第38話
「楓、ひなたのとこ行ったやろ」
部屋から戻った時。詩音くんはベッドへ寝転がってタブレットを見つめていたが、僕が戻ったのに気がついて顔を上げた。一時停止の押されていないゲームプレイ動画が、淡々と流れていく。
彼はきっと、妬いていた。そうわかった上で、僕はまるでなんとも思っていないように彼のベッドに腰掛ける。そして、流れゆく動画の停止ボタンを押しながら答えた。
「うん、行ったで」
露骨に不満そうな顔をされるのが面白い。敢えて、まるで意味がわからないというように首を傾げてみせると、彼は拗ねたようにゴロンと転がり背中を向けた。
「楓、今日浮気ばっか」
そう呟く詩音くんの背中は、なんだか小さく見えた。
だって、詩音くんが愛してくれないから。そう言いかけて、口を噤む。言ったら、また一茶に怒られそうだ。
「すまんな」
だから僕は、淡々とそう思ってもいない謝罪を述べる。やっぱり彼は黙ったままだった。
沈黙を決め込む彼が何を思うかは、僕には分からない。知りたくも、ない。
なんなら僕も少し拗ねたように、彼の背中に僕も背を向けてベッドに横になる。詩音くんは僕が寝転がるや否や直ぐに向きを変えて、背後からその硬い腕で少し苦しいくらい強く抱きしめた。
「楓は、俺のこと好きだよね?」
「知ってるくせに」
好きとそう言えばいいだけなのに、僕はそう曖昧に小さく呟いた。
「楓はほんとに分かりにくいよね。ひなたとは大違い」
詩音くんの言葉は、1番僕が気にしているものだった。
「すまんかったな」
取り繕うこともなく、露骨に不機嫌を押し出して彼の腕を振り払おうと力を込める。しかしその腕は思ったよりも重く、更にはより一層力が籠ったように感じた。
「嫌がってるね」
詩音くんは嬉しそうにふふと耳元で息をこぼす。
「嫌な人やな」
「楓に言われたくない」
そんなの、詩音くんには負ける。僕は人を好きな人の代わりになんかしない。そう思いなんだかムカついて。僕は彼を無視して目を瞑った。
いつもより、暖かかった。きっと詩音くんがほろ酔いであるが故に、体温が体温も上がっているのだろう。こんな暑い夏に、寝苦しいったらありゃあしない。でも。ひなたに似ても似つかない僕は、彼のように素直に詩音くんを追い払ったりすることなくむしろその体温に安心感を抱きながら少しの間、その幸せを噛みしめるのだった。
こんなことをも幸せと表現してしまう程に、僕はまだ彼が好きだった。
そして、気がついたらいつのまにか意識を手放していた。
「楓、ごめんね。一旦これ、返してね」
眠りにつく時、そんな声が聞こえた気がした。
──目が覚めたとき、指から指輪は無くなっていた。
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