『7話・ハロー、ハロー』/ぷろとこる

 努氏に挨拶していこうと思ったが、昼間は社外に出ていると聞いた私達は町を見てまわることにした。

 五年前、逃げ出すように去った町に対して、今では懐かしさと郷愁めいた感覚を抱いてしまっている。

 私達は記憶を辿りながら散歩と称して町を練り歩いた。

 どこも代わり映えしなかった。

 何も変わっていなかった。

 その街並みの中に、空音が昔気に入っていた鯛焼き屋を見つけて、私たちはそれを一尾ずつ買った。

 店の壁の張り紙は昔見かけたままで黄ばんで端がよれている。

 昔よりも値段が二十円ほど上がっているような気もしたが、空音も私も元の値段を覚えていなかった。

 味は多分変わっていない気がした。

 それを抱えたまま商店街の細い路地をただ、あてもなくさまよい歩いた。

 私たちの中の思い出の認識をすり合わせるように。

 家から町へ、町から会社へ、結構な距離を歩く。

 夕方に建設会社を訪ねると、現場から戻ってきた作業員とトラックが忙しく動いていた。

 社員の一人が声をかけてくる。

 社長は裏だと思うと言われて私達は社屋の裏にある倉庫の前へ向かった

 昨日来た時には寄らなかった場所で、そこらに土のう袋が積んである。

 努氏は倉庫の中にいた。

 日が沈みつつある薄暗い中で彼は資材の検品をしていた。

 声をかけようとして気が付く。

 倉庫の入口の脇に、取り外された古いシャッタースラットが、チェーンを使って器用に吊るしてあった。

 あ、という声を私達は共に漏らす。

 此処にあるなんて思ってもいなかったから。

 それは空音の家のガレージの物だった。

 空音がかつて絵を描き殴ったシャッタースラット。

 意図をもって吊るされていた。

 それはどう見たって絵を飾るという行為で。

 青系統のスプレーだけで描いた存在しない街の景色。

 勢に任せた稚拙で抽象的な絵。

 意図を読み解くのは難解で、分かりやすい価値も見いだせなくて、それでも何故か惹きつけられて。

 でも今なら私にはこの絵に込められた意味だとか感情を理解できた。

 誰かに向けて言語化したかった。

「どうした? こんなとこまで」

 努氏が私達に声をかけ、そして背の方を振り返った。

 私達が絵を見ていたことに気が付いたのだ。

「派手だし何かの宣伝に使えないかと思ってな、家からこっちに持ってきたんだ」

 照れ臭かったのか空音は唇を尖らせる。

「今日も仕事して、身体は本当に大丈夫なの」

「周りが騒ぎすぎなんだ」

 私も共に疑念の目を向けていたからか、努氏は改めて言い直した。

「本当だ。心配ない。帰ってきてくれたのは嬉しいが、お前たちは東京で生活を続けるんだろう。もう大丈夫だ。別に、会社を継いでもらおうとも思ってねぇからよ」

 その言葉は空音の立場や抱えているモノに寄り添うかのような言葉で。

 何も気にするな、好きに生きろと彼は言う。

「お前の人生だ。会社は信頼出来るやつに後を任せようと思ってる。そもそも継がせるつもりなら商業高校に入れてたさ」

「どうしたの急に」

「昨日の件で今まで俺も言葉が足りんかったと思った」

 恥ずかしそうに彼は後頭部を指先でかく。

「仕事ばっかりで家の事をなんもしてこんかった。妻が亡くなってから、正直娘とどう会話していいか分かんなくなってな」

 それは私に向けて言っていたが、空音に対する言い訳であった。

 けれど、その不器用さを責める資格は私にも無く、その気持ちは分かると黙って頷く。

 空音という存在に物怖じしてしまった同士、私が努氏に言える言葉などなく。

「俺は古い人間だから、女二人でそういう関係が成り立つのか良く分からん。娘がどういう生き方をするか、自分で決めたことが大事なんだと思ってる」

 誰もが空音に向ける、より良い生き方を選択出来るという圧力。

 それとはかけ離れた言葉。

 親として社長として、それで良いのかという気持ちが私の口をついて出る。

「正直私と空音で生きていくのは不安定な道だと思います」

「良いも悪いも生き方に正解なんてねぇだろよ。だがな、生きるっていうのは、その人生を選択した責務があると思っとる。たとえ、その生き方しか選べなかったとしても、その生き方をやっていかなきゃならん責任があるってな。それが社会で生きるってことだろう」

 空音の絵を見上げながら努氏は言う。

 何かを訴えようとしているその絵の意味を読み解こうとするように、何かを感じ取ろうとするように。

 視線を外すことなく言葉は続く。  

「人間は社会の生き物だ。社会で生きるとは、その中で生じる他者に対する幾つもの借りを返す責任を負うことだ。それが大人になるってことだと俺は思ってる。だからお前がいつかその借りを返してくれれば良い」

「パパの為にも立派な大人になるわ」

 空音の言葉に彼は苦笑する。

「別にその借りを俺や、その子に返せって話じゃない。誰かや何かに返したなら、どんな生き方だろうとそれは立派だろって話だ」

 その言葉に私は頷く。

 私達はそれを成し遂げる為の場所に戻らなくてはならない。

「帰ろう」

 私は空音の手を取る。

 努氏が車のカギをポケットから取り出してみせた。

「駅まで送っていこう」

「歩いていくわ、大丈夫」

 空音の返事に努氏は目を丸くする。

「遠すぎる。車で一時間かかるんだぞ」

 空音の意を汲んで、彼女の代わりに私は返事をした。

「いいんです」


 連れ出してと言われたあの日と同じように、今も共に歩いている。

 東京と違う空、満点の星空。

 けれど星を眺める余裕は直ぐに無くなった。

 キャスターの車輪が転がる音が無言の私達の間を埋めた。

「やっぱりこの距離歩くのは無理だったかも。当時の私達、若いな……」

 かつて私たちがやった家出行軍を、今もう一度やるのは辛く、当時の私達の無謀さを思い知らされるばかりだった。

 山間の車道を六時間、休みながら歩き、気が付けば日付も変わっていた。

 県道沿いの光に安堵し、深夜のコンビニに寄った。

 私たちは買ったペットボトルに口をつけ缶を開け、そのまま飲み干す。

 おにぎりを腹に入れる。

 駐車場の隅に腰を落とし疲労で腫れた脚を揉む。

 駅まではまだ、三時間は歩かなくてはならない。

 とても歩いて行ける距離ではないが、あの時の私達はもういてもたってもいられなくて飛び出したのを覚えている。

 逃げ出すように追い立てられるように飛び出して、夜通し歩いて駅まで行って新幹線に乗ったのだ。

「私達、こんな距離を歩いてたんだ……」

「そうよ。奈子がとーってもおっきな荷物を抱えてきたからビックリしたのを覚えてるわ」

「私は、空音が何も持たずに現れた方がビックリしたよ」

 地べたに座り込んで膝を抱える空音の姿がぼんやりと照らされている。

 景気づけに買った缶チューハイに口をつけている。

 汗で髪は乱れ、目元には疲れが滲んでいて。

 それでも美しい姿は、非日常がそこに形を成したかのようで。

 私はそれに触れるように、壊してしまうように、冷えた缶を空音の肌に当てて乾杯、と呟く。

 小さく悲鳴を上げた空音に私は言う。

「仕事、一緒に探そう。空音に向いてる仕事をさ。絵を描くことは辞めて欲しくないし、それがいつか芽吹いてほしいとは思うけど。まずはさ、私達は生きてくことをやっていかなきゃ」

 私達はそれからまた、夜通し歩いて辿り着いた駅の待合室で始発の新幹線が来るまで寝た。

 自由席で東京駅まで向かう。

 私達は言葉を交わすこともなく、着席して直ぐに眠った。

 一度も目を覚ますことなく東京駅に着く。

 身体は痛むし、肌は乾燥して、髪もごわついている。

 休日の家族連れと多くの観光客と、出勤であろうオフィスカジュアルの装いの人々達、そうやってごった返す駅構内を前にして疲労困憊の私達は足を止めた。

 明るく清潔な内装と、洗練されたファッションと、楽し気な声。

 そんな煌びやかな景色の中で私はきっと異物に見えるだろうか。

「あれ、奈子ちゃん? 奇遇だね」

 そう声をかけられる。

 涼香先輩がいた。

 休日の外出か着飾った姿をしている。

 高いヒールとアップヘアの見慣れない姿はいつもより一層、華やかであった。

「隣にいるのが、空音さん? お父さんは大丈夫だった?」

「はい、今始発で帰ってきたところです」

 私の返事に遅れて空音は頭を下げた。

 眠気に圧されて上げた頭は大きく揺れている。

「あの、私頑張ります。この子と」

 私の言葉に涼香先輩が驚いた様子で目を丸くする。

 そして微かな笑みを口元に浮かべて言う。

「そう。また明日、会社でね」

 知らない香水の香りを残して去っていくその後ろ姿に、私は空音の手を握りしめた。


 東京に帰ってきた翌週から空音はバイトを始めた。

 雑貨屋のショップ店員だ。

 直接絵を描く仕事ではないが、POPのイラストを描けると売り込んだらしい。

 趣味ではないしタッチも違うが、元々絵心のある彼女は上手くこなしているみたいだ。

 接客方面はまだちょっと不安の残る仕事っぷりらしいけれど。

 とはいえ今までのバイトとは違い、半年間なんの問題もなく続いている。

 いつかは空音に、彼女の絵が意味を持つような仕事へと繋げてみたいが、まだまだ実現する手段は見つからなかった。

 そろそろバイトの時間が終わる頃だろうか、と私は職場で自分のスマホに手を伸ばす。

 画面に空音からのメッセージの通知が表示される。

『今日、バイトの先輩にお土産を貰ったのよ。蟹ですって』

「蟹!?」

『どうしたらいいかしら』

「鍋にしよう、帰りに具材買って帰るから鍋を出しといて」

 そんなメッセージで返信して、私は残りの仕事に向かい直す。

 私達は今日も、社会の中で生活をしている。

 全てが完璧で上手くいくなんて事はないけれど、これが私達なりの繋がる方法なのだ。


【完】

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ゆびきたす/あのにます/ぷろとこる 茶竹抹茶竹(さたけまさたけ) @stkmasatake

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