交換日記をしてみたい!

和辻義一

交換日記をしてみたい!

「キミは交換日記というものを知っているかい?」


 とある初夏の日の放課後、部室の一角で先輩が唐突に言った。


 先輩は俺よりも一つ年上の高校二年生で、文芸部に所属している。校内でも五本の指に入るほどの美人ではあるのだが、校内の男子生徒達からは陰で「残念美人」などと呼ばれていた。


 その理由は、異常なまでの知的好奇心の強さだった。先輩は一度興味を持ったものについて、自分が納得するまでとことん追求しないと気が済まないタイプで、その為には他人の都合などというものを一切気にしない。


 知的好奇心のスイッチが入るタイミングもまちまちで、例えば先々週の雨の日などには、頭からつま先までずぶ濡れの姿のまま校内をうろうろしていたので、慌てて呼び止めて理由を尋ねると「いやなに、小説なんかで出てくる『濡れねずみ』という表現が、一体どういう状態なのか知りたくなってね」などと言っていた。


 その時先輩は夏用の制服を着ていたので、ずぶ濡れになるとその――スカートの方はともかくとして、上着の方はべったりと肌に張り付いて、インナーが透けて見えてしまっていた。


 それでも先輩は、動揺する周囲の目を全く気にすることなく「なに、別に裸を見られているわけではないし、インナーの布地面積は水着とそう変わらないから」などと言い放ち、平然としていた。まあさすがにこの時は先生から「風邪を引くから」と注意を受け、保健室で体育用のジャージに着替えて一日を過ごしていたが。


 先輩は一事が万事このような調子だったので、周囲からは密かに「一体何を考えているのか分からない」「次の瞬間の行動が全く読めない」「メンヘラが入っている」などと言われ、その独特の口調と合わせて、校内では興味は持たれつつも敬遠されがちな存在だった。


 文芸部の部員達(と言っても、部員は十名もいないのだが)も、おおむね「触らぬ神に祟りなし」といった様子で、今だって先輩とは目を合わせようとせず、それぞれ自分の作業に没頭している風を装っていた。


「交換日記……何ですか、それ?」


 声を掛けられた手前、仕方なしに俺が応じると、先輩はキラキラと目を輝かせて言葉を続けた。


「交換日記とは、一冊の日記帳を友人間などで共有し、順番に回して日記をつけたり相手へのメッセージを書き込む行為のことを言うらしい」


「今でいうところのLineみたいなものですか?」


「そうだね。でも、この交換日記という行為が流行っていた頃にはスマートフォンなどといった便利なものはなくて、紙のノートや日記帳なんかを用いていたのだそうだ」


 まあ実のところ、いくら何でも交換日記がどういうものなのかぐらいは俺も知っていた。俺が先輩にわざわざ問い返したのは、いわゆる「お約束」というやつだ。


「で、何で突然交換日記の話が出てきたんですか?」


「それはもちろん、さっき読み終えた小説の中に交換日記が登場したからだよ」


 なるほど言われてみれば、さっきまで先輩が座っていた席の机の上には、それっぽいタイトルのライトノベルが一冊置かれている。今回先輩のスイッチを入れたのは、あれか。


「だが、この交換日記というものは、一人では出来なくてね……まあ、それはそうだろう。日記を交換する相手がいて、初めて交換日記という行為が成り立つのだから」


 そう言った先輩の目が、次の俺の言葉を待ち構えている。他の部員達は皆一様に、俺に目で「おい、さっさと何とかしろよ」と言っていた。


「俺は嫌ですよ」


 少し突き放すようにそう言うと、先輩は愕然とした表情で俺を見た。


「私はまだ、何も言っていないぞ?」


「どうせ先輩のことだから、誰かと交換日記がしたいっていうんでしょう? Lineでのやり取りで済むようなことを、何でわざわざ紙に手書きしてやらなくちゃならないんですか?」


 次の瞬間、部室にいた他の部員たちの視線が一斉に俺へと突き刺さった。全員が全員「こっちに矛先を向けるな」と、無言の圧力を掛けにきていた。


 ――いや、それを言うなら、何で俺が毎回先輩のお守りをしなきゃならないんだ。たまには誰かが先輩の面倒を見てくれたっていいじゃないか。


 それに、どうせ先輩のことだから、交換日記の内容はその時々の興味の対象で、どんどんぐちゃぐちゃになっていくのだろう。しかも、時々部のグループラインで先輩がやらかすように、自分の納得のいく答えが見つかるまで相手に質問し続けてくるに違いない。


「そこはほら、お互いが手書きした文章のやり取りにおける、独特の感覚を味わってみたいとか」


 あたふたと身振り手振りを交える先輩に、俺は言い切った。


「面倒臭いことは嫌です」


 何が面倒臭いかまでは、さすがに口にはしなかった。周囲からの非難の視線が集中したが、知ったことじゃない。


 だが、そこから先の先輩の反応は、俺の予想とは異なった。


「そうか」


 先輩はそう言ったきり、他の部員達に声をかけるようなこともなく、すごすごと引き下がり、突然帰り支度を始めた――いや、いつもの先輩だったら、ここは他の部員達をはじめ、次の獲物を探してあちこち校内を徘徊するところでしょうが。


 他の部員達は皆、ほっと息を撫でおろしたものの、明らかに気落ちしきった先輩の様子を見て、先程までとは違う非難を込めた視線を俺の方へと向けてきた。


 いやもうホント、勘弁してくれよ。


「先輩」


 俺はノートパソコンで小説を書いていた手を止め、一つ大きなため息をついた。


「他所で被害者を出すような真似はやめてくださいよ」


「随分と失礼な物言いだな、キミは私を一体何だと思っているんだ?」


「……で、そのノートだか日記帳だかは、もうあるんですか?」


 俺のその言葉に、先輩の表情がぱっと明るくなった。


「ああ! 実は昨日、なかなか素敵なノートが手に入ってね」


 そう言って先輩がカバンの中から取り出したのは、A5サイズのぶ厚いノートで、ご丁寧にも茶色い革製の表紙にはダイヤル式の鍵までついていた――おいおい、一体どこで見つけてきたんだよ、こんなノート。


「では、早速このノートをキミに託そう。鍵の番号は、ノートに挟んであるしおりに書いておいた。家に帰ってからノートを開けて、まずはキミの好きなように書いてみてくれたまえ」


 もう俺が交換日記に付き合うという前提で、先輩は俺にノートを押し付けてきた。もう九割がた諦めが入っていた俺は、嫌々ながらもそのノートを受け取り、ひとまず自分のカバンの中へとしまった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その日の夜、夕食と入浴を終えて自分の部屋へと戻った俺は、先輩から預かったノートのことを思い出した。


 先輩は「キミの好きなように書いてみてくれたまえ」などと言っていたが、突然こんなものを渡されて、一体何を書けと言うのだろうか?


 陰鬱いんうつな気分の中、カバンからノートを取り出し、上部にはみ出したしおりの端を引っ張った。そのしおりは存外に洒落しゃれたもので、アンティーク調の花の絵柄が描かれていて、そのしおりに貼られた小さな付箋には三桁の数字が書かれていた。


 ノートの表紙にあるダイヤルを付箋に書かれていた数字の通りに合わせて、ダイヤルのすぐ横にあったボタンを押すと、カチリと小さな音がしてロックされていた留め具が外れ、ノートを開くことが出来るようになった。


 ノートを開いてみると、一ページ目にはいかにも女性らしい綺麗な文字で、既に文章が書かれていた。


 俺はてっきり、白紙のノートを渡されたものだとばかり思っていたのだが。そして、日頃の変人ぶりからはとても想像出来ないぐらいに丁寧で優しい先輩の筆致にも、少し驚いた。


 その一文の書き出しにあった日付は、昨日のものだった。


 - - - - -

 <〇月〇日(水)>

 キミがこの文章を読んでいるということは、きっとキミは私との交換日記に応じてくれたのだろう。まずはそのことに礼を述べておく。ありがとう。


 そして、まだそれほど長い付き合いではないが、日頃は私のような変人の相手を嫌がらずにしてくれていることにも、礼を述べておかねばなるまい。


 おそらくキミが思っているよりは、私は自分のことを客観的に理解できているつもりだ――ただ、キミ以外の誰かにどう思われようが、私は一向に気にしないというだけで。


 さて、早速だがこれを機会に、キミに一つ聞いてみたいことがある。


 文学の世界において、異性同士での交換日記は恋愛関係の入口としてさまざまな物語で取り上げられているが、キミはこのことについてどのように考えるだろうか?


 きっとキミのことだから、については良く理解してくれているはずだと思う。そこでぜひ、キミの忌憚きたんのない意見を聞かせてもらいたい。

 - - - - -


 先輩からの交換日記の内容は、予想以上の難題だった――一体何て答えれば良いんだよ、これ?

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