未完の日記

於田縫紀

未完の日記

 日記を書こうと思ったのは暇だったから。時間を潰そうと思ったから。


 私がいるのはいつもと同じ場所。私の身の回りに広がる最小限の空間。


 両手を広げれば前後の壁にも左右の壁にも手が届く。床の上に立って背伸びをして手を思い切り伸ばせば天井に届く。


 出来る事は限られている。端末を通して過去に作られた情報を視聴する事。端末に依頼して取り寄せた物を使って時間を潰す事。

 事実上、それだけ。


 ただし『それだけ』とは言えないかもしれない。視聴できる過去情報はとんでもない量あるらしい。人が一生の間ずっと見て読んで聴き続けてもその全体の1フェムトも消化できないと端末が言っていた。


 しかし見る事が出来る情報が事実上無限にあっても、その中で私が面白いと感じるものは限られている。新しく『面白い』ものが何という名前なのかを知る方法もない。


 物を取り寄せるのはもっと限られている。情報の視聴で何かに興味があったとしよう。そこで取り寄せようと端末に依頼しても、概ね『禁則事項』とやらで拒否される。


 自動車、宇宙船、美容用全身カプセル、パワードスーツ、百万本の薔薇の花束……そういった面白そうな物はことごとく『禁則事項』として取り寄せ拒否された。

 今までに取り寄せられたものはたわいもない物ばかり。スネークキューブ、けん玉、チョーク、麺棒、ゴム紐……


 これらたわいもない物の中に、『ノート』と『ボールペン』があった。これを見て、私は思ったのだ。これで『日記』が書けるぞと。


 日記というものを知ったのはかなり前。たまたま以前、偶然に何とか日記という文字情報を見た事があった。


 あれの書き出しは確か『男が書く日記というものを、女である私も書こうと思う』だっけかな。オカマ文学の魁みたいなものだろうか、多分。


 私は本物の女だからオカマな書き出しは必要ないな。そう思いつつ私も日記を書き始めようとする。

 ところで日記の最初ってどう書くのだっけ。少しだけ考えて思い出す。そうだ、日付を書くのだった。


 私はノートを開いて前のデスクに置く。ボールペンの持ち方がわからないのでとりあえずげんこつで握る。書きにくい。しかし時間を使えばその分暇つぶしになる。だから問題はきっとない。


 ただ今日は何年の何月何日なのかはわからない。だから端末に聞いてみる。


「今日は何年の何月何日だっけ?」


『禁則事項です』


 これも禁則事項か。となるとわかる方法はないな。なら日記は無理か…… 

 そう思いかけて私は思いついた。なら私自身で暦を作ればいいのだと。

 よし、本日を基準にしよう。今日は私歴元年1月1日だ。これで日記に日付が書ける。


 ノートの最初のページ左上に今日の日付を書く。元年1月1日。書きにくくて字が歪んだが、何とか読める。

 さて、それでは今日の出来事を書こう。まずは日記を書こうと思ったところからかな。


 そう思った時だった。ふっと全身に痺れを感じる。何だろう。意識が薄れていく。


『禁則事項です。経過時間の記録は禁則事項です。経過時間の……』


 端末が何か言っている。だが意識が薄れていって聞き取れな……


 ◇◇◇


 目をさます。周囲は暗くて何も見えない。


「照明」


 周囲が明るくなる。いつもの狭い部屋だ。かつて端末に依頼して取り寄せたたわいもない代物が床の端に転がっている。


 ああ、今日も起きてしまった。でもやる事が無い。今日はどうして暇を潰そう。


 私は床に散らばったたわいもない物を何となく見やる。

 ふとその中の『ノート』と『ボールペン』に視点があった。そうだ、これで何か出来るような気がする。


 そうだ。私は思いついた。

 日記だ。日記を書こう。


(da capo)

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