取ったタオルと浴衣をかごの隣の隙間に置く。

 よし、さっそく温泉を拝もう、と。そう思い小さなタオルを手に一歩踏み出して、そして振り向いた。詩音くん行こう、と。そう言いかけた時。僕は異変に気が付いた。


 詩音くんは、服も脱がずに俯いたまま無意味に両手で顔を覆っていた。


「なしたん」と、彼の顔を覗き込む。


 髪の隙間から見えた彼の耳は、真っ赤に染まっていた。


「楓」と彼は目を泳がせて顔を上げた。「ちょっと、身体隠して……」


 そして、彼は手にしたタオルで自身の顔を隠してしまった。なるほど、と思う。彼にそういう目を向けられたのはいつぶりだろうか。そう思うと緊張やら喜びやら。様々な感情が入り混じる。でも。とりあえず僕は手にしていたタオルを腰に巻き、彼の肩を叩いた。


「はい、もう大丈夫やよ。先行ってんで」


 そう告げて僕は一足先に大浴場へと向かった。その方が彼も少しは落ち着くだろう。

 

 曇った扉を開けた先には、それはそれは広くきれいな空間があった。左手にサウナの入り口、そして右手にはシャワーチェアと鏡ががたくさん並んでいる。僕はその右手の入り口付近に設置された、かけ湯へ向かい桶を手にした。


「楓待ってー」


 背後から声が聞こえて振り返る。そこには、相変わらず視線を泳がせまくる詩音くんが早くも追いかけてきていた。全く、もしかして今日の温泉の間、ずっとこの調子でいるつもりだろうか。でも。そんな様子もなんだか面白くって。僕はふふと笑って「はいはい」と彼を待つのだった。






 そうして終始緊張されながらの温泉を終えたのは1時間も経っていない頃。著しい睡魔に襲われながらもどうにか部屋にたどり着いた途端に、僕は勢いよく綺麗に整えられたふかふかのベッドへと飛び込んだ。


「楓、お疲れ様」


 後から来た詩音くんが、ベッドへ腰を掛けて髪を梳くようにして頭を撫でる。僕はそれが心地よくて、つい目を瞑った。しかし。次の瞬間、なにやら瞼の奥が暗くなった。

 心臓がドクンと跳ねる。目を瞑っていても、なんとなくわかった。

 頭の横の、不自然なベッドのへこみ。太ももに触れる何者かの膝。そして、目の前にある荒い息遣い。僕は、恐る恐る目を開く。そこには案の定、詩音くんが覆いかぶさっていた。


「詩音くん、明日早いで」


 僕は彼の腕を掴んでそう言って、彼を拒んだ。

 自分でも、変なことを言っている自覚はある。だって、つい昨日までは彼との行為のレスを気にして別れまで切り出す程だった。でも、だからこそ。これは愛故だ、と僕は思う。

 昨日まで僕が気にしていたのは、根本はあくまでもレスについてじゃなかった。レスはその根本の延長で。愛されている確信が持てないのが、辛かった。だから。愛されているとの確信が持てた今、僕はもう無理に彼に合わせる必要もなかった。


「そう、だよね」


 案の定詩音くんはそう弱々しく呟き、そしてそのままお風呂上がりの暖かい身体で僕を優しく抱きしめる。胸がドキドキと高鳴った。そう。これくらいが、心地いい。

 僕は背中へ腕を回して彼の浴衣を強く握った上で、口を開く。彼ならきっと、全て受け入れてくれると思ったから。


「だって」と僕は口を尖らせる。「詩音くん、えっち中ひなたのこと呼ぶんやもん」


 きっと、もう詩音くんはそんなことしないと分かっている。詩音くんからはしっかり、特別に愛されていることも自覚できていた。でも。

 どうしても初めての夜のことが脳裏によぎって、どうにも性欲を掻き立てられなかった。なのに。

 詩音くんはまるで心外だというように勢いよく僕から離れて目を丸め、僕をじっと見降ろした。


「もしかして、俺がひなたに振られた当日の、あの日のこと……?」


 彼がしっかり覚えていてくれたのは、不幸中の幸いだった。これで、知らない、言っていない、だなんて言われたらこの感情のやり場がなくなるところだった。

 僕はこれでもかと言わんばかりに何度も頭を上下に振って、そして彼の腕を強く握った。


「せや。確かに僕、ひなたの代わりでええって言ったけど。でも、嫌やったもん」


 声が上擦った。ただでさえ面倒くさい男であることは自他ともに認めるレベルなのだから、これ以上感情的になってはいけないと理性ではわかっている。でも。気が付くと口が止まってはくれなかった。


「さっき詩音くん、僕のことひなたの代わりなんて思ったことないって言っとったのに。なのに、絶対あの夜は僕のことひなたって呼んだやんッ。ひなたの代わりにしたやんっ」


 言わないでおこうと思っていたのに。その方が、全て丸く収まると思っていたのに。なのに、気が付くと心の内を叫んでいて。知らぬ間に頬が濡れていた。


「ま、待って。ごめんって楓、泣かないで」


 詩音くんは慌てて僕の涙を浴衣の袖で拭って強く抱きしめ、そしてせっかくドライヤーで整った髪を強く掻き混ぜた。


「あれは、楓のことひなたって呼んだ訳じゃない」

「じゃあ、なんでひなたの名前が出るん」と僕は彼の腕を握る手に力を籠める。


「それは」と彼は口ごもって。でも、ふぅ、と息を吐き口を開いた。

「俺ってこう見えて実は一途なタイプだから、本当に好きな人にしか興奮出来ないはずだったんだよ。だったんだけど。あんなに好きって言い寄ってひなたを困らせてたのに、俺は楓にも興奮出来て、可愛いと思ってしまってて。なんか。これじゃあまるで、初めからひなたのことそこまで本気じゃなかったみたいで。初めから楓が好きだったみたいで。そんなの、クズじゃん、俺。だから、ひなたごめん、って。そう言いたかった」


 彼の声が、徐々に弱くなった。

 確かに、彼の言い分が正しいのなら僕は少なくとも理性の部分では留飲を下げることが出来るだろう。僕の知る由もなかった詩音くんの当時の葛藤は確一人で抱えるにはあまりに大きくて、僕が受け入れてあげなくちゃいけないと思わせられる面もなくはない。

 でも、と僕は思う。


「でも。すごく、寂しかったッ」


 強く強く彼の身体に抱き着いて、わがままを言いのけてやる。困ってしまえばいいと思う。今まで僕を苦しめた罰だ、と思う。でも。彼はそんな僕に困った顔一つすることなく、優しい顔で僕の顔を覗き込んだ。


「ごめんね、不安にさせて。俺、もう迷わないから。だから楓の名前、呼ばせて?」


 ドキッと、胸が高鳴った。それに、詩音くんも気が付いたのだろう。彼は僕の胸へ触れて、そしてその薄い唇で僕の唇へ触れた。


「でも」と僕は尚も顔を背ける。「痛いのも嫌や」

「ちゃんと勉強した」


 彼はそう言って、僕の頬へ触れて自身の瞳と向き合わさせた。


「後悔してるんだ。だから、楓さえよければ上書きさせてほしい。また痛かったら、もう二度としなくてもいい」


 なんで、と思う。彼の声は震えていた。

 今まではあんなに雑にシてきたのに、急にこんなに怯えられたら。なんだか。断るわけにはいかなかった。だって。どうしても、愛が感じられてしまうから。


「……わかった」


 そう応えた僕の声もまた、震えていた。

 胸がキューっと、痛かった。この大好きな声でひなたを呼ばれた悲しみを思い出してしまうから。

 怖かった。また、とんでもない痛みに耐えなくてはいけないのかと思ったから。でも。

 僕の返事を聞いて安心した詩音くんの顔を見るとどうしても断るなんて選択肢は浮かばなくて。やっぱり、詩音くんはずるいと思う。


「ありがとう」


 彼はそう言って、再びそっと唇を奪った。

 暖かい唇は震えていて、しかし照れ笑う彼の表情はとても恍惚としていた。


 こういうとき、どうすればいいのだろうか。自ら服を脱げばいいのか、それとも待っているのが正解なのか。今まではひなただったらどうするか、を基準に動いてきた僕には、なにもわからなかった。どうすれば、詩音くんは満足してくれるのだろう。

 声は今まで通り、出さない方が興奮できる? でも、僕のことが好きなら声を聞かせた方が喜ぶかもしれない。そう、もんもんと頭をフル回転させる。

 こんなことなら、こういう雰囲気になったときのことも想定して、しっかりと考えておくべきだった。


 ふと詩音くんは、再び僕の顔を覗き込むように近づいた。キスをされると、そう思った。だから思わず、強く目を瞑ってしまった。

 詩音くんはそんな僕をみてふふと満足そうに笑みを零した。なんだと思い目を開ける。目の前の詩音くんは、とっても優しい顔をしていた。


「そう、それでいいんだよ」と詩音くんは僕の頭を撫でた。「何も考えないでいい。素直な楓を俺に見せて」


 そんなの、と思う。そうもいかないだろう。

 素直な反応で興奮させてあげられなかったら申し訳ないし、なにより。もし、万が一に、だ。また今まで通り僕が気持ちよくなれなかったとき。それをそのままの反応で返してしまったら、きっと詩音くんは傷つくと思う。だから。


「わかった」


 僕はそう言って、微笑みを“作って”見せた。


「んじゃ、はじめるよ」


 詩音くんはそんな僕の微笑みを見て、満足そうに僕の頭を撫でた。

 大丈夫。僕は器用だから。だからきっと、上手くやれると思う。


 


「触るよ」と彼は言った。


 照明は消さないのか、だとか、服はどうすれば、だとか。そういう疑問は飲み込んだ。詩音くんがしたいように任せよう。


 彼の手が、布をかいくぐって太腿へ触れた。思わずそのくすぐったさに、ピクッと身体が跳ねる。それを感じ取った詩音くんはふふと息を漏らして、そのまま指先で触れるか触れないか絶妙な位置で僕の内腿を摩った。

 こんな風に彼に触れられたことはなかったから、思わぬ感覚に自然と足が閉じる。うるさくなった心臓を両手で抑えると、詩音くんは布から手を抜きそして、僕の顔を覗き込んだ。

 そんな彼の顔をみて、僕はついふっと息を零した。詩音くん今、僕に夢中な顔してる。本当はずっと、そんな顔を見ていたかった。でも。顔を近づけるということは、キスをしたいのだろう。僕はそんな彼の欲望に応えるべく、目を瞑った。しかし。待てども唇にはなにも触れなかった。代わりに、耳に何か柔らかいものが触れた。


「ひッ……!」


 思わず声が漏れ、目を開ける。そんな僕を待たずして追い打ちをかけるように、低い声が鼓膜を震わせた。


「俺相手に笑顔作るとか、いい度胸」


 ゾクッと、体中に何か衝撃のようなものが走り抜け、ビクンと全身が緊張する。これ以上はまずいと、本能が警鐘を鳴らすのが分かった。


「な、何の話なん……」


 彼の両肩を柔く掴み、しかしそこそこの力をかけて押し返す。しかし、もちろん彼が簡単に離れることはなく、逆に僕の両腕を掴み上げベッドへと押し付けた。


「楓、耳弱いよね」


 彼は再び、意地悪をするような悪い顔で僕の耳もとで呟いた。ざわっとくすぐったい感覚に、思わず強くベッドシーツを掴み上げ硬く目を瞑る。詩音くんはそんな僕を見てくふくふと僕に笑い声を落とした。

 

 なんだ、と思う。こんな感覚、僕は知らない。

 この頃にはもう、笑顔を作るだとか、上手く反応してあげようだとか、そんなことを考える余裕なんてなくなっていた。ただただ、大好きな彼に格好悪い姿を見せたくないという気持ちでいっぱいだった。


「やっぱ、やめとかん……?」


 うっすらと瞼を開けて、恐る恐る切り出す。もう、怖かった。何も考えられなくなってしまうのが、恐ろしかった。

 だって、今までは彼に好かれようと必死に考えて生きてきた。だからどうにか好きになってもらえたのに。なのに。今更その考えた行動が出来なくなった時、詩音くんにどう思われてしまうのかと。そう考えると怖くて、不安だった。

 

「やめないよ」


 僕の言葉を聞いた詩音くんは、相変わらず幸せそうな笑顔でそうハッキリと言い切った。そして彼はそのまま僕を抱き寄せ、口づけた。

 唇が柔らかいと、そう思った時。次の瞬間には暖かい何かが口いっぱいに広がった。

 思うように息が出来なくて、必死で鼻から息を吸う。彼の両手が僕の耳を抑えるもんだから、頭まで響く唾液の混ざり合う音が恥ずかしくて。でも、なんだかぼーっとしてきた頭には心地よくて。気が付けば僕も、必死に舌を絡め返していた。

 少し、過激で強引に思えるそれだけれどでも。耳を塞ぐ手は優しくて、舌の動きも以前よりかはゆっくりしていて。なにより。


「っはぁ」


 口が離れたとき、彼は僕を見つめてくれていた。

 詩音くんと僕をつなぐ銀色の糸を、ぼんやりとままならない意識の中眺める。詩音君はそれを手の甲で拭うと、再びまるで獣のようにいたずらに笑みを浮かべて、僕をベッドへと押し倒した。

 その間僕はずっと、ばかみたいにただ、かっこいいなぁと、そんなことばかり考えていた。もちろん、完璧に理性が飛んだわけではないと思う。でも。僕は彼にされるがままにベッドへ倒れ込み、ぼんやりと彼を見上げた。そして、こう思った。この先には、どんな世界があるのだろう、と。一度くらいなら、見てみてもいいかもしれない、と。


「楓、足立てて」


 詩音くんはそんなことを言いながらも僕が動く前に両足を立てさせて、そしてそのままそれを開いた。顔が、一気に熱くなるのを感じた。


「ま、って……」


 と、つい足を閉じて布団を引っ張り顔を隠す。大浴場ではこんなに恥ずかしくなかったのに。


「いい眺め」


 詩音くんはニヤリと口角を上げて僕を下から見上げながら言った。

 再び彼の指が、太腿へ伸びる。そのくすぐったいような、胸がざわつくその感覚が体を支配した。


「ほん、まに……あかんってッ」


 きちんと話しているつもりなのに息が切れて上手く声が出ない。僕が耐えかねて足を閉じると、彼は寧ろ満足げにしてふんと鼻を鳴らした。


「いい子にしてたらもう少し待ったのに」


 そして、彼はその僕の足に挟み込まれた手を更に奥へと伸ばし始めた。

 これはまずい、と慌てて体を起こし、彼の腕を掴み上げる。


「待って、無理ッ」


 思わずかぶりを振って彼を見据える。

 だって、ただでさえ理性の制御もあいまいになっている今だ。なのに、そんなところに触れられたら。僕もどうなってしまうか、想像がつかなかった。恥ずかしかった。


「なにが無理?」


 詩音くんは、まるでそんな僕の言葉にしっかり耳を傾けているかのようにそう片方の腕で僕を抱き寄せ、耳元で呟いた。ビクンと身体が跳ね上がり、つい力が抜ける。彼はそれを見逃さなかった。

 彼の手がそっと、僕の大きくなったソレを下着の上から撫で上げた。


「っくぁ……!」


 小さく声が、部屋へ響く。そんな自分の情けない声が恥ずかしくて、僕は慌てて両手を口へ押し付ける。詩音くんはそんな僕を見て「可愛い」と笑った。僕には到底理解できそうもない。でも。

 僕は、彼の暖かい胸へ寄りかかった。もう、彼になら全部預けようと、そう思った。詩音くんはそんな僕を受け入れるように、背後から僕を優しく包み込んだ。


「楓、足開いて」


 そんなの、わざわざ僕に言わないでも、さっきみたいに強引に開いてくれればいいのにと思う。でも。きっと詩音くんは、それもわかった上で言っているんだろう。本当に、意地悪な人だ。

 僕はそんな彼の意地悪がわかった上で、大人しく足を開いて見せた。詩音くんは「いい子」と僕の頭を撫でた。


「楓、案外感度いいんだね」


 詩音くんが再び、下着の上から撫で上げた。体がぞわぞわして、体中の熱がそこへ集まる気がする。なにもしていないのに息が上がって、気が付くと口へ宛がった手は僕のお腹に回された彼の腕を抱きしめていた。

 詩音くんとするのは初めてじゃないのに、こんなに羞恥心に押しつぶされそうになるのは初めてだ。こんなんだったら、前みたいに強引にされたほうが、気が楽だった。


 ふと、抱きしめた腕が僕の身体から離れて背後に引っ込んでいく。なんだ、と思うのもつかの間。代わりに反対の秘部にあった手がそっと、そこを揉んだ。


「っぅ……」


 思わず右手の甲を噛み、反対の手で彼の腕を握る。次の瞬間、ずるりと浴衣がずれ落ち肩が露出された。


「なっ!」


 慌てて噛んだ口を離して浴衣を抑える。振り向くと、嬉しそうな顔をした詩音くんが僕のほどけた帯の端を握っていた。


「ちょっ、詩音くんほどいたやろッ」

「当たり前じゃん、ソウイウコト、するんだから」


 そして詩音くんは口角を吊り上げて、また僕に触れた手でゆっくりと揉み上げる。そのくせ下着に手を入れたりすることもなく、ただ僕のはちきれんばかりの恥ずかしいところをまさぐっていた。心なしか、下着が湿ってきた気がする。もう、限界だった。


「っ、詩音くん……なして今日こんなねちっこいことするんッ」


 羞恥心に耐えかねて、つい声を漏らす。



「好きだから」


 彼は悪びれもせず、ただそう優しい声で言った。


 好きなら、こんなに意地悪しないで早く挿れてくれればいいのに。なんて思ったとき。ついには、彼の手が離れてしまった。

 なして、と、そう言いかけたとき。彼のその離れた手がベッドのそばにあった彼の大きなカバンへと入り込んだ。それは、まるで何かを探すように。


 果たして、出てきたのは見覚えのある二つだった。


「ちょ、いらんやろそれ……」


 僕だって別にウブではないはずなのに、見た瞬間に全身の体温が上がった気がする。

 薬局やコンビニなんかで見かける中学生なんかが面白がるものが一つ、そして、バラエティーのお相撲なんかで見かけるものが一つ。

 詩音くんは見えづらいだろうに、僕を相変わらず後ろから抱きしめたまま新品のそれらを僕の目の前で開封しながらかぶりを振った。


「男同士でもゴムは必要だし、ローションもあった方が痛くないって。一茶が言ってた」


 こんな雰囲気の中、急に幼馴染の名前が出てどうにも複雑な気持ちになる。

 彼はローションを自分の掌へ出し、謎に塗り広げた後再び僕を強く抱きしめなおした。


「えっ」と、声が漏れる。


 嫌な予感が頭をよぎるが、もう遅い。僕が彼の腕を強く掴むのも無視し、その掴んだ手は僕の下着へぬるりと滑り込んだ。


「ひぁッ! っゃ……待って、汚れるやろッ」


 思い切り期待した様に脈打つソレに理性を乗っ取られないよう、残った意識で上擦った声を絞り出す。彼はそんな様子すらも愛おしそうに見て耳元でふふと息を零しながら、それを丁寧に塗り広げた。


「もうすでに楓が汚してたのに、よく言うよ。ローション買わなくてもよかったかな」


 彼はそう僕の項へ口づけてそして、ゆっくりと指をナカへ押し込んだ。

 思わぬ感覚に強く目を瞑り、つい握った彼の腕に爪を立てる。慌てて手を離そうと力を緩めるが、彼は反対の手で僕の手に手を重ねた。


「俺は大丈夫だから」


 その手は、ローションでぬるぬるしていた。でも。不思議と不快じゃなくて。僕は代わりに、その手を強く握りしめた。

 さっきまでは、確かに興奮していた。なのに。いざ本番となると、僕は明らかに緊張していた。いや、恐怖と言っても過言ではない。改めて、僕はこの行為がトラウマになっているのだと再認識させられた。


「楓、怖い?」と詩音くんが問う。

「……うん」僕が頷くと、彼は僕の頬へ口づけを落とした。

「楓、今までごめんね。怖かったでしょ」

「……怖い、とかじゃないけど」


 僕が言うと彼はまた耳元でふっと笑った。


「嘘だ。楓、身体強張ってる」


 なるほど、と思う。きっともう本当に、詩音くんに嘘は無駄だ。僕ははっと笑って、握った手へ強く力を込めた。


「怖かったで。でも、大丈夫。僕、詩音くんとちゃんとシたい」


「ありがとう」


 詩音くんは、そう言ってナカへ挿入した指をくいと曲げた。

 刹那、これまでとは違う。快感をソレとわかる程の激しい刺激が体中を駆け巡った。


「~~んッ!」


 どれだけ押し殺しても、声があふれ出す。体が、僕の意思に背いて大きくのけ反る。

 なんだかおかしくなってしまったかのようなこの感覚が怖くて、逃れたいと、そう思った。でも。


「楓、気持ちいいね。大丈夫。怖くないよ」


 詩音くんはそう何度も僕に声をかけて、ゆっくりとその気持ちいいところを擦り続けた。

 そのうち気づけば指が増えていて、ばらばらに動くその感覚が気持ちよくて頭がぼーっとしてくる。こんな格好悪い姿、見られたくなかったのに。でも。


「気持ちよくなってる楓、最高にかわいい」


 と、詩音くんは満足そうに言って下着から手を抜くと、僕をベッドへ押し倒して舌なめずりをした。

 帯を解かれた浴衣がはだけて、露出された肩や足に詩音くんが影を落とす。詩音くんはそんな僕の火照った体に、興奮してくれていた。それだけで僕も嬉しくて、恥ずかしいところを見せる価値もあるなんて思ってしまった。

 しかし。彼はそんな僕を堪能するように、そのあまりに優しい、しかしその奥にある熱が隠しきれていない瞳を僕へと向け続けた。


「触ってくれへんの……?」

「ちょっと待って」


 彼はそう言って、何度か深呼吸をした。

 さっきまであんなに触れてくれたのに、急に放置するなんて。どこまでも意地悪だ。僕は期待に脈打つ大きなソレがもどかしくて、内腿を擦り合わせてこっそりと自らを刺激する。早く、と。そう言いかけた時。擦り合わせたそこが、クチュと水音を立てた。

 ふふと、詩音くんがあまりに優しい笑みを浮かべた。


「ぐちょぐちょで、気持ち悪いね?」


 詩音くんが下着へ手をかける。僕は大人しく首を縦に振って、そのまま足を降ろした。彼は幸いにもそれ以上の意地悪をすることなく、すんなりとそれを降ろした。


「っふふ、初めてこんなおっきくなった楓の見た」

「うっさい……」


 なんだか恥ずかしくて、つい照れ隠しに悪態をついて足を閉じる。しかし、彼はそれを開かせることもなくふふんと鼻を鳴らした。


「でも」と彼は言う。「俺の方がでかい」


 彼は自らの帯を解き浴衣をベッドへストンと落とした後に、下着を脱ぎ去った。

 思い切り飛び出てきたそれに、思わず目を逸らす。彼はそれをいいことに、僕の太腿へ触れてぐいと開かせた後、その間に入り込んではだけた僕の浴衣をたくし上げた。


「あほ……なにに勝負心燃やしてんねん……」

「男として譲れないからね」


 そして、彼はそんなことを言いながらヒクつくソコへ、あてがった。

 なんだか、彼らしい、と思う。いい雰囲気の中、そんなどうでもいいことを言いだすあたり。そう思うとなんだか愛おしくて。気が付くと恐怖心も和らいでいた。


「はいはい、はよ」と、笑って彼の背中へ腕を回す。

「仰せのままに」そう、彼は僕へゆっくりと腰を押し付けた。


 ナカに、なにかが入ってくる感覚がある。それは確かな異物感であったけれど、依然と違って痛くはない。寧ろ。今は、詩音くんで満たされていく気がして。幸福感でいっぱいだった。


「どう? 痛くない?」


 そう尋ねる詩音くんの表情には余裕がなくて。皺の寄った眉間は、無理にでもどうにか欲を押し殺しているような、そんな風に見えた。


「痛いっ」と、僕は言った。「胸が、キューって……苦しいッ」


 慌てたように、詩音くんが目を丸める。しかし、すぐに僕の言葉を理解した様にふんふんと頷いて、そしてその瞳を優しく細めた。

 そんな顔を見たら。余計に胸が苦しくなる。

 彼は優しく僕の頭を撫でて、唇を奪った。


「それは。俺のことが好きすぎるからだよ、きっと」


 なるほど。よくわからないけれど、気にする必要がないことは分かった。ならば、と僕は彼の唇へキスを返す。


「ん、そうかも。愛してるよ、詩音くん」

「ッ~~! 煽ったこと、後悔させる」


 彼は、一度腰を引き、そして激しく再び打ち付けた。何度も擦れる感覚は、痛いどころか心地よくて。何度息を吸っても頭に酸素が行き渡らない。苦しくて、息が詰まって。でも。

 この僕が口に出してまで好きだと、何度も伝えたくなるほどには幸せだった。

 好き、愛してると。そう、また気が向いたら伝えてやろう。




 詩音くんから告白を受けた日。ずっと夢見ていたその日。僕と詩音くんは“初めて”体を重ねた。その日のソレは、今までとは違って、愛に満ちていて暖かかった。僕の中でのソレは、苦しいとか、辛いとか、そんなイメージがあって。ただの愛の確認としての行為だと思っていた。しかし、それは一夜にして覆された。

 やっぱり、と僕は思う。詩音くんは僕の暗がりを照らしてくれるような存在。僕にとっての、一等星だ。


「っんく、イクっ……」

「ん、いいよ。愛してる、楓」






「はぁ、まじで楓可愛かった」

「もうええねんその話は……!」

「えー、楓だって満更でもなさそうだったよ?」

「もー、勘弁してや恥ずかしい……ほら、はよせんと飛行機に置いてかれんで!」

「それは、楓が起きなかったからでしょ~」


 ぷぷ、と彼が口へ手を当てる。


「起きひんかったんちゃうねん! 起きられへんかってん! 誰のせいやねん!」

「っはは、ごめんって~」


 ようやくキャリーバッグを閉じる彼へダウンを軽く投げつけて、ホテルの部屋を後にする。後ろから追いかけてくる彼はケラケラと笑って、僕の手を握った。全く、本当に憎めない奴だ。


 結局二日間の旅行でまともに仲良くできたのなんて少しの間だけだったけれど。でも、気が付くとたくさんの思い出ができてしまった。本当に、濃い二日間だったと思う。これからまだまだ先の長い人生だけれどきっと、これ以上濃厚な二日間は決して訪れないだろう。

 僕は一度振り返り、部屋の扉を眺めた。それに釣られて、隣の彼も振り返る。


「また来るか」

「うん。今度は4人で来よ」


 僕が笑うと、彼も大きく頷いた。


「そうだね。今度は振らないでね、楓」

「詩音くんこそ。今度は僕のこと置いて行かんでな?」


 窓から見える外の景色は、相変わらずに日差しが強そうだ。

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