第19話

 着替えを済ませて念入りに手を洗い、彼らの囲むテーブルへ向かう。そこにはいつのまにか大きなピザが二枚とポテト、そして2Lのペットボトルジュースが3本用意されていた。


「楓、遅いって~」


 ひなたが相変わらずそうガキ臭く急かす隣で、一茶はふいと僕から目を逸らす。もしかしたら、まだ少し怒っているのかもしれない。僕は隣の詩音くんとは顔を合わせないようにして一茶の正面に腰を降ろし、真っすぐに正面の彼だけを見つめた。


「一茶、すまんな? 確かに疲れててんけど、言いにくかってん」


 彼は目を丸めてハッと顔を上げると、僕の瞳をじっと見つめる。そして、再び視線だけそっぽを向いて口を開いた。


「俺も、ごめん……楓が無理に笑うの見ると、どうしても腹立って……」


 彼は言葉をオブラートに包むことなくはっきりそう言って、まるで忠誠心の高い大型犬がいたずらをした後のようにしゅんと項垂れた。可愛いやつだ、と思う。僕は彼の言葉にふっと笑顔を浮かべて見せた。


「もうせんよ」


 彼もまた、僕の言葉を聞くと安心した様に頷いてニコッと無邪気な笑顔を浮かべた。

 こうして、ようやく彼とのわだかまりも解消した様に思える。僕はずっと感じていた、斜向かいからの視線の主へ目を向けた。彼は僕と目が合うと、気まずそうに斜め下に目を逸らして頬を染めた。


「なしたんひなた」と僕が優しい声で尋ねる。

「お腹空いたから……」と彼はほんのりと頬を染めながらもごもごと声を発した。


 申し訳なさそうに、これまた犬のようにしゅんと項垂れるひなた。そんな彼の視線がすぐにピザに向いたのを見て、その彼らしさに少しだけ癒しを覚えると共に、人間がみな、これだけわかりやすければ楽なのに、と僕は自分のことを棚に上げて心の中で世の中に悪態をついた。


「んじゃ、いただきますの挨拶しようや。えっと……詩音くん、お願いします」


 諸事情あってなんとなく気まずくはあるが、あまりに顔を合わせないのも変なので隣の詩音君へ視線を向ける。

 彼は急に自分が話の中心へ躍り出たのに目を丸めて、俺かと言うように人差し指を自分自身へ向けた。僕はそんな彼に小さく頷いて見せる。彼は戸惑ったように目を泳がせはしたものの、すぐにピザへと向き合い手を合わせ、大きく声を張った。


「んじゃ、いただきまーす」


 そんな彼の元気な声に続いて、ひなたと一茶も元気に復唱する。それに合わせて、僕も小さく挨拶を呟いた。

 真っ先にひなたの手が、チーズのたくさん乗ったピザに伸びる。彼がピザの耳を掴むと、一茶はそのピザの隣のものを指さして「こっちの方が大きいよ」と笑った。一方で、視界の隅では詩音くんが一生懸命みんなにジュースを注いでまわっている。僕は、そんな彼らの他愛もない日常シーンをぼーっと眺めながらポテトを1本、口へ放り込んだ。


「ピザ、ありがとう」と、僕はピザを買ってくれた詩音くんへ目を合わせることなくお礼を述べる。

「うんっ」と彼は、少し高めの機嫌よさげな声で小さく返した。

 

 そこからの彼らの話題は、お酒を飲んでいるわけでもないのに右往左往。もうそろそろ始まる学校の話だとか、ひなたと詩音くんのハマっているゲームの話だとか。

 ここで皆が気になっているであろう僕と詩音くんのその後の関係に誰も触れなかったのは、きっと彼らなりの配慮なのだろう。僕は彼らの話をなんとなく頷いたりして聞き流しながら一人、黙々とピザを口へ運んでいた。


 そんな、いつもよりも口数の少ない僕を心配したのかもしれない。詩音くんが突然、僕の肩へ手を回してにこっと笑った。

                                

「楓~、聞いてよ。今日ひなたがさぁ」と彼は楽しそうに話し出す。


 僕は、きっと予期せぬ彼からの接触に驚いたのだろう。自分で意図したわけではないが、気づいたら咄嗟に身を引いていた。彼は、取り残された自身の手を見てポカンと口を開く。

 僕は慌てて取り繕おうと頭を悩ませる。日頃から回転の悪くなかったはずであった頭が、この時はどうしても働いてはくれなかった。


「ごめん……」


 結局、先に口を開いたのは詩音くんの方だった。僕の口から言い訳が出るより先に、彼はそう謝罪して手を引っ込めてしまった。そうされるともう、言い訳を口にすることすらも叶わない。僕は、口を堅く閉ざしたまま大きく首を横に振ることしかできなかった。

 詩音くんは何も悪くない。悪いのは僕だ。無意識にでも彼を避けてしまうようなことが起こりうる原因は、心当たりがあるから。


 あの時、女の子からのご飯の誘いをハッキリと断ることが出来なかったから。だからずっと、詩音くんへの罪悪感が頭の中から離れなかった。バレたら怒られるだろか。軽蔑されるだろうか。

 ──いいや、それならまだましな方かもしれない。詩音くんは僕のことを恋人だなんて初めから思っていないから。だからもしかしたら。よかったね、なんて言ってそのまま捨てられてしまうのかもしれない。


 そう思うと、少しばかり体が震えた。

 もちろん、だれもそんなこと気づきやしない。彼らは僕を触れてはいけないものと認識したらしい。明らかに様子のおかしな僕に誰も話題を振ることなく、楽し気にまた3人の世界へ戻っていくのだった。


 昔からそうだった。いつもいつも、なんとなく3人に合わせて話して。少し気を抜いたらおいて行かれて。

 しかし、と僕は思う。それもそうだろう。そもそも僕は、本物の幼馴染ではないのだから。

 

 触れられたら避けるくせに、無視されたら寂しくて。面倒な奴だと思う。

 いや、ほんとうにさ。






 しばらくしてピザやポテトも完食し、食後故にひなたが微睡だした頃。目の前では一茶が詩音くんにお気に入りの漫画を熱弁する中、僕はせっせとゴミをもとあった袋に詰め込んでいた。


「これ面白いんだって」

 といつの間にか詩音くんの隣へ席を移動した一茶が詩音くんの目の前にスマホを掲げる。


「え~……でもヒロインの子あんま可愛くないじゃん」

 と彼は近すぎる画面から顔を背けながら返した。


「じゃあ詩音くんのおすすめ教えてよ」


 それでも懲りない一茶は詩音くんのポケットの中をまさぐりスマホを取り出すと、彼へそれを押し付けて口を尖らせながら不機嫌そうにその深緑の瞳をぐっと細めた。

 一茶にとって、ただでさえ詩音くんは唯一の同い年だ。そのうえ、詩音くんは興味のないものには本当に一切の興味を示すことのないないひなたや僕と違い、どんな話でもなんだかんだ構ってくれるのもあって、甘えやすいのだろう。僕はそんな彼の感情を憶測して勝手に共感すると共に、少しだけ誇らしい気持ちになった。しかし。


「俺、明日も早いしもう寝るわ」


 僕は、そんな微笑ましい光景をに後ろ髪を引かれながらも席を立つ。なんだか今日はどっと疲れたから。

 一茶は、パッと顔を上げ僕を見たかと思うと、次に横目に詩音くんの顔色を伺う。意外にも詩音くんは、僕の言葉を聞いてすぐに立ち上がり当たり前かのような顔をして僕の後をつけようとした。

 

 そんなとき。一茶が詩音くんの服の裾へ手を伸ばしかけたのを、僕は見逃さなかった。しかし、彼はすぐに手を引っ込めてまるで何でもないかのようにふわりと優しく目を細める。


「おやすみ、楓、詩音くん」


 そんな彼の表情がなんだか痛々しくて。僕は立ち上がった詩音くんの肩へ触れ、一茶の元へ押し返した。彼はふわりと黒い髪を揺らして首を傾けた。


「詩音くんまだ眠くないやろ?お話しててええで」


 さすがに今詩音くんと二人きりは気まずいし、と僕は心の中で付け足す。彼は「んー」と迷うような仕草を見せたが、そのうちこくんと頷いた。

 露骨に一茶の表情が晴れる。僕はその様子を見てふっと息を吐いて口元へ手を添えた。


「んじゃ、おやすみ」


 そんな僕の声に一茶と詩音くんが挨拶を返すのを聞きながら、大きく息を吐きながら僕は自室へと戻るのだった。






 ベッドの上に寝転がると、隣を占領していた白いクマのぬいぐるみを抱きしめる。久しぶりに抱いたそれは、最後に抱いた時とは違いなんだかひなたの香りがした。元は詩音くんにもらったものだったのに。まぁ、変に詩音くんのことを考えて悩むのだったらいっそのこと、ひなたを思い出すのもまたやぶさかではないだろう。

 僕は、少し前までこのクマを連れまわしていたひなたを思い出す。彼は、いつもいつもわざわざ人の部屋まで来てこのお気に入りのクマを横取りして帰っていった。僕にとってもお気に入りだったこのクマがとられるのは抵抗もあったけれど、断るとどうしようもなく寂しい顔をされるのだから断れるわけがない。


 ふと、バイト先の彼女のことを思い出す。彼女もまた少し強引で、純粋で。どうしても断りにくいオーラがあって。本当に、そっくりだと思う。

 頭の中で、無邪気な笑顔を浮かべた彼と彼女が僕を呼ぶ。


「……うるさっ」


 僕はそう呟いて、目を瞑り布団へ潜り込んだ。そこから意識を手放すまでは、多分1分もかかっていなかったように思う。






 次に目が覚めたのは、まだまだ瞼の向こうからの光も感じられないような深夜。何者かの手によって肩を揺すり起こされた。あまりの眠気故に、まるで瞼がくっついてしまったのではないかと思う程に重い。僕は目を瞑ったまま何者かの腕を掴み、自分の睡眠の安寧を確保しようと力を籠める。

 しかしそんな僕の抵抗も空しく、彼は僕の体の下に腕を差し込む。そして、次の瞬間には体がひょいと持ち上げられた。

 あまりの衝撃に、さっきまではびくともしなかった瞼が限界まで持ち上がる。慌てて腕の主へ抱き着くと、彼はハハッと声を上げた。


「大丈夫だって落とさないから」


 そういう問題じゃない、という言葉を飲み込みベッドへ置き去りになったクマへ手を伸ばす。彼はそんな僕の腕の下にあった手で伸ばした手を抑え込むと、クマを置いて部屋を出て、足で扉を閉める。


「どうせあのクマ俺の代わりでしょ?じゃあいいじゃん」


 彼が簡単にそう言ってのけるのが、なんだか複雑だった。彼からの愛がないとはいえ、彼は僕の愛を微塵も疑ってはいない。そう思うと、余計に罪悪感に押しつぶされそうになる。僕はドキッと嫌な音を立てる心臓を鎮めようと、小さく息を吐いた。


「なに、シたくなったん」と僕は低く呟いて目を逸らす。

「いや、今日は出来るわけないでしょ」と彼は笑った。


「じゃあ」と僕は瞬いた。「なんで来たん」

「え、なんでって……逆になんで楓こそ自分の部屋で寝てんのさ」


 彼は、それはそれは本当に純粋な疑問を投げかけるように呟いて僕の瞳を覗き込む。僕は、そんな純粋な瞳が怖くて慌てて顔を逸らした。


「まぁいいや。早く元気になってね」


 彼はそう言って、意気揚々と開けっ放しの自室の扉をくぐった。

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