2章 初恋のおわり

第8話 ※R18描写あり

「好きだよ」


 彼は耳元で呟いた。無論、その言葉は僕へ宛てたものではない。そんなこと知っている。それでも僕は、幸せだった。

 けれど、僕は彼の言葉へ言葉を返すことはない。だって、僕はひなたの代わりだ。それならば、出来るだけ黙ってひなたの代わりに徹するのが最善なはずだ。彼はそれに満足したのか、僕の後頭部を擦った。


「来て」


 彼はベッドへ手を引いた。僕は別に何の抵抗もなかったから、彼の朝起きたまま整えていないであろうぐちゃぐちゃな布団や枕が散乱するベッドへされるがままに腰を掛ける。彼はそんな僕を見て、少しだけ寂しそうな顔をしたのを見逃してはいない。それでも、どうでもいい。好きな人が望んでくれるならば、僕は。


 詩音くんは僕の肩を軽く押した。それは彼にしては本当に弱い力で、まるで僕に拒んでほしがっているようにも感じられた。だとしたら申し訳ない。僕は彼のその弱い力が加わるまま、ベッドへ倒れこんだ。


「楓。やめるなら今だよ」


 彼は僕の顔の両隣へ手をつき、僕の顔を覗き込む。彼の綺麗な黒髪が僕の頬をくすぐった。


「僕は、詩音くんが好きやで」


 言葉はそれだけで十分だった。

 再び彼のその見惚れるほど整った顔が近づいたと思った刹那、再び僕の唇を奪った。再度割って入ってくる舌には少し慣れたが服に潜り込んできた手がくすぐったくて、つい甘い声が漏れた。彼は、構わず胸元をまさぐってくる。触れられたことも、ましてや自分でそんな風に触れたこともないそこは快楽を得るには程遠かった。それでも恥ずかしいやら、くすぐったいやら、気が付くと体が熱を帯びていた。

 唇が離れた。


「可愛い」と彼は言った。


 不思議と、その言葉は全く嬉しくはなかった。それもそうか。

 彼は別に、僕を見ているわけではない。僕から少しでもひなたを見つけて、重ねようとしているのはわかっている。現に彼は、可愛いなんて誉め言葉を発しているくせにその瞳に生気を宿していない。きっと、ひなたと似ても似つかぬ僕に幻滅しているのだろう。

 だから僕は、そっと右手で彼の目を覆った。彼は驚いたように動きを止めたが、すぐに僕の服から手を抜き強く抱きしめてくれた。


「っ……好き……」


 彼は僕の肩へ顔を埋めた。彼の香りが鼻腔をくすぐる。

 耳元で囁かれる偽りの愛の言葉に、つい心臓が跳ねあがるのを感じた。そんな自分が情けなかった。

 彼の涙で服が濡れる。鼻を啜る音が可哀想で、彼の背中に手を回そうと手をベッドから浮かせる。しかし、その手はすぐにひっこめた。だって、ひなたならどうするかわからない。無駄に動いて、彼の中のひなたと違ってしまったら。そう思うと下手に動くこともできなかった。

 そんな僕の気も知らず、詩音くんが今度は服の上から胸へ触れる。


「ドキドキしてる」


 彼が話すその息が耳へかかり、つい僕は肩を竦めた。彼はそれを目ざとく見つけて、耳へ触れた。


「耳好きなんだ」


 低い声がくすぐったい。何をされるのかと緊張して、いや、期待して、僕は身を強張らせる。しかし、すぐに彼は僕から離れてしまう。しばしの沈黙の後、紫色の瞳で僕を見下ろし彼は言った。


「ごめん」


 彼は、やけに乱暴に下着ごと僕のズボンを引き下ろした。僕は予期せぬ事態に思わず「わっ」と声を漏らすが慌てて両手で口を押さえる。反射的に足を閉じて膝をこすり合わせると、容赦なく僕の内腿にその綺麗な割に男らしい指が滑り込んだ。


「楓」と彼は僕の名前を呼ぶ。「足、開いて」


 せめて、電気くらい消して欲しいと思う。しかしそんなことよりも、名前を呼んでくれたことの方が僕にははるかに重要で。僕は黙って足を開いた。

 彼は喜ばなかった。やっぱりどこか複雑そうに俯いて、ふぅと小さく息を吐いた。


 わかっていた。ひなたではない僕がいくら羞恥心を押し殺して彼のためにと動いたって、少しも彼のためになんてなりやしない。むしろ、彼に敗北感や虚しさを植え付けるだけなのだろう。かといって、僕にはこれくらいしかできることもない。だから、せめてと思い彼の枕を抱きしめて僕の顔を隠した。

 顔を隠したのが功を奏したのか、ごそごそと音が聞こえたかと思うと彼が再び覆いかぶさってくる気配がする。彼のいつの間にかそびえ立った先端が、蕾へとあてがわれた。彼は意外にもちゃんと興奮してくれているようで、それはほのかに濡れていた。


「楓が悪いんだからな」


 彼は、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。その言葉に異論はない。むしろ、申し訳ないとすら思っている。こんな時まで僕のことを考えさせて、名前を呼ばせて。

 僕は目元だけ枕から出すと、彼と目を合わせてこくんと頷いた。彼の目元はやっぱり

 濡れていた。


 再び目元までクッションで覆う。

 刹那、目の前が真っ白になる程の激痛が襲った。目がチカチカして、吐き気すら襲ってくる。声すらも出せなくて、息を止め強く枕を握りながら滲んだ涙を握ったそれに押し付けた。

 一度、痛みが引いた。とはいえ呼吸が少し楽になったくらいだ。僕が大きく息を吐くと、すぐに次の痛みが訪れた。中をかき回されるような感覚、その後に内臓を突き上げられるような感覚。もし今日、しっかりとお昼ご飯を食べていたらきっとベッドは大惨事になっていただろう。


 吐き気を抑えて必死に意識を他へ逸らす。黙っていればすぐ終わるから。詩音くんはきっと喜んでくれる。ひなたも助かるだろうし、一茶だって詩音くんを慰めてほしいって言っていた。

 僕が我慢したら、全て丸く収まる。だから、早く……


 痛くなって、少しだけ和らいで、そしてまた痛くなって。それが短いスパンで何度も繰り返される。しばらくそれと戦っているうちに痛みもなんだか麻痺してきてしまって、体の感覚自体が鈍くなってくる。頭もぼーっとして、彼が大きく腰を打ち付けるたびにクラっと血の気が引いた。

 そんなとき、詩音くんが小さく呟いた。


「ひなたっ……」


 刹那、麻痺していたはずの感覚が蘇り奥が激しく痛む。やがて、生ぬるい感覚が広がった。


「ぅ゛……」


 小さく声が漏れた。あんなに痛くても堪えていたのに、我慢できなかった。


 彼はすぐに僕の中から引き抜いてくれた。やっと痛みから解放されるのと同時に、一抹の寂しさを覚える。

 そうだった。痛すぎて忘れていた。僕はずっとこの時を夢見ていたんだった。それが今、やっと叶ったのだ。

 相変わらず涙は零れていたが、気が付くとその意味は変わっていた。


「ごめん楓……俺……」


 詩音くんは涙を拭いながらも僕の抱いた枕を取り上げ、そして強く抱きしめた。

 そんな顔をしなくてもいい、と僕は思う。だって。


「詩音くん、気持ちよかった」

 

 涙で濡れた顔では、説得力もないだろう。でも、好きだから。ずっと好きだったから。こうしたかったから。例えそれがどんな理由で、どんな風に抱かれたって、この事実には変わりはない。そう思うとこの未だに上手く息が吐けないような痛みすらも愛おしく思えてしまう。


「そんなわけない……」


 彼は拗ねるように小さく呟いた。僕はただ黙って彼の頭を擦った。

 気が付くと、白いシーツには真っ赤な海ができていた。これは掃除が大変そうだ。それでも、少しして聞こえてきた彼の寝息が僕にやるべきことから目を背けさせる。この幸せを手放してまでしなくてはいけないことなんて、きっとこの世に存在しない。


「楓……」


 意外にも、彼が寝言で発したのは僕の名前だった。

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