【KAC202210】シンデレラ異聞 魔法が解けたらこうなった

いとうみこと

災い転じて福となす

 シンデレラは走りに走った。もうすぐ鐘の音が鳴り止む。それまでに馬車に戻らなければ魔法が解けてしまうのだ。それだけは何としてでも避けねばならない。慣れないハイヒールなどいっそ脱いでしまいたいと思いながら長い階段を必死に駆け下りた。


 半分ほど来たところで背後から王子の呼ぶ声が聞こえた。どうやらダンスの途中で突然逃げ出した自分を追いかけて来ているようだ。となればますます止まるわけにはいかない。あの素敵な王子にお城の下女よりもみすぼらしい元の姿を見られるのはあまりにも情けない。


 シンデレラは喘ぎながらも走り続けた。そして間もなくお城の門に達しようというその時、片方の靴が脱げたのを機にバランスを崩し、幅の広い階段を三段ほども転げ落ちた。間もなく追いつこうとしていた王子は落ちていたガラスの靴を拾い、また門のそばにいた多くの衛兵も急いでシンデレラのもとへと駆け寄って彼女に手を差し伸べた。そして不運なことにちょうどその時最後の鐘が鳴って真夜中の十二時を迎えてしまったのだ。


 途端にシンデレラの体を白い霧が包み込んだ。息を呑む男たち。その霧が消えると同時にきらびやかなドレスに身を包んだ美女も消え、代わりに粗末な身なりの痩せこけた少女が現れた。燦々と輝いていた宝石類も美しく結い上げられた髪も今は跡形もない。それどころか、あちこち破れて泥まみれの服を纏ったその姿はまるで野良犬のようだ。シンデレラは痛みも忘れて我が身を抱きしめしゃがみ込むと、できるだけ人目に触れる面積を小さくした。


 シンデレラの周りを取り囲んでいた男たちは声を上げて飛び退いた。いちばん驚いていたのはつい先程まで鼻の下を伸ばしていた王子その人だ。暫く呆然とシンデレラを見下ろしていたが、やがて首まで真っ赤になって怒鳴り散らした。


「なんと醜い女よ! 王妃の座欲しさに魔法で吾をたぶらかしたか。姿ばかりか心まで醜いお前の手を取ったことすらおぞましい。即刻首を刎ねたいところだが、今宵は吾にとって大切な夜ゆえ血で穢すわけにはいかぬ。これを持って今すぐ消え失せるがいい!」


 王子は持っていたガラスの靴をシンデレラに投げつけた。それはシンデレラの顔面を直撃して唇から血を滴らせたが、王子がそれで怯むことはなかった。シンデレラは涙を堪えつつ立ち上がり、王子に向かって一礼すると両方の靴を胸に抱いて門を飛び出した。今すぐ王宮から立ち去りたかった。


 しかし、門の外にあるはずの馬車は忽然と消え、その代わりかぼちゃがひとつ転がっていた。シンデレラの目から堪えていた涙が溢れ出す。今頃魔法使いは自分の善行を夢に見ながら暖かい布団に包まっているのだろう。足元でねずみがチュウと鳴いたが、何の助けにもならないことはわかっていた。


 仕方なくシンデレラは裸足で歩き出した。微かな月明かりがあるだけで、木立に囲まれた道は暗く恐ろしかった。お城に行こうなどと思わなければこんな惨めな思いはせずに済んだのに、私に幸せが訪れる筈などなかったのにと、シンデレラの胸に次々と後悔の念が押し寄せ、その度毎たびごとに嗚咽が漏れた。いっそこのまま谷に身を投げてしまおうかとさえ思った。


 その時、後ろから馬の蹄の音が近づいてくるのが聞こえた。シンデレラは咄嗟に木立の陰に隠れた。すぐ近くまで来たとき、それがランタンを掲げた兵士であることに気づいてシンデレラは身を硬くした。怒りの収まらない王子が追手を差し向けたと思ったのだ。シンデレラは顔を背け息を潜めてじっとしていたが、彼女の思いとは裏腹に馬は彼女のすぐそばで止まった。


「谷へ飛び込むのも剣で突かれるのも死ぬことに変わりはないわね」


 シンデレラは腹を括って道へ戻った。暗くて兵士の顔は見えないが、きっと恐ろしい形相をしているのだろう。死を覚悟しても尚、足の裏に刺さった小枝や石は痛かった。


 シンデレラは馬の側に進み出てその場にひざまずいた。兵士は静かに馬から降りると、同じようにシンデレラの前に跪いた。


「お嬢さん、お怪我は大丈夫ですか。家までお送りしましょう」


 優しい声だった。シンデレラの目から滝のような涙が溢れた。





「それがお父さんってことよね?」


 十五歳のソフィアは目をきらきらさせながら初めて聞く父と母の馴れ初めに声を弾ませた。


「なんてロマンチックなんでしょ!」


「何がロマンチックなもんですか。お母さんは本当にここで死ぬんだって思って震えてたんだからね」


「それからどうなったの?」


「お父さんはその後すぐにお城の衛兵をやめて、お母さんを連れて生まれたこの町に戻ったのよ」


「お母さんの意地悪な継母たちは結婚に反対しなかったの?」


「さあ? 黙って出てきちゃったからね」


「すごーい! お母さんかっこいい!」


「で、本当に今日お城へ行くの?」


「うん、行くよ」


「お母さんのこの話を聞いても怖くないの?」


「だって、今日の主役はその人の息子でしょ? 別人だし、そもそも私、后の座なんか狙ってないからね。十五歳から十七歳までの娘なら誰でも参加できるお城の舞踏会だなんて、庶民の私がお城に行ける一生に一度あるかないかの大チャンスじゃないの。これを逃す手はないわ」


「だからって何もガラスの靴を履いて行くことないでしょ」


「だって私の足にぴったりなんだよ。それに今の話だと、魔法が解けても唯一元に戻らなかった不思議な靴なんでしょ? ますます履いてみたくなっちゃった。そもそも置いといたって使う機会なんかないじゃないの。お母さんだってもう履けないでしょ。ねーえー、お願いー!」


 今はマリアと名を変えたシンデレラは夫と顔を見合わせて苦笑いをした。


「いったい誰に似たのかしらね。いいわ、ソフィア。その代わり真夜中の十二時までには帰ってくるのよ」


「えー、何で? 朝までいたいよー」


「だって、万が一にも魔法が解けたら大変でしょ?」


 シンデレラは駄々をねる娘に茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC202210】シンデレラ異聞 魔法が解けたらこうなった いとうみこと @Ito-Mikoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ