第40話

「お待たせしました~」


 上機嫌な声と共に、豪快に切り分けられた大きな肉と茶碗からはみ出した山盛りの米が目の前に現れる。彩りの欠片もないそれは一茶や僕が普段作るようなものとは違いいかにもな大学生飯だけど、久しぶりの体に悪そうなその色合いには心が踊る。


「美味そ~っ」

「でしょ~」


 思わず漏れた僕の言葉に、詩音くんがドヤ顔で応えた。

 しかし、と思う。僕にはこの美味しいご飯を楽しんでいる余裕はないはずだった。これから、別れを切り出さなくてはいけないのだ。

 そう思うと詩音くんのその嬉しそうな顔が見られなくて、僕は生唾を飲み込んで席を立った。


「昨日の俺のご飯、一緒に食おうや。持ってくるわ」

「おっけー」


 詩音くんは僕の気も知らずに、むしろ嬉しそうに返事をして僕を送り出した。


 冷蔵庫には、予想通り昨日僕が食べそびれたご飯にラップがかかって入っている。僕はやっていないから、きっと一茶がやってくれたのだろう。あんなに怒っていたのに。冷えたお皿ごと取り出して白身のお魚が乗ったそれを電子レンジに入れて、適当につまみを回す。

 再び冷蔵庫を覗き込むと、お皿のあった更に奥の位置にもうひとつ小鉢が置かれていた。嫌な予感がする。試しに取り出し中を覗き込んでみると、それにはトマトサラダが盛られていた。

 見なければ良かった、と思う。思わず戻してしまおうかと手が止まった。

 でも。僕を思って作った一茶の事を考えると、食べざるを得ない。トマトは詩音くんに押し付けることにしよう。


 そうしてチンがなってから、袖越しにお皿を掴んでサラダと一緒に詩音くんの元へ運ぶ。詩音くんは珍しくスマホでゲームをするでもなく、ニヤニヤと口角を上げながら戻ってきた僕を見つめた。


「なんやねん気味悪い」

 と僕が笑う。


「サラダ、戻そうとしたやろ」

 詩音くんは左手で頬杖をつきながら、右手で小鉢を指さしてしたり顔をした。


 知っているのなら話が早い。僕は小鉢のラップを外すや否や、先程詩音くんが用意してくれた箸で素早くプチトマトを彼のお肉の隣へと移した。


「え、待ってぇ!? 俺食べんの!?」

 

 わたわたと箸を持ち、トマトを小鉢へ戻そうとする詩音くん。しかし、そのトマトはコロンとテーブルへ転がった。


「あ」


 それをいいことに、彼を責めるようにジトリと見つめる。どちらかというと詩音くんは悪くないのに、単純な彼は焦ったように目を泳がせた後、素手でそれを拾い上げ口へと運んだ。


「3秒ルール……!」


 思わぬ行動につい笑みが漏れる。これではまるでひなたと変わらない。


「詩音くんとはええお店行けへんな」

「いいじゃん普通の居酒屋で」


 僕が思わず言葉を零すと、詩音くんは拗ねるでもなく楽しそうにケラケラと笑った。

 僕も、そう思った。詩音くんと行けるならどんなお店でも楽しいだろうし、詩音くんと食べたならどんなものでも美味しいと思う。

 だから。


「なあ、詩音くん。2人きりで旅行いかへん?」


 僕は、“最後”にそう切り出した。

 思い出になればいいなと思ったのだ。


「え、いいじゃん! どこ行く? 俺飛行機乗りたい!」


 彼の反応は、それはそれは無邪気なものだった。目の前のお肉を無視してスマホを拾い上げ、早速何かを検索し始める詩音くん。

 本当に素直で単純で、良い奴だった。




「先お肉食おうや。冷めんで」

「あ、そっか。いただきます」


 僕が声をかけると、彼は直ぐにスマホを置いて手を合わせる。なんだか、みんなといる時よりも更に幼児退行している気がする。


「詩音くん、機嫌ええなあ」

 と、つい呟く。


「え、楓こそ。旅行が楽しみなの?」

 

 詩音くんは直ぐに顔を上げ、そして少し嬉しそうに優しい顔で首を傾げた。

 そうか。僕は今、機嫌が良さそうに見えるのか。じゃあやっぱり、と、そう思った。


 僕の選択は、合っているんだと思う。


「うん、そうやね」

「俺も~っ」


 そう目を細める詩音くんは、旅行の後の別れのことなんて知らない。でも。それでいいと思った。きっと今その事を言ったら、詩音くんは気にするだろうから。


「楓、あーん」


 そんな声とともに、目の前にお肉が差し出される。呆けてしまった僕を見て、詩音くんはクスリとして優しく目を細めた。


「楓、照れてる」

「……そら照れるやろ」


 でも。きっと、こんな機会はあと少ししかない。だから、その恥ずかしさを堪えてそのお肉に食いついた。


 目線をくれることが嬉しい。名を呼ばれることが嬉しい。こうして甘やかされることが、嬉しい。そんな、どこまでも普通な行為で得られる喜びはどこまでも異常で。だから。


「やっぱ、めっちゃ好きやわ」

「ね~、俺も牛肉1番好き!」


 最後のカウントダウンを、始めよう。

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