とある医療術士の手記~調査員ローサの戦後調査報告~

テケリ・リ

その人が生き抜いた証し


『その男の子を一目見た時から、私の中で何かが変わっていた。あの虚ろな目に光を灯したいと、そう心から願った』


 冒頭にこう記された、一冊の手記。

 今はまだ無名の一人の女性医療術士の手帳は、脂と土埃に汚れ、所々には血痕のような染みも見受けられた。


 私の調査対象は、実に十二年も継続した先の大陸戦争において、難民支援に携わった医療団の行動だ。

 国際調査団と共に派遣された先は、当時激戦区となったハルガン領。そこは当時の中立国の難民受け入れ施設もあったことから、一応は非戦闘地帯として周知されていた……はずであった。


「ローサ特尉殿、こちらが回収できた医療団の資料です」

「これだけ……ですか。いえ、あの大侵攻からよくぞこれだけ無事に残ったと、そう言った方が良いかもしれませんね」


 受け取ったのは、一抱えほどの大きさの木箱。その中の半分にも満たない手帳や紙切れが、当時の彼ら医療団の足跡の全てらしい。


 偽善だと、一部の人はあざ笑うかもしれない。

 しかし彼らは自身の信念により、最悪の大虐殺が起きたこの地で他者を助け続け、そして共にその命を燃やし散らしていった。


 歴史に一つでも多くの真実を記すために。

 そう胸に刻み、国際学術院から派遣された私――ローサ・オズマント特尉に与えられた任務として、彼らの行動を紐解いていこう。


 私の〝能力〟を存分に活かして――――




 ◇




『少年の名はケリーといった。彼は故郷の村を住人達と共に追われ、片脚を失う大怪我を負っていた。ご両親もその際に亡くなっており、私が最初に彼に声を掛けた時は、ただただ虚ろな目を地面に向けているだけだった』


 手記の主であるアシュリー・メイソンは、ここハルガン領の片隅の田舎で、治癒士として細々と暮らしていたらしい。

 時に大陸戦役五年目の春、中立をうたうここハルガン領の都市に難民が押し寄せ、医療術士の手が足りないということで応援に駆け付けたようだ。


 そんな彼女が辿り着いた、難民受け入れ施設の医療区画。この旧教会跡地の、すっかり朽ち果てた女神像のたもとに、前述にあったケリー少年がうずくまっていたと記されている。


 私はその女神像だった物の足元で、精神を集中させる。

 別に祈る訳ではない。私に生まれつき備わった魔法を行使するためだ。


 集中して魔力を高め、女神像の周辺に私の魔力を投射する。高まった魔力は波のように拡がり、やがて光り輝く粒子となって、とあるものを形取っていく――――



『坊や、名前を教えてくれるかな?』

『…………』



 私が投射した魔力が、とある光景を映し出し始めた。

 一人の白衣を着た、金色の長髪を一つにまとめた女性。像にもたれて座り込んでいる片脚の少年。恐らく彼女がアシュリーで、少年がケリーだ。


 これが、私が生まれ持った魔法。師でもある学術院の教授が【記憶透視メモリースコープ】と名付けた能力だ。

 その場所や物に染み付いた強い思い――残留思念を可視化する魔法で、私はこの能力を買われて博士号まで取得し、戦後調査に特尉として同行することになったのだ。



『ケリーっていうのね? お姉さんにケガの治療をさせてもらえないかな?』

『…………』



 ケリー少年は完全に塞ぎ込んでおり、アシュリーの呼び掛けにも頑なに応えようとしない。しかしそんな少年を急かすことなく、根気強く彼女は声を掛け続け、食べ物や飲み物を与えて、その心を解していた。


 手記にはこう記されている。


『両親を失ったケリー少年だったが、他にも似たような境遇の子供もたくさん居た。しかし私にはどうしてもケリーが、他の子と違って見えてならなかった。欠損の治癒は私を含め誰にも出来ない。この先自由に駆けることもできないケリーに対し、どのような希望を持たせてやれるのか。私の頭の中はそれで一杯だった』


 難民など似たような境遇だらけであっただろうに、アシュリーが殊更ことさらにケリー少年に執着した理由。それは彼女がまだ見習い時代の事。その当時に救えなかった少年に彼がよく似ていたからだと、後のページに記されていた。


 両親を亡くし親戚の大工の家に厄介になっていたその少年は、ある日建設現場の事故に巻き込まれ、建材の下敷きになったらしい。手足は潰れ、治療の甲斐なく少年は、父母に会いたいと言い残し息を引き取ったらしい。

 まだ若く見えたアシュリーが田舎の治療院という場所に甘んじていたのも、この時のトラウマによるものだったようだ。



『何でもお姉さんに話してね。ケリーのこと知りたいな』

『…………』



 蹲る少年にその影を重ね、必死に話し掛けているアシュリーの姿はとても痛ましく。自らを鼓舞しまた、同時に責めているようにも感じた。




 ◇




『ケリーの容体は安定した。最近では食事も自分で摂るようになり、目にも力が戻ってきたように感じる。切断された脚の創部も化膿することなく、経過は良好。この戦争が終わったら昔の伝手を頼り、優秀な義肢職人を紹介してもらうつもりだ。それまでは補助杖で過ごすことになるが、彼ならきっと大丈夫。きっと乗り越えられる』


 手記は一年ほどが進み、アシュリーとケリーの関係にも好転の兆しが見えてきた。相変わらず女神像の足元で過ごしているケリー少年だったが、血色も肌の張りもだいぶ良くなってきたように見えた。



『ケリー見て! 今日の配給にはなんとお肉が入ってるのよ! 食べてみて!』

『……おいしい……!』



 声を掛け続けた甲斐もあってか、この頃には未だぎこちなくはあるが、彼女とケリーの間に会話のようなものも見え始めた。

 たどたどしくスプーンを使って必死にスープを頬張るケリーに世話を焼き、口に着いた食べカスを拭っては嫌そうにされている光景には、私も微笑みを禁じ得なかった。


 しかし激動の時代は、そんな心休まる一時ですら彼女達に許しはしなかった。


『未だに難民が押し寄せ、都市の受け入れ機能も許容範囲を大きく逸脱している。行政府も深刻な人手不足で、他領へと依頼した支援物資も圧倒的に足りていない。戦況に対して避難できる都市が少なすぎる。このままでは遠くない未来にここは難民で溢れ、元々の住民達と衝突が起きかねない。ただでさえ怪我人や病人も多いというのに……早く戦争が終わることを祈るばかりだ』


 手記には当時の切迫した情勢が、焦りに走る文字と共に記されている。

 大陸全土を巻き込んだ戦役はいよいよ激しさを増し、難民達の拠り所となっていたこのハルガン領をも容赦なく追い詰めていた。


 別の医療術士が遺した資料にはこう記されていた。


『難民の数が五万人を超えた。薬も食料も人手もとても足りない。我々も不休で動いているが、日々死者の数は増えている。目の前で救えたかもしれない命がどんどん失われていく。戦場も地獄だろうが、ここもまた地獄だ』


 人を救う医療術士にとって、目の前の命を取りこぼすのは一体、どれだけの苦しみだろうか。彼らはどれだけ悩み、悲しみ、歯を食いしばっていたのだろうか。


 目の下に隈が目立つようになってきた、アシュリーの顔も。

 ケリー少年の手前笑顔こそ保っていたが、明らかに疲弊していた。



『戦争が終わったら私の家においでよケリー。静かな田舎だから、きっとのんびりできるよ』

『……うん……』



 そんな日は来ない。

 私は手記を読み進める手を止めて、滲む視界を必死に開いて、その日一日一日を必死に生き抜いていく彼らを見続けた。




 ◇




『戦火がここハルガン領にまで延びてきた。住民達は健康な者から順次都市を捨て、比較的戦況の落ち着いた他領へと移動を開始している。足弱な老人や怪我人、病人達を移送する余裕は、とっくに無くなっていた。私達医療術士にできるのは、軽傷の者を優先的に治療し、一人でも多く逃がすことだけだった。ケリーもあの状態では見捨てられるだろう。片脚ではたとえ健やかに成長しても、復興作業もままならないのだから――――』


 大陸戦役七年。中立を謳い多くの避難民が集まるこの都市にまで、戦火は容赦なく襲い掛かった。

 逃げ惑い列を成す移民・難民達。増え続ける彼らを受け入れる余力は、もはやここには残されていなかった。


 泣く泣く都市を離れる住民達。

 足手まといだからと若者を送り出す老人達。

 自らの最期を悟り、病床で涙を流す怪我人や病人達――――


 戦場ではないはずのここでも、容赦のない現実に追い詰められて、残酷な命の選択が行われていた。



『ケリー、脚の調子はどう? まだ痛む?』

『ううん、ありがとうアシュリー姉ちゃん。もうちっとも痛くないよ。それより、みんなはどこに行くの?』

『ここの人数があまりに増えちゃったからね。元気な人達はもっと遠くの町へ行こうねって、お話して決まったの』

『そうなんだね……』



 泣き顔のような痛ましい笑顔で、ケリー少年に話し掛けるアシュリー。既に満足に配給も無い状態で、それでも彼女は自らの食い扶持を減らしてまで、ケリーにだけはしっかりと食べさせていた。

 その頃にはケリーはすっかり心を開いていたが、同時に周囲の状況も、子供心にちゃんと理解しているように見えた。


『もうすぐそこまで戦火は近付いている。医療団の中で家族を持つ者達は、移民と共に既に脱出させた。彼らの無事を祈る。私は最後までケリーの傍に居ようと決めた。身体を治し心も快復してきた彼を、また絶望に落とすことなんてできない。助けられないのなら、せめて共に――――』


 文をつづるインクが滲んでいる。

 投影する映像には、当時まだ健在だった女神像の周囲に人々が集まり、ただ静かに涙を流し語り合っていた。その中には、固く抱き合うアシュリーとケリーの姿もあった。


『せめてこの手帳が無事に残り、後世に伝わってほしい。私達は生きていただけなのだ。ただ懸命に、私はケリーと生き抜こうとしただけなのだ――――』


 こうしてこの都市は焼け落ち、残った人民は戦火に呑まれ、その生涯を終えた。


 私ローサ・オズマントは、この出来事をアシュリーの手記と共に報告するため。彼ら多くの人達の最期を伝えるために、調査を終え帰投したのだった。



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