ネトラレ(NTR)小説を小説投稿サイトのイベントで1ヶ月に10作品書いた彼氏と彼女の事情

成井露丸

 本当に狂ったような一ヶ月だった。それも今日で終わり。

 最後の日を迎えるにあたり、一篇の日記を書いておきたいと思う。


 この一ヶ月、僕は仕事の合間を縫ってカクヨムに小説を書いていた。

「KAC2022」というイベントが開催されていたからである。

 三日に一度ほどの頻度でお題を出しては、ユーザに四千字以内の短編小説を書かせるという無茶なイベントだ。

 ろくな賞金も出ない。それでも運営が灯す光に多くのWEB小説家たちが群がる。僕もそんな夜光虫の内の一匹だった。

 自発光するラップトップに向かい、ただ物語に思念を変え続けた。

 言葉というミルクを膨らんだ先端から垂らし続ける家畜のように。


 しかし、僕はただの家畜ではなかった。

 有り体に言えば、より酷い家畜であった。

 具体的には闇落ちした家畜であった。

 新鮮な肉を求めて屠殺してみれば、得られた生肉が腐敗していた。

 そんな存在だった。


 何のことかと言えば、NTRエヌティーアールの話である。

 NTRという言葉を知らないという読者もいるかもしれない。

 いやこの場で、そのような清純ぶった顔をした読者を想定するのはよそう。

 そもそもあなたは、どのようにして、今この断章にたどり着いていたのだろう?

 NTRというキーワードによってではないのだろうか?


 そのような推理を否定する者もいるだろう。

 私はNTRになど興味などないのだ、と。

 しかしそれならば、どうしてあなたは、本作のタイトルをクリックしたのだ?

 どうしてあなたは、ここまでテクストを読み進めたのだ?


 タイトルにNTRという文字列が入っていることに気付かなかった?

 そんなはずはあるまい。

 NTRが「ネトラレ」の意味だと知らなかった?

 だからちゃんと「ネトラレ(NTR)」と括弧書きしておいた。


 それなのにあなたはここまで来た。

 この段落までやってきた。

 これが証拠である。

 あなたは深層心理においてNTRに惹かれている。

 それを示す証拠である。


 人類史が始まってから、私たちは何億、何十億、何百億というNTRをその歴史に刻み続けてきた。NTRにより王朝が滅んだことだって一度や二度ではない。

 いつも私たちの近くにNTRはあり、私たちの劣情を誘う。

 私たちの生を彩る、そんなNTRへようこそ。


 ――そんなはずじゃなかったのに。

 ――君のことを信じていたのに。

 ――本当はあなたのことが好きだったのに。

 ――身体はもっと欲しがっている。嫌なはずなのに。


 心からの純愛が、肉体からの性愛が、僕らの関係性を切り刻む。


 三月の始まり。近所にある川沿いの木々に、梅の花が色付いた。

 そんな季節に、このイベントが始まった。

 まず掲げられたテーマは『二刀流』。

『嗚呼、そうか! つまり、男も女もいけるということか!』

 僕はすぐにテーマの意味を的確に理解した。

 それ以外に『二刀流』にどんな解釈の可能性があるというのだろう?

 だから僕は書き始めたのだ、彼氏と彼女が共にネトラレる物語を。


 その作品が全ての始まりだったのかもしれない。

 闇の世界ダークサイドに落ちた僕は、ただ光を求める夜光虫のように、狭いブラウザの中を飛び回った。じたばたとその羽根を羽ばたかせながら。


 それから一ヶ月。

 結局、僕はカクヨムで、合計10作品のNTR短編小説を書いた。


 ある物語は運命の彼女の肉体に溺れる物語。

 ある物語は遠距離恋愛の彼女を思い続ける物語。

 ある物語は彼女を先輩に寝取られながらも、その二人共を事故で失う物語。


 僕はその一つ一つを、自らの半生を振り返りながら紡いだ。

 もしかすると、それは僕自身の物語だったかもしれない。

 彼女に出会う前の僕。何度も何度も愛する人を喪失した僕。

 これは僕の歴史を、世界に刻みつける作業だったのかもしれない。


 どうして10作品ものNTR作品を、僕は書いたのだろう?

 どうして今日もまたこの部屋で、物語を紡いでいるのだろう?


 ソファの上で指先を踊らせ、キーボードを叩く。

 こんなことをしたって過去に失った君を取り戻すことは、できやしないのに。


「――ただのコンプレックスじゃないの? ただ拗らせているのよ、なるくんは」


 顔を上げる。ワンピースを着た彼女がマグカップを二つ持って立っていた。

 気怠げに着崩されたワンピースは、前のボタンが胸元まで外れている。胸元には白いキャミソールが見える。


「ありがとう。コンプレックスか。フロイトだね。――そうかもしれない」

「そう思うわよ」


 彼女はそう言うと、ローテーブルの上のiPadを手に取った。

 ブラウザを立ち上げて、白いサイトを開く。

 渡されたカフェオレを、両手で包む。


 冬は過ぎ去り、桜の季節がやってきた。

 僕が10作品ものNTR小説を書いている間に。

 春になり、穏やかな暖気の中で、世間は浮かれ出す。

 光に溢れた華やかさに目がくらみ、影に潜む真実から目を逸らす。

 誰かの言葉は、必ずしも真実ではないかもしれないのに。

 あなたの想い人は、見ていない場所であなたを笑っているかもしれないのに。


「――今日は僕、来ても大丈夫な日だったんだよね?」

「ん? 何よ今更? 大丈夫よ? ――あの人、今日は遅いから」


 隣に座った彼女がiPadから顔を上げる。

 肩まで伸びたさらさらのボブヘアが揺れた。

 薄っすらと開いた厚ぼったい唇は柔らかそうだ。

 また自分自身の唇で、触れたくなる。その感触を思い出す。


「ありがとう。部屋、使わせてもらって」

「別にいいよ。どうせ今日は私一人だったし。……でも、小説書く人の気持ちってわからないなぁ。自分の部屋で集中した方が捗りそうなのに。どうしてわざわざうちに来るの?」


 彼女は首を傾げる。


「僕と会いたくなかった?」

「――そうは言ってないけれど」


 二の腕に、小さく肘を突き立てられた。頬を膨らませて。


「刺激が欲しいんだよ。同じ場所にずっといると行き詰まっちゃうからさ」

「ふーん。意味深ね」


 彼女が目を細める。


「さぁ、意味なんてあるのかな? 物語を書くことに」

「なるくんには必要なの? 物語を書くことに意味なんて」

「どうなんだろうね?」

「どうなんですかね?」


 お題が投じられれば、それが心の中にある池に波紋を広げる。

 妄想は結晶化し、血肉を得て、僕たちは動き出す。物語の中で。

 そして僕らは、恋をする。その身体を求め合う。

 セックスしたいのは、子供が欲しいから? 寂しいから?

 それとも誰かから奪うことに、興奮を覚えるから?

 ただ傷つけるために? ただ傷つくために?


「それで11回目のお題は何だったの?」

「ん? ああ、――『日記』だよ」

「日記? 何それ? 普通ね」


 彼女は口元に運んでいたマグカップを、太腿の上まで下ろす。

 垂れていた髪を、人差し指で掻き上げて、左耳に掛けた。

 黒い髪はまだ少し濡れている。


「――だから、普通に日記を書いているよ」

「何について?」

「僕と君のこと」

「ちょっとやめてよ。恥ずかしいじゃない。……あの人が読んだらどうするのよ?」


 彼女が柄にもなく、慌てた様子で上体を起こす。

 僕はクククと声を立てて笑った。なんだかとても滑稽だったから。


「大丈夫だよ。気付かれないさ」

「でも、どうせまた『NTR』タグとか付けているんでしょ? あの人、『NTR』のキーワードで検索してカクヨム小説読んでいるんだから。――なるくんの小説だって、私、あの人の閲覧履歴から知ったんだからね?」


 男のことを思い出し、現実に半分引き戻されながら狼狽する彼女。

 その様子が、どこか生々しくて、僕の興奮を誘った。


「だとしても、人は気付かないものさ。自分の見えていない部分に関して、人は想像しきれないものだから」


 喋りながらエンターキーを叩いた。物語はもうすぐ終わる。


「自分の大切な誰かが寝取られている時にも、僕らは案外、何も気づかず日常を送っているものさ。会社で仕事をしていたり、大学に通っていたり、ただ告白のチャンスを伺っていたり、小説を書いていたり。……その時、大切な人は、とっくにその大切さを喪失しているというのにね」


 彼女は困ったような表情を浮かべて「――悪趣味ね」と呟いた。


「寝取られているのは、あなたの妻かもしれない。彼女かもしれない。ずっと好きだった幼馴染かもしれない。初恋の同級生かもしれない。妹かもしれない。母親かもしれない。じゃあ、その誰かがネトラレている時、――あなたは何をしているのかな?」


 僕はラップトップを畳む。長かった旅路に終わりを告げるために。


「何をしているのかしら?」

「何をしているんだと思う?」


 僕が尋ねると、彼女は一思案してから、悪戯っぽく笑って見せた。


「カクヨムでWEB小説でも読んでるんじゃないかしら?」


 ここに居ないあなたがそうであるように。


「――悪趣味だね」

「悪趣味は、そっちよ? なるくん」


 僕は閉じたラップトップをテーブルに置く。

 彼女もiPadから手を放す。


 ソファの上の至近距離。

 僕がその首筋に右手を当てると、彼女は少し身体を震わせた。

 その腰に左手を添わせると柔らかな腰の感触が伝わってくる。

 そして彼女はゆっくりとその瞳を閉じた。


「――ねえ、電気は消さないの?」


 彼女が尋ねる。


「だって、僕は君を見ていたいから。君という花が手折られる姿こそが、この世界の美しさそのものだから」


 抱き寄せた僕の右肩で、彼女が「バカ」と囁いた。

 そんな身体を押し倒す。

 ソファの上でワンピースの胸元が開け、双丘が上を向いた。

 顔を横に向け、頬を紅くさせる。


 彼女はあなたの恋人かもしれない。

 彼女はあなたの妹かもしれない。

 彼女はあなたの妻かもしれない。

 彼女はあなたの幼馴染かもしれない。

 彼女はあなた自身かもしれない。


 その純潔は、あなたの知らないところで、あなたの直ぐ側で、あなたへの罪の意識を抱えながら、きっと誰かに手折られている。


「――ねぇ、来てよ」


 彼女の両手が僕の首筋に絡みつく。


 NTR――きっとそれはすぐ近くにある物語。


 ふと顔を上げる。

 窓ガラスの外に、桜の花びらが舞っていた。


 今日もどこかで散りゆく純潔のように。

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ネトラレ(NTR)小説を小説投稿サイトのイベントで1ヶ月に10作品書いた彼氏と彼女の事情 成井露丸 @tsuyumaru_n

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