真夜中の訪問者が欲したものは

岡本紗矢子

真夜中の訪問者が欲したものは

が自動ドアをくぐって現れたとき、私は警察を呼ぼうか、それともお坊さんを呼ぼうかと考えた。

 うつむき加減の顔に、振り乱した長い髪がかかって影を作っている。白っぽいワンピースはやや大きめで、中で身体が泳いでいるようだ。足は裸足で、かろうじてつっかけているのは履き古したようなフラットシューズ。それが、やや前かがみになりながら左右に揺れて、ゆっくりゆっくり、私のいるレジに近寄ってこようとしている。

 午前2時のコンビニには、他のお客さんもいなければスタッフもいない。今日は深夜帯のバイトの子の急病で、オーナーの私がひとりで枠を埋めているのだ。

 人間か。幽霊か。自動ドアが開いたから人間か。胸にベージュの二つ折り財布を抱きしめているし。しかしその歩き方と揺れ方といえば、まるで海外ドラマで見るゾンビのよう。

 ゾンビだとしたら……一応肉体はあるので、自動ドアは反応するんじゃないかという気がする。それは果たして生きているということになるだろうか。ならない気もするしなる気もする。

「い……、いらっしゃいませ……」

 おかしなことをぐるぐる考え始めた頭を切り替えるつもりで、とりあえず私は声をかけてみる。バイトの子には「挨拶は元気に!」と言っているのだが、いつもの声の3割も出なかった。そのせいか、ゾンビ?は何の反応もせず、歩みも止めず、まっすぐレジに向かってきたかと思うと急にそこに突っ伏した。

「――カ」

 何か言った、ような気がする。

「お客様、あのう……」

 恐れ入りますがもう一度、と覗き込もうとしたとき、前髪の下でくわっと開いた四白眼と目があってしまい、私は飛びあがった。

「スイカぁ……」

「す、Suicaですか? お使いいただけますがっ……」

「ちがうぅ。スイカぁぁぁ~」

 ゾンビ?はつっぷした姿勢のまま、カウンターをドンと叩いた。ものすごい音がした。髪の下から私を見上げる目は、血走っている。

「す、す、すみません……恐縮ですが、今スイカは、ありありあり……ません……」

「……スイカないって何なのよ……この店は夏なのにスイカも置かないのぉぉぉ!?」

「ご、ごもっともですが、申し訳ありません。コンビニですから、青果はあまり入れてないんですよ……」

「……。コンビニ……?」

 彼女は肩をぴくりとふるわせた。

「ここって、コンビニ……?」

「え……は、はい……」

「……」

 彼女はそのままカウンターに顔をうずめて黙ってしまう。私は硬直して直立したままだ。

 たっぷり1分もそうしていただろうか。やがて彼女は、伏したまま少し深めに息を吸ったかと思うと、言った。

「……おてあらい……」


 私が指し示した方へ、彼女は入ってきたときと同じように背を丸めてよろめき歩いて、消えていく。

 閉じた扉の向こうから、嘔吐の音が聞こえてきた。 


**


「本当に、すみませんでした……」

 数分後、青ざめた顔で出てきた彼女は、さっきよりは生気がある足取りでこちらに戻ってきた。

「ちょっとキツ過ぎて、スイカ食べたくて、記憶まで混乱したみたいで……」

「いいのよ」

 私はカウンターから出て彼女を出迎え、身体を支えた。

「お客さん、つわりの真っ最中ね? でしょ?」

 彼女はちょっと目を見開き、しかしすぐうつろな顔になって、しゃべるのもだるいというふうに頷いた。

「……そうなんです……もうずっと吐き気がひどくて、何も食べられなくて……。でもさっき、スイカ食べたらスッキリしそうって急に思って。旦那が出張中で、それで……」

「ああ、そうなのね。だから自分で買いにきたのね。つらいのにがんばったわね、よしよし」

 経験者としての共感は、私を店員からただのおばちゃんモードにチェンジしてしまっていた。まあいい。真夜中だ。どうせこの時間帯、誰も来ない。

「とにかくまず座ろうか。イートインの椅子。大丈夫? いけそう?」

「……はい」

 私は彼女をエスコートして席につかせると、店内に取って返してミントの飴とガムをレジに通した。

「どうぞ。これは効くわよ」

「本当にすみません……」

「いいんだってば。帰ってもひとりでしょ。少しここにいなさいな」

 私は彼女の斜め向かいに椅子を引っ張ってきて座り、その背をさする。

「それにしても、あなたさっきスイカが食べたくて記憶が混乱したって……。もしかしてこの店が、むかしは八百屋だったのを知っているの?」

 そう、このコンビニはおよそ20年前まで、私の両親が経営していた八百屋だった。八百屋というか、雑貨屋や駄菓子屋も兼ねた、それこそコンビニ的な位置づけだった個人店。しかし時代は流れ、両親は店をたたみ、その後、私が夫と相談してコンビニを開店した――。

 彼女は見たところ20代後半だろうか。八百屋がなくなったとき、彼女は幼児だったはずだけれど。そう思いながら横顔を見ていると、彼女はふっとあたたかい笑みを見せた。

「はい……私、小さい頃この近くに住んでいて、よく八百屋さんに来ていたんです。お小遣いでおやつ買ったり、母の買い物についてきたり。親が転勤の多い仕事をしていたから、そのあと引っ越しちゃったんですけれど……たまたま幼なじみだった旦那と再会して、結婚して……」

「あらやだー、すてき。ドラマチックぅ。それでまた、なじみのある地域に戻ってくることになったのね?」

「そうなんです」

 彼女は少し微笑んでいる。なつかしさに浸っているのか、私がおばちゃんモードを暴走させているのがおかしいのか。

 できれば前者であってほしいものだと思いながら、私は立ち上がった。

「もともとの八百屋は私の両親の店なのよ。思い出してもらえてうれしかったわ。……さてと、スイカだったわね」

 彼女はきょとんとした顔で私を見つめてきた。

「お店にはないんですよね?」

「ないけど、うちになら買ってあるのよ。ちょっと帰って切ってくるわね」

「え、でも……うぐ……」

 立ち上がりかけたが、また吐き気が増したようで、彼女はへたへたと椅子に身体を戻す。

「ああ、新しいガム噛んだほうがいいわよ。大丈夫、うち隣なの。5分で戻るから、誰も来ないように祈っていてね」

 まあ、物品搬入もないこの時間帯、祈るまでもなく誰も来ないだろうけど。来るとしたらお化けか、ゾンビか。

 私はくすくす笑いながら家にダッシュした。


**


「これ、くださいっ」

 小さな女の子が背伸びして、カウンターに商品を押し上げてきた。

「あらー、いらっしゃい。ママも、こんにちは」

「こんにちは……」

 女の子の後ろにいた女性が、いつものはにかんだような笑顔を見せる。

 「ゾンビとスイカ」、真夜中のちょっとした事件から数年。あのときの彼女は無事にママになり、娘さんと一緒にちょくちょくコンビニを訪れてくれるようになった。

 カウンターにのっかっているのは、パックのスイカだ。あれ以来、カットフルーツとして夏は必ずお店に置くようにしているのだが、それを気に入ったのはママではなく娘さんだった。

「ふふふ、やっぱり今日もスイカなのね?」

「もう、アイス買おうって言ってもこればっかり。なんでこんなスイカ好きなのって思っちゃう」

「つわりのときにママが好きだったものって、お腹の子の好物って説があるわよ。そういうことなんじゃないの?」

 レジを終えて、女の子にパックを持たせてやる。彼女はパックをむぎゅっと抱きしめて、ママに「ほら、そんな持ち方したらあったまっちゃうから」と軽いお小言を頂戴していたが、それでも嬉しそうだった。

 私は会釈して自動ドアをくぐっていくママに笑顔を返し、振り返ってバイバイする女の子に軽く手を振り返す。あの子が大きくなっても、この店を幼馴染みのように覚えていてくれるといいなと祈りながら。

 八百屋じゃなくて、どこにでもあるコンビニだけどね。

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真夜中の訪問者が欲したものは 岡本紗矢子 @sayako-o

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