名の無い日記

にゃしん

1

 とあるダンジョンの一室で初老の男が探し求めていた物をようやく見つけた。

 もう随分と古いダンジョンで既に魔物は存在しないこの場所に立ち寄る者は、よほどの物好きぐらいしかいない。

 ランタンを地面に置くと、汚れのない綺麗な一冊の本を取り上げた。

 かつて共に旅をした仲間の日記であった。

 タイトルも持ち主も書かれていない物だが、表紙に確かな見覚えがある。

 深緑の背景に金糸で編み込まれた菱形記号が三つ並べてある。

 間違いなくラフィン――かつての冒険者仲間の所持品である。

 彼女は生前、日記を持っていることを話してくれたが、その内容を一度も見せてくれる事はなかった。

「ラフィン。先日、マリカが死んだよ。事故だった」

 男は日記を見つめながら言う。

 ラフィン、マリカ、ネイド、そして私。

 ありふれた四人の冒険者仲間であったが解散するその日まで互いに励み続けた。

 離れても連絡は取り合い、そこでラフィンは冒険を続けていた事を知った。

 ラフィンからの便りが無くなり、心配になった私は彼女と親交のあった者達を頼り、ついにこのダンジョンへ辿り着いたのであった。

 ここまで来るのに三年はかかった。

 彼女は僧侶職をしていたが、ベテランと称された冒険者がなぜこのダンジョンで最期を迎えたのか。

 この日記にその答えが書かれているかもしれない。

 男は静かに最初のページを捲り始めと、似つかない丁寧な書体で色々と綴られている。

 私達と出会う前の事や故郷の村での事、ネイドとの事。

 他愛の無い事柄ばかりで日記そのものといえる内容である。

 中には私と些細な事でいざこざが生じたことも書かれてあり、読みながら少し笑ってしまった。

 彼女はあの時こう思っていたのかと、忘れていた記憶が徐々に蘇っていく。

 そして、"次"とだけ書かれたページを堺にそこから白紙となっていた。

 一つ飛ばしてしまったのだろうか、と考え数ページ先まで捲るも白紙が続く。

 妙だと感じ、思い切って最後のページまで飛ばすが白紙が永遠と続いていた。

 "次"を残して唐突に彼女の日記は終わりを迎えている。

「どういうことだ……?」

 男は何か細工でもされているのかと裏返して観察するも、目立つ点は特に無い。

 他に手がかりになりそうな遺留品は生憎、日記以外には残っておらずこの部屋に入ってきた時点で死体も無かった。

 盗賊の類が先にやってきて色々と盗っていったのだろうか。

 男は再び最初のページに戻り、一文字一文字確認すると、震えで目が留まる。

 文字に使われているものはインクではない。血だ。

 悪寒が背筋を撫で、再び最期まで読み直した。

 全て血で書かれている。

「意味がわからない」

 予想だにしない事実に頭の中が混乱し始める。

 ラフィンは一体どういう意図でこんな真似をしたのだろう。

 彼女の死と何らかの関係があるのだろうか。

 そして、"次"とは一体どういう意味なのか。持ち帰り、入念に調べる必要がある。

 男は清潔な布で本を丁寧に包むと、立ち上り部屋の外へと向かう。

 入り口ドアを開けようとした時であった。

「開かない」

 施錠もされていない簡素な作りの木のドアで、外側から簡単に開けることができた。

"次"

 頭の中で見知らぬ声が反響する。

「だ、だれだ」

 不安一杯の声で叫ぶ。

 しかし部屋には男しかおらず、ランタンが照らす範囲では何も映らない。

 一刻も出たいと何度も開かない扉を激しく動かす。

 扉は微かに動くだけで外に出ることは叶わない。

「誰か助けてくれ!」

 大声で叫んでも辺鄙な場所に来る者など一人もいないのだ。

 半ば疲れて息も荒くなりながらも続けていると、背負うバックから寒気が襲いかかる。

 持参した水筒でも零れてしまったかと日記が濡れる前に慌てて地面に置く。

 しかし染みた部分はなく、日記も無事であったが触ると妙に冷たい。

 包みを解いてやると、日記の周囲から冷気を感じる。

「何が起きている?」

 そっと手で触れると、それが合図であった。

 突如として体が吹き飛ばされ壁に強く打ち付けられた。

 痛みに呻く暇もなく、体が寒さを覚える。

 床には氷が張り、天井には大人の背程の氷柱ができる。

 男は項垂れていた頭をあげ、目の前で静かに浮遊する日記に目を疑った。

「これは現実なのか」

 日記は自身を回転し始め、やがて激しい旋風つむじかぜへと変わった。

 渦の中は完全に閉鎖され、日記の姿は見えない。

 男は痛む体でヨロヨロと歩きながら再び、外へ出るべく無駄だとわかっていてもドアを開けようと試みた。

 「どこに行くの?」

 今度は覚えのある声だった。何十年と前に別れ際に聞いた声。

 その声を聞きたくて今日ここを訪れたのかもしれない。

「ラフィン」

 男は振り向き、こちらをおどおどした様子で見つめる出会った頃の彼女の姿に心を高鳴らせた。

 だが直様冷静に判断を下し、現実へと戻る。

「ラフィンを殺したのはお前か」

 可愛らしい乙女の姿だったものはけたたましく笑うと異形の物へと姿を変貌させた。

 焦げと土が混ざったような体色に無数のモンスターたちの腕が生やし、大きくつりあがった瞳は赤く燃えているような色をしている。

「悪魔め」

 男は吐き捨て、魔法の詠唱を始めた。

 かつて名を馳せた魔術師の瞳には怒りと悲しみが混じっていた。


 事が終わり、部屋は再び静寂を取り戻す。

 両者の姿はなく荒らされた形式もない。

 ただ、部屋には日記が一つ置かれている。

 開放された入り口から風が吹き込み、紙が捲られていく。

 故郷の村の話や妻の事など他愛のない内容が風と共に捲られ続ける。

 そして風は止まり、日記も正に止まった。

 ページにはこう書かれる。

 "次"と。

 

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