第14話

「楓、そのピアス可愛い」


 上機嫌に隣を歩く彼は、わざわざ手を伸ばして僕の右耳へ触れながら言った。

 新しいピアスをつけると、彼はいつも決まって僕の耳へ触れた。付き合う前こそ嬉しかったその行為だが、付き合った後も一切変わらぬ言動にはまるで友達の時と何も関係性が変わっていないことを示されているようで複雑な気持ちになる。


 彼は、僕がわざわざ右耳にピアスを開けた意味をきっと知らない。


「せやろ。ひなたがくれてん」

「ん?誕生日まだ先だよね」

「たまたま似合いそうなん見つけてくれはったんやって」

「へー」


 上機嫌に歩いていた彼はひなたの名を聞くと急に歩みを止め、そしてまじまじとピアスを覗き込んだ。わかりやすく眉間に寄せられる皺が一周回って面白くて、僕はふっと笑みを零す。彼はそんな僕に腹でも立てたのか、僕に合わせてくれていた歩幅を広げてわざと一歩前を歩きだした。

 別に、無言の空気は気まずくはない。ただ、隣を歩けないことが少し寂しかった。


 もし、これがひなただったら。きっとなんの躊躇もなく自分も一歩大きく踏み出して、彼の隣に並んで歩くのだろう。そう思うと僕はこんな扱いも甘んじて受け入れることができる。

 だって、僕は全くひなたには似ていない。ひなたの代わりになるとの契約なのにできていないのでは、彼から恋人扱いされないのも当然だ。

 僕は意を決して彼の隣へ並ぼうと俯いていた顔を上げる。その時、彼は丁度僕の方へ振り向いて足を止めた。


「ごめん。ちょっと妬いた、かも」


 彼の染まる頬は明らかに恋をはらんでいる。いっそのこと、と僕は思う。僕が距離を詰めると、彼は意外にも身を引かなかった。

 

「もう僕にしといたほうが楽やで、詩音くん」


 彼の耳へ被った黒い髪をかき分け、僕は呟く。少し悪戯してやろうと、そう思っていた。しかし、彼は驚きの表情を見せることもなくむしろ僕を嘲るようにじっとりと僕を見た。

 彼の温かい手が頬へ添えられる。迫りくるその普段なら見惚れてしまうような薄い唇は、煌々と輝く日の下ではさすがに受け入れるわけにはいかない。苦虫を嚙み潰す思いで彼の両肩をぐいと押すと、彼はそんな僕の反応はわかっていたとばかりにニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。


「何してんねん、外やで!?」とつい声を荒らげる。

「あかん?」と彼は穏やかな表情で首を傾げてふっと髪を揺らした。

「あかんやろ!」

「そー」


 素っ気なく答える彼は、再び僕に歩幅を合わせることなく歩き出す。しかし、そのわけは先ほどまでとは少し違うように見える。その軽やかな足取りと同時に、ポケットからはみ出たスマホに着いたキーホルダーがご機嫌に揺れた。

 待ってと、そう声をかけようとしたとき。彼はくるんと振り向き、相変わらずいたずらっ子のようにケラケラと笑って僕の顔を指さした。


「楓、顔真っ赤」


 慌てて俯き、手で口元を隠す。彼にはかっこよくない顔を見せたくはなかった。しかし、頭上からの笑い声は止まない。もしかしたら、今までも言い寄ってきた人にはこうして意地悪をして遊んでいたのかもしれない。そんな最低な遊びをする詩音くんの表情は最高に無邪気で。悔しいけれど彼のモテる理由が改めてわかった気がした。


 そうして詩音くんにおちょくられながら少し歩くと、詩音くんのお目当てのゲームが売っているであろうお店が見えてくる。それを視界にとらえると、詩音くんはぐいと僕の腕を引いて更に足を早めた。

 最近はめっきりゲームもしなくなってしまった僕にはやけに緊張した面持ちである彼の気持ちなんてわかってやれないけれど、きっと相当心待ちにしていたものなのだろう。そう考えると、なんだか微笑ましくて思わずふっと笑顔が漏れる。彼は僕の笑いを聞いて横目に僕を見たが、すぐにお店へ目を向けなおし大きく息を吸って入り口をくぐるのだった。


 果たして、詩音くんの欲していたゲームはすぐに見つかった。ゲームコーナーに入るや否や目に飛び込んできた派手なポップ。その下に置かれた見覚えのあるゾンビの印刷されたパッケージを獲得すべく、僕の腕を握る彼の手からすり抜けて駆け寄る。


「そんなに急がなくても」と彼は苦笑する。

「売り切れるかもしれへんやん」と言い返すと

「そかそか。ありがとね」と詩音くんは僕の頭をぽんぽんと優しく撫でた。


 嬉しいような、恥ずかしいような。僕が誤魔化そうと視界の隅に映る茶色のもみあげを弄ると、彼はまた僕の腕を引いて今度はレジへ向かった。

 

 お目当ての買い物を済ませた彼は、手にした袋を本当に大切そうに握りしめながら僕の隣を歩いた。さっきまでは僕の腕を握ったその手は、どうやらゲームに盗られてしまったようだ。それどころか、彼は僕の方へ見向きもせずに袋からゲームを取り出し、この場で開封してしまおうとビニールへ手をかける。そんな、まるで子供のような彼を僕は悔しくも可愛いと思ってしまうのだった。


「詩音くん、危ないで。開けるならあそこで開けようや」


 彼の手を取り開封を阻止し、丁度すぐそばにあった公園のベンチを指さす。彼はなにかを言いたげに口を開いたが、僕は彼の腕を引いて公園へ向かった。


 公園は、小さな子供の声で賑わっている。きっと、小学生や中学生も春休みで暇を持て余しているのだろう。無邪気で結構なことだ、と考えた矢先隣に座った詩音くんもまた無邪気に声を上げた。


「みてみて、特典のポストカードめっちゃかっこいいんだけど!」


 はしゃぐ彼の手元のそれを覗き込む。そこには、ゾンビに立ち向かうホットパンツの綺麗な女性が描かれていた。いかにも、詩音くんの好みそうなイラストだ、と僕は思う。


「詩音くん好きそ~」

「うん、好き」


 彼がニヤリと口角を上げる中、ふと頭上に気配を感じて顔を上げる。そこには3人の小学生と思わしき男の子が立っていた。彼らはニヤニヤしながらお互いを見たかと思えば、サッカーボールを持った真ん中の少年が口を開く。


「お兄ちゃんたち変態~」


 少年の言葉に、思いもよらぬ言葉につい呆けてしまう。似たような言動をするガキみたいな“ヤツ”なら身近にいるが、彼と同じようにツッコミを入れればいいのだろうか。そんなことをしたら怖がられるだろうか。そもそも、少年はどんな反応を期待しているのだろう。からかって、怒らせたかったのか、それとも構って欲しいのか。

 人の気を読むのは得意だと自負していたはずの僕は、彼らの意図するものが一切わからなかった。思わず首をひねる中、隣の彼が立ち上がりそっとゲームとリュックを僕へ渡した。


「ちょ、詩音くん……」


 慌てて彼の手をとる。しかし、彼の手はすぐにすり抜けた。


「男のロマンだろぉお!?」


 詩音くんは、意味の分からない言葉を叫ぶ。少年たちは楽しそうにキャッキャと騒いで走り去る中、詩音くんは彼らを追いかけて行ってしまった。子供相手にそんなに熱くなる理由なんてわからないし、あんな風にわざわざ追いかけて体力を使う意味も分からない。でも。“彼ら”はとても楽しそうだ。

 捕まえた少年を詩音くんが抱き上げる。いつのまにか人数の増えた子供たちは、その子を助けるように寄ってくるが、解放された子の代わりに捕らわれた子たちはなんだか嬉しそうだった。


 そうして彼らの追いかけっこをぼーっと眺めて少しした頃。ようやくひと段落ついたようで詩音くんが息を切らしながら戻ってくる。一方、さっきとは逆に子供たちは詩音くんを追って腕に縋りついた。


「まだ遊ぼ」と寂しそうに男の子が駄々をこねた。


 詩音くんは困ったように男の子の頭へ手を置いた。

 僕が必死になって手に入れたと思っていた彼の手は、やっぱり僕のものなんかではなかった。それどころではない。あんなに子供とはしゃいで遊ぶ詩音くんを僕は知らない。僕は、思っていたよりなにも彼のことを知らない。

 もしかしたら、と思う。ひなたや一茶なら、知っているのだろうか。僕の知らない彼の姿を。

 そう考えて俯いた時。彼はかがみこんで僕の重い前髪を上げるとそっと額へ口づけた。


「ごめんな~? 俺デート中なんだよね。だから、また今度」


 恐る恐る顔を上げる。詩音くんは笑顔で僕に手を差し出した。


「行こ? 楓」


 よく分からなかった。寂しかったのか、詩音くんをとられるのが嫌だったのか。僕は自分の感情もわからぬまま、急いでその手をとり立ち上がると公園の出口まで彼を引っ張った。

 少年たちも渋々納得はしたようで、僕たちにその小さな手を大きく振った。


「詩音くん、デートガンバ!」

「おう!」と詩音くんが振り向いて手を振り返す。


「楓も、また来てね!」と彼らは僕の名も呼んで手を振った。

「なんで俺だけ呼び捨てやねん」つい八つ当たりじみた言葉が口に出る。


 しかし、彼らは泣いたり怒ったりするどころかケラケラと面白そうに笑って「待ってるよー」と変わらずに大きく叫んだ。途端に、子供相手にムキになっている自分が恥ずかしくなる。再びもみあげを弄る僕を見て、詩音くんはハハハと笑ってポンポンと頭を撫でた。


「子供相手になに妬いてんの」


 そう、彼はあの子供たちに向けたような優しい笑顔を僕にも向ける。あの楽しそうな笑顔は向けないくせに。僕はぎゅっと自分の服の裾を握り、彼から顔を逸らした。


「僕は、人見知りな詩音くんしか知らなかった。僕なんて初めて会ったとき泣かされたのに……」

「ちょっと、それは小学生の時の話じゃん……!」と彼は僕の肩を掴んで揺する。

「でも。一茶とかひなたなら、詩音くんのこんな一面も知ってるんやろ」と僕が呟くと

「まぁ」と彼は気まずそうに肩から手を離して目を逸らした。


 やっぱり。僕はひなたの代わりに付き合えただけなのに、なにを調子に乗っていたんだろうと思う。前髪へ触れて視界を遮ると、彼はふっと笑った。


「でも、楓が子供苦手なのも俺、初めて知ったよ」


 そう明るい声で言う彼につられ、つい手を避けて彼の顔を見る。彼は嬉しそうに僕の顔を見つめ返して、再び僕の頬へ口づけた。思わず足元へ視線を落とすが、彼は握った手をぶんぶんと上機嫌に振って歩いていく。そんな彼を見ていたら、彼の思惑通りなのはわかっているけれど少しくらい僕への愛もあるのかと思えてしまって、つい言葉を飲み込んだ。なのに。彼は口を開き、余計なことを零した。


「やっぱり、将来は子供欲しいなぁ」


 機嫌をとるなら、もっと考えて発言すればいいと思う。しかし、かといってこの握られた手を離すなんて勇気は僕にはなくて、僕は彼を見上げた。


「どこ向かってるん」

「デパートだよ?」と彼は僕を振り返る。


 しかし。


「その後は?」


 そう聞くと彼はわかりやすく目を泳がせた。


「そこでご飯食べたり、色々買ったり……」

「その後は?」


 再び問うと、彼は諦めたように真っすぐに僕を見て、歩みを止めた。


「ホテル、行きたい」


 さっきまで無邪気な笑顔を浮かべていたはずのその彼の真剣な表情には、一種の恐怖を感じざるを得なかった。優しい彼が好きになったはずなのに、気が付くと分からなくなっていた。それでも。僕は再び崩れてもいない前髪を握られた反対の手で触れる。


「わかった。じゃあ今からホテル行こうや」


 その言葉に頷く彼の顔は笑顔なんてちっとも浮かべていないのに綺麗で、目を奪われた。もしかしたら、と思う。


 僕が惚れたのは、彼の優しさなんかじゃなかったのかも知れない。

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