第五話「がらんどうを恋い慕う」②

遠くから見たら吉糸さんと変わらない身長の藤原敦美さんは私達の前を行く。腰は曲がることなく姿勢正しい彼女は近付くと少し大きく見えた。不思議に思って観察をしていたのだが、生前本で読んだことを思い出す。


雰囲気がある人や堂々としている人は実際の背丈よりも大きく見えるらしい。そんな人に会ったことはなかったのですっかり忘れていたのだが、やはり実際に会うと口を閉ざしてしまうほど圧倒された。仮に生きていた時に会ったとしても、きっと私はまともに話すことは出来なかっただろう。


「あの、藤原敦美さん」


「敦美さん、でいいわよ。それで、どうしたの?」


「えっと、敦美さん……は、生前何か仕事とかされていたのですか?」


「まぁ、そうね。旦那様の会社の手伝いをしていましたよ。結婚する前は今で言うデパコスの美容部員として働いていました」


「え! 藤原さん、美容部員だったの⁉︎」


美容部員と聞いて反応したのはまさかの火糸糸ちゃん。私は美容部員が何のことか全然分かっておらず、何故彼女が目を輝かせているのか頭を傾げていた。デパコス、と言う言葉も聞き慣れておらず黙っていると、静かだったツインテールの彼女がどんどん口を開いて話し始めた。


「あの私、小さい時の夢が化粧品の美容部員だったんです! 今ではもう叶わないけれど、本物の美容部員の人に会えるなんて!」


「あら、そうだったの? 確かに貴女かなり独特な服を着ているけど、ちゃんとそれに合った化粧をしているのね。しっかり研究したんじゃないかしら?」


「分かって貰えますか! そうなんですよー! 死んだ後も可愛くいたいから、頑張りました!」


えへへ、と年相応の笑顔で照れている火糸糸ちゃん。くるくると回って自分の服を見せる姿はお母さんに新しい洋服を見せる小さい女の子のようだ。意外な一面もあるもんだな、と思ってじーっと見つめていると、視線を感じたのか藤原さんはこちらを振り向いた。


「心艮さんは、興味ないのかしら?」


「えっ いや、その……美容部員って、何ですか……?」


「あら、知らないの?」


「す、すみません……」


「謝らなくていいのよ。女の子全員が興味ある訳ではないものね」


目を見開き驚いた表情をされたが、すぐに元の表情に戻った。感情をあまり表に出さないのか、質問される度に謝ってしまう私。きっと怯えているように見えるんだろうな。私がもう一度「すみません」と言いかけた時にチーンとエレベーターが来た音がした。


重い鉄の扉が開き、「藤原さん、詳しく聞かせて!」と火糸糸ちゃんがねだりながら乗って行く。私も彼女達の後ろを付いて行きボタンがある隅に立つ。『地獄行き』と書かれた長方形のボタンを押すと、開きっぱなしの扉が閉まった。


「まず、美容部員のことから説明しないといけないわね。簡単に言うと、化粧品売り場で化粧品を売っている女性がいるでしょう? あれが美容部員と呼ばれる人達よ」


「へー……」


「メイクに興味ない子はイマイチ分からないかもしれないわね。ごめんなさい」


「い、いえ! 私、生きている間にそんな余裕無かったから知らないだけなんで……」


期待されたリアクションを出来ない私を見て謝る藤原さん。芯がしっかりしていると思いきや、腰が低い。ただの威圧感のある女性ではないのが言葉と行動に滲み出ている。こんな素敵な女性が美容部員だったらさぞかし人気だったんだろうなぁ、と若い頃の彼女を想像した。


「でも美容部員って大変ですよね? 自分自身が綺麗じゃないといけないし、何より化粧品に詳しくないといけないって聞きましたよ」


「そうね。勉強するのは大変だけど、その分お客さんに喜んで貰えた時の嬉しさは計り知れないわね」


最後にふふっと笑った藤原さんの声が聞こえた。昔のことを思い出したのだろうか。目を細めて笑っている姿は書類に書かれていた内容が本物なのかを疑いたくなって来た。ゴウンゴウンと動く箱の中では聞けない内容。話している間にもどんどん地獄に向かって進んで行く中で火糸糸ちゃんの質問は止まらない。


「いいなぁ。私も美容部員として働いてみたかったなぁ。その後は美容部員として働くことはなかったんですか?」


「……えぇ。残念ながら、ね」


「そっかー……働いている所、見てみたかったなー!」


火糸糸ちゃんが口を尖らせて溢した言葉は藤原さんの微笑みによって消えた。少しの間があってから「もう着くみたいね」と天井近くを見て呟く。わざと話を逸らしたのか、それとも無意識なのか。『地獄』と書かれた文字がチカチカと光っているのを見て「そうですね」と目を合わせようとしない彼女に相槌を打った。


軽快な音と共に扉が開く。地獄独特の空気が中へ入ってくる中、何の躊躇いもなく依頼主は外へ出た。何人か地獄に来ているので分かったのが、普通は少し立ち止まってしまうと言うこと。異様な空気を放っているこの場所に顔色ひとつ変えずに踏み出す彼女は只者ではない。遅れて火糸糸ちゃん、私の順番で外に出る。


「それで、何処に向かえばいいの?」


「えー……っと、書類に書いてあったような……」


ゴソゴソと自分のカバンの中を探る。物がそんなに入っている訳ではないが、地獄は暗いので見つけにくい。分厚めの紙束を見つけ、引っ張り出して探していると「裁きの間よ」と声が聞こえた。


「え?」


「私達が今から行くのは裁きの間、でしょ?」


ニコリと微笑む姿に私は背筋が凍る。優しく微笑んでいるはずなのに、彼女の周りの空気だけ氷の世界になっていた。憎しみ、悲しみ、憤り、全てを詰め込んだ彼女の表情に何と言葉をかければ良いのか分からず、自分の頬がピクピクっと動く。すると、「あ、本当だ」と声を出した火糸糸ちゃん。


「ほら、ここに書いてあるよ」


「え。あ、本当だ……」


「よーし、さっさと向かおう!」


何枚か捲った後に私に見せて来た。そこには「裁きの間に連れて行くこと」と書かれており、それ以上は何も書かれていなかった。元気よく歩き出した彼女の後ろに付いていく藤原さん。「旦那さんに会いに行く」、「裁きの間に連れて行くこと」、この二つのことだけで良いのなら他の人にも出来るのではないだろうか。彼女のあの表情の裏で何を考えているのか。全く見当がつかない私は「心艮?」と名前を呼ばれたので、地面に張り付いた足をどうにかして動かした。


エレベーターから目的地までは少しだけ距離がある。地獄そのものの面積はそこそこあるらしいが、実際に使われている建物自体も大きい。面積が大きければ建物もそこそこ複雑になり、大きくなるのは現世でもこの世界でも同じらしい。変な所で親近感が湧くのが、この世界の中での一つの楽しみ方かもしれない。


「そう言えばなんだけど、裁きの間って勝手に入って大丈夫なのかな?」


「さぁ? ちゃんとした依頼だし、大丈夫じゃない?」


「でも、さっき怒られたじゃん。他の人の審判をしている時に邪魔しないかなーって」


「あー……確かに」


言われてみれば、と先程十五夜さんに怒られたことを思い出した。あの時は閻魔大王様の休憩時間だったのでそこまで強くは言われなかったけど、仕事をしている最中だったら話は別だ。歩きながら話を進めるが、私も火糸糸ちゃんも歩みを止めようとはしない。最近では二人で歩いていても見られることは無くなったのだが、今回は天界に住んでいる人を連れて来ている。そのためか、誰かとすれ違う度に視線を感じて仕方ない。


「とりあえず、行くだけ行ってみようか」


「そうだね」


前までの私なら止めていたのに、この子に毒されてしまったのだろう。彼女と似た行動をするようになっていた。しかし、不思議と嫌とは思わずむしろ楽しんでいる私がいる。生きていた時よりも楽しいと感じているのだ。


私達の話を聞いていた藤原さんも「楽しそうねぇ」と微笑んでいるのでそのまま突き進むことに。裁きの間に近付いて行くと、人がどんどん少なくなって行く。すれ違っていた職員さんの格好も変わり、目付きも厳しいものになっている。周囲の緊張感が漂う中、ついに裁きの間へと辿り着いた時だった。


「お、俺が地獄に行くわけないだろう!」


一人の男の叫び声が聞こえた。怒りと焦り、何よりも荒げているはずの声の中に震えがあったのだ。大きな扉についているゴツゴツした取っ手を握ろうとする。しかし、その後も同じ男性の声が響き渡り開けようか悩んでいると、突然扉が開いた。


「え?」


そこそこの重さがあるだろう扉はいとも簡単に開いた。それを開いたのはいつも通りの火糸糸ちゃん……ではなく、藤原さんだった。私と対して背格好が変わらない彼女の中の何処にそんな力があったのか。唖然とされているのは私だけでなく、少し背の高い彼女も同じだった。目を見開き、いつもなら笑っているツインテールの彼女が固まっている。


「あぁ……やっと、やっと会えたわ……!」


呆然と彼女を見つめる私達に見向きもしないお婆ちゃん、もとい藤原さん。開きっぱなしのドアの先に見えたのは一人地面に膝をついて許しを乞うている男性だった。先程の震える叫び声の持ち主だろう。しかし、突如開いた扉に驚きを隠しきれないらしい男性はジッとこちらを見つめた後、「敦美、か?」と声を絞り出す。


「やっと来たか。ほら、心艮も火糸糸も入りなさい」


「は、はい……」


いきなり現れた私達に驚くことなく淡々と中へと進めさせる閻魔大王様。まるで、来るタイミングが分かっていたようだ。私達が入ろうとする前に、藤原さんが一人その男性の元へと足を進める。止めようと思い口を開くが、それを止めたのは火糸糸ちゃんだった。状況が飲み込めない私は開いた口を閉じて、彼女と一緒に中へと入った。


「お久しぶりですね、素規もときさん」


ピタッと足を止める藤原さん。手を前に添え、礼儀正しく彼の名前を呼ぶ姿はまさに大和撫子。私達は彼女の横行こうとしたが、「こっちへ来なさい」と閻魔大王様に呼ばれたので彼の近くに立つことにした。大きい体をしている彼の横には数人職員さんがいあるが、彼らにも「ここにいてくださいね」と言われたので大人しく二人の行動を見る事に。


「そ、そうだ! 閻魔大王様、私が地獄行きなどあり得ません! 生きている間、こいつを何不自由なく支えていたんだ! な、お前もそう思うよな?」


思い出したかのように救いの手を求める彼の姿は見ていられない。無理やり地面に座らされているのか、それとも自然とこうなったのか。真実は定かではないが、ふっくらとしている彼の姿と人相を見て何と無くだか分かってしまった。


鋭い目つきの中に嫌なものを感じる。言葉では表現出来ない冷徹さと残酷さを彼から伝わってくる。藤原さん、いや、彼も藤原さんか。藤原敦美さんは頷く事なくただ見下ろしている。


「今までお前は俺に尽くして来たんだ。これからも俺のために尽くしてくれるよな?」


止まらない彼の言葉は形だけだと、まるで私達が弱い者虐めをしているように聞こえる。しかし、ここにいる誰もが彼の悪行を全て知っているため何も発する事なく、抗おうとする藤原素規さんを見つめるだけ。彼のこの決死の叫びを聞いてどうするのだろうか、と敦美さんを見ると「ふふっ……」と笑っていた。


「やっと……やっとこの時が来たのね……! この瞬間を、どれほど待っていたことか……!」


「そ、そうだよな! 今こそ、お前が受けて来た恩を返す時が……」


「は? 何を言っているの?」


自分の想いが届いたと思ったのか、嬉しそうに笑みを浮かべた時だった。一瞬にして、敦美さんから笑みが消えた。無表情とも言えるその変わり様に私の背中がゾクッとする。やっと分かった、あの冷たい笑顔の正体が。言語化が出来ない気持ちに腑に落ちた時、「閻魔様、判決をお願いします」とこちらを見ることなく言い放った。


「……判決を言い渡す。藤原素規。貴様の判決は地獄行き。今まで行った事をしっかりと反省し、省みること。以上だ。」


「……は? な、何で……何故だ!」


淡々と告げられた判決の内容は変わらなかったらしい。周囲も私も敦美さんも、何も言葉にすることはなかったが、彼だけは違ったようだ。目をかっぴらき、唾を飛ばして叫ぶ姿を見てついに本性を出したな、と心の中で呟く。立ち上がった彼は閻魔大王様にドシドシと足音を立てて近付き、喚き始める。


「俺が! 俺のような人間が地獄に行く訳がない! 死ぬ直前まで後輩には尊敬の眼差しで見られていたんだ! 社会にも貢献した俺が、そんな判決に納得する訳がないだろう!」


形振り構っていられないのか、更に唾を飛ばし閻魔大王様に掴みかかろうとするが、周囲にいた職員さんにすぐに取り押さえられた。必死に抵抗するも、屈強な見た目の彼らに叶うはずもなくただもがく。


「……では、こうしようか。お前の代わりに地獄へ行くやつを見つけたら天界行きにしてやろう」


素規さんを見下ろす閻魔大王様は至って冷静であり、恨めしい目で見つめる彼を飄々とした目で見る。きっとこのようなことはよくあることなのかもしれない。一億人以上いる現世の日本では、このような気性の荒い人が一定数いる。毎回毎回驚いていたらきりがない。腕を後ろに回された彼はハッとしたように後ろにいる敦美さんを見て、怒鳴り散らした。


「ほら! 今度こそお前が俺に恩を返す時だ! 今、お前が役に立つ時が来たんだ!」


現世から何も変わっていない彼の発言に思わず溜息が出そうになる。数分前まで許しを乞う姿はどこへ消えたのか。彼の現世での姿は見たことないが、きっと今と同じように怒鳴り、上から押し付けて全てを動かしていたのだろう。本来の姿がありありと出ている中、追加攻撃をする。


「早く! 頷け!」


叫び続ける彼を遠くから見つめる敦美さんはジッと無表情で見つめるだけ。生きている間、何度も何度もこのように言われ、逆らうことを許されなかったのだろうか。あの書類に書かれている中だけでは分からない状況が今ここで再現されている。


「……うるさいなぁ」


「は?」


「誰がお前なんかを助けるか。一生独りで苦しめ」


地に響き渡る声。恨み辛みだけでなく、怒り、悲しみ、今までの苦しみを込めたその一言に彼は力が抜けた。どさっと地面に膝をつき、「う、うわぁぁぁああ!」と更に暴れ始めたがそれすらもままならない。


「其の物を連れて行け。次の亡者が待っている」


冷たく言い放った閻魔代走様は彼を見ることなく、他の職員さんに手渡された書類を読み始めた。今の彼に同情する者は誰もいない。赤ん坊のように泣き叫ぶ男の姿は開いた地獄の扉が開くまで、全員から冷たい視線を向けられるのだった。



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